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豊岡市立図書館の敷地一帯は中世〜近世・明治へと、その時代の変遷をかさねて、居館や屋敷・陣屋・藩陣屋・旧豊岡県庁・城崎郡役所として使用されてきたが、近年:図書館建設に伴う発掘調査で、神武山(亀山)に豊岡城が築かれた頃よりの遺構が発見されています。藩政時代:京極氏が入封して以降の豊岡藩陣屋の遺構は陣屋門さえ、この位置には遺されていない。 しかし図書館の側からは神武山へ散策道が延び、山上一帯は豊岡城跡。 笠ノ丸の一段西にも同規模の曲輪跡・レンガ囲いの古い施設跡だが切岸は健在!!?? 城下町豊岡の歴史的原点・豊岡城に期待の残して登って公園化された神武山に登ってみる。・・・が遊歩道を進むと直ぐ案内板を見るが、散策道は豊岡市所縁の人の歌碑・文学碑を公園内に立てられる「歴史・文学のこみち」であり、主郭の東西2〜3ヶ所に上水道配水施設が建ち、此れにより主郭部に在った天守台も破壊、広い平坦地形に変わっていた。 本丸のカーブ先に石積みされた天守台があったが、平坦地形からは区画された曲輪状況も想像出来ない 気になるのは縄張り絵図からも、萩ノ丸と笠ノ丸の間に堀切が有り、石積の天守台は萩ノ丸に有った様ですが、現地点にある案内標柱「萩ノ丸」は天守台跡から北に降った(帯状曲輪?角の遊歩道側で、笠ノ丸(貯水タンク)へ進む天守台西切岸下部の歩道が堀切だった様に思えます。この底部から南急斜面へと堀切が竪堀となって延びていた様にも見受けられる。開削・改変著しい中世の城は大きく破却されず遺構は残っていた様で残念ですが、それでも遺構の残片を感じる曲輪切岸・雑木藪の覆われた主郭南の急斜面にも数条の竪堀が残されている予感はする!? |
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但馬検定を受けに、豊岡へ行ったことがあります。駅前通りから眺めて南に小高い山があったのを記憶しています。それが豊岡城跡だったわけですね。 |
mikomai 2010/06/16 15:03 |
mikpmaiさん 但馬検定ですか・・・!!当地の観光はともかく歴史・文化は地元の受験者にも難しかったと思われます。互いに宿敵の播磨赤松氏VS但馬山名氏の戦いは諸処によく知られますが、夫々の家臣団の諸城と城史は、これも互いに内乱・天下布武の敗者の宿命か?遺された古文書も少なく、中世城砦は近世大名の城とは隔世の感。良くも悪くもホントは領主と領民の関係を知りたいところで…。 |
天々宇知栗 2010/06/16 16:34 |
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