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zoom RSS 福知山城伯耆丸

<<   作成日時 : 2017/12/04 09:39   >>

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塩津峠を越え土師(はぜ)川沿いに福知山市内に入るR175は東堀交差点でR2(山陰道)に合流・直進する「お城通り」が福知山城・市役所前・JR福知山駅前へと通じる。ところで福知山市内地図の字名をみていると、広範囲に同一の字名が飛地のように点在する。
  伯耆丸から福知山城天守を望む
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「堀」は南北に3.2km以上・西へ1.5km以上もある。其の間には「天田」名が複雑に?点在!!。元々福知山市は旧天田郡の郡役所が置かれた所・市を挟んで二つの旧天田郡(西の夜久野町・東南の三和町)が福知山市に統合・編入され、ややこしく感じた二つの天田郡の消滅である意味では
  二の丸(住宅地)からの主郭
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解消はされたが、旧郡名で所在意義が判り、旧郡を区別しながら諸処の城砦群等の所在がわかるのに、統合により反対にややこしくなる…福知山城(横山城)は、由良川・土師川・内堀状?の法川と、南から東北へと延びる横山丘陵部先端の要害地形を利用して築かれた平山城で、天正7年(1579)横山城を攻略した明智光秀が近世城郭として改修し福知山城と改め、
 市役所からの切通し道(真上が伯耆丸)
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丹波国主として町割りして城下町の基礎をつくったが、2年後には家臣:明智秀満を入れ、亀山城(亀岡市を本拠)に移り、翌:本能寺の変を起こし山崎合戦に秀吉軍に敗れ敗死。光秀没後は羽柴秀長の家臣が管理したと云われ安土桃山時代の杉原・田中・小野木と続き、関ヶ原合戦後:江戸時代(藩政)有馬・岡部・稲葉・松平へと城主が代わり、
   伯耆丸南面の竪堀?間から二の丸を挟んで本丸
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朽木氏が明治維新の廃藩置県まで在城しているが、絵図に遺され【福知山市が旧天田郡のときの”天田郡誌”…等】ている壮大な町割りを含む惣構の城として整備されたのは藩政時代に入ってから・三ノ丸が有馬豊氏の弟有馬伯耆守重頼の屋敷があったことから伯耆丸と呼ばれており福知山城増改築の完成は福知山初代藩主:有馬豊氏の時と推定されます。
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復元天守の主郭から西の二ノ丸(丘陵が削られた石垣下部の住宅地に曲輪があった面影は感じられない)も堀と橋で繋がり、伯耆丸(三ノ丸・現:市役所南側に隣接する丘陵部を切り通して(堀底道だったか?)独立させる曲輪)間も橋が架かっていた。伯耆丸とは車道を挟む西に勤労青少年ホームが建つ広い平坦段が内記丸か?・西の丸!?へと続く。伯耆丸も廃城後は病院が…閉院後は伯耆丸公園<福知山市岡ノ二町>として整備されたが、朽ちた遊具を見るが・今人影を見ることもない…

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