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zoom RSS 野間構 多可郡

<<   作成日時 : 2018/03/29 17:05   >>

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多可郡八千代区のエアレーベン八千代背後の丘陵上には在田氏の居城光竜寺山城が、野間川を挟んで西には其の詰の城野間山城がある。播磨国守護:赤松(円心)則村の嫡男で摂津国守護:範資(神戸:滝山城主)の次男:赤松朝範が東播八郡を領し、
  大和川(左)と野間川に挟まれた中洲状先端部の野間構
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殿原城(笹倉城 加西市)を築き、在田氏を名乗ります。野間山城は貞治元年(1362)完成し、加西(殿原城・河内城)から本拠を多可郡野間に遷したのが天文年間(1532-)初頭。在田村長(光慶)の時とされ、赤松義村(置塩城)を暗殺した浦上村宗に抵抗する:反村宗派の一大拠点ともなっていた。
  野間構と花の宮砦(左)
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北播磨には嘉吉の乱(1441)に一次衰退した赤松家再興を期し吉野南朝に討ち入った遺臣の赤松浪人達がいた。再興した赤松家も山名氏との真弓峠の大敗以降、浦上勢力が・更には東播新興の別所氏が旧赤松家臣勢力に代わり…共に在田氏を攻めて野間川畔に合戦が展開する。
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在田氏本拠城への野間口を:東は仕出原川・野間川沿い丘陵上の片瀬砦、西には大和川と野間川に挟まれた丘陵上に花の宮砦、三っの川が”花の宮(中野間)”の野間川沿い下流約250mで合流する剣先の様な地点に野間構<(川下神社)多可郡八千代区中野間野口>が在った。
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三城砦ともに守将 ・城史や防備施設等の城砦遺構も不明瞭だが、野間谷の前衛の三城砦が呼応・連携して野間口の監視・守備についていたことは容易に理解出来ますね…!!?。野口構の北:野口から花ノ宮の通り北が城内/野口構の南下流の下野間橋(風呂屋橋)一帯に城下町が形成されていた。FREEK'S CAFEのある保木付近に「大門」、レストラン瀬戸付近「宿」の字名等は県道24号沿い:姫路街道筋にあり、宿場があったところか?。”野間構”レポート?はホームページを参照願います。

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