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zoom RSS 毘沙門砦(仮称) 丹波市

<<   作成日時 : 2017/09/30 10:21   >>

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南北朝期初期の建武年間(1334〜38)高見城が丹波守護・仁木頼章の佐野城とも呼ばれていた頃の要衝は延喜式旧山陰道は佐治川(現:加古川)沿いから篠山川沿いを山南町阿草から篠山味間へ抜けていた。足利尊氏が京を追われ此のルートを丹波石龕寺に入っている。
  北山交差点から…中央左に毘沙門堂・右寄り住宅地奥に北山稲荷社
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仁木頼章は但馬山名の軍勢が高見城下を通り抜けてゆくのを阻止する事もせず ・黙って手をこまねいて見ていた逸話?からは、加古川沿いの佐野から萱刈坂を越え鴨野・東鴨野が高見城大手となり、柏原経由で鐘ヶ坂を篠山へ下る現R176の山陰道として完成していたものか?。
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高見城北尾根が城下西の玄関口となる萱刈坂へ延び、更に北へ延びる尾根筋が県道290号を分けて、鴨野城域?から北末端・加古川沿いR175号側の穂壺城まで延び、尾根筋西に氷上盆地・東に柏原盆地を分ける長大な土塁線上に高見城砦群を置く。
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鴨野城・泉山城(泉山砦・谷屋敷・谷垣殿)には頼章の弟 ・仁木四郎源(和泉守)義長が一時期在城したと伝えられ、応安7年(1374)に卒し稲畑谷屋の宝光寺に祀られ稲畑谷垣氏の遠祖とされます。鴨野城の南・南東尾根先にも、旧氷上郡埋蔵文化財分布地図上の鴨野城の城域?内には南の尾根筋にも谷屋砦・法泉寺砦・毘沙門砦(いずれも仮称の出曲輪)遺構と思える地形がある!!。
 西端に萱刈坂・採石場上に法泉寺曲輪(仮称)・最高所の鴨野城
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鴨野城側からの丘陵南面から・採石場に掛けて土取…等が進み、直ぐ上に位置する法泉寺曲輪(仮称)が風前の灯火状態だが、其の約200m程東の尾根末端ピークに毘沙門堂が建つ。県道290号(稲畑柏原線)の新井小前交差点を北に進む北山交差点近く。先のブログ丹波佐吉(村上照信)狐像がある北山稲荷社に接する丘陵部。
  毘沙門堂裏手の土塁・曲輪・空堀?・尾根筋下部に堀切?
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毘沙門砦(仮称)Ca155m 比高約30mの低丘陵・鴨野城へ延びる尾根筋を除く三方を急斜面が囲む。北山交差点を北へは切通し状の山間(直下の通行監視砦<穂壺城南口の関門!?>もあったか?平坦地形あり)を抜け泉山城〜穂壺城に通じる車道だが、途中・川幅狭い柏原川・高谷川を越えR176稲継交差点に出る。要衝の但馬道を辿る山陰道の街道筋。
  最奥に高見城:中央峰の北麓付近にも広い三段ほど曲輪がある
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毘沙門堂が主郭:尾根続きの堂裏の盛上がりは土塁か?、堂宇整地・改修の際の残土かは否めないが、空堀側に曲輪・続く3段ほどの段曲輪?堀切状の溝・・?。東方は石生・柏原側丘陵まで遮るものない平地が拡がり、南に高見城を望み・東鴨野城 (新井小学校裏手)と正対し、北は稲荷社背後・切通状尾根上の監視砦?の近接。西に鴨野城・法泉寺曲輪(仮称)に呼応する立地にあり毘沙門砦(仮称)とした。

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