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R175号の稲継交差点から城山トンネル (ガンジョウジ城<向山城>の山腹)を抜けると、正面に露岩を抱く向山連山の丘陵北端部を西から北側へと廻り込んで、黒井盆地に入っていきます。 一方:篠山市から金山城の在った鐘ヶ坂を越え、八幡山城の在った<金山城・八幡山城共に”丹波攻め”では明智光秀の陣城> 柏原町を通るR176号から、日本一低い谷中分水界「水分れ」沿いに走ってくると、向山連山とガンジョウジ山から霧山〜天王坂を経て五台山へと延びる丘陵が続き、僅かに此処だけが途切れたように黒井盆地に入る狭い南西の玄関口となり・黒井城の咽喉元の迫る位置ともなっています。 黒井城を望む黒井平野の南方(向山連山)や、北方の霧山〜五大山〜千丈寺山〜城山(黒井城)への丘陵尾根や、山麓には、多くの黒井城を守備する城砦群があり、これ等城砦を落として黒井城を包囲する、明智光秀軍の向城も数箇所に点在して本拠の黒井城の動向を窺っていたのでしょう。籠城に対する飢餓作戦・別所氏の三木城や波多野氏の八上城と違い、黒井城の向城は多くも無さそうですが、それ以上に余り知られていない様です。 そんな城砦の一つに新才城がありました。黒井城配下の城砦だったと思え、其の位置や縄張りからは光秀方の向城(陣城)として使用されたとも思える単郭の小さな城砦を今年最後にUPしました。中世史・城郭研究家の高橋成計氏や同行されているM.M氏が今年発見?されたばかりの城。発見報告が待ち遠しいところですが、城郭等専門機関への報告なら見る・知る・・機会は無さそうですが 勝手な私の推論で、一足先にUPはしたのですが・・?![]() |
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