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<<   作成日時 : 2017/01/13 21:36   >>

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R175号側の「ひまわりの丘公園」の南方「浄谷町中」交差点で右折j県道23号を直進。図書館前・小野警察署前を抜け敷地中交差点からの下り坂下「大部小学校南交差点」で右折する。県道23号は次の信号「王子上満」直ぐ近くにクローバーハウスがある。大部小学校南交差点を北進すると敷地公民館に一柳藩敷地旧陣屋跡石碑が立つ。  
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遺跡分布図では車道を挟んで大部小学校東側が比定地?だが遺構は推定以外何もない!!。陣屋跡石碑も現在地に移され立てられている様?。公民館並びに八幡宮を祀るが伊予西条時代の一柳氏に関わるものかは不詳?。藩祖:一柳宣高の孫直末は家康軍に属して関ヶ原に軍功を挙げ、伊勢国神戸藩主三代直盛の寛永13年(1636)伊予国西条藩6万8千石の加増・転封を受け采地へ赴く途中大坂で没し、
 公民館並びの八幡社(此れより大部小学校(左)グラウンド側へ西面低く東側車道へ高い)
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遺領の西条藩は長男:直重が3万石で継ぎ、次男直家が播磨国河東郡小野5千石・伊予国川之江2万3千石を分与された。直家は宇摩郡に陣屋を置き川之江藩が立藩されが、翌:寛永14年には分領の加東郡小野の代官所を陣屋として届け出て藩主以下家臣が移住したが、許可がおりる前の寛永19年(1642)直家は病死。
   八幡宮から大部小学校への車道手前が陣屋比定地!? 
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直家には継嗣なく、但馬国出石城主小出吉親の次男直次を養子に迎え家督を継がせたが、末期養子であったため遺領となった伊予川之江の所領は幕府に没収され、家名断絶となるところ・一柳家の関ヶ原に於ける軍功等の功績により特に減封で許され、寛永20年(1643)養子の直次が小野藩1万石の相続を許され陣屋を小野敷地陣屋に移して着任した。
  要害の地:小野藩陣屋(神鉄小野駅西から)濠ともなった三つの雁又池も「中の池」だけを残して!?
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小野藩初代直家より敷地陣屋(大部小学校付近)が置かれていたのはわずか十年、要害の地(現西本町の小野小学校付近)に陣屋を移してのち11代末徳まで約230年間続き、明治2年(1869)版籍奉還で藩知事となり、明治4年廃藩置県により小野県となり藩政は終わりを遂げ、末徳は上京します。
小野藩陣屋は次のブログで…
(現地:敷地陣屋跡案内板・Wikipedia・小野市史・小野市公式サイト…等参照)

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