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<<   作成日時 : 2018/01/03 23:14   >>

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2018年の戌年最初の山城ブログなので画面は:いつもの森林から戌(犬)に代えてみた。犬に因む山・山城がすくない。丹波の昔話や織田家の藩本陣の本命とも考えていた:明治山(犬岡山)を考えてもいたが、記事も挿入画像にも欠くので諦め、黒井城の支城群の一の古城より、総石垣の近世城郭として知られる岩尾城を選んだ。
 天守台と古城の大土塁物見台…西の丸石標位置は古城の本丸!?
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蛇山358mは岩尾城主郭天守台?(天守台の祖型!?)より北背後・少し高い城域最高所の展望台に位置して物見櫓ともした?大土塁曲輪にある。此の大土塁を境に斜面下部の北尾根・西へ延びる尾根上に曲輪・二重堀切…等遺構を残す旧城址(土の城)【室町時代中期:信濃国より地頭として入封の谷氏の城】と、主郭周囲を総石垣で防備する石の城が遺る。
  南尾根末端部の達磨岩
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岩尾城(石の城)は天正14年近江・比叡山の法師:木戸十乗坊(前田玄以の武将)が佐野下総守栄有を名乗り岩尾城主となり石垣の城に修改築し、文禄4年お国替えにより近江木戸に転封まで、其後:前田玄以が和田荘を領下が城主は置かず慶長元年・豊臣秀吉命により廃城となります。
西の丸虎口から城門(正面)-天守へは石積枡形虎口に入る
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旧城域や規模は不詳ですが、近在には見掛けない(信濃地方の!!?)石造男女双体の道祖神が北東麓の応地集落に遺り、応地坂(?・坂尻峠?)からの搦手が通じていたものか!?。蛇山の山名には古城主谷氏の養子として迎えた和田日向守の家臣の妻が蛇の子を産んだ猟奇伝説…がある。
   下知殿丸曲輪・主郭の鞍部に尾根を断つ土橋付堀切
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和田日向守斉ョは後に養父を殺害し領主となるが、悪夢に悩まされ家臣を惨殺…天文17年(1548)病死し、継いだ師季の天正7年(1579)丹波攻略の明智光秀の援軍:丹羽長秀の攻撃を受け討ち死にして和田氏は滅亡。和田日向守が建立した石蓮寺は落城の際の兵火に焼失する。
  堀切から主郭への直上は危険:井戸曲輪から西へ回って西の出丸へ
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日向守は石積みの新城に改修した岩尾城主:佐野(木戸十乗坊)氏の弟:幼誉心空上人を開山に再興された親縁寺に祀られ、山門は親縁寺から延びる大手道!を尾根に出た<和田小学校からの同様位置からも近い>所にあった大手門が移築されたものらしい?。
 西の丸虎口の丁寧な”打込みはぎ”工法の石垣から城門へ延びる石段道
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近世城郭部類?初期の堀切り・土塁・縦堀等山城遺構を残す岩尾城の中世・近世両遺構が遺る城郭からドキッ…とする様な「人間地獄」を経て、西尾根にも遺る中世の城塞遺構の確認や、北尾根暗部の応地坂の地蔵堂…”田の神”ではなく”道祖神”が祀られている応地集落へ廻るトレールも楽しめるかも?。:未整備の為藪漕ぎ…等迷いやすいかも…なので自己責任で
 該当位置付近は等高線表示もない空白地帯なので、場所は凡その位置 ↓


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