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zoom RSS 茶臼山砦2 丹波市

<<   作成日時 : 2018/06/20 07:45   >>

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明智光秀による八上城包囲網の付城群は、秀吉による三木城の飢餓作戦同様知られるところですが、黒井城攻略の付城については余り知られないのは三次に渡る攻撃の夫々が比較的短期間で終えたからでしょうか?。元々在地に根差さない陣城が記録にも伝承にも残される例が少ないからかも知れません。茶臼山砦Tでは明智光秀”さとしの山”の伝承を紹介したが、此処が光秀「丹波攻め」による
 茶臼山西尾根末端部:古墳のマウンド使用の曲輪と北下にも二段曲輪が付属
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氷上郡(現:丹波市)黒井城の最大支城・高見城攻略に、多紀郡(現:篠山市)八上城と黒井城を遮断する金山城の陣とは別に、柏原八幡宮を焼き・此処を本陣とする八幡山城(加伊原新城)を築く。高見城穂壺城の動向を監視するには西正面の小南山が影となる。此の小南山の西裾を旧但馬街道が通る要衝。
 古墳マウンド(遺跡分布図指定位置?)側の土橋付き方堀切状
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低丘陵上に茶臼山(Ca130m)・比高僅か30m程だが高見山から鴨野・穂壺への城砦群は、挙田の田園風景が拡がる西方に遮るものなく眺望が効く。1996年発行の「氷上郡埋蔵文化財調査の分布図」(柏原町)の報告書表示には土橋付き堀切状のある辺りに3号墳。3基確認されていた挙田A古墳群の北裾2基は宅地/北方向・多田工業団地整備の土取りで発掘調査後に消滅した2基は埴輪・須恵器等が発見されており前方後円墳であったとも?。
  尾根西末端3号古墳?の北下部に2段曲輪が…
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3号墳は茶臼山砦中央部で尾根が西へ折れる地点・古墳のマウンドらしいが此処に表記位置は違うのでは?・西尾根先端崖上に20u中規模古墳がある。周溝を備える古墳とも思えないが古墳に北裾を周る通路が城遺構、古墳の下に二段曲輪も付随する。
  西末端曲輪までの緩斜な尾根筋
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二段重ねの構成から茶臼(石臼)を想像すると、茶臼山砦の名も生きてくる!!?。砦遺構は妙見堂から南へ3段程の曲輪(東面一段下に曲輪あり・恩鳥坂を下る但馬街道筋を真下に望む)の先で尾根が南西へ延びる。緩斜な尾根上に二つの古墳丘らしい形状を観る。その間に土橋付き堀切状地形も!!。堀切とは云っても城域・分担を分ける結界?程度。踏み固められた山道が崩れた斜面上に土橋状として残っただけ!?。砦(付城)遺構?等は伝承による単に思い過ごしと思われますか…?
  妙見堂から尾根上部までにも三段程・左下部にも東の但馬道監視用曲輪が!?
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主尾根筋は此の先で南東の「おさんの森」方向に進むが、西へは直前30m程で末端古墳?に行着く。周溝ではなさそうな通路が半円状の古墳西北裾を廻り下2段の曲輪の繋がる。其の北側真下が妙見堂への参道入口(宿舎駐車場と挙田の圃場境)です。
 【Google Mapの貼付が有料になり 今後のMap貼付を検討中 】 


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