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zoom RSS 一柳家小野藩関連遺跡?…等

<<   作成日時 : 2017/01/18 20:01   >>

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小野市は近世一柳氏が伊予西条5万8600石に加え播磨加東郡(加東市・小野市)に2万8600石の所領を得たが赴任途中で亡くなり、遺領の加東郡小野5000石を分与を受けた次男一柳直家も陣屋を届け出たが許可が降りる前に亡くなり継嗣なく、出石城主小出義親の次男直次を養子に迎え家督を継がせるが認められず、
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家名断絶となるところ特に減封で許され、寛永20年(1643)養子の一柳土佐守直次に検(あらた)めて小野1万石の相続を許され敷地陣屋に着任した。一柳家小野藩の立藩だが敷地(大部小学校付近)に約10年、現在の西本町(小野小学校・市立小野好古館の地)に移って築造されたのが小野藩陣屋
   「そろばん」で作られた姫路城
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一柳氏により整備され商家を誘致しての町割(城下町創り)。産業の奨励では小野市特産としての播州算盤や隣の三木市ともに盛んな金物の発達は、「播磨鑑」に云う小野城主は別所長治の幕下:小野権右衛門、三木合戦に帰農したものか、近江に逃れた人達により慶長年間に導入され、加東や小野に伝搬されたとも云われるが?王子町のコミュニティレストラン 陣屋並びの小野市伝統産業会館で見学:お勉強
   そろばん博物館にて…
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市民に陣屋のまちとして親しまれ、例年3月には普段人通り少なく暗く感じる…?「小野アーケード商店街」をメイン会場に「小野陣屋まつり」が行なわれている。趣味とまでいかないが最近ペーパークラフトを時々:…で吊るし雛を作ってみた。2月から3月此の日まで市内各所で実施されている”雛飾り”も見て廻りたいところです。
  小野一柳家祖霊を祀る磐代神社(好古館前)
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近江八幡市の八幡堀散策に明治橋から新町通りへ出たところ・近江兄弟社本社(発祥地で現:資料館?)前にウイリアム・メレル・ヴォーリズの像がたつ。詳細は割愛するが全国の基督教団xxx協会や関学・京大・同志社大・神戸女学院・神戸居留地…等特に京阪神に数多く見掛ける西洋建築の設計者として有名だが、彼と結婚したのが一柳満喜子【小野藩最後の第11代藩主末徳廃藩後上京・貴族院議員となった子爵の三女。
  長清禅寺山門の丸に釘抜紋
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東京に生まれ育ち留学等の経歴に、詳細な小野市の歴史講座内容とWikipedia等で少し差異もあるようですが…?】ヴォーリズは昭和16年・日本国籍を取得し、婦人の姓をとり一柳米来留(メレル)と改名帰化している。満喜子婦人も近江兄弟社学園の学長を務めており、一柳氏祖神を祀る磐代神社の案内板にもヴォーリズ夫妻が揃って小野市での一柳藩主(何代だったか?)の祭祀に参列した旨…等が記されている。
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旧敷地陣屋と西本町の小野藩陣屋を結ぶ中程(市役所から約400m程?の長清禅寺(臨済宗妙心寺派)の山門が一柳家家紋の正紋である丸に二重釘抜の紋瓦があがる。 長清寺の寺紋でなければ、戦国時代数々の武功を重ねた一柳家の九城(釘)を抜く(攻め落す)武運のとして武将に人気があった・小野陣屋の移築門なのでしょうか?。
   吉田伊賀守の石碑(台座に釘抜紋)
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隣接する三木市には天領となった伊予西条から宝永元年 (1704)一柳直増が三木に5250石を領して移り築いた高木一柳氏の高木氏藩陣屋がある。
また 一柳家の家紋「釘抜紋」が彫られた吉田伊賀守の石碑(五輪塔)が屋口城近く代官所が在ったとも云われる 新興集宅地へ向かう峠道にある。三木別所氏家臣か一柳家小野藩の代官なのか詳細不詳…!!。
   長清禅寺 ↓ 

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