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zoom RSS 本郷の舟座 丹波市

<<   作成日時 : 2017/07/17 10:15   >>

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R176がR175に合流する稲継交差点から北へ、県道7号「本郷口」を西へ折れると”ゆめタウン氷上店”の側を抜け、圃場の先:東端が佐治川(現:加古川)の河川堤に出るところまでが本郷。佐治川対岸に渡る本郷橋南側が稲継。此の本郷橋の北・成松方面からの葛野川が流れ出る河口までの間に本郷舟座跡の碑が立つ。
 本郷舟座跡碑・碑背後の山容は白山(赤井氏発祥地・荻野直正生誕地)
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加古川舟運の開発は天正頃から…文禄3年(1594)姫路城主木下家定の命をうけ、東播磨の豊臣氏領を管理していた秀吉一族の地頭:生駒玄蕃が貢米輸送にあたって加古川に注目し財力のある大庄屋阿江与助達に滝野付近の通舟を妨げる川底の岩石を除去し・浅瀬に水路を通させ、
  舟座跡付近より下流の本郷橋・高見城山方面
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さらに慶長9年(1604)には姫路藩主池田輝政命により滝野以北の浚渫普請には西村氏等により田高までの開削に成功。旧加古川起点は旧佐治川と篠山川の合流地点。加古川舟運は滝野舟座・田高舟座から更に慶長11年(1606)には加古川上流旧佐治川の本郷までの通船が可能となり此処に舟八艘の舟座が置かれ、柏原川が佐治川に合流する母坪・稲継付近には初期の頃・舟留があったが、
  舟座跡付近より上流の成松方面:山容は弘浪山(高山寺城)
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柏原川高谷川への逆流(母坪付近浸水被害が発生していた)を防ぐ等…河川改修(約1kmの背割堤)により消滅したが、高砂までの約50kmが貫通していた。旧佐治川は水量少なく・通舟期間は灌漑用水が不要となる秋の彼岸から翌年の八十八夜まで。其の荷物は底の浅い高瀬舟により、主として大名の年貢米・大豆・薪炭等を積み出し、戻りには塩・干鰯・藍玉・灯油等であったという。
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本郷の地は但馬・丹後からの物資の集散地として賑わっていた…が明治32年(1899)阪鶴線(福知山線)開通により、経済・文化交流の動脈として活躍した舟座300年の歴史は鉄道 ・車輸送に引き継いで身を退くことになった。本郷舟座跡には御用米荷揚げ管理をしていた下級役人に関する川端柳の伝説があるが古柳も知る人もない?。徳川末期頃の事か明治初年にかけ「祟り」はなしも。最近跡地に新しく河童の石像が立てられている。
   (加古川の舟運は闘龍灘の阿江与助銅像説明板・現地本郷舟座跡碑を参照)

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