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zoom RSS 井原城館T(城) 丹波市

<<   作成日時 : 2017/06/26 21:17   >>

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旧氷上郡(現・丹波市)埋蔵文化財分布調査報告書(山南町)に城址や居館跡の報告もなく、[丹波志]に確認はしていないが、山南町誌(昭和63年)に井原北東の小山の屋敷跡として記されており、愛宕山の火を灯すので「火トモシ山」とよばれるところとある…が、屋敷の云われは不明とある。
日吉神社・至山出合稲荷社から加古川沿いのイタリ山を望む
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上記:埋蔵文化財分布調査報告書には私がホームページ上に報告している仮称:井原城館の主郭としている比定地に、岩屋小平古墳群として二基の円墳のうち山頂部(火トモシ山<茶臼山>Ca185m)に経14m・高さ約2mの1号墳と、北二方向に下る尾根筋の 
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比高約40m下部で円応教・石龕寺城へ繋がる東尾根筋への分岐付近に1号墳とは粗(ほぼ)同規模だが墳丘部も崩れ不確かな2号墳が記されているだけ。日吉神社背後の丘陵尾根上に位置する井原城館とした城砦遺構は三ヶ所に分かれ存在しているので、夫々をT-Vに分けてレポート(私感)します。
  足下の南に延喜式旧山陰道・西に石龕寺道入口を監視の砦? 土塁側から落ちる竪堀!!
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T:茶臼山…城域の最高所(Ca180m)で岩屋小平古墳群1号墳の墳頂部を主郭とする井原城館?(井原城砦)
U:貴布禰神社(村森<村森口>)側の茶臼山の北東肩に在る広い削平段と空堀・上り土塁状の遺る井原城館
V:井原城館の下方から岩屋小平古墳群2号墳(?)と北尾根筋末端付近の砦が”火トモシ山”か?。貴布禰神社側から愛宕社への参道があったのかも!?。
  帯曲輪を廻す主郭の岩屋小平古墳群1号墳(円墳)
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R175号線のミニ道の駅「山南仁王駅」のある至山山麓から、加古川と篠山川の出合いに架かる井原橋を渡って丹波市側に入る。イタリ山は播磨・丹波境界に位置し山上広範囲に遺構が点在する至山城館がある。其の山腹に石積みだけが遺る稲荷社跡は、足利尊氏が嫡男:義詮を石龕寺に留めて、播磨へ向う際・祈願参拝した至山出合稲荷社大明神で明治43年に日吉神社本殿背後の磐座の前に遷移され岩上神社と合祀されている。
   主郭から南へ3-4段続く曲輪・西面に帯曲輪?(犬走り?)
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磐座を背にして合祀されている二社のうち/岩上神社は名から此の磐座の上から遷移されたものか?。緩やな上り斜面直ぐ上にも岩場を背にして土塁で囲まれた曲輪がある。大きく窪んだところ・岩棚状もあるが祠跡とも思えないが、後世に小規模ながら土砂・採石の跡だったか?。
   南尾根筋の最下段曲輪下に浅い堀切と堀切土橋状!?
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只・西面の土塁(土塁道)の側から落ちる竪堀状もある。此の西面麓は石龕寺に至る町石道。足利尊氏父子が通った道か?。また天正7年には丹波氷上郡防衛の一翼を担って立て籠る石龕寺城最後の城主広沢綱忠が、播磨側から光秀の援軍・丹羽長秀軍が攻め込んだ侵攻口。南側(日吉神社前)県道77号(バイパスではなく集落内を通る旧道)は延喜式(旧)山陰道。要衝監視・石龕寺・石龕寺城(岩屋城)に至る尾根続き最南端を守備する砦跡との考えも順当とおもえるが…。 以降…井原城館 Uに続く

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