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zoom RSS テーマ「伝説」のブログ記事

みんなの「伝説」ブログ

タイトル 日 時
御霊神社と夜泣き石 三田市
御霊神社と夜泣き石 三田市 古来より磐・岩・石には霊的なものが宿るとして、神として崇拝され祀られている例は多く、また霊的な存在から、其の石からは話し声や・泣き声が聞こえる…という言い伝えは全国各地の残されている。尤も声なら「おいてけぼり」のように池から…、骸骨になっても!!…は落語”野晒し”や、熊野古道最長の石畳道が残る鹿ヶ瀬峠には比叡山の僧円善上人が熊野詣の途中、鹿ヶ瀬峠で亡くなった。  御霊神社(貴志神社) 白骨となっても続経する円善上人の「骸骨読経の伝説がある。大原のお姫様 T・大原のお姫様 U の話では三田市貴... ...続きを見る

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2017/08/19 20:43
大原のお姫様 U 三田市
大原のお姫様 U 三田市 大原のお姫様 T (前編)からの続きです。 大原の里に戻されて間もなく父が没し、世の儚さに打ちひしがれている姫の様子に・仏の道を説き慰める青原寺の和尚に、少しずつ気を取り直し父の菩提を弔う為、大般若経六百巻を写経したが力尽き亡くなってしまう。   貴志館城跡?の土塁 村人らが姫の死を悼み・霊を慰めるため、父の大原城主郭【”烏の森”とも呼ばれて…大原城はお姫山城・烏ケ森城・小原城・福島城の別名がある】に社(姫山神社)を建て祀られる。また烏の森には「入り日射す、朝日輝くウコン三つ葉の木の下に、... ...続きを見る

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2017/08/14 09:09
大原のお姫様 T 三田市
大原のお姫様 T 三田市 先のブログで立寄りの「お屋敷がんこ」がんこ 三田の里は、大原城の藤原(大原)上野守宗隆を先祖とする後胤のお屋敷で、約100m程:直ぐ南東の大歳神社背後には天神の尾城がある。更に南・お屋敷から約500m程の地点に大原氏の本拠:大原城があり主郭に姫山神社が祀られている。    大原城主郭・東郭と三ノ丸(中央民家付近)遠望 ...続きを見る

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2017/08/12 15:53
柏原八幡・弁天社の伝説 U 丹波市
柏原八幡・弁天社の伝説 U 丹波市 以前のブログ:伝説:柏原八幡の弁天社 Tの続きです。柏原八幡神社の参道は木の根橋・観光案内所のある南山麓の神馬像の立つ鳥居からだが、西北に柏原稲荷社の鳥居側にある小さな池の中に祀られる弁天社から、八幡社三重塔へ続く参道もある。この三重塔の建つ八幡山(入船山)の背後から高八山〜清水山を経て向山連山へと北尾根が延びていく。この尾根続きにも… ...続きを見る

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2017/08/03 21:51
本郷川の尻引きマント 丹波市
本郷川の尻引きマント 丹波市 「日本むかしばなし」には全国各地に天狗・たぬきやキツネ・かっぱ…等々の動物・妖異な化身の話があり、また其の話の内容も妖・陽・恐・楽…と内容も種々雑多。先のブログに本郷の舟座をUPした際、河童の石像が最近?立てられているのを見た。此処本郷に舟座が設けられた年貢の御用舟に関する川端柳の伝承本郷川の尻引きマントは「丹波のむかしばなし」にも蒐集されていた。  背後の山容は弘浪山(高山寺城)  ”かっぱ”と云えば民俗学者:柳田国男生誕地でもある福崎町辻川山公園の天狗や池から飛び出す河童像が人気の様。河... ...続きを見る

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2017/07/18 14:21
織姫と彦星 <papercraft>
織姫と彦星 <papercraft> どこの家庭でもエアコンの普及で夕涼みに…床几を出して夜空を見上げる…といった様な夏の風物詩…を昨今・見掛けることは殆どなく、近くでの花火大会の夜/親戚や友人を呼び花火見物を兼ねBBQを楽しむ姿を見受ける事があるていど…。先のブログに天の川飾り をUPしたが、もうすぐ桃の節句・端午の節句に続く五節句の一:七夕です ...続きを見る

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2017/07/04 20:43
室谷の地蔵堂 丹波市柏原町
室谷の地蔵堂 丹波市柏原町 丹波市柏原町室谷の稲荷神社社殿の欄間を飾る「龍の彫刻」があり、神社彫刻集団の中井一党で、以前のブログにも諸所寺社彫刻でも紹介した中井権次(何代目だったか?)の手に成るもの。柏原病院前から向かう室谷稲荷社の100m手前・住宅地の南端角に厄除地蔵尊を祀る地蔵堂が建つ。 ...続きを見る

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2017/06/14 09:04
お杉地蔵 丹波
お杉地蔵 丹波 丹波高地最北端の地・佐治川(現:加古川)源流にあって但馬国境の粟鹿峰(粟鹿山)南面山麓の青垣町稲土には稲土城が、小稗には小稗城があるが、粟鹿峠を越えて但馬山東町への古道が通じていた大稗だけに、城砦遺構は未調査!!?ながら但馬・丹波国境の間道に関所砦があったとしても…!!?…  [お杉地蔵](いつの頃からか立派な祠に納められ祀られている) 源頼朝から佐治郷を拝領し足立遠政が佐治岩本城から本拠を山垣城に移し現:青垣町(東芦田・西芦田を除く)一帯を支配した全国足立姓の祖・遠政と足立氏一族の城や支城... ...続きを見る

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2016/12/04 09:58
牧山の牛岩 丹波
牧山の牛岩 丹波 市制10周年にしてやっと丹波市誌発刊されたが、内容は此の10年の市政の歩み的総説のみ。昭和50年以前に発行されている[氷上郡志]を「丹波市誌」として内容一新・再編纂されているものと期待していた。丹波市の良さをPRし再認識・発掘、有形・無形遺産の観光等への活用・発展させるトリガともなる郷土(故郷)の民族・風俗・観光・史跡・歴史等には、旧郡内各町誌等の既刊資料があるとして触れられていない。市誌は今後10年ごとに此の様な内容で更新されていくのかな?。編集後記からは続遍・資料編の発行は期待薄。今後市史・... ...続きを見る

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2016/07/02 21:02
瀧山観瀧寺T 鉦鼓滝
瀧山観瀧寺T 鉦鼓滝 先日来:福知山市の旧和久郷(和久川沿い)にお住まいの”べーさん”には山崎城・今安城等にもコメントをいただいていたが、隣接する旧拝師郷榎原の瀧山観瀧寺(天田郡西国観音霊場11番札所)は元:南方の丘陵上に在った山岳寺院で、其の所在を確認した旨のレポート報告をいただいた。私的には城郭化された山岳大寺院に思え興味をもった。観瀧寺の位置を”丹波志”には滝山城の脇にあり・・・とも。 何年も以前・丹波市境界尾根の親不知から北へ延び出す尾根上に不自然な平坦尾根部について福知山市史(丹波志からの転記!?)... ...続きを見る

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2016/06/03 20:43
水分れ公園の桜 U 丹波市
水分れ公園の桜 U 丹波市 R176号は柏原北交差点左折し稲継交差点でR175号に合流する「柏原多田バイパス」と、北上へ直進してJR福知山線沿いに春日町歌道谷(うとうだに)に出てR175号に接続するR176号本線!!?に分かれる。直進するR176号のJR石生駅手前約300m程に”水分れ交差点”があり、    高谷川沿いの桜並木と向山連山遠望 先の稲継交差点でR175に入り、すぐ(城山トンネル手前で)左て側道から城山の南山麓を周る旧R175号?がR176号に合流する地点が[水別れ]交差点で、R176号本線を北へ約50m程... ...続きを見る

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2016/04/04 19:31
源頼政の鵺退治 西脇市
源頼政の鵺退治 西脇市 R175号は上戸田南交差点で西脇市民病院・童子山公園等市街地の上野界隈(県道54号・県道17号・R427号への三叉路交差点)を右にみて、西脇バイパスに入り、加古川・JR加古川線を越えトンネルを抜ける。抜け出た所が板波橋東詰め信号を左折し、R175号バイパスを降りる。加古側に流れ出る野間川河口側で、東側丘陵裾に長明寺の山門があり、多可十景の一:高松山の石碑も立つ。 昭和初期に多可郡名勝地十景に選ばれた地で、西脇市も元は多可郡の一町。 此の長明寺から金城山山麓周辺も軽いハイキング・ウオーキング敵... ...続きを見る

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2015/10/15 22:22
大石りく顕彰碑
大石りく顕彰碑 「忠臣蔵」で知られる赤穂義士(四十七士)の中心人物大石内蔵助良雄の妻:理玖の遺髪塚が、豊岡市郊外の六方川沿いの日撫地区の山裾・香林院(正福寺)にある。玄武洞へは県道548号で円山川に架かる堀川橋東詰め「六地蔵」を左折し六方排水機場の側を北に進むが、直進し約100mで右折・六方川沿い南へ200m程に正副寺の参拝駐車場があり、傍に二人の子を連れた旅装の”りく銅像”と”大石りく顕彰碑”が立ち、丘陵上の香林院に”りく遺髪塚”が祀られ豊岡市指定史跡となっている。 ...続きを見る

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2015/05/08 19:54
鞍掛石 丹波市
鞍掛石 丹波市 岩尾城の作右衛門尉師季(もろすえ)【和田日向守齋頼(ひとより)の子:岩尾城最後の城主】)は天正7年5年(1579)丹波攻略の主将:明智光秀の援軍として、西丹波攻略を命じられた丹羽長秀等の攻撃を受けて落城・討死して此処に滅亡。天正14年(1586)近江木戸村(滋賀県)のもと比叡山の法師:木戸十乗坊が3,750石を領して入部し、岩尾城主となって統治10年・佐野氏の居城として近世(初期)の石垣を使用した城郭様式に修改築された。和田氏の中世古城の”土の城”と佐野氏の近世の城郭 ”石の城”:両時代の城郭様... ...続きを見る

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2015/03/23 21:24
鴨神社大銀杏と伝説
鴨神社大銀杏と伝説 国領交差点から県道138号(西国巡礼道・なりあい街道)を北進、丹波の小富士山東山麓の梶原遺跡を過ぎて約1q・西の田圃の中の杜に先のブログに記した鴨神社を、左接する目前に梶原公民館を見る信号機の無い交差点がある。交差点からは公民館より地区道より正面交差点傍(公民館東北角の交差点)に建つ鳥居が先に目に付く。目的は直ぐ先・梶原地区内の日光寺から10年前に訪れた記憶を想い起しながら、畑山城館から矢谷城館へ丘陵尾根を繋いで三ッ塚史跡公園までトレースの途中。鴨神社一の鳥居は大正3年3月の再建で、扁額は柏原中... ...続きを見る

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2015/03/10 19:18
小富士城 一夜城伝説
小富士城 一夜城伝説 全国には其の土地々に於いて、其の美しい山容には誇りを込め、富士の名を称して親しみ呼ばれている”ふるさと富士”は多く、丹波市内にも大箕山(青垣町)・三尾山(三尾城)(春日町)や標高231mの低山ながら、周囲四方どこから見ても綺麗な三角錐の富士型を魅せる独立丘陵の小富士城(春日町・市島町)は一夜城伝説を秘めています。  ...続きを見る

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2015/02/21 08:44
琵琶渕 篠山市
琵琶渕 篠山市 篠山川沿いの川代峡谷を抜ける県道36号は大山下交差点でR176号と合流し、国道を700m程南下したところで宮田川に架かる丹南橋を渡ったT字交差点に着く。左折すると西多紀アルプスの北麓を通って氷上・春日町や草山温泉を経て京都・三和町へ抜ける県道97号線です。負け嫌い稲荷伝説-黒田山兵衛を紹介した稲荷神社から新栄橋に戻り宮田川沿いにR176号の丹南橋交差点に向かい、舞鶴若狭自動車道高架を西へ潜った南側に伝説の地:琵琶渕の石碑をみる。 ...続きを見る

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2014/06/23 00:03
負け嫌い稲荷伝説-黒田山兵衛
負け嫌い稲荷伝説-黒田山兵衛 文政年間(1818〜30)篠山藩主青山下野守忠裕(ただやす)が、江戸幕府老中を務めていた頃、江戸両国の回向院広場で例年行われる将軍御上覧(徳川家斉の時か?)の大相撲御前試合に於いて、篠山藩領内のお稲荷さんの化身が力士となって大勝し、篠山藩の面目をおおいに施したとの負け嫌い稲荷伝説がある。   黒田の稲荷神社と旧西紀南小学校跡石碑 8名の力士と頭取・行司の10稲荷社のうち下記○印は同Web内に記しているので参照してください。今回は黒田山兵衛を追加しました。 ○ 王地山平左衛門稲荷神社 篠山市... ...続きを見る

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2014/06/21 00:04
松ヶ瀬:黒田官兵衛の里
松ヶ瀬:黒田官兵衛の里 R175号線を西脇市に入ってくると、居酒屋「松ヶ瀬」・ガソリンスタンドの付近からは・気のせいか「官兵衛の里・西脇市」の幟旗の数が沿道沿いにはためくが、とりわけA-COOP”黒田庄牛”の大きなサインボードが立つ「田高交差点」、道を挟んで建つ大山病院との間を東へ左折する車道に沿う辺りが目立つ。 其れも其の筈:この道が加古川に架かる新中橋を渡った東詰めの北側に多田構居(播磨鑑の「多田の城」で黒田下野守の黒田城は此処!!)、JR加古川線踏切の南側に本黒田駅が見えるが、此の先で交差する県道294号を直進... ...続きを見る

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2014/05/20 22:08
田 艇吉 丹波市
田 艇吉 丹波市 丹波市山南町側から笹場峠を越えると下小倉の大部谷城の東麓に降りてくる。国道筋は篠山市側から鐘が坂トンネルを丹波市側へ抜けると此処:柏原町下小倉に降りてくる。田艇吉は嘉永5年(1852)9月6日氷上郡柏原藩領の大庄屋田文平季胤【田家系図には先祖忠助の長子:季繁以後に諱〈いなみ:一族のみに許される呼び名で、実名を避ける習慣からか!?”季”が冠せられており艇吉は(季剛)】の長男として下小倉に生まれ、8歳より村医の長沢順方に師事して読み書きを学び、文久3年:12歳の時に小島省斎に入門するが翌元治元年・柏... ...続きを見る

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2013/11/30 18:55
田ステ 柏原町
田ステ 柏原町 JR福知山線柏原駅を降りるとロータリー左手(交番向かい)に御所人形風の・ふくよかで愛らしい”田ステ女”の石像が迎えてくれます。 僅か6歳にして「雪の朝 二の字二の字の下駄のあと」の句を読んだ捨女は明治の俳人・正岡子規があげた元禄四俳女の一人で、加賀の千代と並び天下の才媛と謳歌された丹波が生んだ女流俳人です。 ...続きを見る

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2013/11/28 11:08
淡河城南付城
淡河城南付城 中国・毛利攻めの軍議の決裂に、織田信長に背いて毛利に付いた東播磨の別所長治が三木城に籠城した三木合戦の、兵糧輸送経路の一つに花隈城【伊丹城主:荒木村重が神戸:花隈城に居て織田方に背いた】〜淡河城〜三木城へと運び込まれルートがあり、淡河城が其の中継基地になっていた。天正7年羽柴秀吉は毛利方からの救援物資搬送経路を断つべく、丹生山城を奇襲し・続いて弟小一郎秀長に淡河城を攻めさせます。   前は貯水池・背後の右手藪奥は傾斜の急な谷・左手が南付城で谷側に長い土塁が・・・!! ...続きを見る

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2013/10/19 23:02
廃寺:安養寺と伊都伎神社
廃寺:安養寺と伊都伎神社 丹波市山南町内の小川地区から和田地区に向かう県道86号線が加古川(旧佐治川)に架かる(梶村)の船戸橋を渡ると正面の尾根先に岩尾城を望み、橋を渡り下った先で石金山登山口方向へ進むが、県道を直進は牧山川を渡る和田大橋で県道109号と合流する。目の前の丘陵先端部は名の示す山端城で、和田岩尾城の城下町東入口監視の砦だったか。    也足寺 ...続きを見る

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2013/08/27 23:10
蘇洞門  若狭
蘇洞門  若狭 若狭フィッシャーマンズ・ワーフは小浜城()2010年10月頃より、小浜市内の歴史散歩に数回訪れた際、一度は食事を兼ねて立ち寄った。今回は地区内グループの日帰りバス旅行で、此れより若狭フィッシャーマンズ・ワーフ前から蘇洞門(そとも)めぐりの遊覧船が出航する時間待の間に以前にも寄ったが”世阿弥が佐渡に流された際の船出の地”を再訪。    台場浜公園の土塁は台場(砲台)遺構ではなさそう? 道を隔てた水産食品センターに並び台場浜公園があり、猿楽師:観阿弥の子・世阿弥が足利義教の故なき怒りを買って佐渡... ...続きを見る

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2013/07/01 23:23
十三人塚 丹波
十三人塚 丹波 全国的に分布する十三xx塚は本来:初七日から三十三回忌・其々に審理を行う不動・釈迦・文殊…虚空蔵に至り、裁判官の役目を務める十三仏に由来するとされるが、塚に残される伝承は様々で数も13に限定されてはいないようです。供養塚であったり境界指標・修法壇として築かれた列塚で、丘陵・村境・峠に多い。  (Wikipedia・三省堂を参照)   中央のピダミダルな山容は吼子尾山(小室城) 丹波市にも足利尊氏が逃れた石龕寺への寺坂越えの山道に金屋の十三塚(国指定重要有形民俗文化財)があり、追討軍から... ...続きを見る

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2013/06/28 20:03
朝寝の森 丹波
朝寝の森 丹波 丹波市にも・随分と”むかしばなし”伝説の伝承地がありますね。丹波市山南町に「朝寝の森」の字名がのこる場所がある。R175号線と県道86号に挟まれて山南農協があり、西の県道を挟んで今は更地となっているがスーパー○○が有った。現在は東約100m・R175号側に新店舗を移しているが、此の更地の西端に溝川が流れている。此の溝川の更地側:昔は田圃だった一画が朝寝の森。北方200m程の極小丘陵には丹波最大級の丸山古墳があった。またこの一帯:地籍調査では井原・奥・野坂・岩屋の住所が混在していますが岩屋は、おそ... ...続きを見る

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2013/06/26 23:12
金の椎の実
金の椎の実 民話に「鶴の恩返し」というのが有りますね。そして花札でもないでしょうが、木に止まり、巣造りをする・・・吉兆として喜ばれる”鶴”が 森にいて木にとまる?・・・鶴とコウノトリを 「とり違えた!!?」・・・おかしな話もおおいですね。 ...続きを見る

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2013/06/16 09:26
茗荷谷城 綾部
茗荷谷城 綾部 小坂城の東麓を京都縦貫自動車道(綾部宮津道路)が走る。小坂城からは登路を引き返さず、自動車走行の車騒音を聞きながら北東側へ直接降る短い枝尾根筋から谷を降り、自動車道工事専用道を兼ねた作業林道?の終点に降り立った。    大土塁と堀切 自動車道隧道を潜り八田川源流?の谷川を渡ると府道486号線に出る。北上する山間の道は峠を越え志賀郷に出て犀川沿いに志賀郷町に出る。高屋城(物部城)を本拠城の上原氏一族の浅根山城・北野城や天王山城が点在し、志賀郷(志賀の里)の七不思議伝承が残る地。    西端の... ...続きを見る

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2013/06/10 09:21
勝連城 沖縄
勝連城 沖縄 勝連城は沖縄中部東海岸の北は金武湾 ・南は中城湾に面した勝連半島(与勝半島)の南の付け根付近にある。 ...続きを見る

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2013/04/29 22:48
後谷城:二人の赤井忠家 
後谷城:二人の赤井忠家  標高僅か95mで日本列島を南北に分ける日本一低い谷中分水界「水分れ」は加古川水系が瀬戸内へ、竹田川の由良川水系は日本海へと流れ出る。山間に挟まれた丹波市付近の流域低地帯を氷上回廊と呼ばれます。春には加古川流域の河口付近から小野市・西脇市を丹波市に入り氷上町から青垣町へ、氷上町から春日・市島町へと続く河川沿いに桜を植樹した花回廊が延々と花のトンネルを形成していきます。      白山を背に赤井伊賀守忠家の墓碑が立つ 水分れ公園から西方に開く氷上盆地には南方の高見城から高度を落としながら延び出す... ...続きを見る

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2013/04/17 21:22
船井神社・文覚池 南丹
船井神社・文覚池 南丹 三俣川を挟んで西田城・刑部城を訪ね車をデポした近く:住吉神社から望む北広瀬城に向かった。更に道なりに進んで同じ筏守山山系?の西北端にある城山(新庄城)へ進むが桂川沿いの西麓からの取付きが判り辛く、山麓を北へ回り込んだ先に船井神社が在って、東隣りの小学校側に駐車場も有り・此処からスタートした。    船井神社(府道408号側から) 船井神社の西:府道に落ちる丘陵上が城山で、南方奥には文覚池の堰堤が見えている。城山の姿を映しこんでいるのが文覚池。一帯は弥生・平安・中世にかけての遺跡分散地だが多く... ...続きを見る

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2013/04/11 20:09
伝説:柏原八幡の弁天社 T
伝説:柏原八幡の弁天社 T 加古川(旧:佐治川)沿いR175号「稲畑」交差点を右折し県道290号を柏原町に向かい東走する。高見城北尾根最低鞍部の萱刈坂を越え、おさんの森への分岐の先を右折すると、鳳越えを柏原病院前に出る。小南山城南山麓を下り丹波の森公苑前で左折(北)に折れ、柏原川沿いに県道290号側ハローワークとの中程で福知山線踏切りを越えR176号線”柏原本町”交差点を直進すれば八幡神社山麓の駐車場。   八幡神社西麓:春日社の鳥居左手に弁天社がある ”柏原本町”交差点と八幡神社山麓の駐車場までの間(○○銀行の西)に... ...続きを見る

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2013/03/02 08:29
大河の嫁ヶ橋(丹波の民話)
大河の嫁ヶ橋(丹波の民話) 篠山方面からはR176号線「大山下」交差点で篠山川丹波竜発掘調査現場です。77号線はJR谷川駅手前の山南町太田で、JR踏切りを越えて篠山川に架かる太田橋を渡る。      画像はクリックし拡大画面で御覧下さい ...続きを見る

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2013/01/27 18:14
千ヶ坂城  三田
千ヶ坂城  三田 JR福知山線の広野駅を出ると、武庫川沿いの田園地帯の中を、ただ一直線に汽車は三田駅に向かっていた。其の中間部に新三田駅が出来たのは、車移動が主となって国鉄(JR)利用が遠のいた45年以上前?頃だったか!!?。三田駅から北方へ丹波街道(R176号)をはしっていると、新三田手前で川除・大原を通過するが、大原交差点に”青原寺”の表示版を見る。   千ヶ坂城の低土塁(70‐100cm程) 青原寺方向へ右折して直ぐ:民家側・田圃に裾を落とす竹藪の低丘陵が大原城。城址の主郭に祀られる姫山神社には、文永(... ...続きを見る

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2013/01/16 21:27
大原城 三田市
大原城 三田市 有馬富士公園に向かう県道570号と交差する「新三田駅前交差点」を南へ直進するR176号線沿い・「三田工業団地前」交差点を左折(東)すると田圃の先に大原邸(お屋敷を店舗とした食事処:がんこ三田の里)が在る。当ブログ内での”食事&喫茶”カテゴリでは紹介していませんが何度かは利用した。大原邸並びに鎮まる大歳神社からは、背後の丘陵上に在る天神ノ尾城をブログでも紹介していますが、周辺の城砦遺構に肝心の大原城が未だ未紹介!!でした。   大原城の主郭(左端竹薮)・東郭(竹薮中央・二ノ丸?)・三ノ丸?(畑・... ...続きを見る

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2013/01/15 21:24
あまんじゃこの長石 多可郡 
あまんじゃこの長石 多可郡  多可郡の民話に「あまんじゃこ」がある。天邪鬼だが呼びからは天邪児の様!!?ですが、多可郡の語源ともなっている”あまんじゃこ”について旧中町(中区)にも幾つか民話がのこります。 明石の或る里に”あまんじゃこ”という大男が住んでいた。空が今よりズッと低かった為、あまんじゃこは腰を屈めて歩かなければならなかった。其の”あまのじゃこ”が北の海が見たくて歩きだし…多可町の辺りまで来たとき急に空が高くなり、思いっきり背伸びをすることが出来、「おおっ…此処は空が高いぞ。高いの…たかの郡(こおり)」と叫び喜ん... ...続きを見る

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2013/01/11 22:20
おさんの森「おさん・茂兵衛」
おさんの森「おさん・茂兵衛」 丹波市柏原町下町沖田に”おさんの森”があり小さな祠が祀られています。此処を訪れた俳人松瀬青々氏の「浄瑠璃の古蹟ゆかしや 春の雨」 「この里に恋の茂兵衛や時鳥」の句がある。また祠の側には”おさん茂兵衛を偲ぶ”は川口松太郎氏(近松の戯曲を映画化し、香川京子・長谷川一夫や、山本富士子主演の芝居「近松物語」で知られた)の碑も建てられています。 ...続きを見る

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2013/01/04 08:43
「蛇ない」 丹波
「蛇ない」 丹波 岩尾城の在る蛇山にも、蛇にまつわる蛇山岩尾城猟奇伝説が残りますが、城下の東北麓・応地集落にも蛇に因む伝説と無形文化財指定の行事があります。応地集落は岩尾古城(土の城)への大手道か?、新城(近世の石の城)搦手口に当たりますが、古城主:谷氏も婿養子となった和田日向守斎頼(ひとより)も信州(長野県)南和田村より来住した人。信濃は道祖神信仰の盛んなところだけに、丹波では珍しい道祖神「石造双体道祖神」が大歳神社からの林道先:登城ルートの入口にある。 ...続きを見る

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2013/01/02 16:41
石見神社:日本一の大囲碁
石見神社:日本一の大囲碁 新井神社は欽明天皇(6世紀 509‐571在位)の頃の創建といわれ、延喜式・氷上郡内式内社17社の一つで、茅葺の本殿が県指定(平成3年3月30日)重要文化財となっています。江戸時代初め比叡 山延暦寺の守護神「日吉神社」の分霊が移されますが、日吉神社は「山王権現」とも呼ばれ山王の使者は猿。本殿両脇には中井権次(橘)正貞の手になる一対の木彫りの猿が置かれています。     新井神社本殿 此の新井神社境内入口に石の鳥居と白壁で囲まれた小さな神社が石見神社。祭神には隣村【石戸山の尾根を隔てた久下庄(... ...続きを見る

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2012/12/29 21:33
大護神社 丹波
大護神社 丹波 幻の氷上城とも云われた霧山(今も城址否定説があるが!!)から、南北朝期に幾度も南朝方籠った弘浪山の高山寺跡から、また”丹波の霧海”展望台としても知られる安全山からは直ぐ足元に、小さな独立丘陵の甲賀山(高岡山)と明治山(犬岡山)が、田園風景が拡がる盆地の中に浮かぶ。小さな二つの小島の様な山には”鬼が担いできた山”と「丹波のむかし話」に語られます。     どちらの小山にも築城時期や城主の史実は不明ながら砦跡の伝承が遺ります。犬岡山は松井氏!!?が居たとも。柏原藩後期織田家の信休の転封では此処に... ...続きを見る

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2012/12/13 00:57
物部城 朝来市
物部城 朝来市 R312号線とは円山川を挟んで、JR竹田駅を発ち播磨方面へ南下する播但線が県道70号線と並走する。次の駅:青倉駅の直ぐ手前に150m程?に物部八幡神社があり、此処から北方に向かう谷間に、播但連絡道路の白い高架橋が見えている。左方の専用道路手前の丘陵部に木ノ内城、谷間を挟む右手・専用道路の奥に物部城が在った?。   山内城側から望む・・木ノ内城と播但連絡道右奥に物部城 左右の城址への取付き店を探して谷間を奥へ進む地区の作業林道?入口に、入山禁止の貼り紙がある。松茸山の止め山の為で此の時期に松茸... ...続きを見る

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2012/11/14 21:50
天空の城撮影ポイントT<藤阪峠と大将軍杉>
天空の城撮影ポイントT<藤阪峠と大将軍杉> 北近畿豊岡自動車道の和田山ICを降りてR312号を南下し、加都北の交差点を右折して県道136号に入る。円山川を渡り、直ぐ播但線踏切りを越えると右方には竹田城の出城と思われる安井城が見える。此の道路は近年・異常に交通量が増え観光バスさえ入ってくる。R312号で潜ったばかりの播但連絡道路の巨大なアーチが連続する虎臥城大橋を潜った先に、竹田城への案内標識と・片側に縦列する車列が入口まで続く北入口。 ...続きを見る

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2012/11/11 00:07
春日文化祭:石見神楽 丹波市
春日文化祭:石見神楽 丹波市 11月3日は各地で種々イベントが実施されており、どこへ行こうか嬉しい迷い・・・、例年:青垣町佐治の”八宿まつり”には行きますが、昼からは東隣の春日町へ大石りくが但馬へ帰るのに越えた天王坂を下り、丹波市役所春日庁舎周辺での春日文化祭に向かいます。【”大石りく”は丹波側での最後は佐治宿の:町医者!?の屋敷に投宿しています】 ...続きを見る

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2012/11/06 00:11
助太郎屋敷
助太郎屋敷 JR篠山線(福知山線)古市駅近く:R176号(丹波の森街道)の波賀野交差点からR372号(デカンショ街道・京都街道)に入り約2.5km程で舞鶴若狭自動車道の高架を潜りますが、此処から東へ約100m程:田圃の中に現状では方形の高さ約3mの土壇基部に石積みをのぞかせている、古墳の墳丘かと見紛う様な壇状が見えます。 ...続きを見る

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2012/08/14 20:57
幻の氷上城「霧山城」
幻の氷上城「霧山城」 丹波市にも遺跡分布図に調査公表されていないが、堀切・竪堀・切岸加工された曲輪・数少ない土塁や畝状空堀さえ遺す山城や、丹波黒井城攻め時の明智の陣城と思える織豊系縄張りの城郭も、都度にホームページや此のブログに報告してきました。しかし:年表・古書等の諸々文書に登場するが実体不明の人物もいる。丹波守護:仁木ョ章の守護代【延元2年?&#12316;康永2年(1337?-43)【】となっていた荻野朝忠は、南朝方として児島高徳と高山寺城(弘浪山)に籠り北朝軍と戦い、仁木氏は引責から守護職を引いている。丹波史... ...続きを見る

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2012/04/21 21:15
僧・意春と経塚 丹波市
僧・意春と経塚 丹波市 幻の氷上城が何処に在ったかは、その初代城主とされる波多野宗高が実存した人物なのかが謎。また霧山に其の氷上城が在ったとされますが確かな城遺構も無く疑問視されているのですが・・? もう一つの氷上城と思える(ガンジョウジ城)からの南尾根続きから、北方・宗春の首塚を祀る波多野神社からの尾根続きから、市辺の西北から何ヶ所か採鉱の抗口が開く激急斜面から、今回は霧山登山口の二宮神社から・・と5度目の訪城ですが、単に登山の延長です・・・・ ●霧山城については後日のブログで紹介予定    経塚を納める堂と経... ...続きを見る

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2012/04/19 00:11
包囲網多重土塁(朝日ヶ丘土塁)
包囲網多重土塁(朝日ヶ丘土塁) 織田信長の天下布武の号令に大将:羽柴秀吉は毛利氏の中国地方へ侵攻を始めます。毛利攻めの先陣を務める筈だった三木城主別所氏が、軍議の際:家臣と羽柴秀吉との意見の相違から、信長に叛き毛利方に付いた事により天正6年(1578)・・に始まった三木合戦の籠城戦。   U字状に曲がりながら延びる遊歩道内側の藪の中にも遺る包囲網土塁線 包囲網多重土塁は、別所氏と同盟関係にある中国地方の大名:毛利氏が、救援物資を魚住の浜(明石)に陸揚げし、三木城へと搬入していたことから、これを阻止するために築かれたもので、... ...続きを見る

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2012/03/17 11:06
春日神社 篠山
春日神社 篠山 篠山が小京都と呼ばれる意味合いや雰囲気は、鴨川=篠山川・高瀬川=黒岡川や商家街等の古い街並みが残ること、能楽殿(床下には音響効果を上げる壷が微妙の方位を変えて置かれている)が在り、日本で一番早く演じられる春日能がある。能舞台は篠山藩主:青山忠良により寄進されたものですが、能舞台の正面に向かい・春日神社の側に立つ翁 能面を付けての舞姿像が青山忠良なのかは説明?等を見逃した。   愛宕神社への階段参道と春日神社 何よりも秋の例祭には祇園祭を模したものか? 笛や鐘・囃子にのせて、各町内の山や鉾... ...続きを見る

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2011/12/11 20:08
至山・山南仁王駅
至山・山南仁王駅 ”丹波”の名の語源ともなったとされる赤米の里:丹波市山南町の南境界を、北方から佐治川(現:加古川)が、東からは篠山川が合流して・此処から加古川となって南へ流れ出します。この三河川合流地点の旧佐治川側に井原橋が掛かり、南詰めの東(合流地点側)にはミニ道の駅「山南仁王駅」が在り、南側に阿形の仁王像が立つ。 南詰め西側は佐治川沿い南側から西方へ延び上がり石金山へと続く低丘陵尾根が始まる。この尾根筋東先端部が三川の合流地点・道の駅のあるR175号に落ち込む。この丘陵北裾一帯が「であい公園」で入口には吽... ...続きを見る

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2011/11/29 00:06
石龕寺もみじまつり W
石龕寺もみじまつり W 丹波市山南町内の名刹:慧日寺・常勝寺と石龕寺が「山南三山」と呼ばれますが、中で紅葉の名所として知られる石龕寺は、青垣町の高源寺・氷上町の円通寺と並び丹波市の紅葉三山として紅葉狩ツアーの観光名所ともなっています。 日吉神社をスタートする武者行列の高氏・義詮親子 高源寺は全国足立姓の祖・山垣城主:足立遠政の孫(足立光基の三男)遠渓が、後醍醐天皇より号を得て開山された寺。円通寺は後円融天皇の勅願・将軍:足利義満の創建により足利尊氏の四男英仲法俊を開山に迎えている。そして石龕寺は南北... ...続きを見る

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2011/11/21 20:26
紅葉の隠れスポット・神池寺 2011
丹波比叡とも呼ばれる天台宗中本山の古刹「神池寺」は2007.11のブログにも”紅葉の隠れスポット”として紹介しています。神池寺の山号:妙高山(2等三角点565m)への登山は西方の日ヶ奥渓谷から奇岩・怪石の渓谷美を愛でながら神池寺に至るコースや南方には丹波の女流詩人深尾須磨子の誕生地:三井庄からの旧参道も有りますが、歩いて登ってくる人は殆どなく、   神池寺:すまずの池 ...続きを見る

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2011/11/20 09:27
神呪寺と鷲林寺のソランジン!!
久しぶりに懐かしく西宮市内からの帰路に甲山森林公園を抜け、神呪寺・北山貯水池の間を通って県道82号線に出る。此の交差点を直進すれば鷲林寺。神呪寺と鷲林寺には共通する伝承等が多い。共に真言宗の寺で神呪寺は淳和天皇の妃:真井御前が弘法大師により剃髪をうけられ如意尼と改名され、寺を建てる場所を探して此の地に辿り着かれたが、鷲林寺付近の悪神ソラジンが住み「仏を祀る人々は、良い人間になり自分の言うことを聞かなくなるだろう・・・」と大鷲と化したソラジンが建立を邪魔しますが、寺を焼くことが出来ず退散し、また何... ...続きを見る

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2011/11/12 00:26
名月姫 豊能
大阪府豊能郡能勢町中部を西の府道104号片山側から東の106号、田尻側に通じる暮坂峠・逢坂峠・名月峠・坂井峠が越える。府道4号(茨木能勢線)が越える名月峠には、玉垣の内に宝篋印塔を挟んで二基の五輪塔が祀られています。  明月姫(中央)・夫の能勢家包(左)・父の三松国春(右)の三石碑  名月姫の伝承は遠く離れた兵庫県尼崎市の尾浜八幡神社と、大阪府能勢の明月峠に其の墓所とされる宝篋印塔が建つ。物語の時代は平安時代だが・いずれの宝篋印塔も鎌倉時代のもので、尼崎市の方は市内最古のもの。北摂能勢のもの... ...続きを見る

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2011/08/19 22:19
天ヶ城と姫宮神社
天ケ城へはJR東小浜駅方面から県道220号で、登山口の羽賀寺を目指せば良いのですが、小浜城を掠めて・小浜湾沿いのR162号を北上して福谷三差路に向かう。福谷から羽賀へ昨年(2010年)開通したばかりの天ヶ城トンネルを抜け出ると、姫宮神社側へ下りてくる。天ヶ城址の麓の姫xxxの名称からは、城主と其の姫に関する落城悲話の伝承でもあるのかと気になり調べてみたら矢張り関係はあった!!?・・・が神話の世界の父と子!!。     天ヶ城の二重堀切 姫宮神社から東北方へと山間の集落に奈胡集落内に延喜式内社... ...続きを見る

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2011/07/19 09:53
源頼政・鵺退治のシノビ竹
舞鶴引揚記念館の傍を抜け、大浦半島を南北に二分するような府道561号を走る河辺谷の中程には、”観音寺へ3km”の石標が立つ。幅狭い坂道は観音寺集落を抜け棚田の中を行く登り一辺倒の農道・・・林道となって終点の観音寺(比高250m程)まで続く。山上の寺付近の棚田も全て水田や其の跡の様で、水量豊富な山域です。 「丹後旧記」等の口碑に加佐郡志楽の庄(野上と称されていた河辺由里・河辺原付近!?)は源頼政の所領だったとされます。府道561号に入って此処まで校舎を見ない。伝承の地:河辺由里は府道から観音寺に... ...続きを見る

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2011/06/29 23:20
蛇切岩 舞鶴
舞鶴若狭自動車道を東舞鶴ICで降りた府道28号線・祖母谷川に溝尻城・溝尻支城・堂奥城・堂奥ニノ谷城を訪ね、HPにアップしました。倉梯(倉橋)郷を所領とする・丹後守護一色氏の守護代:延永氏の領内にあって、同じ領内を小野寺氏(室町幕府直属の家臣)が一部を領有し・被官:矢野氏が其の支配を任されていた様ですが、若狭武田氏との戦いに延永氏が衰退すると、代わって矢野氏が守護代クラスに勢力をもち、溝尻城を本拠としています。     蛇切岩伝承地:桂城や日向城も近い!!:与保呂の日尾池姫神社 溝尻城には火を... ...続きを見る

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2011/05/23 22:18
荒神山城
陸上自衛隊福知山駐屯地の在る丘陵台地の南側に京都創成大学・京都短大が建つ。市の遺跡地図には背後の丘陵部・主尾根にかけて切岸山城が在る。取付き点はキャンパスの外環車道から校域を抜けでた所の平和墓地公園からになるでしょう。 また京都創成大学・京都短大の北正門?(貯水池が有る)西隣が福知山女子高で、此の背山の荒神山城が在りました。標高僅かCa85mだが、北方に高い丘陵は直近にある自衛隊福知山駐屯の台地Ca50mを除いて展望を遮断するものは少なく、藪山でなければ福知山市街地の眺望は良い筈!!です。 ... ...続きを見る

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2011/05/04 23:56
栗住城 丹波市
丹波市青垣町は全国の足立姓の祖と云われる足立遠政の山垣城が在りますが、丹波市内でも最古級:平安時代の保元3年(1158)とも鎌倉時代・元徳年間(1329-31)頃に築城されたともいわれる小室城(芦田城・東芦田城) が吼子尾(くずお)山に在ります。    栗住城主郭背後の堀切を越えて続く尾根側に有る土橋付き堀切 城主を芦田金猶(かねなお)といい小野小町との伝説や、其の死を菩提寺の墓碑からは・頭と胴が判れた埋葬を示す銘を持ち、明徳の乱による山名氏と細川氏の勢力争いに、細川氏の誘いにも乗らず・山名... ...続きを見る

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2011/04/26 22:31
蛇池伝説 神戸
神戸市北区山田町の東下城(山田城)を訪城した。東下には兵庫丹波:篠山市鷲尾に関連深い人物がいる。平安末期の寿永3年(1184)平家本陣の一ノ谷へと、山田道を〜藍那〜鵯越へ抜ける山道を、青年猟師鷲尾三郎の案内によって一の谷の戦いに圧勝する事ができたとして、其の功により山田に土地を与えられ、義経の名から一字を賜り「経春」とも「義久」とも名乗り、郎党の一人として常に側に付き従って活躍した人物です。山田庄を始め・平氏領内を僅かな手勢で切り抜ける事など・できなかった事でしょう。鷲尾三郎の墓と屋敷跡は篠山に... ...続きを見る

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2011/03/14 22:02
堂山砦 篠山市
R372号(デカンショ街道・京都街道)を東へ走り、八上城麓を過ぎた日置に「磯宮八幡宮」の案内標識を見る。境内南側に大きな注連縄飾り!?の榧(カヤ)の巨木が三本ばかり立つ。其の一本が”世界に此処だけの珍木裸榧で大正14年(1924)国指定の天然記念物”。その前の地区道と民家の南の田圃に小丘陵部が北端を落とす。   主郭を囲む帯曲輪から土塁囲みの虎口を主郭正面に向かう 此の比高2〜30mの山上最高所に主郭を置く堂山砦が在りました。西に八上城を間近に望み、東200m程には県道12号線が摂津方面... ...続きを見る

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2011/03/07 22:22
沼ヶ谷城 綾部
先のブログ:壹鞍神社(赤坂城) から府道1号(小浜綾部線)を東へ約1km程・十倉中町の集落の宅地・田畑に接する北丘陵続きに沼ヶ谷城が在りました。           空堀・竪土塁虎口 土塁沿いの空堀道は広い第三曲輪に向かう。その三曲輪の入り口に竪土塁に挟まれて上方に向かう空堀がある。竪土塁の一方は屈曲して空堀が其れに沿い上段の第二曲輪に向かう、技巧に富んだ上り土塁虎口の遺構を見せてくれる。一方の竪土塁は第三曲輪北面入口を固める大土塁。曲輪内に通路は無く其々にが独立しているようで、曲輪入り口か... ...続きを見る

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2011/03/01 22:05
嫁取りの松
午後から雪曇りの中を出かけてきたが、冷たく乾いた地面に降り出した雪は、見る間に白くなってゆく!!。何度も行こう・行ってみようと思ってきた光山寺山へは、大沢町中大沢側からは道標完備/棚田に続く細い車道を登りながら、観音堂直下の籠もり堂?まで入っていける。開基や創建は不明ながら七堂伽藍・堂宇が建ち並ぶ巨刹であったと云われます。 ...続きを見る

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2011/02/26 19:08
天狗岩 神戸市
三田市・神戸市境にある大規模スーパーとアウトレット・モールへは時々出かける。二ケ所のエリアを繋ぐ陸橋からはフルーツ・フラワーパークの大観覧車やヨーロッパの城館をイメージした建物が、生憎の雪曇りの中・夢の島の様に霞んで見える。フルーツ・フラワーパーク側からもハイキングコースが整備されていて、今まで何度か行ってみようと思いながら・棚田に続く細い車道・・・砦が在ったとされる光山寺山は公園化された様子なので、あきらめていたが、こんな天気に遊びに行く人もいないだろうと‥連れには・ゆっくり買物に時間をかけて... ...続きを見る

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2011/02/25 21:52
大河ドラマ「江姫」外伝 信包
大河ドラマと呼ばれ・とり分け戦国の中世や江戸〜近世夜明けの明治維新にかけて、傑出した一人物を描く時代劇には、実像に迫る表現や真意を追求されているのでしょうが、やはり視聴率みあいの!!?娯楽性重視で、10数年観ていない。じっくり連続ものを鑑賞する時間が無いのも要因の一つなのですが・・      前期柏原藩藩主の代には実現しなかった居館(陣屋)の本殿 ...続きを見る

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2011/01/20 19:24
祖父祖父堂
今年初めに西倉城(仮称)をブログで紹介した、丹波市青垣・栗栖野の宝林寺境内に祖父祖父堂が建つ。集落内の公民館には首塚が立つ。祖父祖父堂は以前は此処に在ったが、寺境内に移されました。 ...続きを見る

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2011/01/10 12:00
籾井城  篠山市
園部町や亀岡市から京都府境界の天引峠を越えてR372号線(旧山陰街道・京街道・丹波街道・デカンショ街道)で篠山市に入って最初の安口(ハダカス)地区に下りてくる。R372号線に色んな別称を並べましたが、昔も今も京都を結ぶ要衝であったこと・基幹街道に変わりはありませんネ。 北曲輪群から土橋付き空堀・上り土塁虎口を主郭群北端曲輪に入る ...続きを見る

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2010/12/18 18:51
森本城  三田市
JR相野駅から県道309号に入り踏切を渡ると、直ぐ正面の湊川相野学園・女子短大前を抜け、北に城山(穴口山城)を見て、R176号線に合流する”四つ辻”交差点を直進。 ...続きを見る

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2010/12/16 00:05
桑原城  三田市
”クワバラ クワバラ・・・”と唱える雷除けの共通語が 此処:三田市桑原の欣勝寺にも”寺宝:大蛇の頭”と共に伝説・伝承が残されています。欣勝寺の東・感神社背後から北方へ比高40m程の低丘陵が続く。遠目にも高低さを感じない台形の山容の中に桑原城(大浪山城)が在りました。   中郭東側の仕切り土塁と空堀(主郭側から) ...続きを見る

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2010/12/15 00:12
王地山公園の紅葉U 篠山市
王地山公園の紅葉を一度には紹介仕切れずに、先のブログでは Tとして「王地山公園 ささやま荘」側を紹介しました。 ...続きを見る

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2010/12/10 19:12
栗住野城 丹波市
丹波市氷上町と青垣町を境する丘陵尾根先付近に沼城があり、其の尾根先端が落ち込む所を県道7号が通る。北近畿豊岡自動車道(R483)が沼トンネルで北に抜け出た付近。田園地帯と西芦田に、丹波市では数少ない平城の栗住野城が在りました。 ...続きを見る

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2010/12/03 07:30
隠れ紅葉の名所 [  慧日寺
丹波の紅葉三山で知られ、京を逃れた足利尊氏・義詮親子と所縁の石龕寺、丹波地方に唯一残る追儺式「鬼こそ」で知られる常勝寺、そして此処慧日寺は足利幕府第3代将軍義満の管領:細川頼之と其の子頼元の創建による臨済宗妙心寺派の中本山です。 ...続きを見る

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2010/11/25 00:03
隠れ紅葉の名所Z 小新屋観音 
丹波の霧海の展望スポットとして、毎年の様に登ってみる「ふるさと兵庫」の播磨・丹波境の里山に石金山がある。南には加古川流域沿いに南下する東播磨の山々と、北には旧:佐治川(現:加古川)を深い霧海の底に隠した氷上盆地の山々の姿は、以前:丹波の霧海「石金山」のブログに紹介しています。 ...続きを見る

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2010/11/24 07:35
足利尊氏伝説
亀岡市方面からの京都縦貫自動車道は京丹波町須知で一旦途切れ、R27号線経由で和知から宮津方面に向かう。途中:舞鶴若狭自動車道と交錯する綾部JCTから近い、京都縦貫道側の綾部安国寺ICから・其の出入口となるR27号側に足利尊氏立像と顕彰記念碑が建つ。 ...続きを見る

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2010/10/25 22:03
八百比丘尼伝説
海中の蓬莱国(竜宮)から土産に貰ってかえった 「人魚の肉」を食べた娘は、幾歳になっても若々しさと美貌気品が漂っていたという。不老不死の身体になった娘は120歳の時:剃髪して(比丘尼姿 )となって諸国巡遊の旅に出掛け、此処に50年・彼方に100年と止住して神祠仏閣を建立修造し、道路を開き橋を架け、時には五穀豊穣・樹木繁茂の技術を教え、人々に神仏への信仰と、正しい人倫道徳を説き導きましたので、 いたる所で敬慕尊崇を受けられた。第102代:後花園天皇の宝徳元年(1449)7月・京都清水の定水庵で、姫は... ...続きを見る

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2010/10/09 08:44
小浜城内:酒井家遺構と伝説
小浜城内は酒井忠勝を祀る小浜神社の境内にあり、小浜藩酒井家は14代?続くが、元来:築城主の京極氏や、酒井家2代目以降の人物像を語る足跡を見つける事は、2代目忠直の空印寺山門と、小浜藩校順造館の9代藩主忠貫の他に小浜市内でも数少ない様??で、殆ど初代忠勝の伝承で埋まる。 ...続きを見る

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2010/10/07 07:33
小浜城の伝説
若狭小浜城の歴史は後瀬山城から、小浜湾の河口近くにできた中州地形の海路・陸路の要衝となる地 ”雲の浜”に小浜城を新たに築き、後瀬山城が廃された事に始まるが、地盤の弱い砂地の築城は・基礎の難工事を考えて見ただけでも、領民等の過酷な強制使役に刈り出され・租税にと苦しむ姿は目に見える様です。工事はすすめられ・若狭唯一の近世城郭となる小浜に城下の”町割り”を行なったのは京極氏。   小浜城本丸南西隅の蜘蛛手櫓側に祀られる「組屋地蔵尊」 ...続きを見る

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2010/10/06 00:14
人の駅「世阿弥」
小浜市内の歴史スポットの案内説明板には、ほぼ其々に関連人物が”人の駅”としてクローズアップされており、次の駅⇒xxx(対象の人物と所在地の町名!?)が記されている。駅の案内表示板として、”次の駅”は直ぐ近くに有るのでしょうが、初めて来て・地理不案内では判らない。観光案内所等にはスタンプラリーの様なパンフレットが用意されているのかも知れませんネ? 今日の目的地に一つ・土産と食事にと、若狭フイッシャーマンズ・ワーフ(蘇洞門めぐり遊覧船も此処から周航している)に向う途中に台場浜公園が有り、若狭おばま... ...続きを見る

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2010/10/05 00:47
杉田玄白顕彰碑 小浜市
高速自動車道の無料実験開始から半年・やっと舞鶴若狭自動車道を走ってみた。行きたい処は山々(城々か?:最近は山城廻りが殆ど・・・)ですが、今日は奥方のサービスに徹するつもり・・? 後瀬山トンネルを抜け出れば・其処は小浜城の全身:後瀬山城の登城口。遊歩道整備されている愛宕社の先・畝状竪堀群も確認したいので今回は残念。小浜市役所前に「杉田玄白記念公立小浜病院」が在り、正面玄関前に医服姿の玄白像が立つ。 ...続きを見る

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2010/10/03 21:41
荒田神社 多可
播磨赤松氏家一族の在田(有田)氏は赤松範資の子:朝範が滝野・光明寺合戦に、戦功があって足利尊氏から東播磨地方を領有、多可郡在田荘に移り有田(在田)姓を名乗ります。在田氏は貝野城・段ノ城の他、弟が分家して野間城【多可郡八千代区 野間山城や光竜寺山城等)】を築いていますが、天正3年荒田城合戦に同族赤松家の別所重棟等の連合軍の夜襲による奇襲うぃ受け、二日余りの戦いに在田氏の城は次々落城します。貝野城と段ノ城中ほどの山麓:安楽田に在田氏居館の段垣内構居(荒田構居)が在って、居館や瑞光寺が焼討ちされます。... ...続きを見る

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2010/09/23 00:41
おおかみ橋
日本一低い中央分水界(瀬戸内海へ注ぐ加古川と、日本海へ流れ出る由良川の水が分かれる)のある「水分れ」ですが、高谷川に架かる「水分れ橋」が”身別れ”に通じ、 昔から婚礼の行列は此の「水分れ橋」を渡ることを避け、直ぐ上流3〜40m程に架かる狼橋へと迂回したそうです。 先のブログで紹介の「藤ノ木橋」では、若者が大蛇の化身であることが判り、神のお告げにより願を掛けて、離縁出来た縁切り橋・・・ ...続きを見る

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2010/09/07 20:30
藤ノ木橋物語 丹波市
丹波市柏原町からのR176号線は柏原北交差点で二分し、南多田バイパスを稲継に出てR175号と合流して春日町に向うルートと、柏原北交差点を直進して福知山線沿いに山裾を走るルートがある。JR福知山線沿いのR176号は石生(いそう)駅南で高谷川に架かる小さな橋を渡りますが、気付かれる人は少ないかも?。「水分れ」の標識やモニュメントも有るのですが!!、日本一低い谷中分水界が此処に有ります。高谷川沿いに水分れ橋・おおかみ橋・藤ノ木橋があります。三つの橋の風習・伝承は次回に纏め・水分れ公園駐車場前の藤ノ木橋... ...続きを見る

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2010/09/06 23:15
有岡御領城
有岡町の八田川を挟んで北方に在る若宮城は畦状竪堀・大土塁・曲輪を囲む低土塁を、南方の仏南寺城には単郭の四方を空掘が囲う。いずれも城主等の城史は不明ですが、縄張り・城遺構ともに見所はある。この二つの城の中程・八田川側に御領城(有岡城)が在り、此処には杉山和泉守政国が居たと云う。 ...続きを見る

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2010/08/11 23:26
玉巻城 丹波市
玉巻城(久下城)は治承4年(1180)源頼朝が平氏打倒の兵を挙げた際、久下次郎重光(熊谷直実の兄)が真っ先に頼朝の陣営に馳せ参じたので、その忠誠を賞賛し「一番」旗と家紋を賜って後に、栗作郷(丹波市山南町久下・上久下地区)の地頭職・ 美作国印庄や伊豆国玉川庄の領家職に任ぜられ、承久の乱後に、重光の孫久下中務丞直高が承久3年(1221)新補地頭として武蔵国大里郡久下保(埼玉県熊谷市)より一族挙げて此処栗作郷(後:久下庄)の玉巻に移住します。 ...続きを見る

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2010/08/07 21:30
志賀の里”七不思議”
綾部市志賀郷に北野城を訪ねた際・登城口の諏訪神社に「御用柿」の案内板を見た。今回:松原城訪城の際にも、僅か300m隔てた西の丘稜端に「志津久松」の案内標柱を見る。志賀の里:七不思議の一「しずく松・ゆるぎ松」もまた志賀郷に遺される麻呂子親王【第31代:用明天皇の子で、厩戸皇子(聖徳太子)とは異母弟にあたる】の大江山鬼退治伝説に関連する伝説で興味深い。 ...続きを見る

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2010/07/23 20:50
和久城
和久城は福知山市街地に在って其の丘陵東裾は、JRとKTR宮福線の”厚中問屋”のホーム正面に、崖状の急斜面が迫る。南から西の丘稜裾をR9号(山陰道)が抜ける。東西・南北に約400m・標高Ca80m程の独立小丘稜の周囲は、鉄道沿い東に厚中町・問屋町の商用地区・幹線道路・山麓は住宅地や学校、山頂にはホテルが建ち山上へ通じる車道の途中には保育所、私設の公園も有った。 ...続きを見る

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2010/07/21 21:55
横岡城 福知
福知山市民病院の東側を流れる荒川?沿いに北へ向い、和久川に接する辺り、由良川へは東に500m程・車道は新音無瀬橋の西詰めで、東側へ渡ったところで、大江町・舞鶴方面や猪崎城下を綾部方面に向う府道55号(舞鶴福知山線)に合流する。新音無瀬橋西詰め交差点を北へ向うと直ぐ、和久川に架かる荒河橋を渡り由良川左岸沿いに大江町に向うR175号線に通じる宮津街道。R175号から与謝峠を越えて加悦・野田川町・峰山町へ向うR176号も此処を通る。 ...続きを見る

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2010/07/19 22:26
日室ヶ嶽
久しぶり何年ぶりかで縦走登山(結果的に)の山城探訪となった。ついでに山塊の最高所にある三角点峰を目指すことはあるが、今回:目指す城山は宗教的意味合いの城山(ジョウヤマ)なのか?城砦跡など無かった。此の城山が中世城郭なら東西に出曲輪か砦が・・・と思っての尾根縦走は、結果:最終の尾根東端小ピークに砦跡を発見。遺跡情報地図には此処に古墳が発見されており其の名称が城山古墳群!!。広い周辺地域一帯に城砦遺構の発見等は報告されていない・・!!。【次回のブログに紹介の予定です・・・】 大江町内宮に城山(3... ...続きを見る

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2010/07/08 07:54
元伊勢 V
”星にねがい”を・・ 七夕の夜は 神話が 似合いそうですネ・・・!!       しかも日本の神様の根源に・・・ 元伊勢内宮(皇大神社)から宮川【元伊勢内宮〜外宮前を由良川に流れる出る宮川は五十鈴川とも呼ばれますが、内宮(皇大神社)付近から上流のダム付近まで約1km程は、急峻な谷間を崖状の峡谷を形成して(二瀬川渓流・岩戸渓谷と呼ばれます】)の峡谷へ向う参詣道の途中には、深い渓谷の底から聞こえてくる川瀬の水音・対岸には遮るものなく聳え立つ、皇祖の神霊降臨の聖地の尖峰を望む広場がある。   ... ...続きを見る

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2010/07/07 17:33
元伊勢宮 T
福知山市大江町は大江山の鬼伝説が有名な「鬼の里」として知られますが、その山麓の府道9号線【宮津街道】に&gt;元伊勢と呼ばれる三社【内宮(皇大神社)・外宮(豊受大神宮)・天岩戸神社】が祀られ、内宮と外宮が伊勢神宮(三重県)の元になった神社と云い、 大江町内には内宮・外宮の地名・宮川(その直ぐ下流の外宮付近は五十鈴川)・宇治橋・真名井ノ池や猿田彦神社等々の伊勢神宮に関連する名称も数多く存在します。         参道中央に麻呂子親王手植え杉と右端には磐に染み出す真名井の水 ...続きを見る

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2010/07/05 21:28
小野小町
北丹波R9号線でも見かけた百人一首の読み札の看板。”生野の里”は「大江山 いく野の道の遠ければ・・」小式部内侍の歌で知られ、其の母であり、恋に生きた情熱家?和泉式部の伝説・伝承地も多いところ。大江山の麓? 元伊勢内宮皇大神社にも和泉式部の歌塚(宝筐印塔)がある。福知山市”小野脇の里”にも絵札の 看板を見る。此方は情熱家というより烈女?、女流歌人で六歌仙の一人・絶世の美人と謳われた小野小町の伝説がのこされています。 ...続きを見る

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2010/06/19 12:54
泉山城 丹波市
高見城から北末端の穂壷城に至る丘陵上に点在する高見城砦群のなかで、穂壷城・妙見砦・泉山城(砦)・谷屋砦(鴨野城)は「丹波志」等に城砦名だけは出てくる。其の中でも泉山城だけは、南北朝期初期の建武年間(1334〜38)高見城(佐野城)は丹波守護・仁木頼章の城として頼章の家臣が拠り、泉山城(泉山砦)には頼章の弟・仁木四郎源(和泉守)義長が一時期在城していたとも 伝えられます。 ...続きを見る

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2010/02/27 08:34
負嫌稲荷!!伝説と幻影
大阪城攻めの重要拠点を主目的に、天下普請で築かれた篠山城ですが、築城に当たって其の候補の一つとなった王地山公園には、温泉施設の「まけきらいの湯」や稲荷社が建つ。本殿の伏見稲荷社と正対する西向かいに小さな「王地山平左衛門稲荷社」が祀られる。 「負け嫌い稲荷」伝説では大関。篠山城のもう一つの候補地・飛の山には小結の飛の山三四郎がいて、いくつかは過去のブログでも紹介しています。 ...続きを見る

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2010/02/19 21:29
貫主山城 神戸
三田市郊外と神戸市北区境の大規模スーパー+アウトレット・ストアへ新春の買い物に出掛けたついで・昨年末にも立寄った西浦城近くの近世居館跡(詳細一切不明・名称も北区No120近世居館)の所在を再度探して出かけてみた。藩政時代の陣屋・代官所跡とも思われますが、遺構や立地所在の詳細を知らない。           主郭の西尾根側に続く4〜5段の曲輪 ...続きを見る

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2010/01/25 13:33
平氏政権下で大成した源氏武将
「大江山の鬼退治」源頼光を祖とする摂津源氏で、その五代目・源仲政の長男として生まれた源頼政は鵺(ぬえ)退治の伝説で知られる武人であり、「新古今和歌集」 の撰にも入れられ歌人としても知られます。 ...続きを見る

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2010/01/13 10:21
鎌谷城 京丹波
明智光秀が氷上郡(丹波市)黒井城を攻めていた天正4年(1576)1月:明智方として参戦していた多紀郡(篠山市)八上城波多野氏の違背により総退却。織田信長の「天下布武」の侵攻に敗戦の諸将・次々と落とされていく諸城にあって「赤井の呼び込み戦法(軍法か?)」は単に物語としても痛快に思えます。 ...続きを見る

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2010/01/05 11:19
光秀「丹波攻略」伝承の兜山
兜・甲・冑・鎧・・・・武具の名称が付いた山名は、山城としても関連が有りそうで・気になるところです。まして名の有る名将・武将に因む伝承が残ればなおの事・・・・・もう10数年以前・瑞穂町の観光パンフレットに兜山(429m)について、山頂には明智光秀が”丹波攻略”の際、此処で兜を置いて策を練った伝えられる石があると云う・・・・そんな記事があったと記憶している!!?。播磨高御位山を縦走した際に有った”太閤岩” が天正期に秀吉が志方の城山(中道子山城)攻めに、此の岩に腰掛て采配を振るったと伝えられ山崎・天... ...続きを見る

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2009/12/26 08:05
三俣城 福知山
先のブログ生野神社が背にしている丘陵上の三俣城については、郷土誌史等に記述は無いが、福知山市遺跡情報の分布図に郭・土塁・空掘遺構が残る城砦として記されていた。過去の遺跡分布図等に記載の無い遺構を、教育委員会に個人的に報告しても其の後:問合せ・調査・詳細確認等・・・取り合って貰えない事例が多いので、此れは信頼できるもの?と思えた。 ...続きを見る

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2009/12/14 17:42
踊る神の演舞場? 生野神社
福知山市三俣・上六人部小学校東北裏手に、延喜式内社生野神社が鎮座する。小式部内侍・・・「大江山いく野の道の遠ければ・・・」の生野庄(三俣・池田・堀越・上野・生野・坂室・正後寺・萩原)八ヶ村の氏神で、祭神に天鈿女命(あめのうまずめのみこと)を祀る。 ...続きを見る

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2009/12/13 19:00
上安場城
先のブログで紹介した萩原城と、土師川を挟んだ北対岸の丘陵先端部に上安場城が在りました。 萩原地区から上安場城へは萩原橋を渡った南詰めから土師川沿いの山腹を上安場集落へ通じる山道を徒歩で辿れるのですが、R9号線・堀越の上六人部小学校側から土師川沿いに車道行き止まりの上安場集落に向うことにします。                 上安場城の空掘 ...続きを見る

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2009/12/12 19:55
小見山城  京都:三和町
三和町史・天田郡誌等志史に「辻野左衛門屋敷」・細見辻城ともされ京都府三和町(天田郡から福知山市に編入された)内で唯一合戦のあった城として伝承されています。先のダマ城や殿屋敷城等でのレポートと内容が競合するので詳細はHP(三和町の城U 西の古城〜ニシンジョ城・細見辻三城・・)をごらんください。福知山市の遺跡分布図に記される小見山城とします。此の名も小見山の尾根上に削平段が残るようで城跡との判断では此処も居館と、合戦場となった?山城セットで、辻野氏居館となるかも知れません。            ... ...続きを見る

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2009/12/09 19:03
枯木浦伝説
潮路通りの「浜のしおじプラザ」公園に、浮き桟橋の上で引揚船を待つ「岩壁の母と子」の写真を添えて五条桟橋の説明板の他、枯木浦伝説を紹介する地図入り説明板が立ててある。           左:笠松山(愛宕山)・右:高屋城と右端付近に淵島が在ったか? ...続きを見る

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2009/11/28 17:34
光明寺合戦の舞台 滝野城
中国自動車道・滝野社インタからR175号線を北上し、闘龍灘の標識を見て左折。正面に五峰山が迫り、加古川に架かる橋を渡る左手には、川の流れが見えない程に川幅一杯に岩棚を敷き詰めた様な奇岩怪石の河原を望みます。加古川の奇勝・闘龍灘で「日本で一番早い鮎の解禁」でも知られるところですが、加古川を利用した舟運では一番の難所でした。此処は以前に紹介済・・・。 ...続きを見る

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2009/10/04 21:27
佐織城  舞鶴市
佐織池・佐織谷・・・・「安寿と厨子王」の民話は一地域に留まらず東北・信越から丹後へ、安寿姫は此処:丹後の「かつえ坂」で終焉を迎えますが、厨子王は都(京都)へ、そして丹後へ・・・単なる民話・伝承の域を脱したロマンとスペクタクル・・・          横堀や竪堀は無いが高い切岸で防備する・・・佐織城 ...続きを見る

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2009/09/30 09:01
中山城  舞鶴市
建部山(舞鶴富士・丹後富士)から北山麓に下ると、搦め手口の下東地区に佐織池が有る。山椒太夫の伝説で知られる安寿と厨子王丸・姉の安寿姫が逃れてきたが、此の池に入水したとも・「かつえ坂」に斃れたともされ、安寿姫塚として池端に祀られています。由良川沿いに宮津街道が此の「かつえ坂」を通り、KTRが道沿いに並走する。車では坂とも思えない緩斜面の幅狭い車道は峠?でR178号を繋ぐ八雲橋と合う。車道に迫り出す崖状の低丘陵上に中山城が在りました。 ...続きを見る

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2009/09/29 11:11
丹後七姫(安寿姫) U:安寿姫塚
舞鶴西港に当地物産販売兼道の駅「舞鶴港とれとれセンター」があり、直ぐ西に眺める山容の富士型の山が建部山です。丹後富士・田辺富士、最も相応しいネーミングが点名の舞鶴富士なのですが、地元でも此の呼び名が少ないのは、日本の富士山の名前で少しでも近付こうと、丹後富士の名に拘っている様に思えます・・ もっとも丹波富士を別名とする京都・兵庫両丹波の山も結構多いものですふるさと富士(関西編)。 ...続きを見る

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2009/09/20 07:24
丹後七姫(安寿姫)T:山椒太夫
全国に点在するご当地富士・ふるさと富士は多く、夫々に趣をもって地元の人々にも親しく眺められます。かつては軍港都市・舞鶴港から眺めた建部山も丹後富士です。周辺の弥仙山(丹波富士)・青葉山(若狭富士)・由良ヶ岳(丹後富士)へは過去に登頂澄みですが、此処:建部山だけが残っていました。建部の山頂には平安時代に寺が在ったと・・・また同時代を舞台に由良川沿いに展開した民話・伝承とはいえ、安寿と厨子王の伝承地が点在し、山頂に舞鶴要塞が築かれる前!!?:安寿姫を祀る塚が有ったようです。 ...続きを見る

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2009/09/19 10:57
池下城(高壷城)  舞鶴市
福知山市から大江町へと由良川沿いに幾つかの山城を先に訪ね、今回は綾部市側からR27号を越えた市境(・・と云うより丹波と丹後を分ける国境)尾根を越えてWebに訪城レポートのない舞鶴の山城を訪ねてみた。 弥仙山は丹波富士とも呼び親しまれるピラミダルな山容と、回峰修験の山で、君尾山光明寺へは「改心の道」登山コースが整備されると聞いていた随分以前の、根本道場ともいえそうな?施福寺から蓮ヶ峰を縦走して弥仙山へ向った事があつた。まだ7年ほど前のことで・・弥仙山北方の三角点峰を踏んで周回する心算で、下降尾根... ...続きを見る

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2009/09/12 20:01
志高城 舞鶴市
福知山市大江町から由良川沿いに下り、国道R175号線(宮津街道)を東に走り、先日訪れた有路を過ぎると、程なく市境を越えて舞鶴市に入る。岡田下志高も大江町有路と同様、渡し舟による交通の要衝。由良川を挟んで右岸・左岸に要衝監視の山城がありました。 由良川の増水による氾濫の歴史も同様ですが、平成16年(2004)10月の台風でのよる事故が、未だ記憶に新しいところです。川の増水により国道を夜間に走っていた観光バスが立ち往生し、 取り残された乗客等がバスの屋根に避難して恐怖・寒さと戦いながら翌朝まで、約... ...続きを見る

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2009/09/07 23:33
千原城 福知山
北丹鉄道の終点「河守」駅が、北近畿タンゴ鉄道として宮津まで通じ「おおえ」と名を変えても大江町の中心地。鬼の棲む大江山への入口。駅舎を出ると「鬼の里」に来た事を実感出来る鬼瓦公園がある。鬼退治伝説で退治される鬼が「むかしばなし」に語られる悪の権化では無い事は、既に大江山の三つの鬼伝説が伝えます。 ...続きを見る

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2009/09/02 07:53
大江山鬼瓦公園
先だって金屋城を紹介していますが、大江町の中心地:でもある河守(現在は大江町)は「鬼の里」。その玄関口となる北丹後鉄道「おおえ」の駅舎を出た途端・目の前に、数多くの鬼が出迎えます。鬼退治伝説で全国的に知られる大江山で、平成21年9月12〜13日に開催される「自然公園ふれあい全国大会【鬼伝説が息づく里山〜鬼伝説探索と大江山連峰縦走】」の関連イベントとして、市では明日(8月29日)ふれあいハイキングが実施されます。 ...続きを見る

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2009/08/28 19:29
鬼の郷
戦国時代:勇猛果敢で山岳戦に長けた、兵庫丹波の部将・兵士達を丹波鬼と怖れられていました。なかでも丹波市(旧氷上郡)には丹波の赤鬼黒井城主赤井悪右衛門直正が、篠山市(旧多紀郡)には八上城主:波多野氏家臣に細工所城主荒木氏綱が荒木鬼・籾井城主籾井教業は丹波の青鬼と呼ばれます。 ●鬼と云えば・多くの人が想い浮かべるのが「・・・むかし 丹波の大江山・・・・」で知られる鬼退治伝説は、丹波竹田の清薗寺にも有って「・・風を起こし激しく雨を降らせたり、妙術変幻自在の力極まりない!」大江山の鬼を・用命天皇の第三... ...続きを見る

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2009/07/27 12:50
引地城 福知山市
蛇行する由良川の舟運は、中流域の有路から福知山まで船荷の船継(荷物の積込・荷下ろし)を許可された場所は他には無く、河口の由良と神崎及び此処:有路の三箇所だけが独占的に行なってきました。 有路地区:由良川左岸の堂本(北有路城が在る)で少し流れを変え、大雲橋東の右岸で大きく折れて北に向きを変えます。府道55号線から矢津集落に入る分岐入口の車道尾挟んで、此処に南有路城と引地城が、約400m程の距離で隣設立地して、眼下の河川沿い舟運と水陸両要衝を監視した城砦です、          ... ...続きを見る

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2009/07/23 20:24
二箇村城 福知山
阿良須城で大雲橋の「蛾の合戦」伝説を紹介していますが、物語の内容は由良川を挟んでの北有路・南有路の水利・領地争いも有ったようですが、享保16年(1731)冬より続く天候不順は翌17年夏:近畿から九州の西日本各地にかけての長雨(約60日)が続く冷夏・此れによるイナゴやウンカ等蝗虫の大発生による凶作に見舞われ、餓死者は1万2000人余に達したという享保の飢饉に関連、翌;享保18年には田辺藩領加佐郡内の農民2,000人余が、藩に年貢の減免や旱魃被害により拝借米・銀を要求して田辺藩主へ強訴する赤松義民百... ...続きを見る

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2009/07/22 06:17
阿良須城 福知山
福知山市大江町の中心地・河守で元伊勢神宮・大江山への府道9号を左に見送り、北近畿タンゴ鉄道の高架を潜るR175号は大江町金屋で直ぐ金屋城の南山裾・金屋トンネルを抜けるバイパスと、トンネル手前で右折し大江高等学校前を通って、小峠を上野集落に降りて来る旧道?に分かれます。此の二つの車道が合流する地点の西約100m程には、大江町唯一の式内社阿良須神社が鎮座します。 ...続きを見る

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2009/07/21 07:40
丹波市で一番早い花火大会
篠山市から川代峡谷(古くより川代渓谷と呼び親しんできたが、地形からはやはり峡谷・・!!)を抜け出たところが、丹波竜発見・発掘現場ですが、篠山川は更に西へ延び、旧佐治川と合流して加古川となる地点が丹波市山南町井原です。簡易デジカメの手持ち撮影なので、見栄えのする画像や表現手法は望めませんが、せめて地元のPRを!!? ...続きを見る

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2009/07/18 23:55
大原邸 三田市
北神戸からの帰り、昼には遅く夕食には未だ早い・・・中途半端な時間帯だったが、あるチエーン店に立寄ってみた。いつもの気さくな店かと思ったら 長塀に囲まれた豪壮なお屋敷で、重厚な玄関先に案内板が立つ。説明からは鎌倉時代の文永年中(1264-75)此地を領有して、紀伊国から来住した大原上野守宗隆が、この大原氏屋敷の先祖という。 ...続きを見る

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2009/07/12 20:01
北野城(志賀城)   綾部市
綾部市物部町から府道を東北方に走ると、志賀郷町に入る。志賀小学校の先で前方に小丘陵が見える。フエンスに”運動ひろば”の看板と石鳥居が見える。諏訪大明神の参道が其処から始まり、真直ぐ続く参道の奥に諏訪神社の小祠が建つ。 ...続きを見る

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2009/02/21 23:24
小西城〜空山 綾部市
何年か前:空山へ登るのに綾部市鍛治屋町から向った事が有る。民話「ポイの餅」石碑が立てられていた。ホラ話や頓智話の原型になりそうな素朴なお話です。        茶畑の奥に小西城(中央)と右手奥に空山を望む ...続きを見る

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2009/02/16 20:42
美宇和王と大日堂
三田市の「小野の里」を抜けて「乙原の里」に乙原城・増田館・乙原砦を訪ねました。 ...続きを見る

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2008/11/09 19:41
乙原城 三田市
三田市街地から県道49号線に沿って北上する。有馬富士を左手に見て、千丈寺湖への分岐を過ぎると尼寺、西国札所の花山院参道口を通る。此処から黒川沿いの南北に細長い盆地が延びて、花の寺で知られる永沢寺(ようたくじ)に向う。 ...続きを見る

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2008/11/04 07:27
乙原砦 三田市
三田の民話に「後光が射した万体山」という お話が載っています。三田市域のほぼ中央部に位置して、一等三角点の千丈寺山(此の山も天狗伝説の山です)山塊の東裾を北上する県道49号線をとって有馬富士を左に見て、千丈寺湖の東を小野地区・乙原地区を抜けて、花の寺で有名な永沢寺に向かいます。 ...続きを見る

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2008/11/01 21:55
八日山古墳の箱式石棺 西脇市
西脇市民病院から北に延びる参道を進むと八幡神社に辿り着く。「応神天皇」をご祭神として祀られる八幡神社ですが、この神社は市指定民俗無形文化財の「お笑い神事」で知られ、昨年のTVでも北播磨地方の奇祭として放映されていました。 ...続きを見る

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2008/10/22 12:44
負け嫌い稲荷「高城市松稲荷神社」
丹波篠山藩主第12代:青山下野守忠裕(篠山藩青山家4代目)が、幕府の老中にあった文政年間(1818-30)、毎年春と秋に江戸両国の回向院広場で催される御上覧(将軍:徳川家斉)相撲に、ある年の春場所・篠山から頭取高城市松が、力士八名を連れて現われ全員勝ち続け、負け嫌いの忠裕は面目を施しておおいに喜び、褒美をとらせようとされましたが、何処にも見当たりません。 ...続きを見る

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2008/10/20 22:45
六反城 綾部市
綾部市の民話に「ポイの餅」という話があります。もう5年ほど前、山城に興味を持ち始めた頃で、空山への登山に綾部市の鍛冶屋町に向う途中に六反城が在る事を知り寄ろうとしたことがありました。独立丘陵なので直ぐわかるだろうと思っていたが勧進の城の位置がよく判らず、取り付き点さえ見つけられずにそのまま進んで、鍛治屋町のバス停まで来て、この話を紹介している案内板を見た。 ...続きを見る

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2008/09/29 07:22
高槻城(テデカ城)
足利尊氏の出生地として、いくつかの伝承候補地が有るようですが、綾部市の上杉荘(安国寺町)が尊氏の母の実家上杉氏の発祥地で、此処:丹波綾部の安国寺は尊氏が、南北朝期の騒乱に殉じた人々の麗を慰める為に全国に建立した安国寺の総本山的?安国寺が在って、尊氏と其の母・妻の墓が祀られ、出世地の第一有力候補の様地となっているようです・・・・?。 ...続きを見る

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2008/09/28 07:49
黒豆畑の中の村上周防守供養碑
今朝(9月21日)は早朝(AM5:00〜7:30)から、単純ながらダイナミックな天空ロング・スペクタクルで目覚めます。近年稀な体感ドラマが続きましたが、皆さんのところは・・・・どうでしたか?? 戦国の信濃・越後の武田氏・上杉氏の戦いに、上杉方として勇戦した武将:村上義清の子・村上周防守頼勝は丹羽長秀の家臣として加賀小松城主。 ...続きを見る

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2008/09/21 10:54
大賣神社の狛犬
篠山鳳鳴高校の背山に、幾つかの丸いピークを段々に連ねる笛吹山の低い山なみが望めます。義経伝説に関わる笛吹山の丘陵西末端部・山裾には、延喜式内社で多紀郡(現:篠山市)の九座七社の一つ大賣神社が鎮座しており、 ”大日めの貴(おおひるめのむち)”=天照大神に仕えた、大宮売命(おおみやのめのみこと)を主祭神とされます。 城北交差点(篠山鳳鳴高校前)を北に入って500m程で、車道は大賣神社鳥居前を通るので立ち寄ってみます。神社の左奥にある小社が元の拝殿で、多紀アルプスの主峰・三嶽に在った修験道場「鳥の堂... ...続きを見る

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2008/09/20 22:46
「元祖忠臣蔵」の舞台  河合屋敷
R175号の西方:滝野の闘龍灘から播磨中央公園・青野が原の自衛隊演習場を過ぎると低丘陵の一角に、模擬の展望櫓台が目立つ金鑵山城を望みながら、県道23号線「粟生西」交差点を左折。 ...続きを見る

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2008/08/04 22:09
大内城 福知山市
先月・福知山市内からの帰りに、久しぶりに長田野(おさだのを越え、多保市(とおのいち)へとR9号を六人部(むとべ)経由で通った際、オープンしたばかりの大型スーパ?の寄った。 今日は其処にも一度寄って見たいと言う細君の要望で、丹波市側から市島市の友政(とんまさ)城を右に見て、下竹田を抜けて六人部の土師(はぜ)川を渡ればR9号(山陰道)と合流する。丹波市と福知山し境の石原に大野唯四郎の史跡めぐりは先に紹介しています。福知山市側に入って直ぐにある田野城も昨年10月に紹介しました。 ...続きを見る

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2008/07/14 23:08
銚子ヶ水(一休さんの水) 丹波市
連日猛暑が続き  夏日と梅雨。。。の言葉がここのところ聞かれません。いつのまにか梅雨明けしてしまった感じです。こうなると水が恋しくなるものですが、カナヅチなのでプールとか水泳の言葉はでてきませんが 水⇒自然水⇒飲料水⇒名水・・・・ ...続きを見る

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2008/07/07 09:01
丹波与作 篠山
篠山を代表する・・・というより盆踊り唄として、全国的に知られるデカンショ節は二つ有るといいます。一つは民謡として流行のデカンショ節(篠山節)であり、もう一つが・篠山藩士」後藤又次の子孫が作ったとされる後藤節(篠山節)で、「♪丹波与作は馬追いなれど、 今じゃお江戸で二本差し・・・♪」馬追いの丹波与作が文武両道に秀でて、江戸で武士になった出世物語を主題とした歌です。 ...続きを見る

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2008/07/05 22:46
頼尊又四郎稲荷 篠山市
篠山藩主12代:青山忠裕が江戸両国での将軍上覧相撲で、他藩に比べて、田舎の草相撲力士では歯もたたず、成績悪く、いつもは真っ先に負け続け不機嫌だった藩主も、此の年:文政3年(1820)の場所は違っていた。全員勝続けて負け嫌いの藩主は上機嫌だった・・・・・「丹波篠山の負け嫌い稲荷」の伝承です。 ...続きを見る

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2008/07/04 23:51
承明門院の供養塔と女人窟  篠山市
大和の大峰修験道の衰微していくに比し、丹波修験道は多紀アルプス御嶽を中心に丹波各所に隆盛を誇り、脅威を感じた大和大峰修験の僧徒による攻撃を受けて破れ滅んだという「丹波志」。この御嶽への登山口となる火打岩は、毎年:多紀アルプス登山開きの開場となり、登山者を迎えます。 ...続きを見る

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2008/07/03 23:10
沢田城と三蔵法師
県道140号の篠山市役所・ハローワーク・警察署前を通り「郡家交差点」を左折して、新宮古墳前を抜けて文化センタや篠山藩下屋敷の在った兵庫医大前を抜けて丹波の祇園さん「春日神社」の在る黒岡から東へ向うとすぐ田園が拡がる沢田地区。 ...続きを見る

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2008/07/01 18:12
田井縄古墳 丹波
以前に高座神社に寄った。この神社の別名「蟻の宮」の伝承に残る、東芦田から田井縄にかけて拡がる田園地帯には田井縄の名からも、田井【川の水を堰き止めたり、貯水池からの水を引き込んで、農業用水とするため】縄を張って疎水の土木工事を進め指導したと思われる阿利氏の伝説が重なります。 ...続きを見る

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2008/06/30 07:09
永澤寺と永沢寺花しょうぶ園 三田市
美濃坂峠を越え摂丹(摂津・丹波)境界の三国公園:三国ヶ岳登山口「ふきのとう休憩所」から、母子茶の茶畑を眺めながら三田市街地への県道49号線を走ると、柴田ファーム(アウトドアレジャー施設)への分岐を右に見送って、長閑な山間の小峠を抜け出ると、永沢寺(地名:えいたくじ)の永澤寺(ようたくじ)の三つの山門前を見て、車と人々で賑わい「そば道場」の看板が目立ち、数多くの幡が目につく「永沢寺花しょうぶ園」の着く。 ...続きを見る

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2008/06/26 20:31
難波金兵衛の狛犬
丹波市でも隠れた名所 弘浪山:高山寺と丹波の正倉院:達身寺と道を分ける氷上町常楽交差点からすぐ、県道109号線の高山寺分岐の一つ東側 住宅地の奥(突き当り)に大崎神社があった。ごく普通の地区内住民の産土神社の様で、とりたてて目に付くものも無さそうです。 ...続きを見る

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2008/06/18 22:11
青鬼の城=籾井城
中世兵庫丹波では、勇猛果敢な将兵を丹波鬼と恐れられていました。なかでも旧氷上郡(丹波市)黒井城主の赤井(荻野)直正を赤鬼と呼ばれていたことは知られています。幻の氷上城(霧山城)にはこれまた実在を疑問視される西波多野の波多野宗高も丹波鬼と呼ばれていたようです?。旧多紀郡(篠山市)にも武勇・知将の細工所城主:荒木氏綱は荒木鬼、籾井城(安田城)主の籾井教業(のりなり)は青鬼の異名で知られます。 ...続きを見る

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2008/06/17 21:01
センダンは双葉より・・蟠龍庵にて
昨年の今頃「ナンジャモンジャの木」を紹介していますが、今年は昨年以上に綺麗に見られたようです。その花に良く似た花を見かけて近かよってみます。 ...続きを見る

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2008/06/06 23:51
高座神社の狛犬  丹波市青垣町
神社の本殿前に対で守護獣神の狛犬が建つ。あたりまえの!!?・・・風景ですが しかしオヤ・・・・ 不図立ち止まり 其の特異な・・異様ともユーモラスとも・・・・不思議な迫力さえ感じ しばし足を止め魅入ります。 ...続きを見る

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2008/06/04 23:36
磯部氏館 朝来
陳東氏館から磯部氏館を訪ねR9号(山陰道)を夜久野に向って東行します。途中の新堂地区では新堂見尾城を探してみますが、道路新設工事で城遺構が発見されたが、道路完成で消滅したようです?。 ...続きを見る

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2008/04/18 08:21
義経伝説・伊勢三郎と鷲尾三郎 篠山市
全国に伝承の残る義経伝説は、丹波:篠山市にも残り、寿永3年(1184)京から篠山・今田へと丹波路を抜けて、三草山に陣する平家軍を夜襲で破り、一の谷〜鵯越の奇襲で平家の本陣をへと突入・僅か2日余りで駆け抜けた。           伊勢三郎の宝筐印塔 ...続きを見る

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2008/03/01 22:55
応地の道祖神
1月に行われる年中行事の「じゃない」を見に出かけた山南町応地の大歳神社前から続く林道の奥に 兵庫丹波では珍しい 道祖神が祀られています。(氷上町にも「道祖神の里」の看板を見るが何処のあるのか? 以前訊ねた事があったが 田ノ神 ではないかと思い 未だ確認していませんが 他に道祖神があれば 教えていただければ幸いです・・(^^ゞ ) ...続きを見る

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2008/01/16 22:42
蛇ない  丹波市
「蛇ない」が行われる成人の日に、低山徘徊派MLメンバのオフで登った7年前の和田蛇山岩尾城を想い出す人も、何人かはいますよね・・(^_-)-☆ あの日は・とんでもない積雪の大波乱でした。今日も曇り空から少しハラハラと小雪が舞い、寒い日でしたが先ずは平穏でした。この岩尾城の搦め手道が有ったと思われる、東北側山麓に応地集落がある。 ...続きを見る

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2008/01/14 22:59
郷土人物史…丹波
●郷土出身。郷土に関連の深い人物について 少しでも関心をもって貰えるトリガーになれば良いな・・・と、登山や山城廻りついで!!?に 紹介している「丹波人物史」。 以前メールで大西瀧治郎氏【特攻作戦の生みの親として知られる】について紹介が無い旨の投書を戴いた事があった。 ...続きを見る

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2008/01/10 17:30
干支の山と 山城と
登山や城廻りの趣味も 山キチ 城キチと呼ばれる程に!! フリークともなると 年初めに干支に因んだ山や城を訪ねる計画を お持ちのようですね・・・(^_-)-☆ 昨年 開設したブログの「亥」の一番が 山と城 同時に制覇の猪の口山(黒井城)でした。 ...続きを見る

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2008/01/03 08:39
茶臼山城(上津城)
お正月初回のレポートは 「お目出度い・ちょっと嬉しい」話題からスタートしたいですね 開発著しい神戸市北区に 大型量販店やアウトレット店が開業して益々 宅地造成に拍車がかかり、新興住宅地には瀟洒な家屋が建ち並び、更地・空地は全て分譲住宅地として整備される丘陵上のニュータウン西末端部に、僅かに遊園・緑地が残された小山が見える。 ...続きを見る

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2008/01/02 08:57
五色塚古墳と小壷古墳 神戸市
明石まで出てきたが公共施設が月曜日の為休みで行けなかった所に、市立文化博物館や神戸市側に入った垂水区の五色塚古墳がある。五色塚古墳は兵庫県下でも最大級の前方後円墳で、昭和40年から10年を掛けて発掘調査・復元工事され、現在見る様な築造当時に近い姿で観察ができます。墳丘の大きさは全長194m、前方部の幅81m・高さ11.5m、後円部の直径125m・高さ18mで周囲に幅約10mの環濠が巡らされている。 ...続きを見る

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2007/12/22 08:24
銀山街道に散った播磨の義人:上月氏の首無し地蔵 神河町
先日:地区の小学校の人権啓発発表会では、篠山市の杜氏の「百日稼ぎ」を題材に劇仕立てで差別問題を扱っていたが、農作業が出来ない厳しい冬場の生活維持のため、禁止されていた出稼ぎ解禁を、命を掛けて直訴した市原村の清兵衛を知る人は少ないかもしれない。県下随一の「さざんか(天然記念物)」は未だ花を残している筈の西方寺に其の碑は有ります。10年ばかり獄中にいて、伊丹の酒造家に迎え入れられた清兵衛ですが、北播磨(?西播磨)か?・・神崎郡にも苦しい農民の立場を訴え続けた義人:上月平左衛門がいました。 ...続きを見る

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2007/12/13 08:14
播磨の十水「松ヶ井の水」 多可町
先のブログ二件共に、多可郡加美区から神崎郡へと千ヶ峰(1005m)から笠形山(939m)へ延びる稜線上の鞍部・高坂峠を越える。此の旧峠道の頂付近に「松ヶ井の水」(落葉の清水)があり、清水が流れ出る小公園が有りました。一時期土砂で埋まり所在さえ分からず幻の名水となっていたものですが、林道工事の際に発見され復活していました。     高坂峠も近い旧落葉の清水「松ヶ井の水」 室町時代末期、永正年間(1504-21)播磨・備前・美作の守護:赤松義村が定めた「播磨十水」の一つです。其の後:其の下方に高... ...続きを見る

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2007/12/12 00:08
宮本武蔵と源氏物語
須磨浦に近い明石市内には源平合戦の古戦場となっていて、関連遺跡・伝承の多いところですね。更に明石城と明石川・明石港に挟まれたような一帯に多くの寺社がかたまっています。川と海を濠・寺社を砦として「惣構え」を意識したものか! 明石城下の町割りを行ったのが剣豪で有名な宮本武蔵。彼は作庭も手懸けており、善楽寺にも其の武蔵の庭がありました。 ...続きを見る

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2007/12/06 07:59
赤穂岬〜坂越〜相生白龍城へ
県立海浜公園から千種川河口を挟んだ対岸の丘陵に灯台や、赤穂岬温泉のホテル建物もが見える。岬の海岸線に沿って西から南がわへと遊歩道が此処にもマイナーながら「忠臣蔵」の1シーンが残ります。 大石良雄の「名残の松」が此処にもあり、赤穂の城を明渡した後:大石良雄が海路を遥か大坂へと妻子を送り出したところ。自らも10日余り後には京・山科に向うが、其の時:岬に立つ老松を見送りつつ名残を惜しんだと伝えられます。 ...続きを見る

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2007/11/11 07:15
大蔵谷城・稲爪神社・腕塚神社
明石城近くの病院に来る機会があり、ついでに周辺を歩いてみようと「たこフェリー乗り場」から大蔵海岸公園に向って走ってみた。むかしは白砂青松の海岸線・柿本人麻呂が和歌に、松尾芭蕉が俳句に認(したた)めた美観は消え、今はスッカリ様相を変貌させた海岸公園に変貌していた。 ...続きを見る

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2007/11/08 08:50
紅葉色増す王地山
「七尾七谷時雨 して モミジ色増す 王地山」と篠山小唄に謳われ、紅葉や山桜の名所ともなっている篠山市内の王地山公園 ます。奈良時代末期には平安遷都の候補地として選ばれ、藤原黒智麻呂が下検分に来たことから「王地」の名が生まれたと伝えられます。 ...続きを見る

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2007/11/07 07:51
石金山と小新屋観音
先日・丹波の霧海を見に石金山に登った。その登山口が小新屋(こにや)観音です。岩尾城とは北播磨の多可郡に越える街道筋を挟んで、南方に位置する石金山は丹波市の最南端で西脇市との市境界の山。此の山麓に在る小新屋観音に、二つの話が伝承されています。 ...続きを見る

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2007/11/06 07:01
秋色を求め地蔵の森へ 丹波市 
暦の上では・既に秋盛りなのに暑い日が長く続く。 秋桜(コスモス)の他に なかなか秋を感じさせるものが無い・・(^^ゞ ...続きを見る

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2007/10/25 08:51
田野城  福知山
田野城(福岡城・イノギ城またはイノギ野城)は、丹波市市島町と福知山市の府県境にあって 竹田川に突き出した三方が崖状の台地の上にありました。 ...続きを見る

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2007/10/24 07:39
私市城 福知山
私市(きさいち)とは読みにくいと思いますが、この私市地区自体が更に分かりにくいかも!!。 由良川に沿った北側に府道74号線(舞鶴綾部福知山線)が走る。由良川を渡る舞鶴自動車道が府道と高架で交差して、丘陵をトンネルで抜ける処の私市丸山古墳が有り此れは良く知られています。 ...続きを見る

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2007/10/12 00:12
報恩寺城 福知山
福知山市の特産に「報恩寺(ほうじ)のタケノコ」があり、春を告げるニュースの題材として新聞・TVが毎年の様に取材されている。この日:福知山市と綾部市の市境界近く・私市(きさいち)から旧加佐郡大江町へ抜ける車道を、観音寺から鬼ヶ城への登山・訪城レポートを昨日紹介しましたが、下山後に報恩寺まで戻り、此処に在る報恩寺城に寄って見た。 ...続きを見る

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2007/10/09 22:25
ランドマークの烏ヶ岳〜鬼ヶ城
随分と広範囲な行政区を抱えた新制福知山市ですが、旧福知山市としてのランドマーク・市街地から眺める烏ヶ岳〜鬼ヶ城の二つの峰の山容は印象的です。此の山への登山口としては三段池公園から名刹:醍醐寺をへて向うコースが、一般的に知られているようです。 ...続きを見る

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2007/10/08 21:55
二つの魚住城
●PC故障でメーカー修理 部品交換で治ってきましたが、すっかりご無沙汰・いま浦島の心境です・・・m(__)m。 明石といえばタコ そのタコ料理?の「たまご焼き」でもよく知られていますね。そして江井ヶ島漁港等での「タコ壷漁」 此処は播磨五泊の一つ【魚住泊】として古くから開かれた瀬戸内海の停泊地で、三木合戦の際・羽柴秀吉が飢餓作戦をとって包囲した三木城へ、毛利氏からの兵糧輸送を行った一大補給基地として歴史的に知られる魚住城が在ったところです。 ...続きを見る

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2007/09/27 22:03
福中城  神戸市
明石市からR175号を北上して、第二神明の玉津インターを抜けると、緩るい傾斜面が平野町へ続く。その峠近く・福中には「嘉吉の乱」に滅亡した播磨守護職:赤松家の再興を期して、吉野の南朝方に討ち入りして(加西市・清慶寺の南帝塚)、三種の神器を奪還した赤松浪人の一人間嶋彦太郎を祖とする菩提寺があり、此処が平野庄を領した間嶋氏の本拠福中城でした。 ...続きを見る

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2007/09/12 09:24
丹波のお話【五輪さん】 丹波市
国重要文化財:旧友井家住宅に西方約50m程に五輪山佛祥寺という小さな寺が建つ。寺の本尊は本堂裏に近接した丘陵裾の岩場に納められているに碑の一石五輪塔と一体の石仏。 ...続きを見る

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2007/09/06 07:00
吉田王塚古墳
明石城公園からでも2時間半あれば往復できる距離ですが・・・(^^ゞ 神戸市西区にある明石氏の本拠城となった枝吉城(区画整理と公園化整備で壊滅!!)。弥生時代の集落・吉田遺跡の碑だけが建つ公園を後にして北方へ徒歩15分ほど。吉田郷士館から枝吉城への登城口の王塚古墳イメージの石庭?が在った吉田王塚古墳にも立寄ってみることにした。 王塚古墳は明石川流域では最大規模の前方後円墳は周濠を巡る史跡公園ですが、丹波・雲部車塚古墳と同様に、陵墓参考地として宮内庁管理下にあり立入り禁止です。 ...続きを見る

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2007/09/04 07:48
友井家住宅
田舎を連想する代表格が藁葺き屋根の民家 其の藁葺き民家の住宅は姿を消しつつあり、保存していこうとする活動も行われいます。境界紛争の解決に尽力し、その功績に感謝して村民が贈ったという経緯ある旧友井家住宅です。 ...続きを見る

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2007/09/02 09:40
金屋の十三塚
毎回アクセス数が2桁にもとどかない、面白く無いレポートが続き申し訳有りません・・。(^^ゞ 丹波市のモミジ三山の一つ石龕寺への旧表参道(小川地区村森〜岩屋)の道筋に25基、裏参道となる久下地区金屋からの寺坂コースに5基の県指定町石が残ります。 ...続きを見る

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2007/08/29 21:54
石造りの骸骨
お盆の前に 紹介したかったのですが・・・(^^ゞ 其の由緒が判らず、昨日やっと住職に確認がとれて今日になってしまいました。 ドクロといえば大英博物館に展示されている古代マヤ王国で製作されたとされる水晶ドクロ(捏造品?)が良く知られるところです。なぜ不気味な「しゃれこうべ」が造られたのか? 「しゃれこうべ」は落語の「野晒し」や、髑髏になっても、なお読経を続けている円善上人の髑髏読経の伝説がありますが、実際:石造りの「しゃれこうべ」を見たときの気味悪さと、特異さには驚かされます。 ...続きを見る

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2007/08/20 09:45
笹尾城・牧城
福知山市を訪れる観光客に、明智光秀の城として知られる福知山城を知らない人は殆ど居ないでしょうね? その福知山城は中世天田郡(今は福知山市となった天田郡ですが、旧福知山市も元は天田郡・・・)一帯に勢力をはった有力領主:塩見氏(横山氏)の横山城を落とした光秀が、横山城を改修して福知山城を築き、その時の労働歌?が福知山音頭の起源とも云われていますね!!        画像は牧城主曲輪の切岸と土橋付空堀  ...続きを見る

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2007/08/07 22:59
平家隠れ里・榎原の山城 福知山市
平家の隠れ里伝承地は山険しく・峪深い、人里離れた僻地を想像します。府県境尾根を越える穴裏峠も、先を歩く人の尻の穴が見えるほど!!急な山越えの道を通ります。 ...続きを見る

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2007/07/13 17:29
手向けの野花と乙女塚
以前に女畷・乙女塚を紹介していますが、半夏生(はげっしょう)の今・再度、八上城に向かい「女なわて」を歩いてみた。篠山城の南「野中」「小枕口」から東方に向かっては真直ぐ延びる道の左右に拡がる田園風景の先に八上城の山容が浮かぶ。天正7年落城目前の城を出て西へ逃れる老人・婦女子の一団が辿った畦道。振り返ると煙る八上の城中に残る肉親や恋人を想い、逃げるに偲びず自害した腰本・侍女達もいた。 ...続きを見る

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2007/07/06 20:09
朝路姫伝説と女畷・乙女塚
中世戦国の落城に 悲話伝説はつきものですね。戦場となった領地内で蹂躙される民衆の苦しみや、報奨のない下級武士等の代価として、闇に隠され・余り知らされえないが、領民や落ちていく武家家族の婦女子を奴隷として捕らえ売られる悲惨・悲哀を、多くの伝説・伝承から推し測る事は無理かも知れません・・・・・が? 丹波富士で知られる朝路山(高城山)にある八上城は、三木城同様に城を取り巻く飢餓作戦に落城しますが、女達の戦い・悲哀も伝えられます。 ...続きを見る

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2007/06/07 11:12
小枕古墳群 篠山
篠山城から南へ南へと進むと、八上城落城悲話を伝える、「女畷」の碑や乙女塚の碑が立つ野中地区を抜け、小川芋銭が描いて有名になったという「丹波の霧海」の舞台:美濃坂峠に向かう入口にある小枕集落には、小枕古墳群があり二つの古墳群に分けられるようです。 ...続きを見る

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2007/06/01 21:54
鴻鳥の恩返し…!!
民話に「鶴の恩返し」というのが有りますね。そして花札でもないでしょうが、木に止まり、巣造りをする・・・此処に鶴がいたとの伝説が・・・(^^ゞ 吉兆として喜ばれるが 森にいて木にとまる鶴の話は?・・・鶴とコウノトリを 「とり違えた」・・・おかしな話もおおいですね。 ...続きを見る

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2007/05/25 07:17
節句の午飾り
端午の節句に丹後に行ってきました。昨年:加悦町・岩滝町・野田川町が合併して与謝野町となった大江山麓の旧加悦町は、道の駅とSL広場に寄っただけで、サッと車で通り過ぎるだけでは惜しい見所の多いところです。古墳や山城も多く、旧野田川町の「ちりめん街道」に出るまでもなく、丹後縮緬で栄えたところで、今も機音が聞かれます。城下町の町割りに沿う縮緬街道に面して、和洋折衷の旧尾藤家住宅がある。 ...続きを見る

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2007/05/05 08:37
溝口城 三田市
此処に・こんな城址が在ったなんて・・・近畿の山城リストを見直していて気付いた。早速?昨日のブログに記した理由で行動します。 西宮市から幾度と無く現:丹波市へ戻る際に利用する国道176号からも、ホロンピアロード(三田幹線)をJR相野駅に抜ける県道720号からも外れているが、冬季の峠越えを避けて・時には舞鶴自動車道の三田西インターへの分岐「テクノパーク前」から国道176号へ出る事があった。其のテクノパーク前から相野川沿いに走るJR福知山線の踏切を渡る付近・溝口交差点の南西方の丘陵に溝口城がありまし... ...続きを見る

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2007/04/02 15:07
義経と笛吹山城
県道140号線:篠山鳳鳴高校の北方に、緩やかに丸いピークを重ねて盛り上がっていく低丘陵があります。其の峰の最高ピーク・古森山は笛吹山の名で知られます。 寿永3年(1184)三草山合戦の奇略に圧勝し、そのままヒヨドリ越え・須磨浦へと駆け抜けたた源義経ですが、三草山に向かう途中:篠山街道(京街道)で暫し休んだ時、松に掛けていた義経愛用の笛が風を受けてか不意に鳴り出し、其れに合わせて裏山から太鼓の音が響いてきたと言う。寺の山号が笛吹山で字古森山は太鼓山だったのか・・・・・?    其の笛吹山山頂... ...続きを見る

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2007/03/25 09:56
恩鳥峠【おさん茂兵衛と小南山城】
近松戯曲「おさん茂兵衛」が道行きで越えた鳳越えが、恩鳥(おんどり)峠と云われ緩い坂を下って約400m程の西北丘陵裾には、おさんと茂兵衛が捕らえられた「おさんの森」があります。恩鳥峠は柏原病院前から北へ下って挙田(あぐた)・鴨野から氷上町の稲畑・佐野へ抜ける小さな峠で、此れでやっと場所がお分かりになった方もいらっしゃるでしょうね(^^ゞ    わざわざ此の峠を越さなくとも、柏原川沿いに小丘陵を北に廻り込んでも、其れほど距離に違いは有りません。其の小丘陵が小南山で柏原町内からも目立つ山塊です。此... ...続きを見る

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2007/03/23 20:56
「狸穴の水」と弘法清水の伝説
一杯の水を所望する、ボロの僧衣をまとった旅の僧に対して、水を与える婆さんや「日照り続きで、与える水なぞ無い・・」と断る婆さんに、 錫杖を大地に突き立てると 其処からは滾々と清水が湧き出し枯れることもなく・・・とか 水さえ枯れてしまった谷川の事等・全国に弘法大師の「弘法清水」や「水無し川」の伝説が残っていますネ。 丹波市市島町から五台山の北へ続く尾根の鞍部を越えて氷上町へ抜ける峠道も、昔はよく利用された間道、鴨内(かもち)峠には道中の安全・健康を見守っていたものか、石仏が残されています。市島町側... ...続きを見る

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2007/03/22 22:46
ふるさとの顔(^^♪
皆さんの・ふるさとを代表するものを 容(かたち)で表わせば何でしょうか!? 旅行者や故郷への帰郷者が 市や町へ入る表玄関となる「橋」にも 其の「歓迎の意味や思い入れ」のこころが表現されているものが有りますね。 画像は御所人形が原型と思える図柄で「鯛持ち小僧」 相対する北側には熊金(熊を投げる金太郎が描かれています。遠望する白山山頂と途中の尾根上、及び麓には居館・・赤井氏発祥の地:後谷城がありました。 「魚と金太郎」では鯉に跨った金太郎図柄の東条(現:加東市)の「播州鯉のぼり」を思い起こします。... ...続きを見る

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2007/03/20 15:52
丹波の名工
「日本一」という言葉は、石工:丹波佐吉の作品に対して初めて、賞賛され以降使用されるようになったと云われます。其の丹波佐吉(村上源照信)の育ての親であり・師であった初代:難波金兵衛の名を知る人は少ないようです。 氷上町の萱刈坂を越え、高見山城の北裾を柏原町に向かう県道沿い 新井に「難波金兵衛」の看板を見て石工:初代金兵衛と丹波佐吉:良きライバルとなった息子の2代目金兵衛の、名前や作品を思い出す人が 幾人かは?居るかも知れませんネ ...続きを見る

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2007/03/19 20:01
稲畑土人形
丹波柏原の八幡神社は「厄神さん」で知られ 毎月18日が祭例日です。日曜日だった3月18日 商工会の厄除け市 八幡神社では宮司さんによる昔の街道筋と八幡社の歴史講演会 町ボランティアガイドによる城下町歴史ウオークが実施されていました。 城下町歴史ウオークに参加して 「織田藩陣屋跡」から「高燈籠」 旧山陰道(京街道)を抜けて厄除け市メイン会場の八幡社下の「「木の根橋」に戻ってきます。 見慣れた場所ですが・ゆっくり町内を歩いて廻ることは少ないので 今日は「まちかどギャラリー」(常設のショー... ...続きを見る

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2007/03/19 01:18
明智光秀と「さとしの山」
中世:山城の落城に関わる伝説は多いですが、優位に立って城を攻める側の、付城(陣城)に残る伝説は少ない様ですね。篠山・八上城の付城群に比べて、丹波・黒井城攻めの織田軍明智光秀方付城では春日町の茶臼山城と氷上町の向山城の他は余り知られていないのかも? そんななかでも柏原町の茶臼山を知る人は少ないでしょうね!! 今はゴルフ練習場と集合住宅が立ち並ぶ丘陵の北端部に古墳のマウンドを利用したと思える高見城監視の明智方向城(砦)が築かれていたと郷土史に記されます。   茶臼山砦跡(妙見堂)から高見城遠... ...続きを見る

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2007/03/08 20:53
落城伝説
中世・戦国時代の戦乱に蹂躙された領地・農民の悲惨な状況を伝える伝説は少ないですね。其の領主の城の落城伝説から 推し量って見てもみえてこないですが・・・・(^〜^;) ...続きを見る

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2007/03/06 17:59
石棺仏と悲恋物語
播磨 とりわけ小野・加西・加古川へと 加古川流域に石棺仏が多いですね 全国的にも家型石棺の数 ここから運ばれたものも多いのでしょうか?     加西市の ねひめ温泉のパンフに 根日姫の伝説が載っていた。北播磨地方最大の前方後円墳・玉丘古墳が其の根日姫を祀ったものという伝説ですが 昨日 播磨の城めぐりオフで集合場所の加古川駅に向かう途中 立寄った田圃の中の温泉 旧国民宿舎みとろ荘 も美登呂姫の伝説があります。 井ノ口城(井ノ口構居)なので寄ったのですが、此処に来るまでの途中には県道側に正... ...続きを見る

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2007/02/26 22:28
荒木山城 丹波市
先日のログで竹田街道:丹波竹田界隈を紹介したが、旧国道筋と新国道バイパスの間には新道具(東)城が在ります。新道具にはもう一つ(?)城があったようです?   画像は 荒木山城:主郭北側の堀切 其の新道具城下を抜け 新国道筋を抜けて 市の貝集落から目指す荒木山は権現山と呼ばれ 福知山との境界にある山ですが 南北朝期から続く古城です。  主郭南西側の帯曲輪から主郭の切岸 ...続きを見る

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2007/02/19 19:25
竹田街道 丹波市
兵庫丹波・市島町竹田界隈 R175号バイパスから其のまま塩津峠を越せば福知山市へ 気付かず通り過ぎる旧国道筋に旧竹田街道の面影を追ってみます。 JR丹波竹田付近・清薗寺からは福知山へ向かうほか、竹田川沿いの平地を多保市(とおのいち)に出て福知山や・綾部、報恩寺を抜けて大江山への街道が分かれます。     丹波の地酒:丹波土産の一級品!の酒造蔵があり、所縁の石像寺もありますが、今日は上記:街道分岐に位置する清薗寺。街道(R175)に面して建つ山門は「丹波の赤門」と呼ばれた六脚門。仁王門前の... ...続きを見る

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2007/02/13 21:44
初午
今日は初午祭 伏見稲荷の神が降臨した日といわれ 旧暦2月最初の午の日に行われる稲荷社の祭日 例年:自治会役員が出す屋台 の動員!!で 此の日 一日が過ぎてしまいました。丹波各所でも 初午詣の他 鬼こそ や セツブンソウ祭り 等がありました・・・ これ等のイベントは 役を終えた来年以降の 楽しみです・・・(^^ゞ ...続きを見る

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2007/02/11 22:10
穂壷城
丹波市側にも中世の山城は沢山ありますが、黒井城以外に石垣を多用した城はありません。和田岩尾城は織豊系の近世の城です。「土の城」では堀切・竪堀・空堀・土塁や高い切岸で防御性を強めているのですが、土塁や空堀・竪堀遺構を顕著に残している城は少ないですね。丹波一の?ショッピング・ゾーン直ぐ近く、比高も50m程の山に遺構の保存状態も良く、これら設備を整えた山城(川の囲まれ水城とも!!)のひとつが穂壷城で、買い物ついでに高谷橋を渡って立ち寄りました。 ...続きを見る

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2007/01/21 23:01
丁場城
R176号から古市でR372号線(デカンショ街道)に入り篠山市街地へ向かい、波賀野から栗栖野集落へ入ると、道傍に石垣と栗栖野城公園の看板を見ます。ほんとの栗栖野城もこの近くには有り、城址には「イボとり地蔵」伝説の地蔵堂が達、其の酒井氏の菩提寺も此処にはあるのですが、丁場城は・・・・・・ 油井・矢代・波賀野・栗栖野・真南条へと一帯が酒井党(八上城:波多野氏の重臣となった)が勢力を持つ領地でした。波多野秀治の義弟で、城主秀治無き後:総大将として篭城戦の八上城に散った若き闘将:二階堂秀香が油井城の酒... ...続きを見る

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2007/01/19 20:39
小谷城 篠山市
旧篠山町遺跡分布調査書に記される立金の小谷城(小谷丸)削平状態の悪い曲輪、土橋付きの堀切も崩れて浅くなっているようですが、かろうじて城遺構を維持している様です。城主等不明の様ですが、大芋一族・福井城の森本氏との関係が推察されているようです・・・・・!? ...続きを見る

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2007/01/13 20:46

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