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zoom RSS テーマ「石造遺跡」のブログ記事

みんなの「石造遺跡」ブログ

タイトル 日 時
北山稲荷の狐像 丹波市
北山稲荷の狐像 丹波市 北山稲荷社に近い信号のある北山交差点の南約400m程で県道290号(稲畑柏原線)の新井小前交差点に出る。高見城城下が仁木ョ章の佐野から、赤井氏配下の鴨野・新井に移った頃の高見城大手口、家臣団屋敷・東鴨野城があり、   丹波佐吉(源照信)の狐像 県道沿いの新井神社入口には二代目金兵衛の高燈籠が、新井神社への集落内に佐野藩(栃木県佐野市)飛び地領の大新屋(上山家)代官所【後:佐野家陣屋】がある。また県道沿い東すぐ・竹安川を渡ったところで、石匠6代目難波金兵衛石材店の看板を見る。 ...続きを見る

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2017/09/24 10:26
室谷の地蔵堂 丹波市柏原町
室谷の地蔵堂 丹波市柏原町 丹波市柏原町室谷の稲荷神社社殿の欄間を飾る「龍の彫刻」があり、神社彫刻集団の中井一党で、以前のブログにも諸所寺社彫刻でも紹介した中井権次(何代目だったか?)の手に成るもの。柏原病院前から向かう室谷稲荷社の100m手前・住宅地の南端角に厄除地蔵尊を祀る地蔵堂が建つ。 ...続きを見る

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2017/06/14 09:04
養徳寺と石仏群 丹波市
養徳寺と石仏群 丹波市 丹波市青垣町の養徳寺は以前”丹波の名工・難波金兵衛”でも一度は紹介済です。北近畿自動車道の青垣ICを降り県道7号を北上すると青垣診療所側の沢野交差点。西に加古川(旧佐治川)を渡ると氷上西高校・佐治小学校への旧佐治宿場町。 北東へ右折し遠阪川を渡り 、沢野集落の東奥へ向かう田圃道の先:北近畿自動車道高架下へと道なりに直進すると養徳寺。    羅漢道より養徳寺 自動車道高架の先・寺への正面参道前にポツンと一基祀られている地蔵尊だけが目立つ筈。天保7年(1836)造立:難波金兵衛作と伝えられ、流麗... ...続きを見る

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2016/07/22 23:10
千丈寺宝筐印塔 丹波市
千丈寺宝筐印塔 丹波市 JR福知山線黒井駅の改札を出ると女の子”お福”の石像が迎えてくれる。正面の丘陵が黒井城・其の南麓に建つ興禅寺が、此の[お福]生誕地と伝わる。明智光秀の「丹波攻め」の落城した黒井城を預かり、興禅寺を居館とした光秀重臣・斎藤利三の娘として此処に生誕したと云われています。      千丈寺の赤井家供養塔群 織田信長の逆臣とされる明智光秀の臣:斎藤利三は秀吉との山崎合戦に敗死。其の娘・お福も稲葉正成に嫁いだが、夫は豊臣家重臣:小早川秀秋の家臣として関が原合戦に臨むが、小早川は家康に付き西軍を裏切っ... ...続きを見る

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2016/07/09 21:56
西宮震災記念碑公園 2015年
西宮震災記念碑公園 2015年 今年もまた1・17兵庫南部地震による震災犠牲者追悼のメモリアル・デーに例年通り、早朝田舎で息子の墓参後に満池谷に在る西宮震災記念碑公園を訪れ犠牲者追悼碑に献花・記帳する。被災した家族・遺族の思い・其の犠牲の代償から得た教訓・防災意識については、歴史の片隅に残す事なく伝え・継承していく事、全国で発生している地震・津波・風水害・豪雪等の自然災害に対して、ボーイやカブスカウトの本にも記されている”備えよ・常に”を防災意識としても持ち続け風化させてはならない事を強く感じます。 ...続きを見る

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2015/01/17 22:07
徳本上人名号碑 篠山市
徳本上人名号碑 篠山市 徳本上人は生涯・日本全国を行脚し庶民の苦難を救った江戸時代の浄土宗一向院の僧で、宝暦8年(1758)和歌山・日高町志賀に生まれ(田伏姓)4歳のとき友の死に嘆き…”南無阿弥陀仏”念仏を唱えることで、極楽浄土で会うことが出来ると諭され、念仏を唱えるようになったと云われ、27歳の時湯川町の往生寺(御坊市)で得度し徳本を名乗り、厳しい修行を行い、34歳の時修行の旅に出るが、46歳の時京都法然院で除髪し・改めて一生涯寺を持たず浄土宗を広め文政元年(1818)入寂された念仏行者。   宮田の徳本上人名号碑... ...続きを見る

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2014/06/20 00:04
宮田宝篋印塔 篠山市
宮田宝篋印塔 篠山市 篠山藩歴代4代藩主となった(形原)松平康信が初代・二代目典信の庶長子が信孝ですが、次男の信利が3代目篠山藩主となっています。庶長子でなく嫡子なら?…篠山藩(形原)松平3代藩主となっていた!?松平信孝の供養碑が何故か?市内宮田(旧西紀町)にあった。第13代足利義輝の嫡男で、世が世であれば14代将軍となっていたかもしれないが足利義高(覚山天誉上人)の墓も同所のあった。さらに此処【摂取山光照寺境内の一隅】には…宮田宝篋印塔がある。 ...続きを見る

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2014/06/17 00:05
足利義高(覚山天誉上人)の墓
足利義高(覚山天誉上人)の墓 篠山市宮田の光照寺には先に松平信孝の供養碑【庶長子でなければ(形原)松平氏第3代目篠山藩主となっていたかもしれない!!?】をレポートしたところです。此の供養碑の墓所から20m程・山の斜面の踏み跡を進むと、此の墓所一画の最奥部に一基の卵塔(僧侶の墓塔)が祀られている。 以前は朽ち果てた塔婆横に真新しい塔婆が立てられていたが、其の塔婆も下部が朽ちはじめていた。天譽覚山和尚足利義高の墓碑で、塔婆に…「光照寺開山」・・・とあるが現在の光照寺ではなく、此処の墓所麓:現在建つ最奥の宅地付近に在った廃寺:浄... ...続きを見る

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2014/06/15 00:05
松平信孝の供養碑 篠山市
松平信孝の供養碑 篠山市 篠山市宮田地区の摂取山光照寺背後:墓所側の丘陵斜面が削平された一角に、立派な笠塔婆と数基の墓碑が並ぶ。笠塔婆にはなんと!!…葵紋!!?文字等摩耗で判別つき難いが篠山藩主でもあった松平氏のもの!!。葵紋は”蔦”だったか?、”まるに利”紋と読み取れるものも!!?。松平安房守信孝の供養碑元禄3年(1690)庚午年:戒名に「源松院殿従五位前房列尊誉一法樹廓居士」と刻まれ、命日は十月十八日と!!。    三木(三河国)松平家初代とされる松平信孝と家族?の墓碑 篠山藩歴代4代藩主で、形原松平家は摂津高槻... ...続きを見る

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2014/06/13 00:08
大石良雄の石垣
大石良雄の石垣 小野尻峠を越え多可郡中区の北播磨余暇村公園口を抜けた高岸で R427号に出る。まちの駅たかを過ぎ糀屋交差点で西脇市に向かうR427を分けて県道24号へと左折する。   なごみの里・山都 県道24号線はエーデルささゆりやカフェ リポサーレ・光竜寺城・野間山城等の赤松(在田氏)一族の山城巡りにと通った道。野間川沿い下野間で県道34号に入る。船坂峠を越え市川町に向かうルートは楊柳寺を過ぎ入浴施設もある道の駅風?都市部との交流活性化を図る施設「なごみの里・山都(やまと)」に着く。 ...続きを見る

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2014/05/13 23:45
前期柏原藩初代:織田信包像
前期柏原藩初代:織田信包像 今年(2014年)3月:(後期織田家の)柏原藩陣屋の長屋門とは車道を挟んだ向かい、柏原歴史民俗資料館並びの小庭園に柏原藩初代藩主:織田信包(のぶかね)像が建立された。 ツツジ太鼓・八幡神社・木の根橋と共に柏原町内観光で外すことのできない藩陣屋前:加賀の千代らと並ぶ”元禄四俳人の一人・田ステ女”:但馬聖人と呼ばれた池田草庵とは友人だった”丹波聖人・小島省斎”と並べば・・・丹波柏原を代表する有能な人物の一人なのでしょうか?・・・ ...続きを見る

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2014/05/04 08:03
首地蔵・谷風岩五郎の墓!! 宝塚市
首地蔵・谷風岩五郎の墓!! 宝塚市 宝塚市小浜は小浜庄を開いて創建された亳摂寺を中心に宗徒や町人により町場化され、他宗派や領主等からの攻撃に対する防御性を備えた天険の地形・大堀川の河川段丘が形成する切岸・濠・溜池が寺内町の四方を廻る全域を”惣構え”の城塞都市であった面影を、地形や三か所に残る門跡等に留める貴重な存在ですが、寺内町や小浜宿環濠集落として同じ遺形を留める奈良・今井町や稗田町…等程にも知られていないように思える!!?。      亳摂寺の東門と築地塀 惣構えの寺内町も近世(江戸時代-)は宿場町小浜宿としての繁栄します... ...続きを見る

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2014/05/02 00:08
石見神社:日本一の大囲碁
石見神社:日本一の大囲碁 新井神社は欽明天皇(6世紀 509‐571在位)の頃の創建といわれ、延喜式・氷上郡内式内社17社の一つで、茅葺の本殿が県指定(平成3年3月30日)重要文化財となっています。江戸時代初め比叡 山延暦寺の守護神「日吉神社」の分霊が移されますが、日吉神社は「山王権現」とも呼ばれ山王の使者は猿。本殿両脇には中井権次(橘)正貞の手になる一対の木彫りの猿が置かれています。     新井神社本殿 此の新井神社境内入口に石の鳥居と白壁で囲まれた小さな神社が石見神社。祭神には隣村【石戸山の尾根を隔てた久下庄(... ...続きを見る

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2012/12/29 21:33
盃状穴 丹波
盃状穴 丹波 延喜式内社高座神社は,今は廃れたとはいえ養蚕と土木技術を此の地に伝え広めた阿利氏(秦氏とは婚姻関係にあり・・・!!?)を称え祀ったといわれ、阿利氏が”蟻の伝説”となったものか”蟻の宮”とも呼ばれ、古くは養蚕で栄えた地で”蚕の宮”とも呼ばれています。 ...続きを見る

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2012/07/24 19:31
虎御前の供養塔 朝来市
虎御前の供養塔 朝来市 与布土氏館から県道277号を与布土温泉側(西)へ一つ戻って左折して山に向かう幅狭い車道が一直線に南へ延びていく。数回繰り返さないとUターン出来ない程の車道だが、西側には与布土川を挟んで県道276号が川沿いを山に向かうので、此の道を往路・復路に利用して周回出来る。県道276号は粟鹿山(丹波・但馬境界に位置し丹波市側の最高峰)の山塊・粟鹿の峠を越えて加古川源流の丹波市青垣町に通じ、再び繋がる?県道276号線は丹波紅葉三山で知られる高源寺でR427号に出る。 ...続きを見る

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2012/07/16 19:04
日円寺五重石塔 綾部市
日円寺五重石塔 綾部市 綾部市上林地区に前回は:積雪で訪城を諦め撤退した井根城を再訪した。其の取付き点となる墓地の尾根筋を挟んで東側に平坦地がある。嘗て隆盛し十九坊・七堂伽藍の大寺院が在った。聖武天皇の天平19年(747)行基により、自ら刻んだ聖観音を本尊とした開基を伝える”中照山日円寺(高野山真言宗)”が建つ。 ...続きを見る

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2012/07/04 00:15
余野十三仏 豊能
余野十三仏 豊能 池田市から豊能郡余野へR423号(余野街道):茨木・高槻から亀岡に向かう亀岡街道が交差する余野は摂丹街道の要衝となり、街道を見下ろす城山に幣ノ木城(余野城)が築かれていました。城域は府立城山高校となり粗単郭様の居城の遺構は壊滅状態となっています。・・がこの学校も208年に閉校となっています。   寺田川(右)の余野川合流地点から城山高校(閉校)の建つ余野城跡 府道109号を挟んで城下の南・グラウンド先の寺田川沿いに十三仏が立つ。永禄7年(1564)造立で表裏二面に各20体もの仏像が刻まれ、表... ...続きを見る

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2012/02/03 22:50
神呪寺と鷲林寺のソランジン!!
神呪寺と鷲林寺のソランジン!! 久しぶりに懐かしく西宮市内からの帰路に甲山森林公園を抜け、神呪寺・北山貯水池の間を通って県道82号線に出る。此の交差点を直進すれば鷲林寺。神呪寺と鷲林寺には共通する伝承等が多い。共に真言宗の寺で神呪寺は淳和天皇の妃:真井御前が弘法大師により剃髪をうけられ如意尼と改名され、寺を建てる場所を探して此の地に辿り着かれたが、鷲林寺付近の悪神ソラジンが住み「仏を祀る人々は、良い人間になり自分の言うことを聞かなくなるだろう・・・」と大鷲と化したソラジンが建立を邪魔しますが、寺を焼くことが出来ず退散し、また何... ...続きを見る

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2011/11/12 00:26
丹波の石工:森田藤四郎
丹波の石工:森田藤四郎 丹波:春日町野村の石工・伊助が石戸山から出る良質の石を求めて柏原町大新屋に移って難波金兵衛を名乗り、名工の名は広く近在に知れ渡ります。その子:金助も2代目:難波金兵衛(旭義継)を名乗り15歳の頃には播州方面にまで名声は拡げます。   綿貫重吉(?森田藤四郎)の狛犬:尻尾の一例 丹波市青垣町 初代金兵衛に子がなく養子に迎えたのが後の丹波佐吉(村上源照信)ですが、2代目金助が生まれると丹波を離れワタリの石工となり各地を廻って修行、やがて孝明天皇(在位!!?1848-68)に献じられ石の尺八に 「... ...続きを見る

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2011/10/16 16:28
名月姫 豊能
名月姫 豊能 大阪府豊能郡能勢町中部を西の府道104号片山側から東の106号、田尻側に通じる暮坂峠・逢坂峠・名月峠・坂井峠が越える。府道4号(茨木能勢線)が越える名月峠には、玉垣の内に宝篋印塔を挟んで二基の五輪塔が祀られています。  明月姫(中央)・夫の能勢家包(左)・父の三松国春(右)の三石碑  名月姫の伝承は遠く離れた兵庫県尼崎市の尾浜八幡神社と、大阪府能勢の明月峠に其の墓所とされる宝篋印塔が建つ。物語の時代は平安時代だが・いずれの宝篋印塔も鎌倉時代のもので、尼崎市の方は市内最古のもの。北摂能勢のもの... ...続きを見る

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2011/08/19 22:19
野間の”力石”  豊能郡
野間の”力石”  豊能郡 名所:”野間の大けやき”の駐車場をベースにして、野間氏の城巡り途中:其処此処の路傍に石造文化遺産を見かける。国道と交差する野間中の交差点を直進する”能勢の妙見さん”へと野間峠に向かう府道脇に、地蔵尊種子板碑をみて進む。 ...続きを見る

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2010/12/24 00:06
屋口城 小野市
屋口城 小野市 豊地城の外堀ともなった中谷川を挟んで南西方の低丘陵尾根の北端部に屋口城が在りました。豊地城の支城として機能したと思われる山城には4っばかりの切岸加工された曲輪を尾根沿いに梯郭式に並べ、土塁囲み・深い空堀・主郭や北に続くU郭・V郭には土塁を積む虎口らしい箇所を見る。     屋口城U郭:西面の空堀に沿う土塁線 ...続きを見る

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2010/12/07 00:08
青面金剛 丹波市
青面金剛 丹波市 田ノ口城への登城口が鹿島神社で此処には、北近畿豊岡自動車道越しの・北方には伐採された丘陵部山頂に在る田ノ口城の曲輪に祀られる秋葉神社の遥拝所がある。山垣城主:足立氏一族の守護神として祀られたものでしょうか。鹿島神社も茨城県鹿嶋市の官幣大社:鹿島神社から分霊されたものでしょう!!。祭神は武甕槌神(タケミカヅチノカミ )は武神であり、山垣城主:足立遠政が但馬へ出陣の際には、鹿島神社に武運長久を祈願して出陣したものと推察されます。 ...続きを見る

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2010/11/29 00:02
私市丸山古墳
私市丸山古墳 古墳についての紹介ブログは以前:三田市:大歳谷古墳1号墳に対して、掲載HPへのリンク付けもしていますが、戴いたコメント内容がトラウマとなって、HPに何処かの古墳を追加する度に、殆ど知られない古墳は勿論・説明も不要の良く知られる古墳紹介等をブログでは避けてきました。 ...続きを見る

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2010/10/17 20:27
「立岩さん」と石の懸樋
「立岩さん」と石の懸樋 JR寺前駅からJR播但線沿いに県道404号を走り、JR長谷駅から県道39号に進むと、先日寄ったホテル・モンテローザから砥峰高原に向かう。一方JR寺前駅の手前で左折し・播但線を高架で跨ぐ県道8号線を進むと、水車が回る”コットン亭”「麦とろ」が名物らしい。以前:高場山への登山ミニオフで集合場所としたところ。 道なりに剣道を暫く走ると、右手に聳立する大岩を見る。大岩嶽の尾根末端を断ち斬って小田原川に落ちる所。川を挟んで建つ大岩神社の御神体岩。         県道8号線:宮野橋からの”大岩さん” ... ...続きを見る

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2010/10/13 17:15
小浜城  若狭
小浜城  若狭 若狭小浜藩の雲浜城(小浜城)は・其の前身後瀬山(のちせやま)城に始まりますが、後瀬山城も其の前身は若狭守護:武田氏が青井山の城を大永2年(1522)武田元光が後瀬山城を築き、山麓の空印寺付近に居館を築いて若狭支配の本拠城としています。其の後の戦乱に:越前朝倉氏、朝倉氏も織田信長に滅ぼされ代わって浅野長政・木下勝俊が入封し若狭を支配しますが慶長5年:関ヶ原の合戦に西軍に属して除封され京極高次が入部します。           小浜城:大天守台と小天守台 ...続きを見る

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2010/10/10 10:36
東山古墳群
東山古墳群 丹波市から小野尻峠を、西脇市の北方の多可郡那珂(中)区へ降って来ると、北播磨余暇公園のバックには・多可富士・妙見富士【ふるさと富士】とも呼ばれる妙見山の姿が望まれます。妙見山のスカイライン(稜線)を南へ追っていくと、つい2〜3年前くらいだろうか?、山頂部が伐採された山城が・その名:貝野城の本丸の姿を見せており、猛暑日が続きアウトドアには出足を砕かれ・二の足を踏む・・・。やっと落ち着いてきたので・曇り空を幸いに気になる城へ再訪した。       東山古墳群からに城山(貝野城)・右手に妙見山 此... ...続きを見る

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2010/09/22 20:30
六地蔵石幢 夜久野町
六地蔵石幢  夜久野町 福知山市夜久野町の大油子(おゆご)の玄武岩と奇怪な石仏をブログに紹介していますが、大油子の集落内にも・此の地方では貴重な石造遺跡が遺されていました。清海寺の六地蔵石幢(せきどう)と宝筐印塔とあり、共に玄武岩製で、室町時代初期の応永年間(1394-1428)のものと推定されています。 ...続きを見る

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2010/04/20 22:07
奇怪な石仏 夜久野町
奇怪な石仏 夜久野町 府道56号沿いの大油子玄武岩を見て北に直ぐ、牧川に架かる広瀬橋を渡るが、橋の南詰めの親・柱の側・東の丘陵が崖状に迫る麓に小祠が建つ。夜久野町近在には種子(梵字)ではなく石刻された青面金剛像が三猿を刻む楚壇部の上に立つ庚申塚が、この近くの沿道にも有る。しかし此の像は庚申塚では無さそうだ。 石仏が奇怪に思えるのは其の頭に二本のツノが生えている様に見える?。立像ではなく印を結んで坐す姿。結ばれる印相は智拳(智剣)印の様で、密教の教主:金剛界大日如来の智恵を示したもので、地・水・火・風・空の五輪を示す... ...続きを見る

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2010/04/19 21:09
舟城神社・伊助の狛犬
舟城神社・伊助の狛犬 赤井氏の本拠城:黒井城のある丹波春日町に、先のブログで紹介した四ノ山砦(天ヶ嶽城)を御神体山とする船城神社が有り、その北方1km程、佐治町へ抜ける但馬街道:天王坂に向う坂下に、もう一つの舟城神社がある。 須佐之男命を主祭神とし・牛馬等家畜の守護:牛頭天王社で知られるところ。牛の塑像を安産・交通安全・合格祈願等のお守りとし、新しい像と共に翌年には納める・・という。 ...続きを見る

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2010/03/06 19:45
丹波佐吉のキツネ像
丹波佐吉のキツネ像 先日のログ・柏里氏が初仕事となった大新屋は、此処に産する石材をもとめて丹波佐吉の義父で師:難波金兵衛(初代)が、春日町野村から移ってきたところ。柏里氏が見たと同時代?のキツネ像が、今も石匠:難波金兵衛を継がれる会社の北方・約800m程、北山地区の稲荷社に有る。 ...続きを見る

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2010/02/23 20:32
塩谷十三仏種子板碑群  神崎郡
塩谷十三仏種子板碑群  神崎郡 余り利用することも無い県道34号線で多可郡側から、舟坂越えで神崎郡市川町へ下る。姫路方面からの播磨富士:笠形山への登山口・笠形神社へは、舟坂トンネルを越えた塩谷から入る。笠形温泉があり、更に下ってリフレッシュパーク市川からの登山コースも有るようですが、此処からは未登。 ...続きを見る

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2009/11/01 23:24
来住歴史散歩
来住歴史散歩 小野市来住(きし)地区の歴史散歩レポートには 地区唯一の村社としてビオトープの小川沿いの丘陵にある、春日神社にも寄ってみたが浅学のうえ情報不足でレポートは割愛。西南方に見える来住城へ寄り・阿形城へ、鍬渓神社や福甸(ふくでん)古墳群等の見残しを次回の楽しみに、この日の午後は市内の高校に、丹波市懇話会会員で民俗芸能学会議員・久下隆史氏の講演を拝聴に出掛けた。 ...続きを見る

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2008/11/23 08:57
下隠谷古墳
下隠谷古墳 鴨内地区内の県道(2km程先で山道となり五台山からの尾根筋・鴨内峠の登山ルートを越えると、県道は市島町鴨坂側へ続く)に入って直ぐ北側の田圃の中・幅の細いコンクリートの畦道の先に、雑草に覆われてはいるが鴨内古墳2号墳の石材が見える。丹波市の旧氷上郡埋蔵文化財分布調査報告書に氷上町版が無く、県考古博物館の遺跡分布図にも、此処鴨内に点在の古墳については、全てコメント欄は空白のままなので概要等一切不明です。 ...続きを見る

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2008/11/11 07:30
鴨内古墳2号墳
鴨内古墳2号墳 R175号線(水分れ街道)とR176号線(丹波の森街道)が合流する丹波市街地の稲継交差点から北上する県道7号(丹波の森街道・青垣柏原線)を和田山方面に向かうと、沼地区で県道7号線に先端を落とす尾根先のピークには沼城が、尾根の北山裾(青垣町側)には丹波市では珍しい平城の栗栖野城があり、今では其の山腹をトンネルで抜けて和田山・豊岡自動車道が通じています。 ...続きを見る

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2008/11/10 00:42
史跡: 玉水
史跡: 玉水 篠山市で 「玉水」と云えば篠山観光の観光バス御用達 数回立寄ったが一般客にランチメニューも用意出来なくて 幾度も出直したことがあった。そのレストランの東方500m程か、大学病院や市民文化センターの建物から北方250m近くにアジサイ園・百合園としての「玉水」と”篠山市指定史跡・玉水”の案内説明板が車道に面して立てられています。 ...続きを見る

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2008/09/22 07:11
大賣神社の狛犬
大賣神社の狛犬 篠山鳳鳴高校の背山に、幾つかの丸いピークを段々に連ねる笛吹山の低い山なみが望めます。義経伝説に関わる笛吹山の丘陵西末端部・山裾には、延喜式内社で多紀郡(現:篠山市)の九座七社の一つ大賣神社が鎮座しており、 ”大日めの貴(おおひるめのむち)”=天照大神に仕えた、大宮売命(おおみやのめのみこと)を主祭神とされます。 城北交差点(篠山鳳鳴高校前)を北に入って500m程で、車道は大賣神社鳥居前を通るので立ち寄ってみます。神社の左奥にある小社が元の拝殿で、多紀アルプスの主峰・三嶽に在った修験道場「鳥の堂... ...続きを見る

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2008/09/20 22:46
谷川野田古墳   丹波市山南町
谷川野田古墳   丹波市山南町 丹波市役所山南支所(旧山南町舎)の南側 緊急備蓄センタから山側に向かうと野田の天満神社の鳥居があり、神社から続く植林帯の緩斜面に20数基の古墳が確認されている谷川野田古墳群があります。            谷川野田古墳10号墳 開口部より玄室奥壁 ...続きを見る

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2008/09/15 21:11
大歳谷古墳 三田
大歳谷古墳 三田 阪神間への行き帰り 昼食・夕食でよく立寄る お気に入りの店がR176号線とJR相野側から須磨田・下青野へむかう県道309号線との交差点・四ッ辻にある。西北方の低山には穴口山城が、東ほうには須磨田三山(三山の呼び名が今は変わった様ですが・・)や森鼻城・森本城等を訪れたが、古墳を探して出掛ける事はいままで無かった。 ...続きを見る

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2008/07/15 21:10
片山古墳群北支群
片山古墳群北支群 自分の手元 足下に有るものが目に入らないように 直ぐ近くに在るのに気付かない事がよくありますね。 日差しと暑さを避けて 陽が落ちてから日課のウオーキングに付き合って 何時ものコースを変えて、石龕寺(丹波市もみじ三山)に向かって山際を通るバイパス道を歩いてみた。 ...続きを見る

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2008/07/10 08:17
双子塚古墳 三田
双子塚古墳 三田 県道309号線沿いに有る石棚をもつ東仲古墳に寄り、県道308号を横切り、天満神社から千丈寺湖を渡る。御旅橋を渡る手前・北方の湖畔に岡の谷古墳が有る。 ...続きを見る

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2008/06/29 07:44
東仲古墳 三田市
東仲古墳 三田市 「永沢寺花しょうぶ園」から篠山へ引き返さずに三田へ向った、ホントの理由は乙原地区にある城砦探訪が目的にあったのですが、時折降り出す雨に気分は湿りがち。三田と神戸北にある大型スーパー3店舗へでも寄っていこう。有馬富士公園も雨では・・・・・・と千丈寺湖畔を廻ってR176号への道を選んだ。 ...続きを見る

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2008/06/28 15:59
下ノ山1号墳と四ッ辻古墳群 加東市
下ノ山1号墳と四ッ辻古墳群 加東市 播磨中央公園は其の造成工事中に 多くの古墳が発見されています。 中央公園内を抜け「滝野温泉ぽかぽ」に向かう車道傍にも下ノ山1号墳があるが、加東市の旧滝野町では唯一・墳丘横穴式石室が完在している古墳とか。古墳量産時代の後期のもの(6〜7世紀)とある。 サイクルランドと車道を挟んで南側・大池の北端部に池に突き出した林の中  ...続きを見る

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2008/06/22 07:46

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