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みんなの「登山」ブログ

タイトル 日 時
井原城館T(城) 丹波市
井原城館T(城) 丹波市 旧氷上郡(現・丹波市)埋蔵文化財分布調査報告書(山南町)に城址や居館跡の報告もなく、[丹波志]に確認はしていないが、山南町誌(昭和63年)に井原北東の小山の屋敷跡として記されており、愛宕山の火を灯すので「火トモシ山」とよばれるところとある…が、屋敷の云われは不明とある。 日吉神社・至山出合稲荷社から加古川沿いのイタリ山を望む 上記:埋蔵文化財分布調査報告書には私がホームページ上に報告している仮称:井原城館の主郭としている比定地に、岩屋小平古墳群として二基の円墳のうち山頂部(火トモシ山Ca18... ...続きを見る

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2017/06/26 21:17
石生西河原城 U
石生西河原城 U 先のブログに向山連山周回コースで、水分れ公園駐車場から観音堂…四ノ山砦U、序で珪石山までの縦走を向山連山のヒカゲツツジU記事をアップしているが、珪石山手前分岐を左へは清水山方面への縦走路/分岐を右に珪石山からは激急斜面の下りが続く。  分水界展望所となる石生西河原城 長く張られたフィックスロープの連続がやっと終わり緩斜面になった途端・浅い堀切状か低土塁が尾根筋を遮断する地形。幅狭い尾根筋が土橋状に延びる。土橋状の先は二重堀切の縁まで続く。土橋東側下段には城域最大の曲輪(幅8mX長さ20m... ...続きを見る

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2017/05/03 13:45
向山連山のヒカゲツツジ U
向山連山のヒカゲツツジ U 丹波市の石生・水分れ公園は、日本で(本州一か?)一番標高の低い谷中分水界で、一方は黒井川から竹田川・福知山市境で土師川に合流し、福知山市街地・福知山城近くで綾部市側からの由良川に流れ出て丹後由良で日本海(若狭湾)へ。 また一方は高谷川から柏原川に、母坪・稲継で加古川(旧佐治川)に合流し、川筋が市境界を成す加古川市・高砂市境を瀬戸内海(播磨灘)へ流れ出る。標高100程の分水界起点?がある”水分れ公園”を囲む様に半欠け茶碗の縁を廻る半円状の縦走コースは始点・終点で急登を強いられるが、展望良... ...続きを見る

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2017/04/30 22:13
四ノ山砦 U 丹波市
四ノ山砦 U 丹波市 日本一低い谷中分水界の有る「水分れ公園」を起点に向山連山を目指す登山者は、ゴールデンウイークを前に急増します。登山コース途中・各所に有る岩の展望台からの眺望も楽しみの一つですが、連山縦走コースの尾根上に見るヒカゲツツジの群生。   四ノ山を過ぎて…ヒカゲツツジの間から望む黒井城と千丈砦 今の時期のお目当ては、見頃となる石楠花と同種のヒカゲツツジ。淡い黄緑色の花を咲かせ、コバノミツバツツジの淡いピンクの花と相俟って、厳しい登行の疲れを癒してくれます。三ノ山山頂から四ノ山へは一旦鞍部へ下る・其の... ...続きを見る

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2017/04/28 23:09
善防山城 加西市
善防山城 加西市 播磨には播磨アルプス(高御位山-桶居山)、義経が丹波から一の谷へ駆け抜けた三草山や加東アルプスと呼称したい山々、小野アルプス(紅山-惣山)加西アルプス等々、低山ながら岩盤・岩尾根を連ねる山々が多く、松茸山の止め山で11月中まで入山できない丹波の山へは殊に里山に在る山城の散策も出来ず、絶好の時期なのに、登山や訪城案内ができないのは惜しい。      東郭(第二ピーク)の石積 先のブログ紹介の加西アルプスの善防山には善防山城があったことを紹介していたが、元々は此の山城の訪城が主目的で、再訪するの... ...続きを見る

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2016/10/27 00:00
加西アルプス
加西アルプス 小谷城山麓の石仏等を巡ったあと、県道23号を南下・Cafe花ようびの先50m程で分岐する43号を走る。播磨下里駅舎を左手に見て北条鉄道を渡ると王子町の三叉路交差点。右斜め手前方向の県道81号側にスタート地点の善防公民館・さらにその先の古法華自然公園入口にも駐車場があり、   善防山(善防山城主郭)から笠松山への稜線 幅狭い切通道が古法華寺・アトリエ館に通じており、切通の真上には善防山251m-笠松山244m縦走コース中のポイントの吊り橋がある。43号王子町交差点に南「下里農協前」神姫バスのバ... ...続きを見る

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2016/10/22 07:48
三草山城 加東市
三草山城 加東市 先の三草山ブログに山頂部に三草山城があったこと。三草山の山麓では平安時代末期:寿永3年(1184)源義経軍が平家追討の為・須磨の一の谷に向かう際、篠山古市から今田町に入り小野原の布陣した源氏方と、三草山山麓の山口附近に布陣した平氏方が対峙した三草合戦の合戦場であったことを記した。   三草山山頂神社北側の古い三草山城址碑 ...続きを見る

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2016/10/13 08:07
三草山 加東市
三草山 加東市 最近の登山ガイドブック等にも低山ゆえなのか?播州周辺の山でも代表的な山だが、紹介されることが少ない?加東市の三草山だが、播磨小富士とも呼ばれる”ふるさと富士”は比高僅か!!?424m。綺麗な山容を魅せる三草山へは低山ながら展望が拡がり楽しめる岩尾根が続き鎖を伝っての長い急登ルートも待っている。 小野市に小野アルプス(惣山〜紅山)、加西アルプス(善防〜笠松)・加美アルプス(槍ヶ峰〜雄岳三山)があるように、三草山塊の北方:数曽寺谷の西側・大坂山から南の岩稜の峰々は最も小アルプスらしい風貌を魅せ・加... ...続きを見る

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2016/10/08 22:03
矢筈山城 西脇市
矢筈山城 西脇市 ここ数年・登山レポートをブログ掲載していなかったの忘れていたが…西脇市の先日の矢筈山へは”矢筈の森公園”が整備された年の暮にも登山したブログがあった。西脇小学校前から童子山公園前を通るR427号は杉原川沿いに北へ向かうが、西へ直進する市道が三和橋を渡り「さとう系スーパー」前で県道346号高田井北交差点に出る。   高田井町登山口から矢筈山城を望む 矢筈山登山口やログハウスのカフェ木夢(コム)さん【添付のマップには店名が表示されているが位置が違う。此の店は10数年前?オープンしているのだが…】... ...続きを見る

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2016/09/29 20:19
矢筈山 西脇市
矢筈山 西脇市 北播磨の矢筈山は市街地の直ぐ近くに有りながら、余り知られていない山ですが展望の良い事は此処が城山でもあり、其の位置する状況からも窺えます。市街地にあり交通の便良く・展望良く・矢筈山城址という 史跡があり三拍子揃っていながら、登山ルートは定かでなく矢筈城についてさえも殆ど知られていない不遇の山でした。   矢筈山西山頂(但し三角点峰は北峰)櫓台状の祠位置は本丸! 低山ですが谷に沿って進むと羊歯類や足場を隠す藪と倒木が進路を塞ぐ。軽い気持ちでもトレースは要注意・尾根通し辿って見るのが良さそうで... ...続きを見る

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2016/09/26 20:41
兵庫県民歌…!!
兵庫県民歌…!! 都道府県が公式な都道府県民の歌として制定し、歌い継がれている県民歌は明治時代以降:1945年(昭和20年)終戦後GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の奨励を受けて作られた歌もあるが、1980年代以降GHQの奨励と無関係に作られた歌もある。また昭和18年に制定された熊本県民歌の様にGHQにより演奏禁止・公式に歌われることがなくなったものも…  ロケに使用された西脇小:歌詞の多可の山は…近年多可郡から編入した町の山か?  47都道府県のうち大阪府・広島県・大分県は都道府県民歌を制定して... ...続きを見る

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2016/09/15 07:26
瀧山観瀧寺V 滝山城(観瀧寺城<仮称>)
瀧山観瀧寺V 滝山城(観瀧寺城<仮称>) 古写真や建築物には特に造詣が深く”近代化遺産めぐり忘備録”ブログの管理者「べーさん」には、以前にも福知山市内の城郭遺構についてのコメントをいただいていた。口榎原・榎原の瀧山観瀧寺は元は奥榎原の丘陵上にあったが伝承のみ・其の所在と遺構を確認され、詳細レポートをいただいたのを機に、私も探索してきた。   西郭西先端部の一文字土塁 先のブログ”瀧山観瀧寺T 鉦鼓滝”で其の位置と登路ルート等。 ”瀧山観瀧寺U 観瀧寺廃寺跡”では榎原の語源や中世山岳寺院の観瀧寺縄張りが堀切を境に、様相も異なる事を記し... ...続きを見る

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2016/06/08 20:07
瀧山観瀧寺U 観瀧寺廃寺跡
瀧山観瀧寺U 観瀧寺廃寺跡 丹波市から県道109号の穴裏峠トンネルを抜け福知山市側(府道109号)豊富用水池から榎原川沿いに、和久川沿いのR429号へ下るルートは下夜久野や大江町方面への近道ルートとして良く利用する。R429は生野峠から銀山湖経由で但馬生野に出る生野峠同様に、幅狭く落ち葉で滑りそうな林道然とした榎峠を越える県道4xxx代の車道より難コースの国道だが昔はメインの街道筋(旧丹波・丹後街道)。   西郭部:主曲輪南の石積みと西T曲輪 一方:R429号:口榎原から榎原谷筋を穴裏峠へ向かうルートはトンネルで丹波市... ...続きを見る

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2016/06/05 00:19
新才城2 丹波市
新才城2 丹波市 R176号線(柏原多田バイパス道ではなく福知山線沿い)はJR石生駅手前・水分れ交差点で、R175号線(此処も多田バイパス道稲継交差点から城山トンネルを抜ける新道?ではなく、石生新町・穂壷城の支城:横田城への登山口側を抜け水分れ交差点に合流する。 新才城についてはHPやブログにレポート紹介済なので、其方を参照してください。    新才城主郭(北斜面より土塁虎口部を望む) 水分れ交差点付近から、JR沿いのR176号と城山トンネルを抜けるR175号が合流する坂交差点付近までが、両側を丘陵に囲まれ... ...続きを見る

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2015/05/02 22:34
長見城(再訪) 丹波市
長見城(再訪) 丹波市 氷上町稲継からカンジョウジ城(ガンジュウジ城・横田城)の丘陵下部を城山トンネルで抜けるR175号線が黒井盆地に入って来る。歌道谷交差点を左折し、北方に向かう直線道の左手丘陵に野山城(再訪)が、広い車道がT字辻で左折すると天王坂【但馬街道で豊岡に帰る大石良雄の妻りくが子を連れて越えた際の”りくの森”の伝承地】を氷上町桟敷へ越える。   土塁を挟む二重空堀(主郭土塁から) 天王坂へ向かうT字辻を右折すると急に幅狭い東方への車道を長王集落に入る。前方奥に千丈砦〜黒井城が見えているが、目前の瓢箪型と... ...続きを見る

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2015/04/30 20:17
香良城3 丹波市
香良城3 丹波市 地元の音頭や学校の校歌にも謳われる五台山は、ふるさと兵庫の50山にも採り上げられ、多くの山案内書やWebに紹介されています。…とは云え黒井城(猪ノ口山)からヨコガワ峰〜五大山や愛宕山〜五大山〜鷹取山〜小野寺山〜五台山へ・さらには井階山へと続く縦走尾根筋までのレポートは余り見掛けないが?。それだけに一般登山ルートは岩滝寺から独鈷滝・浅山不動尊から独鈷滝の上流にある不二の滝の水音を足下に聞きながら登山道を忠実に辿る。林道に出るが直ぐ先で再び登山道に入って展望の五台山に立つ…。 香良城T郭西端よ... ...続きを見る

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2015/04/27 21:58
石生西河原城 丹波市
石生西河原城 丹波市 弘治元年(1555)細川晴元側の赤井時家等赤井氏・荻野氏一族と、晴元に背いた細川氏綱方の三好長慶・松永久秀に付いた芦田光遠(沼城主)・足立基則(山垣城主)の連合軍が香良に集結した香良合戦は細川氏内乱の代理戦争として知られるところです。       「水分れ」 此の香良合戦では前年の天文23年(1554)叔父荻野秋清を殺害して黒井城主となった赤井直正も重傷を負い春日領内に逃げ帰っています。敵・味方共に多数の戦死者を出し、丹波の合戦でも最も激烈を極めながら勝敗の決っしていない合戦だったといわれま... ...続きを見る

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2015/04/24 22:45
野山城(再訪) 丹波市
野山城(再訪) 丹波市 氷上町側から城山トンネルを抜け春日町へ入って来るR175号線は、JR福知山線と並走するR176号本線(柏原町から丹波署や丹波年輪の里側を走り稲継交差点でR175号と合流するのは柏原・多田バイパス道)向山連山西北山麓の春日町歌道谷(うとうだに)手前・坂のY字交差点でR175号に合流する。   野山城:東斜面の複数曲輪段切岸に何ヶ所か土止め石積を見る ガンジュウジ城(横田城とも”幻の氷上城”にも比定されている)から霧山への丘陵尾根の東西を、城山トンネルや北近畿自動車道が潜る横田トンネルが抜ける付... ...続きを見る

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2015/04/22 20:28
伝黒田城Tから黒田城U主郭へ
伝黒田城Tから黒田城U主郭へ 伝:黒田城(黒田砦)については先日のブログ(黒田城T伝:黒田城&gt;)や・ブログ内にも過去の黒田官兵衛生誕地関連の周辺ポイントを紹介していますので参照してください。    黒田城(物見台)と天狗山(小苗前山山城) 中世播磨の土豪:黒田氏は加西市河内に城を築いた赤松則村(円心)の弟円光を始祖とし、観応2年(1351)黒田庄に来住した重光が黒田氏を名乗り初代となり、8代が黒田官兵衛の父重隆・兄の治隆が9代を継ぐが元亀3年(1572)石原掃部助(石原城主)・赤井忠家(丹波:高見城主)の連合軍に敗... ...続きを見る

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2015/03/31 21:51
黒田城T(伝:黒田城) 西脇市
黒田城T(伝:黒田城) 西脇市 NHK大河ドラマ化決定と放映をうけて2013-2014年度の西脇市内、とりわけても荘園名が今に遺る黒田庄町は荘厳寺に所蔵されている本黒田家略系図等の資料により、黒田官兵衛の生誕地説が有力視され、黒田庄町周辺が俄かに賑やかになってきた様だった!!。 伝:黒田城主郭から黒田城砦群尾根筋西端ピーク 以前より城山とよばれ・山上部に稲荷社を祀る標高Ca130mの半独立丘陵が案内板には黒田城(黒田砦)として整備され、東への尾根続き(稲荷社背後)の鞍部の遺る藪に覆われ見通せなかった堀切も、立木が伐... ...続きを見る

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2015/03/29 20:15
矢谷城館 丹波
矢谷城館 丹波 ”三ッ塚史跡公園・ライフピアいちじま”の南背後を東から約1.5qの半独立丘陵尾根が延び、丘陵尾根上には矢谷城が在る。戸平峠を京都府三和町側に抜ける県道59号(市島和知線)に其の西端を落とす。県道沿いに流れる鴨庄川を挟んで、更に西側にも東西約1q程の独立丘陵が在り、丘陵上に畑山城館があることは、先のブログに紹介しています。   矢谷城主郭?はパラグライダ・ハンググライダー基地? 共に城史不詳で、尾根筋に展開している曲輪と思える平坦地形や空堀らしい溝状も自然地形に同化して?、遺構等・縄張り(城域... ...続きを見る

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2015/03/14 21:45
畑山城館 丹波
畑山城館 丹波 県道69号で舞鶴若狭自動車道を潜ると国領交差点。南に国領温泉を経て瓶割峠を越えて鐘ヶ坂を篠山に出る峠越え道がある(登山に利用出来るが国領側へ下るには危険かも?)…。篠山側はR176号に出て金山城(明智光秀の丹波攻めには多紀・八上城と丹波・黒井城の中間の位置し両城攻めの本陣となった)への登山口。 日光寺背後の東西に延びる低丘陵上に在る畑山城 篠山側から瓶割峠を国領温泉に出るまで途切れる県道138号線は、国領交差点を北へ直進し割烹辻判前を通り竹田川を渡る。此処に巡礼橋の名が遺るが丹後・若狭... ...続きを見る

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2015/03/12 21:07
小富士城 一夜城伝説
小富士城 一夜城伝説 全国には其の土地々に於いて、其の美しい山容には誇りを込め、富士の名を称して親しみ呼ばれている”ふるさと富士”は多く、丹波市内にも大箕山(青垣町)・三尾山(三尾城)(春日町)や標高231mの低山ながら、周囲四方どこから見ても綺麗な三角錐の富士型を魅せる独立丘陵の小富士城(春日町・市島町)は一夜城伝説を秘めています。  ...続きを見る

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2015/02/21 08:44
尉ヶ腰城U 丹波
尉ヶ腰城U  丹波 昨年末にも国領への所要で出掛けた際に寄った尉ヶ腰城は、旧遺跡地図や地元史誌等による城跡位置が、独立丘陵部の南尾根先の三角点峰:尉ヶ腰山(点標名:西山王153m)ピークに示されていたが、現:県考古博物館の行政地区の当該Web地図による分布位置は独立丘陵部ほぼ全域に跨っている。主要郭・とりわけ南端の尉ヶ腰山周囲には以前は無かった鹿猪避けフェンスが張り廻らされているので、北尾根側や西方からのルートでフエンス開閉扉を探すことが先決。   尉ヶ腰城北城(Ca170m)主郭・副郭間の空堀 尾根続き北方の... ...続きを見る

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2015/02/19 19:15
馬背山城と堡塁  丹波市
馬背山城と堡塁  丹波市 年頭には干支の山をと思ったが未(ひつじ)は全国的にも少なく関西圏では府県境の櫃(羊)ヶ嶽だけ?。年を越してしまったが昨年末(2014.12.27)に登った干支の山(馬背山)のUPですが、過去のブログ(2007年・2008年)以後・数回訪れた高見城城塞群の一つです。高見城山の山頂より望む北方には、高見城山からの尾根続き・目立つ急峻な鞍部からの上り尾根、2〜3の瘤ピークを連ねるが、谷から一挙にそそりたつ大岩壁をのぞかせる山塊の山上付近にも城郭遺構を残す。   西尾根筋から馬背山堡塁のあるピークと右... ...続きを見る

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2015/01/06 10:11
香良城 丹波市
香良城 丹波市 今年(2014年)の豪雨と土砂災害は丹波市にも凄まじい爪痕を各所に残している。 但馬:竹田城だけが天空の城ではないよ…と、黒井城の霧海を紹介するため 黒井城の丹波霧撮影に登った猪口山(黒井城)山頂から望む五大山から鷹取山〜五台山への稜線西側においても豪雨被害の大きかったことを聞いて後日:香良・岩滝寺に向かった。    香良城:共に断崖上の東郭から西郭側の城域を望む 実は此処には:10数年来の山城仲間のM君より案内を請われていたが、延び延びになっていた…、三好長慶ファン?の彼にとって見逃せ... ...続きを見る

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2014/12/26 21:03
上三井庄城館 丹波市
上三井庄城館 丹波市 先のブログに丹波の女流(望郷)の詩人深尾須磨子をUPしているが、篠山市方面栗柄峠へ向かう県道97号線と分岐して、三春峠を越え天田郡(現:福知山市)三和町へ抜ける県道709号線に入る下三井庄町には下三井庄城館が在る。    三井庄川沿い県道709号から上三井庄城 更に三井庄川沿いに進む県道709号線は左手(北方)に東漸寺への案内表示を見て殿地橋を渡る・其の東側には点名:高谷309mから南へ延び出す丘陵尾根が三井庄川に落ち込む。此の南尾根の先端ピークに上三井庄城館(丹波市春日町上三井庄殿地)が在... ...続きを見る

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2014/12/23 09:30
鹿場西城館 丹波市
鹿場西城館 丹波市 12月上旬に春日町国領に行くことがあり序でに立ち寄った春日部荘の城塞群尉ヶ腰城 と柚津城を訪ねたが、再度:国領の進修幼稚園へ行く所要があり、夕刻まで近場の諸城塞を訪ねる機会を得た!!。 ...続きを見る

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2014/12/15 23:10
柚津城  丹波市
柚津城  丹波市 黒井城を間近に望むR175号線から三尾山(三尾城)北山麓を、篠山市や船井郡京丹波町へ抜ける県道69号線 を国領に向かう。所用の妻を送ってきた進修小学校の北側:国領川沿いから見た城ヶ腰城へ寄った後、其の東側丘陵上の柚津城へも寄ってみる。柚津城もまた以前:野々間南城館から辿った点名柚津 (3等三角点269m)を南へ突き出す丘陵東側の南末端の228m峰に在る。     柚津城主郭北面の切岸 今回の再訪でも比高僅か120m程だが・柚津公民館側からの取付点探しには困る。以前に侵入した入口近くの山道は直... ...続きを見る

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2014/12/12 19:09
尉ヶ腰城 丹波市
尉ヶ腰城 丹波市 北近畿豊岡自動車道(春日和田山道路)・舞鶴若狭自動車線の春日ICをR175号線に出た下野村交差点を南下する県道69号線に入り、自動車道高架を潜り出た”国領交差点”に向かう。先日立ち寄った国領城(流泉寺)も徒歩で150m程の距離にある幼稚園に所用の妻を送った際、国領川を隔てた北側の左手に尉ヶ腰城・右手の丘陵尾根先端部の陰で見えないが、奥隣の尾根先ピークには柚津城が在る。    進修小学校から竹田川を挟んで尉ヶ腰城(手前南郭と最高所) 共に南側からの登路は無く・明確な取付き点も見当たらないが、丁... ...続きを見る

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2014/12/09 22:14
久保城 綾部市
久保城 綾部市 R27号(舞鶴道・丹後街道)の「上杉交差点」を府道481号に入って約350m程の所に上杉天満宮が在る。境内を含む一帯には何鹿郡八田郷のうち、上杉荘を領して上杉弾正少弼朝定が此処を居館とした弾正屋敷跡がある。     自然を要害上に在る久保城 八田郷上杉荘の上杉氏と足利氏について、及び安国寺と足利尊氏の生母:上杉清子と上杉朝定については上杉荘の城に纏めたプロローグ・上杉弾正屋敷…等を参照願います。天満神社前から府道481号を東へ約200m程に上杉荘(上杉・大石・久保・小嶋・施福寺・能勢・遠路)... ...続きを見る

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2014/12/03 22:15
円成寺上城(獅子山城)〈仮称〉
円成寺上城(獅子山城)〈仮称〉 円成寺館と円成寺城については”旧氷上郡(丹波市)埋蔵文化財分布調査報告書(3)1196年3月 柏原町”城館・城址遺構として遺跡・位置も報告されている。概要説明には円成寺城については、円成寺の山号が獅子山なので!?獅子山城の別称も付記されている。    土塁残欠が認められる堀切 此の獅子山城?(円成寺城)の尾根を遮断する土橋付堀切からの尾根続き・・・に長く伸びる土橋状(自然地形か?)の先、山容からも想像できるが、点名譲権現(円成寺背後の尖峰・獅子山?三等三角点 348m)から西には約30m程下... ...続きを見る

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2014/11/23 22:41
獅子岩-譲権現(3等)から譲葉山
獅子岩-譲権現(3等)から譲葉山 標高僅か594mの譲葉山ながら氷上盆地の西麓:氷上・柏原町や金山の鬼の架け橋【明智光秀の丹波攻め陣城金山城がある。丹波吉野とも呼称され安藤(歌川)広重の名所図会にも描かれている】から望む譲葉山は堂々と雄大な山容を魅せている。   長見から:獅子山?(譲権現348m)と獅子岩(尾根右先端部) 一般的な登山コースは整備されている柏原藩陣屋・後期織田家廟所側から大安寺跡から尾根を辿り、撤去されたが旧電電公社の見長無線(反射)施設跡から譲葉権現堂が祀られた山頂を目指すが、展望が勝れず三角点峰でもない... ...続きを見る

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2014/11/19 11:47
柴城 朝来市
柴城 朝来市 丹波市から柴城へは、以前なら春日和田山自動車道を利用すれば遠阪トンネル(有料)の料金所を出たR427号線からは僅か数百m程下った柴集落端(取付き点に神社?・城址の丘陵上に秋葉神社の小祠が祀られており、参道が通じている)の取付き点となる神社?前に着いた。 ...続きを見る

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2014/06/09 06:24
なか・やちよの森公園〜黒木山
なか・やちよの森公園〜黒木山 久方ぶりの山歩きには、ほんの一時間ばかりだが北播磨の山々(笠ヶ岳・千ヶ峰・篠ヶ峰・妙見山・浅香山等々)を遠望し、眼下には周囲を翠の帯に包まれた・その名も翠明湖を望みながら黒木山へのコースを選んで向かいます。 ...続きを見る

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2014/05/16 20:42
馬背山城と馬背山堡塁 U 丹波市
馬背山城と馬背山堡塁 U 丹波市 選択事由はともかく”ふるさと兵庫50山”石戸山登山として丹波市の紅葉三山の一:石龕寺から岩屋山-石戸山-高見城山-丹波悠々の森コースは丹波市にあっては同じ”50山”の五台山とともに比較的よく歩かれる人気コース。  ...続きを見る

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2014/03/17 20:35
行者山(馬背山) T 丹波市
行者山(馬背山) T 丹波市 行者山〜馬背山は展望の良い城山として登山対象となっている高見城山(485m)の直近にありながら断崖・峻険な岩尾根と、高低差30m以上の鞍部は激急斜面で尾根が断たれ、登山者・山城ファンの対象からも外され取り残された一帯を、佐野〜馬背山・行者山〜萱刈坂へと歩いてみた。    中央に馬背山と最奥は高見城山  戦国時代には赤井氏の城となり、但馬・山陰に向かう幹道は篠山から鐘が坂を柏原・氷上・春日へ通じる主要道に代わると、二つの道を繋ぐ北山麓の「鴨野」側に城下が移ります。氷上郡(丹波市)・天田郡(福知... ...続きを見る

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2014/03/13 23:02
南郷城 丹波市
南郷城 丹波市 加古川沿いR175号線稲畑の錦橋東詰【稲畑土人形や稲畑三番叟で知られる所で、錦橋親柱にも稲畑人形のモデルが描かれています】交差点を左折し、正面に白山(後谷山城跡で山麓は赤井野)を望みながら県道109号を北上・弘浪山(高山寺城)の東麓を抜けて氷上町成松に入る。   主郭に向かう上り土塁 成松中央部には葛野(かどの)川を渡る。下流約1.5kmで佐治川(現:加古川)に流れ出る葛野川沿いの県道78号線はたまごかけご飯が名物ともなっているかどのの郷前を通る。この施設とは県道を挟んで北に迫る丘陵上に南郷... ...続きを見る

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2014/03/07 23:24
水牢城  豊能2
水牢城  豊能2 大阪府豊能郡能勢町から野間峠を越えて豊能郡豊能町の余野へ下りてきた。交差点東北方向の高台に建つ城山高校跡(閉校)は、能勢頼弘の五男:頼幸が明応年間(1492-1501)余野氏を名乗って此の地に創築した余野城(幣の木城)址で、高山城主:高山飛騨守の妻は(高山右近の母)余野城主の娘であったとも。キリシタン大名となった高山右近もまた天正年間・余野氏とは親交があった。    城の腰城:主曲輪からニノ曲輪(西曲輪) 余野城を北間近に望みながら、未訪城の城の腰城と水牢城(余野本城も水牢城の別名を持つが、... ...続きを見る

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2014/03/02 21:03
城の腰城 豊能1
城の腰城 豊能1 R372号線(デカンショ街道・京街道)は篠山市福住の小野新交差点でR173号に出る。摂津池田市から丹波綾部市を掬ぶR173号線は此処から北方・板坂峠を越え京都府に入る綾部街道・南へは天王坂を越えて大阪府豊能郡能勢町に入る能勢街道・池田街道となる。R173号森上からは府道4号(妙見街道)で名月峠を越え・野間峠を越えると同じ豊能郡豊能町に入る。周囲を兵庫県の川辺郡猪名川町・川西市・池田市、大阪府池田市・箕面市・茨木市、京都府亀岡市南丹市に境して、能勢町と豊能町に独立して自治体をもつところ。   ... ...続きを見る

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2014/03/01 00:40
高山城 豊能郡 
高山城 豊能郡  高山城といえば普通・岐阜県高山市の高山城か、土岐市(美濃源氏:土岐氏)の土岐高山城を指すのかも知れませんが!!、私の場合は近畿圏内に固執しての山城巡りが主なので、余り知られることもない隠れた山城が殆んどですが此は北摂:能勢の高山城です。見るべきものは低丘陵部の尾根上に残された平坦地形のみ。削平痕跡があり・段差を持つ幾つかの曲輪でもあれば良し!!。しかし識者に”あれは城ではない・・・”と云われてしまえば、専門知識には乏しく・洞察力にも劣る私にとって気分も萎えてしまう。  高山城主郭から高山集落... ...続きを見る

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2014/02/14 08:35
友政城 丹波市
友政城 丹波市 JR福知山線丹波竹田駅に近い、R175号竹田バイパス側に新道貝(東)城を再訪した後、旧R175号(旧街道)沿いを少し戻り、西山酒造場の西約100m程を左折東へ進み踏切を渡り、竹田川を越えると竹田川右岸沿いに県道708号を経てR9号線:福知山市六人部(むとべ)に出る車道に合流する。   友政城主郭(本丸台)から横峰山(高谷山)を望む 橋を渡った車道を渡り直進する狭い坂道の地区道内にある活眼不動尊は眼病に霊験ありと云う。竹田川が大きく東へ流れを変える取っかかり付近で、山裾を縫うように友政地区に入... ...続きを見る

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2014/02/04 08:52
八上城中枢郭
八上城中枢郭 丹波:篠山市の波多野氏の本拠城:八上城については、織田の天下布武”丹波攻略”の主将:明智光秀により落城後は明智の家臣:並河氏を入れ、序で(本能寺の変)秀吉家臣の秀勝・小早川・前田玄以が城代となるが関ヶ原合戦後、領地安堵を受けて前田茂勝が八上を継ぐが、改易となり家康の実子:松平康重が入るが篠山城を築き移り八上城は廃城となった事は八上城:主膳屋敷に触れた。    八上城主郭東北角(岡田丸から)また吉見(波多野)清秀が応仁の乱の戦功に多紀郡の地を与えられ、此の地に入封した子の元清(稙通か?)が八上... ...続きを見る

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2014/01/04 07:51
八上城:朝路池
八上城:朝路池 籠城戦に限ったことではないが、山城にとっては領有地や街道筋の通行監視や、城砦間の通信・連絡手段は必要だが、水(井戸)と兵糧米・武具・武器類の確保・保守・管理も最重要項目ですね。山城への登山コース中の山麓や山腹に竹藪を見ると寺跡か?・居館跡か?・・・と思うが、尾根上に矢竹の密集地をみると曲輪も近いと感じる。竹矢来は勿論・山岳戦に有効な武器の弓矢は消耗品として、常に身近に用意しておく必要があったのでしょう。  尾根筋左肩に土塁線が延びる藏屋敷・・・ 八上城の水の手は三方を急斜面の囲まれ其の尾根筋を... ...続きを見る

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2013/12/30 19:21
八上城:曲輪群
八上城:曲輪群 篠山市の八上城は丹波市の黒井城・南丹市の八木城とともに丹波の三大山城の一つ。三城いずれもが山域最高所に主郭を置き、三方・四方へと延びる広大な山域の丘陵尾根筋に曲輪群を配し、山全体を要塞化した大規模な山城です。画像は登山レポートT:U:V・八上城・八上古城の奥谷城(蕪丸)にも分けて挿入していますので併せてご覧いただければと思います。    伝:鴻の巣(主膳屋敷から辿る尾根西未端:篠山盆地西方の監視所とされる!!?) 八上城の在る高城山は其の秀麗な山容と459mの標高から”シゴク美しい丹波富士... ...続きを見る

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2013/12/28 18:16
八上城:主膳屋敷
八上城:主膳屋敷 ♪丹波篠山山家の猿が・・・ ♪デカンショデカンショで半年暮らす・・・全国的にもよく知られた民謡のデカンショ節ですが、歌詞も多く、替え歌等種類も多い様なので、正規?の歌詞なのか・また順序もよくは知らないが、丹波杜氏の里として、夏のデカンショ祭り開催場所となるのが篠山城大手前(北側)の三ノ丸広場周辺。篠山城内への極く一般的な入城口・大手門から篠山城天守台(天守閣は設けられなかった)から東方(約4km)を望むと、美しい富士型の山容を見せるのが丹波富士の別名さえ有る高城山です。   篠山城天守台側か... ...続きを見る

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2013/12/26 19:26
井原城館? 丹波
井原城館? 丹波 滝野社ICから福知山方面へ北上するR175号線を北に向い西脇市黒田庄町を抜けると、ミニ道の駅「山南仁王駅」のある至山山麓は、加古川(旧佐治川)と篠山川の出合い加古川本流となって瀬戸内に流れ出る。此処に架かる井原橋を渡って丹波市に入り、山間の緩やかな加古川(旧佐治川)流域沿いの氷上回廊を但馬・福知山方面へ進む延喜式の山陰道。   井原城館?南尾根:西面を土塁で囲む曲輪(中央右に竪堀?) 出合いに位置する至(イタリ)山から石金山への丘陵部が播磨・丹波の国境線。延喜式の旧山陰道はR176号の鐘ヶ坂... ...続きを見る

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2013/12/24 18:52
砥峰高原U 神河
砥峰高原U 神河 雪彦峰山県立自然公園の峰山高原と夜鷹山から暁晴山・から砥峰高原へは一部を除き大部分を林道歩きのハイキング・コースが通じている。高星(高星山)から平石山/段ヶ峰から千町ヶ峰へと拡がる標高1000mを越える山々に囲まれて、兵庫県でも数少ないスケールの大きな峰山高原・砥峰高原・生野高原がある。  砥峰高原(周回ハイキング道)から:遠景は生野高原(段が峰・千町ヶ峰方面) 大河内高原の(峰山高原・砥峰高原)二つの高原については、2010年公開された村上春樹原作の映画「ノルウェイの森」のロケ地となった事... ...続きを見る

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2013/11/09 21:03
伝:黒田城 西脇 
伝:黒田城 西脇  有名な人物には出生から諸説・異説が有り、小説等でも様々に紹介される武将に、姫路城の城代:黒田職隆の長男として姫路に生まれたとされるのが通説の黒田(小寺)官兵衛孝高がいる。家系を誇ろうと身分の高い人の血を受け継いだ形式の系図を盛んに作った時代もあったようで、豊臣秀吉が氏素性:権威を高める為・公家の近衛家猶子となり藤原氏に改姓する例もある。・・・・・豊前国12万石大名で中津城主となった黒田氏も二つの系図があり信憑性が問われ真意は薄れます。     地元で黒田城とされる(伝黒田城)主郭:右端祠は櫓跡... ...続きを見る

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2013/10/25 21:07
淡河城 神戸北
淡河城 神戸北 萩原城から湯山街道【2年に及ぶ三木城包囲の飢餓作戦では、羽柴秀吉が有馬温泉へと三木の本陣から通った県道38号】を西へ走るとR428と交差する淡河本町に「道の駅淡河」がある。其の施設に向かう西南方には河川段丘の急崖の上に黒っぽい模擬櫓と「淡河城跡」の看板が見えています。 ...続きを見る

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2013/10/16 21:35
東畑城  神戸北
神戸市北区淡河町の僧尾・北畑に在って、多くの地元人にさ北畑城に比して東畑城え・其の存在感が希薄な、僧尾城や北畑城等の城史も不明の四っの城砦を県遺跡分布図により訪ねてきた。 共に淡河から吉川・三田方面に通じる街道?・間道筋に位置して、南北朝期:赤松氏に攻められた石峰寺が在る。   鞍部からの取付いて直ぐ空堀沿いに土塁道が延びる また室町時代末期(安土桃山時代)の天正年代:三木合戦には別所氏に付いた淡河城:淡河弾正定範に関連した城砦群で、織田信長の播磨攻略には・三木城への丹生山からの兵糧補給ルー... ...続きを見る

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2013/10/09 20:40
北畑城  神戸北
先に北僧尾城・南僧尾城を訪ねているが、両城の東方には北畑城と東畑城が在った。4城共に其の築城年代や築城目的・築城主等の城史一切が不明です。当ブログやホームページ上の記載内容については、古文書・郷土史等について未調査のため不詳で、何の根拠も無い推測・主観的なものであることを お含みのうえ各自ご検証・ご覧ください。お気づきの事等がございましたら・お知らせ願えれば幸いです。   低丘陵裾北端から神社を祀る曲輪に入る(三方に切岸を落とす) 北僧尾城・南僧尾城を約1km程東へ下ると石峯寺ですが、北畑城... ...続きを見る

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2013/10/07 22:25
南僧尾城 神戸
僧尾城(北僧尾城)から南僧尾城へ、神戸市北区淡河町の二つの城を訪ねた。信長の播磨平定に抗し三木城に篭城して秀吉の包囲網に耐えたが「干し殺し」と呼ばれた悲惨な三木合戦に、城内の兵等の保身を条件に一族が自刃し開城したが、此の三木城主:別所長治の義理の叔父:淡河定範の淡河城に関連した城砦と思われます。   小峠上:車道側から延びる上り土塁 僧尾城は比高30m程・南僧尾城は比高20m程の丘城で、先のブログにも記したが、淡河から吉川を経て東播磨の加東市・西脇市方面や摂津三田市方面に通じる。淡河城の東・... ...続きを見る

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2013/10/04 07:54
松倉城と八幡山段城<仮称>
丹波は絶好の登山シーズンだが:とうとう松茸山のシーズンともなって入山禁止・11月中旬に解禁されても、続いて今度は狩猟シーズンで春先まで登山・山城探索には心落ち着かない季節に入ってしまいました・・・・ その前に尾根続きに約2時間ほどで周れる二つの山城を先週再訪してきた。 R483号(北近畿豊岡自動車道)の青垣ICを降り、道の駅側からR427号交差点に向かう西方・旧佐治川(加古川上流)沿いが丹波市青垣町佐治:嘗ての延喜式:山陰道(出雲道)兵庫丹波最後の駅屋(”うまや”の佐冶宿)。全国「足立」姓... ...続きを見る

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2013/09/15 21:40
天神山城2
篠山市方面からR372号(デカンショ街道・京街道)で天引トンネルを下ってくると瑠璃渓口で府道54号と交差する。 瑠璃渓から土ヶ畑を抜けると天王坂から大阪府能勢町から川西・池田へ通じるR173号(能勢街道)に通じる。八木町や亀岡市へはR372号を直進するが、園部町内へは大概・此の園部川沿い府道54号線を走る。 府道の傍に在りながら今まで寄らなかった天神山城へは城下・西方の辻田垣内に在る竹井公民館の駐車スペースを暫くの間借用し、およそ250m程先の城址に向かう。城址は摩気神社前バス停の崖状丘陵の丁... ...続きを見る

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2013/08/01 20:56
半田城 南丹市
半田城館と其の詰め城と思える半田城が直線距離で凡そ600m程西方の丘陵上に在る。 半田城館からの尾根続きではあるが、山麓の法積寺(曹洞宗)から本梅川沿いの園部町大西・宍人への山越え・峠から北への尾根上に在る半田城へ山麓を辿る登城ルートが大手道か?。居館と詰め城セットとしても谷間を丘陵上に向い進むだけで無理のない(離れすぎているとは思えない)範囲内と考えます。    峠からの尾根筋上部に低段差の曲輪群が現れる  半田城館も半田城も築城時代や目的・城主等の城史一切は不明だが、南北に延びる丘陵の... ...続きを見る

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2013/07/28 18:23
半田城館 南丹
先に大村城を訪城の際の取付き点の一つに考えていた大村城北山麓(R477号)に南丹市園部半田文化センターと清泉寺が在る。半田城館と半田城へは大村城の在る丘陵裾を廻り込み・半田川沿いに南下するR477号を見送るコーナー部に建つ農協の倉庫?側から真西へ向かう。   櫓台土壇(マウンド上も円状なので中規模古墳!!と思える) ...続きを見る

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2013/07/27 07:53
善願寺城 南丹
久方ぶりに・堀切や土塁も見ず、高低差は少ないが僅かに切岸らしい段差をもつ曲輪?2-3段に城跡?を偲ばせる古城!!?:善願寺城を探索。データベース化された京都府文化財・遺跡マップで存在と位置が確認出来るが、築城時期や城主等の城史一切が不明です。    取付き点の大蔵寺 園部IC付近の千妻城や蟠根寺城(高屋城)の南方に位置し、園部城や小山城(五合山城)とは園部川・JR山陰線園部駅・山陰道(R9号線)を挟んだ東北に位置する標高247mの低丘陵上に在る。丘陵部西山裾に廃寺・善願寺が在り、其の西に在る... ...続きを見る

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2013/07/24 22:07
上木崎城 南丹
黒田城の主郭からは東方へ一気に高度を下げ伸び出す舌状丘陵部中程?に上木崎城が在りました。    東郭(土塁道は近代・踏み固められた山道?か) 黒田城から上木崎城にかけての丘陵は南側を東西に府道54号線沿いに園部川が流れ、本梅川を蒐めてた園部川に架かる新黒田橋(東行き・西行き専用二本の橋が架かる)からは真北の低丘陵尾根上(起伏のない台形尾根だが)に木崎山城が在りました。…とは云え、新黒田橋を渡った横田地区で半田川沿いのR477号の合流し、再び蛇行する園部川に架かる横田新橋を渡るが、此の橋に北方... ...続きを見る

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2013/07/17 22:40
黒田城 南丹
R372号線(デカンショ街道・京街道)で。天引峠を越え瑠璃渓から続く園部川沿いに走る府道54号が、南八田から府道453で九品寺前を通って合流する船坂から黒田地区に入ると、北方に黒田・船坂工業団地が見えてくる。その一角には造成工事で発見された「黒田古墳」がある。口丹波最大の垣内古墳(4世紀末〜5世紀 )よりも約100年程古く、弥生時代から古墳時代前期にかけての我国でも最古級の古墳といわれているがブログでの詳細は控える。     南郭(虎口部から) ...続きを見る

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2013/07/15 13:03
太鼓山城 南丹
JR山陰本線船岡駅のホーム北側に半独立小丘陵が有り山上尾根に諏訪山城が在り、今年5月に訪ねたところですが、JR船岡駅を挟んで南側にも、蟠根寺城の北尾根続き先端部には太鼓山城が在った。    北郭の西側:土橋(手前)空堀 高屋城(蟠根寺城)からの西尾根末端部には千妻城が在り、此方は尾根筋山麓の朝倉神社”千妻の大杉”に降り立つ。 太鼓山城は蜷川城(蟠根寺城・高屋城からの北尾根続きの先端部に位置し、山麓部の”諏訪ノ森”の小丘を越えるとJR山陰本線船岡駅のホーム西端付近に出る。此のホームを挟んで北... ...続きを見る

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2013/07/12 07:36
千妻城 園部
南丹市園部町千妻岡崎朝倉神社の神木は「千妻の大杉」とも呼ばれ、府下最大級の杉の巨木はよく知られていますが、其の朝倉神社背後:直ぐ上方に小曲輪群を並べて尾根続きに展開する中世山城が在りました。   主郭:帯曲輪と櫓台?土壇 丘陵尾根最高所には帯曲輪の中央部を幅広い土壇(共に高低差も切岸も曖昧!!)の櫓台状マウンドが占める千妻城主郭部北曲輪・東への尾根続きに土橋付き空堀(此れも崩れ埋れかけて浅い溝状・空堀外側も明確で無いので、土橋は空堀端の低い上り土塁状に見える!!)が主郭部南曲輪部を分ける。 ... ...続きを見る

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2013/07/10 21:21
小山城(五合山城) 南丹
園部城の西約1km程の地点に大村城が、南方約1km付近には小山城(五合山城)が在り、園部城砦群の様な存在に見えるが、城史については不詳で関連も不明。どちらの城も初代城主は、足利尊氏に付いて軍功があったと云う南北朝期の築城。   小山城(五合山城)主郭北面切岸と帯曲輪(手前上り土塁虎口?) 小山城は五合山の山上部に土塁囲みの主郭を置く単郭の小規模な城郭だが、築城主は当地土豪として勢力をもっていた荘林氏で、山麓に小山館(荘林館)〈未訪&gt;を築き、居館南側の半独立低丘陵上に”詰め城”五合山城を... ...続きを見る

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2013/07/08 16:26
大村城 南丹
南丹市の園部城(厳密?には陣屋だが!!)は京都に近く山陰や摂津・阪神間への要衝の地に在って、近世:小出吉親が出石城より国替えで入封されて以後・明治新政府により更に堅固な城として「大政奉還」の翌年、諸藩の廃城に逆行して、再整備:慶応4年(明治元年 1868)から明治2年(1869)にかけて櫓門、巽櫓や小麦山山頂を詰の丸として篭城戦に備え、天守に相応する小向三層櫓を築く大改修が成され、明治以降に例を見ない国内最後の築城歴史を持つ城として知られます。   大門交差点付近からの大村城 しかし中世の園... ...続きを見る

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2013/07/06 23:02
城山城 西脇市
播磨で城山城といえば・足利将軍:義教を謀殺した嘉吉の乱(1441)に播磨・美作・備前の三国守護:赤松満佑が 自刃した”たつの市”の城山(きのやま)城が有名ですが、東播磨:西脇市の城山城を知る山城フアンは殆んど皆無かも?。周囲わずか80平方メートル程・比高20m程の極小規模の釣鐘状の独立した小山は、山を見れば城山か判ると豪語する山城探索家も此処を素通りして近くの城郭に向かっているようです。頂部に小さな2-3の削平段が有るだけ?の城山(じょやま)城は一部を除いて露岩と切り立つ断崖・露岩なら何とかなる... ...続きを見る

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2013/06/24 09:47
木坂城 綾部
木坂城へは綾部JCT(舞鶴若狭道・綾部宮津道路)の高架下を抜ける府道485号線を西に向い府道沿いの高柳山慈眼寺(臨済宗)を目標に走る。 七百石町大釜田のコミュ二テイセンターに綾部JCT近場の名所?簡略案内図が有って、慈眼寺背後の低丘陵には小規模円墳の七百石中山古墳(完存)と木坂城が載せてある。府道485号線を挟んで慈眼寺の南300m程の独立低丘陵上には、先のブログで紹介した甲山城が在り、主曲輪がヒシロ古墳のマウンドを利用したものと思えたが、古墳についての詳細等は割愛する。   主郭の空堀・櫓... ...続きを見る

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2013/06/08 19:33
甲山城 綾部
高倉城南山麓の綾部(城山)工業団地を抜ける府道74号線は八田川に架かる岡安橋で、R27号(JR舞鶴線・渕垣駅)から分岐する府道484号線と交差する。交差点から府道74号線側に入る右手・岡安公民館・神社背後の丘上一帯には嘗て西八田城が在った。   甲山城:二段程の広い南曲輪(南端は切岸を落とす) 高倉城と共に高城城(八田城)の支城群の一つだったと思えるが、xx工場敷地造成により壊滅(粗消滅)状態。府道484号を直進すると八田川を挟んで姫城と嶋間城の在る嶋萬神社前を通過する。坊主山城と主城の高城... ...続きを見る

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2013/06/07 07:49
高倉城 綾部
高城城は周辺山麓・丘陵尾根筋に高城城の城砦群を備える程・何鹿郡(綾部市)に大勢力を誇った国人領主:大槻氏のスケールも大きな山城だが、綾部三大山城の一つ高津城(八幡山城)と鴻ヶ嶽城(甲ヶ岳城程には地元でも余り知られていない?。   帯曲輪の切岸と土橋付き堀切:右端に送電線鉄塔 展望が余り期待できず急斜面の雑木藪・登路ルートは城跡のある山上へ延びる送電線鉄塔への巡視路任せ?で、 現状:登山者も城山を訪れる人も城址への尾根筋や主郭付近に踏み跡も薄い城山ではある。高城城よりは幾分か知名度が高い?が... ...続きを見る

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2013/06/06 07:31
坊主山城 綾部
高城山山頂(4等三角点 299m)に高城城(八田城)の主郭がある。主郭東尾根側の二重土橋大堀切は当城の最大医見所ですが、北には土橋を渡す塹壕状の空掘、西尾根は西曲輪端の虎口を出て更に西出曲輪部にも堀切で主郭に至る三方尾根を守備している。     坊主山城北端堀切と曲輪切岸 主郭の南東尾根は急斜面の尾根筋両脇に大きな竪掘が落ち、鞍部を挟んで南側の平坦地形は舞鶴街道や安国寺町側の監視・見張り所だったのかも・・?主郭からはもう一本・南西尾根が府道484号線側の嶋萬神社付近に其の先端を落とす。綾部J... ...続きを見る

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2013/06/04 11:04
高城城3 綾部
綾部市北部の東八田・西八田・上八田地区は荘園:八田(やだ)郷。室町時代には其の中に本郷&lt;上杉氏領&gt;・上村(七百石町・上八田町&lt;安国寺領&gt;)・高槻保等の分領地があった。高槻保は上杉氏(足利高氏の執事・関東管領で山内家の租)・安国寺領は足利尊氏が南北朝期の初めに元弘の乱(1331ー33)以後に亡くなった戦歿者慰霊供養の為・国ごとに建設した安国寺の筆頭に挙げられ、此の安国寺等の分領地があった。   高城城(八田城):主郭東のの堀切 鎌倉時代に既に築かれていたとも云われる高城... ...続きを見る

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2013/06/02 20:48
高城城2 高城城砦群
綾部市北部のJR舞鶴線とR27号沿い・舞鶴若狭自動車道の綾部ジャンクション周辺の東八田・西八田・上八田地区が荘園:八田(やだ)郷。室町時代には其の中に本郷&lt;上杉氏領&gt;・上村(七百石町・上八田町&lt;安国寺領&gt;)・高槻保等が上杉氏(足利高氏の執事・関東管領で山内家の租)や安国寺等の分領地があった。   高城城(八田城):主郭東切岸下部の二重土橋と大堀切 安国寺に近いJR舞鶴線の梅迫駅西麓に丘陵裾を延ばす尾根を辿ると高城山(標高299m)に至る。此の山頂部一帯には南北朝期:正... ...続きを見る

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2013/05/31 08:08
高城城1 綾部三大山城
京都府綾部市の綾部三大山城の一つとして高津城(八幡山城)と鴻ヶ嶽城(甲ヶ岳城)が挙げられる様ですが、もう一つは…?何処だろう。綾部市と福知山市の一部は旧何鹿(いかるが)郡に国人領主:大槻氏が勢力を張っています。大槻氏は正慶元年(元弘2年1332)大槻左馬頭(右馬頭)清宗が足利尊氏に従い、何鹿郡・天田郡の地頭として入部し綾部北部の高城山に城を築いたと云われます。  府道484号から島萬神社と坊主山城・高城山(高城城)を望む 綾部北西部には鎌倉時代:上原氏が何鹿郡の地頭として入部し、細川政元の家... ...続きを見る

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2013/05/29 23:46
越方城 南丹
京都府南丹市園部町の大戸城(片山城)から桂川(大堰川)に架かる川辺大橋を渡ると府道25号線に出る。此の府道の南に佐切城(B)が在り、左折して北方へ約700mほど・越方(おちかた)集落に向かう丘陵上に送電線鉄塔の建つ山上部に越方城が在りました。   見張り台?(山上鉄塔付近)から眼下の府道・桂川流域と大戸城(正面)を望む 蜷川氏の現地代官:片山氏の大戸城 (片山城)と共に、桂川の通舟と府道25号線沿いに南へは八木町・亀岡市へ、北へは日吉町や船井郡京丹波町へ通じる要衝の街道監視に当たった、高屋の... ...続きを見る

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2013/05/25 05:41
佐切城 南丹
南丹市園部町にある佐切城は京都府の埋蔵文化財分布地図をみると、細ヶ谷を挟んで東には284mピークから西へ桂川(大堰川)沿いの走る府道25号線沿いの尾根筋に佐切城A支群が在る。八木町との町界に位置して字名:城ヶ谷にあり、此方が主城郭だろうか?。   主郭切岸下東西を取巻く帯曲輪 佐切城B支群が府道25号線佐切集落内の直ぐ側にあり、府道脇の取付き地点には広い駐車スペースもある。桂川を挟んで西方約7-800m程:武尾神社背後の丘陵上には大戸城(片山城)が在り、訪城の後に佐切城の存在を知り、前... ...続きを見る

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2013/05/23 20:24
諏訪山城 南丹
今年3月末に南丹市八木町の西田・刑部・北広瀬・新庄の各城跡を訪ねた後、園部町の藁無城にも再訪してきた。以前にレポートはHPにアップ済みだが画像が古いので差替えたが、藁無城では肝心の石積み遺構写真が無く・今回再々訪により先日リニューアル・アップしたが、其の際:府道19号線藁無城への分岐・六蔵前三差路から、諏訪山城の在る丘陵山麓周辺を歩いて・目星を付けたルートで訪城してきた。    二ノ丸!!の一文字土塁 諏訪山城へは藁無城登城目標地点の林松寺・治宮神社への府道19号線六蔵前の分岐から府道沿い北... ...続きを見る

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2013/05/22 06:52
藁無城 南丹
南丹市の八木から園部へ桂川沿いは先に野条城と畑中城を探索後、府道25号線を北上してJR山陰本線:船岡駅側からJRガードを潜り府道19号線に合流する付近、藁無の集落側に露岩累々の荒々しい山容の、いかにも城山を思わせる山が正面に立ちはだかります。    藁無城主郭南:腰曲輪の石積み 城址としてノーマークで未調査・未訪ですが私の近畿の山城(京都丹波)リストに記載の万躰山城(稾無高山城)が此の山上部に在るのかも?。この山に比して、冨士型の優しい山容の山が丘陵西側に見えてきます。この山(点名:松尾 4... ...続きを見る

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2013/05/20 07:29
畑中城 南丹
R9号線の”吉富”交差点を東へ・府道408号が城山新庄城北麓を廻り込み船井神社前を通り、府道25号線の”室橋”で交差する。畑中城へは府道408号を直進する。城山「新庄城」の東山麓に文覚池があり、東南斜向いの丘陵上には野条城が、野条城からは府道408号を挟んだ東北方に畑中城が在りました。   畑中城:北端曲輪のコの字状低土塁? 新庄城の東・野条城の東方と北方・畑中城の南に面する舟枝・野条・室橋一帯は圃場整備による遺跡調査により、弥生時代から奈良時代へと古くより利用されてきた土地は平安時代には後... ...続きを見る

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2013/05/17 21:36
野条城 南丹
先月(4月)南丹市の新庄城を訪れた際、取付き点の文覚池や船井神社について調べてみて、新庄・室橋・野条一帯が圃場整備による遺跡調査(平成10年?)が実施され、弥生時代の土器や灌漑の為大規模な用水路跡や、奈良時代-平安時代の掘立柱建物跡や柵列・土坑・溝・土師器や須恵器が出土しており、古くより利用されてきた土地。    野条城は地滑り防止工事中の左上部(中央は府道25号) 平安時代:承安4年(1174)に成立した後白河院・法華寺領の吉富荘、其の後:後白河院から神護寺に寄進され、神護寺を再興した文覚... ...続きを見る

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2013/05/16 20:33
高峰城(粟賀城) 神崎郡 
T氏を生野古城へ案内して朝来市へ向かう途中・多可郡から高坂トンネル越えで神崎郡粟賀へ降りてきた際に指呼した高峰城(粟賀城)へは、生野古城訪城後の帰路に寄ってみた。此処も7-8年ぶりの再訪。 ...続きを見る

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2013/05/15 08:03
生野古城 U
生野古城へは8−9年前・登山目的で生野町口銀谷の生野義挙碑の前から寺町の教徳寺の立ち寄りながら”びわの丸公園”から古城山&#12316;太盛山&#12316;釜床山へと縦走したことがある。山城に少し興味をもち始めた頃だったので、登り着いたV郭やU郭は下草藪に覆われ、荒れた曲輪内を足探りで主郭に向かった。それでも気になるU郭西面切岸の下草藪を払い石垣跡を見つけた。   生野古城主郭南面切岸の石積 登山口から荒れた登山道は有ったが城や登山で訪れる人は稀だたかも。今回の再訪でも登山者は少ない様だが... ...続きを見る

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2013/05/12 22:00
生野古城T
但馬:朝来市の生野町は丹波市や北播磨の多可郡・神崎郡との境に位置しており、生野峠(真弓峠)では但馬:山名氏VS播磨・赤松氏による宿命のライバルによる合戦場ともなった。嘉吉の乱(1441年)には峠に布陣した赤松(赤松満祐の弟:義雅)軍を幕府追討軍の山名(宗全)持豊が追い返し、反対に播磨に侵攻した。後:文明15年(1483)赤松政則が但馬へ侵攻の際も山名氏勢に攻められ、赤松軍は敗走・播磨側へ退却します。   生野城V郭の虎口を入ったU郭側切岸の石垣跡 生野城は生野峠(真弓峠)を越えて侵攻してくる... ...続きを見る

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2013/05/11 22:51
後谷西砦 丹波
黒井城主:荻野(赤井)直正【幼名:才丸】は荻野十八人衆と呼ばれた武家集団:荻野氏の本拠朝日城の盟主にと乞われ養子に迎えられた。其の後の勇猛と軍を収束し躍進するリーダーとしての手腕は此処で語る必要もないほどに知られます。 後谷西砦?の連続する古墳墳丘部は切岸のない曲輪状 此の才丸こと荻野(赤井)直正の父が後谷城主赤井時家で、其の父:赤井伊賀守忠家が赤井一族の本拠として赤井野に築いた後谷城(後屋城)は現在の白山神社境内に遺る本殿前の空掘と大土塁に囲まれた内部で、車道や(わんぱく?)子供広場横か... ...続きを見る

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2013/04/20 21:57
後谷山城南郭
  後谷山城:西尾根曲輪のヒカゲツツジとミツバツツジ? 後谷城(後谷館・赤井館・下野城)の”詰め城”として白山山頂部:白山神社跡地が後谷山城の主郭とされている様ですが、黒井城落城により荻野・赤井始め丹波の国人は悉く滅亡・敗走した後:白山城址には文禄元年(1592)白山神社が奉斉されたが、造成に因るものか往時の城遺構は曖昧になっています。    低土塁を廻す後谷山城南曲輪(三角点峰) ...続きを見る

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2013/04/18 22:12
新庄城 南丹
新庄城へは先のブログ船井神社から文覚池に出て、堰堤防を渡った対岸の農作業小屋からの山道を辿ってみた。新庄城主郭から南郭への尾根中間部の堀切のある鞍部を目指す方が良いのかも…?     文覚池付近からの新庄城(主郭) 鹿猪除けフエンスを開閉して続く山道は直ぐ落葉で隠れる程に、しかも急登で足を取られ滑る。主郭から船井神社側へ落ちる東尾根側に、土塁が曲輪の南半分を囲む東曲輪に詰め上がる。東尾根先端の緩斜面にも出曲輪がある。東曲輪に戻ると一段高く露岩を抱く大土塁があり、北側を回り込む曲輪先の見上げ... ...続きを見る

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2013/04/12 07:36
北広瀬城 南丹
R477号線沿いに西田バス停南側の大日寺から向かった西田城…北へは三俣川を渡った住吉神社側からは多国山の尾根上に展開する?城址遺構が残る刑部(おさべ)城へと、三俣川を挟んで呼応したと思われる古いタイプの山城を廻って住吉神社近くの駐車スペースへ戻ってきた。   三俣川から住吉神社の杜と宮山の北広瀬城を遠望 水溜も無いコンクリート川床の三俣川ですが、住吉神社を直ぐ下方に見る川沿いは、200m程だが桜並木とカラー歩道の河川公園。堤防沿い桜並木の先・田圃の中に鎮まる住吉神社の西方に低丘陵・宮山の姿が... ...続きを見る

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2013/04/09 20:26
刑部城 南丹
南丹市のJR山陰本線八木駅からR9号(山陰道)を越え桂川に架かる大堰橋を渡り東へR477号線を進むと京都市右京区嵯峨越…に向かう。八木町・京北町・亀岡市千歳町との境界が入り混む。R477号線が桂川の大堰橋を渡る付近へは、R477号沿いの三俣川を挟んだ南側に西田城・北側には高低差の少ない多国山(東西およそ550m・南北およそ250m程)で稜上は長いテーブル状を呈した独立低丘陵がある。東西に延びる緩斜な丘陵尾根の東端から西端にかけて刑部城の城遺構が点在する?。 住吉橋近くからの多国山(最高所が刑部... ...続きを見る

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2013/04/08 21:50
後谷山城(仮称)  丹波市
白山(赤城山)山頂には赤井氏の守護神:白山権現を祀る白山神社跡が、石垣・石積・祠の石礎檀や石燈篭を遺して残っている。もと後谷山城の主郭跡と思われ:高城とも上ノ城とも呼ばれ、旧名の赤城山は”赤井氏の城”の意味なのかも!!?。創建時の白山神社は山上から再び現在の白山山麓に遷移されている。赤井氏発祥の地に鎮座する白山神社社殿の建つ位置が後谷城(後屋城)主郭部の後谷館・赤井館で、下ノ城とも呼べる赤井氏の居館。典型的な居館(下ノ城)と詰め城(上ノ城・高城)セットの構成ですが、県遺跡分布図等資料に後谷城(居... ...続きを見る

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2013/04/04 20:30
後谷東砦(仮称)
赤井氏発祥の地・赤井野の谷村・新郷には白山(赤城山)山麓に、鎌倉時代・建保3年(1215)井上九郎為家が栗住野城(青垣町)から新郷に移って芦田姓から赤井姓を名乗り、天正7年(1579)丹波攻め:明智光秀の援軍として攻め寄せた丹羽長秀・羽柴秀長の連合軍による攻撃に穂壷城 ・保月城(黒井城)と共に落城するまで、約360年に渉る戦乱期を耐え・生き抜いてきた国人:赤井氏一族の本拠地が在った。      後谷東砦:主郭と帯曲輪 為家から9代目の赤井伊賀守忠家から時家・家清・五郎忠家へと4代続いた赤井一... ...続きを見る

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2013/04/03 20:37
白山 丹波市
加古川(旧佐治川)沿いR175号線が氷上町佐野(高見城の旧大手)の山裾添い稲畑の錦橋東詰に向かう車窓の左手には、西脇方面から丹波市に入った井原橋から氷上町・青垣町へと続く・加古川沿いの氷上回廊に、花冷えながらも咲き始めた桜並木の長い帯が延びていく。裾模様の淡い帯の上に競り登る二つの瘤を見せてる白山と、其の北先には露岩の山肌を覗かせる弘浪山の姿が低山ながら優美な姿を浮かべている。  氷上廻廊(加古川沿い花廻廊)R175号稲畑:錦橋東詰からの白山 H25/3/30 弘浪山は先のブログでも紹介した... ...続きを見る

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2013/04/01 20:03
高山寺城 丹波
弘浪山の山頂直下の山腹に、平平宝字元年(757)法道仙人の開基を伝え、仁平3年(1153)源平の兵乱により焼失。平安時代末期:文治5年(1189)源頼朝の命により東大寺の俊乗坊重源上人により再興された古刹高山寺は、源平・南北朝や元亀・天正の兵乱と…・度重なる戦乱の兵火に遭い焼失・再建を繰り返しているが、建保 ・承久年間(1213-21)関東から荻野一族が来住すると、土豪や足利氏との交戦に要害の地にある高山寺は全山が城郭化された高山寺城として度々戦場ともなります。    高山寺跡(仁王門・本堂へ... ...続きを見る

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2013/03/31 19:30
弘浪山 丹波
常楽の安全山(丹波の霧海の展望所)山麓の弘浪山高山寺山門に立つと正面に弘浪山を望む。元:此の弘浪山山上に在った高山寺は、奈良時代:天平年代・法道仙人により開基、源平の兵乱に焼失したが鎌倉時代:源頼朝により東大寺の俊乗坊重源上人により再興されました。しかし建保 ・承久年間(1213-21)関東から荻野一族が来住すると、土豪や足利氏との交戦に要害の地にある寺は全山が城郭化された高山寺城は度々戦場ともなり、「太平記」に登場する鎌倉時代の山城でもありました。天正3年光秀軍にも攻められたが寺としても昭和年... ...続きを見る

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2013/03/30 19:51
蟲生城U 西脇
蟲生城は以前のブログでも紹介済ですが再度… 福地の村上氏は応永年間(1394-1428)九条家から黒田荘内に采地を与えられて下国した村上霜台が播磨守護職・赤松氏の被官となり、応永26年(1419)村上盛弘が黒田荘を20貫文で九条家から代官請けしています。 播磨・備前・美作の三国守護:赤松万祐が室町幕府6代将軍:足利義教を暗殺した嘉吉の乱(1441)に敗れて、没落した赤松家の再興を願う赤松氏の遺臣(赤松浪人)等が、奥吉野の後南朝の行宮を襲い皇胤:自天王・忠義王の兄弟を討ち、神璽を奪い返した長禄... ...続きを見る

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2013/03/06 21:22
桂松山城 西脇
R175号線の西脇市黒田庄町で多可郡中区へ向かう中央橋交差点を右折・加古川を渡り県道174号・県道294号を南へ走ると車窓に白山&#12316;妙見山へ延びる山稜に露岩を見せる山頂部が望まれる。二つの山を繋ぎ南西に延びる尾根を結び南山から友尾山城まで完全縦走も出来るが、普通!!?登山者は秋谷池からフォルクスガーデンへ下山されるでしょう。    福谷池と岡福谷古墳 時々立寄るフォルクスガーデンNa-Sya の直ぐ近く:岡の福谷公園に向かう。JR黒田庄駅の真東約700m程に福谷池がある。大概は「... ...続きを見る

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2013/03/04 20:28
味間南城 篠山
JR篠山口駅前から国道176号線の北正面に住吉台の丘陵を見て、西に回り込むように走ると国道は西側丘陵との間を抜ける位置に”丹波茶の里・大国寺”の案内板が立つ西古佐の三叉路。左折して西脇市に抜ける県道36号に入るコーナー北の丘陵上の火燈し山に平井山城が有り、更に山裾通って5〜600m先・味間北の集落入口北方の集落内の低丘陵部には味間北城が在る。    墓地背後の土塁・空掘 味間谷の中央部を住吉川が流れており、味間北城と平井山城の間:南方には松尾山(高仙寺城)&#12316;白髪岳の山並みを望む... ...続きを見る

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2013/02/24 09:18
平井山城 U
篠山市味間地区については、前のブログで少し紹介していますが、八上城主:波多野秀治の遺児・甚蔵が八上落城の際:乳母の里:味間に逃れた後…篠山藩主松平忠国に仕え、味間・黒石・市原等7ヶ村の代官となり、味間には波多野甚蔵屋敷の長屋門が遺るが、殊にR176号線から県道36号を味間地区に入る分岐点付近から味間北城の北方に入り込む谷間の三釈迦山・里見山山麓一帯から田圃の中にも数多くの古墳が点在する。   平井山城:主郭と東面の切岸 過去に紹介済の平井山城(西古佐小屋床・西古佐城)も山麓から火ともし山山頂... ...続きを見る

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2013/02/22 22:21
大沢城 篠山市
北近畿・舞鶴若狭自動車道の篠山ICを出てR176号に出る手前・JR福知山線を跨ぐ県道94号陸橋を越えると正面にコンクリートで固めて切立つ断崖から南へ延び上がる低丘陵尾根が見える。其処が佐幾山城が在った処。JR篠山口駅とはR176号線を挟んで西に三角オニギリ状の山容を見せるのが禄庄城。此の二つの山城は先のブログで紹介済ですね。   大沢城主郭東尾根の切岸と僅かに堀切?形状。片堀切がある 禄庄城から南へ延びる尾根筋が西方へ方向を変える尾根上には大沢城が在りました。これ等の山城の築城主を初田酒井氏... ...続きを見る

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2013/02/18 23:22
禄庄城 篠山市
篠山口駅から歩いて廻れる歴史と自然のハイキング道「大沢ロマンの森」があります。酒井党については先のブログ「佐幾山城に触れていますので参照してください。八幡神社がスタート地点で禄庄城・大沢城の縄張図と簡単な説明板が立てられています。    八幡神社からスタート(正面登山道) R176号を挟んだJR篠山口駅から間近の丘陵上には、同心円状に曲輪を重ねる輪郭式構造をもつ禄庄城が在り、尾根続き南には初田酒井党の主城で若き城将:酒井勘四郎が護る大沢城、そして味間へ抜けるバイパス道路拡張工事かと思っていた... ...続きを見る

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2013/02/16 22:18
佐幾山城 篠山
三田市からR176号で市境界の日出坂を越篠山市に入ると、R372号線(デカンショ街道・京都街道)に沿っての要衝を波多野氏の被官・酒井佐渡守重貞が居城した油井城をはじめとして(古森・油井・波賀野・栗栖野・当野・矢代 ・初田…等)酒井党【鎌倉時代:承久の乱(1221)の功績で、相模国(神奈川県)大住郡酒井郷?の豪族:酒井氏が地頭職・公文職を与えられて多紀の地に来住したのが始】一族の武士団が、摂津(阪神・三田方面から西国街道を繋ぐ)・東播磨(小野・社への山陽道を繋ぐ京街道)への玄関口を守備しています。... ...続きを見る

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2013/02/15 22:33
酒井北砦 三田
高売布神社前から地区道を北へ進むと酒井公民館前交差点を右折すると羽束川を渡り県道37号線酒井・十倉側へ向かう。酒井北砦は酒井公民館前を北へ直進すると北西方から延び出す低丘陵尾根末端が地区道に落ち込み。地区道が此の山裾を回り込み進む上方だが、手前左手から民家で行き止まりか?。    友松寺山門(酒井北砦への取付点) 其れとも林道になるのか?と思える様な山手に向かう幅狭い車道を進む。案内標識等は無い?が友松寺(曹洞宗)に向かう参道。山門に向かう石段参道には春には見事な花の門になるだろう桜木が立つ... ...続きを見る

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2013/02/12 14:50
高売布神社と酒井砦  三田市
木器(こうづき)から後川(しつかわ)へと羽束川沿いに遡る高平地区に上瀬瀬砦・十倉城へと里山ハイク・山城を巡るが、高平地区の南玄関口の京・摂津・丹波・播磨を結ぶ要衝の地点に木器城は在るが北進する県道37号線は小柿からは山越で後川へ抜ける間道。多田氏の庄園領地に属し、源満仲の嫡孫:福田陸奥守(源)ョ遠が平安中期に領主として入っている。福田氏が十倉城主:森本氏の子孫と云われるが、高平地区内には他姓の小領主や代官名は不詳で、十倉城の城砦群の一つと思える?木器城に定かではないが光月氏?…の名がある以外は不... ...続きを見る

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2013/02/11 18:50
川原砦 三田市
羽束川に沿って県道37号線を北上・大船山の裾を走り、右手に観福寺の茅葺山門が見える県道507号(島・川原線)分岐の先・低丘陵部先端が県道に落ち込む側を通って高平ふるさと交流センタに着きます。交流センタの裏山一帯は「観福の森」として(H11年5月)里山のハイキングコースが整備されています。  川原砦:金毘羅宮は出曲輪!!? 十倉城:Tブログに記した観福寺背後の半独立低丘陵部の山頂:堂山に主郭を置く川原砦がありました。先の県道507号線は昔:紅葉の新名所?として知られるようになっていた方広寺(黄... ...続きを見る

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2013/02/09 21:08
十倉城U 三田
大船山山系の西山麓・羽束川沿いの高平地区を南北に県道37号(三田・後川上線)が走る。高平地区は”三田米”とりわけ特産の「もち米」産地で上槻瀬砦に在る”高平ナナマツの森”里山コースの基点「つくしの里」は名物の”もち処”が幟旗にも記されるトレードマーク。    十倉城:自然石を切岸の三ノ丸(西曲輪)と帯曲輪 更に北上する「高平ふるさと交流センター」を基点の「観福の森」里山コースがあり、丘陵部南麓には観福寺が在り・背後の山上部には川原砦があった。大化年中(645頃)法道仙人開基を伝える真言宗の古刹... ...続きを見る

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2013/02/08 11:03
上槻瀬砦 三田
R176号「新三田駅前」交差点から有馬富士公園前を通って志手原交差点に出る。直進は県道68号線で千刈ダム北を川西市方面に向かう。ダム下流はJR道場駅に出る。志手原で左折し後は県道37号を進み蓮華寺手前のT字辻で大きく北に進路をとる。右手へは羽束川を渡り宝塚市に向かう県道323号線。右手の低丘陵(比高4-50m)上には木器(こうづき)城が在るり、今日の城巡り最期”帰りの駄賃!!?”に立寄ってみるつもり・・・。    主曲輪西面切岸と堀切 此れよりは千刈ダムに流れ込む羽束(はつか)川沿いに北に向... ...続きを見る

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2013/02/05 22:42
鍋倉城 丹波市
山田川が篠山川に流れ出る東側丘陵部にあり、JR谷川駅の東南方向に東山(鍋倉山4等三角点459m)がスッキリした綺麗な山容を見せています。北麓を県道77号線(旧山陰道)が走り、篠山川を挟んだ北方には西から玉巻城(久下城)・JR谷川駅裏手の丘陵上に池ノ谷主計屋敷・大河城・西山城…・が横一列に並びます。   東山三角点峰東鞍部の土塁曲輪 ...続きを見る

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2013/01/30 19:16
西山城 丹波市
先のブログ:大河の嫁ヶ橋(丹波のむかしばなし:にも集録されている)の北向の丘陵上には大河城が在り、黒鼠子佐渡守屋敷が其の西麓に在った。鬱蒼とした薄暗い杉林の中に在ったが、今は砂防堰堤上の河原の端になったが、国相守神社旧跡の石碑だけが残る。移遷された国相守神社は大歳神社・高座神社境内に合祀されています。此の大河城とは北太田川を挟んだ東側の丘陵末端部に位置して呼応する西山城が在りました。 北太田川を詰め上がると方井寺跡で、柏原町との境界尾根を北へ降れば九十九折れの旧県道86号の峠に繋がる。久下城(... ...続きを見る

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2013/01/29 08:22
小山城 三田市
R176号線の広野「上井沢交差点」で東へ・県道308号に入り千丈寺湖(青野ダム)に向かいます。末の末吉橋が見えてくる手前で青野ダム・青野記念館の標識を見て公園内の駐車スペースに車を寄せます。此処 「青野ダム記念館」には発掘調査により 出土した須恵器や須恵質の陶棺【昭和26年:青野川右岸台地・東山の古墳から出土している(県指定文化財)】などが常時展示されているので、古墳フアンならビギナー・マニアを問わず必見です。   土橋付堀切 ...続きを見る

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2013/01/25 19:05
金水寺城<仮称>
丹波市山南町側から奥野々峠(県道86号)を越えてR176(旧山陰道)に合流する下小倉地区に下ってくる。武蔵7党に属した豪族・久下氏は源頼朝の挙兵に”一番”に駆けつけた事で名を挙げ、承久3年(1221)丹波栗作郷(丹波市山南町上久下・久下地区)の地頭として来住し、足利尊氏:篠村八幡宮の旗揚げの際にも「一番」を旗印に一番に駆けつけたことは良く知られます。   主郭尾根筋の土橋付き堀切は8m程で折れて竪堀で落ちる ...続きを見る

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2013/01/08 21:06
東鴨野城 U
南北朝期:加古川沿いの氷上回廊に面した西麓の佐野を大手とした高見城は「太平記」に佐野城とも呼ばれ、[観応の攪乱]後の直冬(高氏の庶子)が高氏がを討つため呼びかけ参軍する但馬・山名時氏が京に攻め上る為・高見城下を通過する際、丹波守護:仁木ョ章は一矢も酬い見過ごした。仁木氏は既に南朝方へ傾倒していたのか?、仁木氏は二代で衰退・山名氏が丹波守護となると玉巻城(山南町)の久下時重を守護代として高見城の置くが、やがて…応仁の乱後は新勢力:赤井氏(氷上町)の城として北麓の鴨野・大新屋を大手として改修されてい... ...続きを見る

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2012/12/26 22:21
東鴨野城 T
京を追われた足利高氏が二度までも久下氏を頼り逃れた石龕寺(丹波の紅葉三山)から岩屋山(石龕寺城)&#12316;石戸山(ふるさと兵庫100山だったが・・・今は?)&#12316;高見城山&#12316;悠々の森へと縦走登山コースがある。石戸山から南へ延びる尾根先(篠山川を望むJR谷川駅近く)には久下氏の拠城:玉巻城が在る。石戸山から鉄平石採石場跡?の”賽の河原”を抜け送電線鉄塔のピークに向かう。  東鴨野城域(尾根筋東末端)の曲輪 ...続きを見る

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2012/12/25 20:21
観音寺城 朝来
雲海に浮かぶ竹田城の画像を、此処数年:此の時期にTVや新聞で見ない事が無い。出掛ける前日もTVのニュース番組でやっていた。しかし現状からは:山として・山城としての素晴らしさを多くの人に知ってもらえる事の功罪に心境は複雑です。日本100名城とか日本三大山城としての単に観光地!!。    竹田城:南千畳 何時も利用する寺町通り(竹田駅)側からの林道は下り専用一方通行。上りは北麓の”山城の郷”から花屋敷下の駐車場へだが早朝から既に満車。麓から空待ちの長い車列が続く。NPO法人xxxxは此処をプロポ... ...続きを見る

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2012/10/23 22:34
仁田城 福知山
福知山市六人部(むとべ)の大内と宮地区の間を南北に延びる低丘陵上を北近畿(舞鶴若狭)自動車道が走るが、其の丘陵部最北端の麓・丹波市市島町から福知山市六人部の土師川を渡るとR9号(山陰街道)に、県道708号線が 合流する6−700m程手前:頭上を自動車専用道が走り抜ける高架橋の側近くに一宮神社が鎮まる。 ...続きを見る

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2012/09/25 08:55
岩間城 福知山
福知山市街地の東南方:土師川流域の右岸に長田地区と向かい合う岩間地区は丹波市との府県境にあって、東方を竹田川が回り込む様に土師川に合流する田野と、西方はJR福知山線と塩津峠を越えてくるR175号(水分れ街道)が岩間口(出戸&lt;三軒茶屋&gt;)に降ってくる。   岩間城:丘陵北東側の土塁・外側に空堀!? 土師川沿い北へ進路をとって直ぐ堀地区に境する。川沿い東方に六人部七天神のうち,明治期に六ノ社と七ノ社が合祀された天神社?が鎮まる。其処から南へ500m程・低丘陵北端に建つ高浄寺が目的地... ...続きを見る

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2012/09/20 00:39
衣笠城 朝来
JR山陰本線梁瀬駅前を円山川へ流れ出る与布川はR9号(山陰道)を渡りヒメハナバチ群生で知られる楽音寺前を抜け南へと県道276号線を遡って行くと、丹波市境界(丹波・但馬国境)の粟鹿山南尾根を越える山道で行き止まる・・が一端途切れた県道276号線は丹波市青垣町大稗!?から紅葉三山・高源寺でR427に繋がる。 衣笠城にある主尾根に向かう北尾根の土橋と片堀切状(登城の堀底道?) 与布土氏館のブログでも「お杉地蔵」の伝承にふれた様に、遠阪峠を越える要衝とは別に・国境を越える生活道路・間道として利用され... ...続きを見る

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2012/07/20 20:20
与布土氏館
北近畿豊岡自動車道(R487)と併走する県道136号は、茶臼山古墳の南裾を抜けて和田山IC・円山川沿いR312号に合流する。先のブログやホームペーで筒江城・加都城・安井城の訪城に利用した車道ですが、更に南方を東西に走る県道277号が与布土川を渡り、金梨山麓・立雲峡を過ぎ正面に竹田城を望みながら下ると「竹田交差点」でR312号線に合流する。    主郭内:中央部の空堀状と北堀切側の大土塁は櫓台? 丹波:丹波市・但馬:朝来市を分ける国境線に粟鹿山があり、丹波市青垣町から粟鹿峠を越える厳しい冬の逢... ...続きを見る

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2012/07/14 20:07
諏訪城 朝来
丹波市側から遠阪峠を越えるR427号の山東町一品交差点から北近畿豊岡自動車道の山東IC近くの高架を潜って、粟鹿川・自動車専用道沿いの広域農道を西へ走ると与布土川に架かる新諏訪橋を渡り県道276号に合流すると右手・車道側の丘陵上が目指す諏訪城ですが、これでは少し判りにくいかも?。    北郭(主郭)の西&#12316;北角へ延びる土塁線 丹波市・福知山市側からはR427号からR9号線に出る手前・矢名瀬(朝来市役所山東支所)から、生野・和田山の円山川沿いの和田山IC・R312号を結ぶ県道136号... ...続きを見る

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2012/07/12 21:06
真野城 綾部
府道1号(小浜綾部線)を上林川沿いに口上林地区の沼ヶ谷城・赤道城 ・梨子ヶ岡城・東中山城・佃城等を訪ね、綾部市最古の歴史をもつ「延喜式内社河(珂)牟奈備神社 (旧郷社で祭神は天下春命)が鎮まる)の小峠を降ると、中上林地区に境する折山城を南東に見て中上林地区の睦合町に入ってくる。   真野城主郭:土塁上の4等三角点 睦合町真野には第一区の丘陵頂部に大谷城(未訪)・府道1号線側に突出す丘陵部に城主:温井又三郎の土野(肘野)城(未訪)が有るが、所在位置等未確認と車道沿道に駐車スペースを見つけ出せず... ...続きを見る

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2012/07/06 12:02
井根城 綾部
上林川沿いに府道1号線(小浜綾部線)を走り、赤坂城・沼ヶ谷城・赤道城・梨子ヶ岡城を、先日は東中山城・佃城・折山城へと、口上林地区を訪城し、其々に当ブログやホームページ「丹波霧の里」・「別冊丹波霧の里」にレポートしています。   井根城唯一の遺構が凄すぎるU字状の大堀切 先日:府道1号線の十倉交差点(折山城へ向かった)を直進して、十倉名畑町から伊根町への標識に従って幅狭い井根川沿いの谷間の車道を進むと、辻堂橋に着く。谷沿いは農道となり、集落へは橋を渡り前方の丘陵上に続く急斜面をツヅラ折れして登... ...続きを見る

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2012/07/05 08:37
日円寺五重石塔 綾部市
綾部市上林地区に前回は:積雪で訪城を諦め撤退した井根城を再訪した。其の取付き点となる墓地の尾根筋を挟んで東側に平坦地がある。嘗て隆盛し十九坊・七堂伽藍の大寺院が在った。聖武天皇の天平19年(747)行基により、自ら刻んだ聖観音を本尊とした開基を伝える”中照山日円寺(高野山真言宗)”が建つ。 ...続きを見る

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2012/07/04 00:15
折山城 綾部市
JR綾部駅前から府道8号線を東へ走り由良川に架かる丹波大橋を渡るとR27号。今迄:上林地区へは由良川沿いを南下して「山家」から府道1号線を北上していたが、R27号を北上し”下八田”から「あやべ温泉 サインボードを見て広域農道を旭町に向かい、十倉町名畑町で先方で行止りとなる府道481号の上林川沿いに以前:赤道城・梨子ケ岡城を訪ね、今回東中山城の再訪とリトライした佃城訪城を果たした。   大堀切(現在:切通道)から西郭(稲荷社参道)へ 広義の!?上林地区(口上林・中上林・奥上林に区分される様です... ...続きを見る

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2012/07/01 23:24
佃城  綾部
昨年(1211)2月:綾部市口上林地区【上林川沿いの十倉志茂・十倉名畑・十倉向町・武吉】に赤坂城・沼ヶ谷城・赤道城・梨子ヶ岡城を廻り佃町の東中山城へ向かった。    東中山城東南尾根端の堀切を越えて佃城へ下る 東中山城へは其の尾根先に佃城が在り、佃城から東中山城へと尾根続きの二城を攻めるつもりだったが、佃集落背後の山並みと、丘陵に向かう山道以外に取付けそうな場所もなく、手近の佃城を見残して、上り一辺倒の激急斜面を登って尾根筋の堀切に辿り着くと、其処が東中山城の城域中間付近。積雪が尾根一面を被... ...続きを見る

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2012/06/28 09:22
赤坂坪砦 綾部
以前・綾部市に田野城を訪れた際に赤坂坪砦と思えたコート?(ゲートボール場か?)背後の藪中と其の東・民家背後には西に2段程の曲輪状!!、東に土橋・片堀切(短い竪堀状)を見て、正面奥の主曲輪?に曰く有りげな”廣田大公神の祠”を見た。 ここから安場城を目指したが城域の丘陵頂部付近の尾根筋は長く緩斜面ながら城址の痕跡を発見出来ず引返した。今回:市の遺跡分布地図を見て場違い・・?  改めて城址推定地点を探して田原城麓から田原川?を渡り西方の低丘陵部に向かった。   赤坂坪砦(墓地)への入口/大島・高津か... ...続きを見る

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2012/06/11 00:50
安井城 朝来
丹波市側から遠阪トンネルを抜ける北近畿豊岡自動車道(R487号)と併走して矢名瀬 (梁瀬)から楽音寺前を南下する県道136号に沿って、筒江城に寄り・加都城? からは幅狭い加都集落内を抜け、和田山ICに繋がるR312号(但馬街道・播但道)の加都北交差点を西へ円山川を渡って直進する。    主郭を取巻く2-3段の帯曲輪 竹田城址へ北西から登城する車道が通じ所々に案内板を見る。行止りの県道136号は此の先に観光スポットが無い筈?なので、時折通り過ぎる観光バスは客を竹田城へ運んでいるのでしょう。物産... ...続きを見る

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2012/06/08 09:02
加都城 朝来
雲海に浮かぶ天空の城・竹田城を望む立雲峡からの写真をよく見かける。此の但馬竹田城を但馬街道(R312号)と円山川を挟んで真東の金梨山からは、よりダイナミックに総石垣の山城を眺望出来ます。    竹田城の落城の姫様の”悲しい山”としての伝説を遺す金梨山から北へ延びる尾根は先端付近で舌状に流れ出る低丘陵となり、最北端を筒江橋の交差点:北近畿豊岡自動車道高架下付近で県道136号の筒江・加都の分岐点の其の先端を落とす。此の分岐点から筒江城へは先のブログで紹介済ですが、此の尾根先端部には県遺跡分布地図... ...続きを見る

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2012/06/05 21:30
筒江城 朝来
北近畿豊岡自動車道(春日和田山道路)道の駅「但馬まほろば」近くに茶すり山古墳が在る。春日和田山道路沿いの南側を県道136号が並走する。其の茶すり山古墳と春日和田山自動車道の和田山ICの中間点付近に、此の筒江城が在りました。   筒江城:土橋付き堀切、下方に主郭裾を捲く横掘と土塁が見える 筒江城の東北方に茶すり山古墳を望むが、筒江城の西方直近には大型の横穴式石室を持つ城ヤブ 1号墳が有り、筒江城北端の地区道路分岐には”筒江城と1号墳”の案内標識が立つ。【朝来市市内でも屈指の巨大な玄室】で玄室... ...続きを見る

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2012/06/01 21:39
観音山城
朝来市和田山町で観音寺城と云えば、雲海に浮かぶ天空の城として、いまは但馬を代表する観光スポット:竹田城の尾根続き東に存在して、石垣も残る竹田城の出城:観音寺城が知られており、また但馬の城史としては豊岡市日高町には垣屋続成・光成の鶴ヶ峰城(観音寺城の別称がある)が知られるところですが、此の土田の観音山城(観音寺城)は但馬の城史にも登場せず?、存在を知る人さえ少ないと思われる埋もれた古城?の一つです。  主郭北尾根:観音堂上部の祠から続く曲輪群の先に大堀切 先のブログで紹介の土田城の方は南北に長... ...続きを見る

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2012/05/28 20:50
土田城 U
鳶ヶ城・遠見ヶ城・土田富栖城の別名を持つ土田城は、土田地区にも城址の存在は知られており、西土田集落のR9号の和田山トンネル南口からは”鳶が城”・大歳神社近くからは”土田城”への城址案内板が架かる。   南尾根上の三角点峰(239m)南西尾根側の堀切 其のいずれのルートからも激急斜面を城址の尾根まで、整備された山道は無さそうです?・・・・が夏場は兎も角として、下草藪の悩まされる事もなく比較的短時間のうちに城域に達するのが・・・・延々1km近くの長い尾根上に連続する城砦遺構の内の北尾根側。 数... ...続きを見る

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2012/05/25 19:58
土田城 朝来
但馬竹田城を望みながら円山川沿いに北進し、和田山ICを過ぎると”一本柳”交差点でR9号(山陰道)に入る。養父・八鹿方面へと新和田山トンネルを抜けると土田地区。左手前方の丘陵上には南北に延々・約1kmにわたり、際限なくどこまで続くのかと不安と期待で縦走したが、城砦遺構が連続して続く。   最北端東:トンネル上部の同心円状郭から帯曲輪状2段 それだけに城域部分を区分できない程?。しかも土田地区の西土田集落内からは二ヶ所の登城口案内板を見るが、 厳しい尾根上の城址迄は明確な登山ルートが嘗ては有った... ...続きを見る

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2012/05/24 23:40
竹貫城 豊岡
水生(みずのお)城とは同一尾根の延長線上に竹貫(たかぬき)城が在る。竹貫城を含めて水生城と呼ばれる事もあるようです。  竹貫城東郭:枡形虎口 ...続きを見る

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2012/05/17 20:46
水生城 豊岡
水生城(水尾城)は但馬空港から東へ延びる豊岡市と旧城崎郡日高町(現:豊岡市日高町)の境界尾根上に在り、円山川に先端を落とす丘陵上:東端から一直線に独立した城郭遺構が4箇所並ぶ。   水生城U郭:主曲輪南下の竪掘(手前)と尾根上の三重堀切 水生山長楽寺背後:東西ほぼ一直線上に延びる尾根上には独立性の高い四ヶ所に城砦をもつ城砦が有り、以前から知られている三ヶ所が一般的に水生城と呼ばれている様です。尾根西端に位置して・水生城とは一線を劃する縄張の特徴を持つW郭は、羽柴秀吉の第二次但馬攻めの際・水生... ...続きを見る

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2012/05/15 23:38
伊福城 豊岡
伊福(いう)城はJR山陰本線江原駅の北東方約1.5km程の地点:日高平野の南東部に位置する。R312号のバイパス道が宵田城直下の城山トンネル・国分寺城の在る国分寺トンネルを抜け、従来?のR312号が円山川沿いに豊岡市街地向かい「土居交差点]で合流する。  伊福城:主郭南切岸の石垣 江原駅前から但馬国分寺前を通り円山川に出ると「鶴岡橋交差点」。山名氏の本拠:此隅城・有子山城の出石に向かうR482号、円山川に架かる鶴岡橋(171m)の東詰めに先端を落とす丘陵上に伊福城が在りました。 伊福城... ...続きを見る

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2012/05/05 19:41
国分寺城
国分寺城は山陰本線JR江原駅の北背後に在って、南山麓には奈良時代:天平13年(741)聖武天皇が国家安泰を祈願し 諸国に建立させた但馬国分寺跡がある。 R312号のバイパス道の城山トンネル上部には宵田城が、トンネルを北に抜けるとR482号線が交差する岩中交差点。但馬国府が置かれた祢布には祢布城が在り、直ぐ前方に見える国分寺トンネル上部には国分寺城が在る。    北郭(右手は土塁櫓台?)から空堀を挟んで主郭の切岸 但馬国分寺跡&#12316;;護国山但馬国分寺&#12316;;国分尼寺跡?(... ...続きを見る

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2012/05/01 21:05
祢布城 豊岡
宵田城の在る城山トンネルを抜けたR312バイパス道はR482と合流する「岩中交差点]に出る。”天平の径”が延びる奈良時代の但馬の中心地:国府が在り、聖武天皇が国分寺を建立した地。   但馬国分寺跡:中央礎石は塔跡の礎壇     大堀切から見上げる祢布城主郭 此処に祢布城(祢の古名禰を充てて禰布城の名もある)が有り、バイパス道が国分寺トンネルに入る手前で左折して祢布(ニョウ)地区の楯石神社に向かう。神社参道の急な石段上からの山道を辿れば大堀切に達し、東面の高い切岸(約10m程)上に祢布城の主... ...続きを見る

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2012/04/29 00:07
宵田城 豊岡
円山川沿いのR312号線は宿南の先で城山トンネルを岩中交差点へ抜けるバイパス道と進美寺山裾へ向かう赤崎橋を宵田・JR江原駅前を通り但馬国分寺跡を道に分かれます。城山トンネルの真上に位置する宵田城は、バイパス道は勿論・どの車道を通っていても、山上に送電線鉄塔が建ち・側に主郭部の曲輪と切岸を立てる山容は城山と判かります。  宵田城主郭より神鍋山・三川山方面の残雪を望む 豊岡市へ・玄武洞や城崎へと、此のトンネルを通る度に一度は訪れたいと思いながら今日になってしまった。R312号側から直接取り付ける... ...続きを見る

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2012/04/27 00:41
幻の氷上城「霧山城」
丹波市にも遺跡分布図に調査公表されていないが、堀切・竪堀・切岸加工された曲輪・数少ない土塁や畝状空堀さえ遺す山城や、丹波黒井城攻め時の明智の陣城と思える織豊系縄張りの城郭も、都度にホームページや此のブログに報告してきました。しかし:年表・古書等の諸々文書に登場するが実体不明の人物もいる。丹波守護:仁木ョ章の守護代【延元2年?&#12316;康永2年(1337?-43)【】となっていた荻野朝忠は、南朝方として児島高徳と高山寺城(弘浪山)に籠り北朝軍と戦い、仁木氏は引責から守護職を引いている。丹波史... ...続きを見る

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2012/04/21 21:15
大江堀城
山陰道(R9号)は南但馬トンネルを八鹿バイパスで抜ける。「道の駅:但馬楽座」を挟んで右折して、約2km程北方で円山川に流れ出る大屋川を渡りR312に入る。円山川沿いに並走する山陰本線養父駅前を過ぎ上小田北交差点で円山川を渡り東へ約2km程:世賀居バス停で右折する。   2−3本の竪土塁さえ見せ10数条の畝状竪堀が放射状に落ちる 車道脇の丘陵上には坂本城(三重堀切が遺ると云う)を知らず、幅狭く感じる谷沿いの車道を進む。車道脇に駐車スペースが無く、少し行き過ぎるが大江公民館前まできた。此処から... ...続きを見る

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2012/04/17 08:18
小和田城
丹波市青垣町の小和田城はJA・青垣町民センターとの交差点を右折すると、遠阪川を隔てて正面間近に見える丘陵上に小和田城が有ります。全国の足立姓の祖:足立遠元の孫・遠政が武蔵国より佐治郷(丹波市青垣町)の地頭職を得て来住し、山垣城を本拠としたが、遠政の二男:遠信が築いて山垣城の支城としたのが小和田城。     小和田城主郭 山塊最高地点の点名:中佐治(4等三角点295m)から西南へ延びる尾根上各ピーク毎の平坦地形は古い形態の山上曲輪群なのか?は解らないが・・・尾根筋は下方で東南方へと尾根を二分す... ...続きを見る

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2012/04/15 23:43
片山城 南丹
南丹市に八木城を訪ねた後、園部町へ廻っての帰路途中、片山城に立ち寄った。園部町内の片山城と云えば黒田の片山城が畝状竪堀等でも良く知られているところですが、此方は大戸の片山城です。   取付き点付近の広い平坦地は屋敷跡(一部) 園部町大戸と高屋に挟まれた武尾神社の南背後丘陵上に位置する片山城を知る人は少なく、訪城しようとする奇特者は更に少ない超マイナーな山城の様です。JR八木駅前を東へ・大堰橋を渡り府道25号を北上していくと、八木町から園部町入る頃・車道は再び大堰川(桂川)沿い走り、川辺大橋で... ...続きを見る

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2012/04/12 17:41
内山城 南丹
丹波八木城訪城の際のスタート地点:春日神社からも見えている内山城と東方の丘陵部に位置する川関城の二城は、山陰道(R9号線)要衝監視と、本拠の八木城に通じる街道警備・監視に当たった出城か砦だったか?。 ...続きを見る

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2012/04/11 07:59
川関城 亀岡
八木城を訪城に向かうR9号線の、亀岡市千代川町から南丹市八木町八木に入る両市境・東所川が八木城登山口の春日神社・内藤如安の顕彰碑の東&#12316;内山城!?の北端を縫って、大堰川(桂川)へ流れ出る河口近くに落ち込む低丘陵上に川関城が在りました。     主曲輪南側の上り土塁? 川関城(川関砦)の所在位置は行政上は亀岡市千代川町川関だが、桂川(保津峡を嵐山迄が大堰川・渡月橋から桂川かと思っているのですが?違ったかな?、加古川の上流・佐治川が加古川となったと同じ?、郡市統廃合で歴史的名称がカタ... ...続きを見る

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2012/04/10 08:39
丹波八木城U
JR山陰本線千代川駅・八木駅の南西に連なる山塊に一際目立つ標高330m峰が城山丹波八木城で、山頂部に本丸を置き・四方に延びる尾根筋にも其々に多数の曲輪群を積み並べ・堀切・土塁等の防備施設は石積みによる補強もされた城郭施設は広大で、山全体を要塞化した複合梯郭式の巨大な山城。    茶屋跡側から空堀・土塁と対面所曲輪 城山の本丸を守備して派生する三方の尾根上にも、其々の守将を置いた曲輪群が主郭を守備する一大城砦群を形成しており、丹波国内でも有数の規模を誇り、八上城(篠山市)・黒井城(丹波市)と並... ...続きを見る

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2012/04/07 20:05
丹波八木城T
関西圏の八木城は但馬にも山名氏の八木城があり、織田信長の「但馬攻略]に山名氏滅亡後は別所重棟が入った但馬:八木城があるので、丹波の三大山城として、また三強の居城として丹波氷上(丹波市)猪ノ口山の黒井城(荻野直正)、丹波多紀(篠山市)高城山の八上城(波多野秀治)とともに口丹波の南丹市にある八木城(内藤有勝)を丹波八木城と表記します。 ...続きを見る

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2012/04/05 19:52
白髪城 綾部
白髪城(精ヶ城・白ヶ城)は先日のブログ紹介野田城からの尾根続き、須知山(白髪城山3等三角点253m)に主郭を置く山城ですが、展望も無い藪道の急登。    白髪城本丸の切岸(5−6m程)と元秋葉社が祀られていた!?北面の帯曲輪 井根山公園遊歩道を尾根に登り着き、秋葉神社へ向かいカーブする遊歩道のコーナ部の鞍部からは、南へ少し下るミニ霊場廻りの祠横から松茸山!?の踏み跡を辿るが、尾根筋の登山道は荒れて段々不明瞭になってくる。明治期に井根山公園側に移された秋葉神社は此の先・白髪城山(井根山)に在っ... ...続きを見る

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2012/04/02 09:59
野田城 綾部
野田城と言っても知らない人は多いと思うが、井根山公園と云えば知らない市民は少ないかも!!?。由良川沿いのR27号線からR173号線へと新綾部大橋を渡ると南方の須知山(白髪城山 3等三角点253m)から急斜な北方へ尾根筋を落とす丘陵の北端ピークが井根山160mで、山裾を由良川と新綾部大橋に落とす。 山上部へは伊根山公園入口ゲートから遊歩道が延び、正暦寺八十八ヶ所ミニ霊場巡りの巡拝道とも重なる。展望台からは足元に新綾部大橋と由良川の清流域沿いに綾部市街地が望まれる。此処に市のランドマーク ・イメー... ...続きを見る

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2012/04/01 19:05
田野城 綾部
T氏が以前に話されていた田野城については、てっきり福知山市に在って丹波市境の田野城の事かと勝手に思っていた。この日も其の田圃の中!!?の田野城を望みながら側を抜けて綾部市に向かった。T氏による綾部史談会の講演を拝聴する為。将監城や周辺の城郭参考資料を見て気付いた。    赤坂坪砦?側から望む田野城 丹波守護代:八木城主内藤宗勝が天田郡(福知山市)・何鹿郡(綾部市)侵攻の拠点として築いた鴻ヶ嶽城へは、京都八木から天田郡(福知山市)三和町川合に抜けて、府道709号を綾部市田野に下りて綾部城に至る... ...続きを見る

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2012/03/31 17:48
堂屋敷南東砦V
堂屋敷南尾根上の城砦T・Uを見て廻り、秋葉神社の祠まで引き返してきた。参道を降ると谷筋の林道入口付近の”いぼ地蔵尊”祠の小場が見える。此の林道が入り込む谷とは反対の東側・小谷を挟んでは堂屋敷峰から南東尾根の末端が牧・勅使の間、由良川沿いのR175・R176に其の先端を落とす。  (堂屋敷南東尾根城砦V) 鉄塔下部の平坦段からは足元に丹後への街道を見下ろす   国道筋からも断崖状の丘陵上に関電送電線(綾部石井線No6)の鉄塔を乗せており、丹後宮津・舞鶴方面へのR175・R176号・主要幹線道の... ...続きを見る

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2012/03/27 19:05
堂屋敷南砦U
堂屋敷南尾根城砦Tより土塁・高低差のある二重堀切を越えて更に堂屋敷(3等三角点375m)に延びる幅狭い南尾根を辿る。   (城砦U)副郭から主郭に入る”上り土塁”虎口 細い尾根筋は幅広く、傾斜も弱まってくると正面に主郭の切岸を立てる”上り土塁虎口”を通って主郭に入ると、左脇(西角)には石材が残存する直径4−5m程の円形窪地が有る。半地下式倉庫を兼ねた木戸門でもあったか?。侵入する敵に対して構える塹壕だったか?。    (城砦U)副郭から主郭に入る虎口部の円形窪地!!? 主郭北奥の正面... ...続きを見る

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2012/03/26 21:49
堂屋敷南砦T
福知山市牧地区北背後の丘陵上に堂屋敷(3等三角点375m)がある。廃寺の大谷寺の堂宇:観音堂があったことが城名の由来か・・観音屋敷の地名も残るという。市の遺跡分布図には三角点峰付近に堂屋敷城が記されており、昨年(H23)登ってみたが三角点峰ではなく、西へ延びる尾根上に堂屋敷城址遺構が有った。    秋葉神社背後の土塁・空堀状山道(此の先で南尾根城砦Tの堀切を見る) 城史は不明だが北山麓:大呂地区の天寧寺城・奥谷城・金山城・桐村城を築く金山氏に関連した城と推察されており、大呂地区から観音堂跡を... ...続きを見る

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2012/03/25 19:17
観音寺城と居館
何鹿(いかるが)郡(福知山市の一部と綾部市)の在地国人:大槻氏勢力の本拠・綾部市側に高津八幡山城や将監城・談山城、福知山市側に洞玄寺城・栗城城等支城群を先に訪城済みですが、先日:T氏が調査されていた将監城の特異な縄張りから丹波支配の三好氏や、八木城の内藤氏・管領:細川氏の丹後一色氏攻めに於ける奥丹波の軍事拠点としての観点から・・・・綾部史談会で講演されるので、拝聴させていただいた。    副郭の上り土塁虎口から主郭に入る 講演に先立ち将監城からも尾根続きの福知山市境界に在る観音寺城を調査され... ...続きを見る

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2012/03/22 21:31
法界寺山ノ上付城
三木合戦に於いて、這田村法界寺山ノ上付城は三木城の西面に築かれた付城群の拠点となったと思われる大規模な陣城で、空堀状の通路を挟んで東西の二郭には土塁で囲み・土塁横堀を廻した30m四方の東郭(主郭)と、土塁は低いが更に広い(南北に約30mX東西45m程)西郭(副郭・U郭)がある。    主郭北下方の曲輪群から土塁空堀を挟んで主郭北西角と切岸(約4m) 主郭部の東南には藪地を抜けて一曲輪(V郭?)が在り、此処には神変大菩薩(役行者)を祀る石碑・鳥居があり、以前に三木ホースランドパークからの遊歩道... ...続きを見る

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2012/03/19 20:12
池尻城 小野市
R175号「市場東」交差点を左折して県道23号「市場」交差点に向かい西へ約600m程の下り坂の途中・左(南方)に見える丘陵が池尻城で、車道を挟んで西側道沿いの下に大歳神社の祠が建ち、東側の登城口に池尻城址の説明案内石標が立つ。 小野市の史跡案内石標の頭部には市花”ひまわり”の絵が付けてあります。大都市神社に一帯は城主の居館跡と云われます。三木市との境に在って東播磨の多くの領主等とは赤松氏傘下にあり、三木城別所氏が織田信長に対抗すると別所氏に付いて、秀吉軍に抗戦しています。 城主や築城年代等の... ...続きを見る

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2012/03/12 17:17
恒屋城 姫路
JR播但線溝口駅西方・恒屋川沿いの県道409号を北上して姫路市立休養センター「香寺荘」を目指す。其の香寺荘と県道・恒屋川を挟んだ東の丘陵上に高岡城(恒屋城・中嶋城)が在りました。    恒屋城(前城)お堂前の竪堀群 播磨・備前・美作三国の守護赤松氏が嘉吉の乱に衰退し、中興なった本拠が置塩城。其の北東・直線距離で約4km程の地点には赤松氏家臣・恒屋氏の大規模城郭が在る。二つの峰に前城(Ca200m)・後城(最高所の236mに本丸を置く)があり、姫路市内では唯一と云われる畝状竪堀群が存在する。 ... ...続きを見る

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2012/03/11 09:39
田野城 姫路
此処一連に訪れた姫路市東部の諸城は南山田城・太尾城・庄山城そして田野城と・・・播磨守護:赤松氏の旗下にあって、何れもが天正年間の毛利氏の中国征伐の際:山名氏の但馬平定・赤松氏の播磨平定により、(殊に東播磨一帯に覇権を持った三木城主:別所長治の重臣と秀吉の間で毛利攻めの意見が合わず対立・信長に離叛して始まった三木合戦)に、播磨の諸領主は別所氏方に付き、為に羽柴秀吉軍の攻撃うを受け落城していきます。   田野城:東峰山頂 ...続きを見る

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2012/03/06 08:17
庄山城  姫路
城山中学校の西北背後に露岩の鎧を纏って聳え・切り立つ荒涼とした山容は、山陽自動車道の山陽姫路東ジャンクションに近づくと前方左(南方)に見え、低山ながら一度は此の山塊を歩いてみたいと思いながら、既に数十年が過ぎてしまった。 ...続きを見る

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2012/03/03 22:55
山下城
加西市の北条鉄道播磨横田駅と長(おさ)駅との間・西方の山下町に昨年(H23)”ふれあいの森山下城跡”として案内板や遊歩道が整備され、山上の主郭には東屋の休憩所も設置された市民参画事業により、史跡公園化された山城が在ります。 ...続きを見る

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2012/02/17 18:59
池ノ谷主計屋敷
JR福知山線谷川駅のホームに立っと丘陵の山裾を、北方から西面へと廻り込んで大阪方面行きの列車が滑り込んできます。西陽を受けて照く丘陵南端の峰上には、足利尊氏が元弘3年(1333)京都・六波羅に北条氏を攻めるため丹波篠村八幡宮(亀岡市)で挙兵した際、「一番旗」を靡かせ・一番に馳せ参じた久下弥三郎時重の玉巻城(久下城)が有りました。 旧氷上郡(丹波市)遺跡分布図の池ノ谷主計(かずえ?)屋敷跡はJR谷川駅に・ホームの北丘陵上に在って、沿線はこの丘陵西裾・久下城(玉巻城)から八の瀬(423m峰)を経て... ...続きを見る

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2012/02/13 00:28
余野本城 豊能
余野城は明応年間(地方史年表では明応2年)余野山城守ョ幸【能勢ョ弘の五男!?】が築いた幣の木城に始まるが、天正期に高山右近に攻められ落城。近世に余野城として再建されたのか、廃城を余野城と呼ばれるのか城史等は不詳ですが、余野本城もまた幣の木城(余野城?)の前身の古城となるのかは不詳。   地方誌の遺跡分布図の余野城とある余野本城からの南尾根鞍部の片堀切!!? 余野本城もまた在地豪族(清和源氏)能勢氏の庶流の能勢(某?)が文治年間(1185〜89)に余野山城【余野本城(水牢城)】を築き、余野氏を... ...続きを見る

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2012/02/06 01:30
塩山城(止々呂美下城)  箕面市
近畿の山城(大阪)編に塩山城(岡ノ上城・止々呂美下城)として、また塩山城・青龍寺の北丘陵上の城砦遺構を止々呂美城としてリスト整理していた箕面市の山城では、箕面グリーンロードのバイパス北口(止々呂美)付近では、第二名神自動車道 ・箕面IC工事の為の事前遺跡発掘調査中で、市や工事関連では止々呂美城とされる塩山氏の居城。   止々呂美下城(岡の上の城・塩山城)の二ノ丸から主郭 未訪だった青龍寺北方・簡易郵便局東丘陵上の砦遺構や尾根続き最高所付近の平坦地形を含めて城砦遺構とすれば止々呂美城としていた... ...続きを見る

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2012/02/01 20:27
止々呂美上城
豊能郡能勢町の片山城は南北朝期ノ応安年間(1368-75)塩山備前守義道により築城されたといい、応仁の乱(1467-69)頃 塩山肥前守景信が居り塩山城の城主でもあったと云う。 塩山城(止々呂美下城)主郭(右の杜)と二ノ丸(平坦尾根部)・左端方の東郭部が遺跡調査中 山辺・栗栖周辺の:片山城はじめ多くの能勢氏・西郷衆の諸城が集中するがR173(能勢街道)から、R477(池田街道・摂丹街道!?)野間に出て妙見山を越えてR423(池田街道・摂丹街道!?)豊能郡豊能町の野間口へ下りてくる。キリシタン... ...続きを見る

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2012/01/31 23:53
山辺城 豊能郡
山辺城Tで東出曲輪を紹介しましたが、山辺城が能勢町北部最大規模の城郭で有ることは、二つの峰からなる山上部の(主郭・二ノ丸・三ノ丸・中ノ丸・三ノ丸東曲輪等から成る)曲輪の何れも広く、切岸高く削平も丁寧。     山辺城東出曲輪と西土塁虎口(空堀土橋から) 切岸に自然地形の大岩を利用している部分も有るが、なによりも石積み・石垣が多用されている事で、単に能勢の多田家御家人:西郷衆の一で大町氏が天文年間に居城していたとされますが、豊能郡領主:能勢氏が築城し大町氏を守将として入れたものか?。 ...続きを見る

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2012/01/28 23:00
山辺城(東出曲輪)
R173号(能勢街道)はらがたわ峠を南へ降ってくると東方に鷹爪山を望み山辺口の交差点で左折し、小峠を越えると月峯寺前を通過する。鷹爪山は秀麗で能勢富士とも呼ばれる目立つ山容。この山上に山辺城が在り鷹爪城とも小富士の城とも呼ばれます。月峯寺はその山辺城への登山口の一つです。 ...続きを見る

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2012/01/27 23:57
栗栖城 能勢町
栗栖城は以前(2002.08.10)洞雲禅寺から伸びる山頂の通信施設への巡視路専用管理道を詰め登った事があった。 低山で狭い山域の中央部に位置する山頂が城址と勝手に解釈して向かったものの・尾根上突き当たりの山頂広場には通信施設が建ち、傍らには朽ちかけた祠が祀ってあったが、周辺の尾根上のも斜面にも城砦遺構らしいものは 一切見当たらなかった。     栗栖城南端から望む片山城 山頂は4等三角点で点名栗栖322m。此の山頂から西への尾根先に吉村城・東尾根先と山麓部に大里城・そして南尾根先が栗栖集落... ...続きを見る

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2012/01/20 00:11
下見砦 能勢町
能勢町宿野一区に宿野城・二区に井内城が在り、井内城には昨2011年年8月に訪城しているが、其の際:304mピークから井内城への分岐尾根を違えて、直進しかけた西尾根先に位置する4等三角点279m峰(点名:宿野?か)一帯に下見砦(宿野三区?)が在りました。 城史については不詳ですが、宿野地区・宿野一区の宝林寺付近に在る宿野城の別名が井内城?。城主田口氏の宿野城ですが、織田信長に離叛した荒木氏(伊丹・有岡城主)に同調した能勢氏等の諸城は天正7年丹羽長秀・中川清秀等に攻められ悉く落城していきます。 ... ...続きを見る

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2012/01/17 21:30
大里城? 豊能郡
北摂に二大勢力・川辺郡(猪名川町・川西市)の塩川氏と豊能郡の能勢氏が府県境を挟んで対峙していました。中世期塩川氏の本拠:山下城を訪れた後、一庫ダムサイトを通るR173号(能勢街道)を北進すると県境の二本の能勢トンネルを抜け能勢町に入る。トンネル上の丘陵に平通城が在る。能勢トンネルからR173号をやくkm程直進すると栗栖交差点。 双方の領民による領地争いが元で起きた「杵根ノ宮合戦」に能勢氏方の西郷衆が森上城・今西城に寄り、侵攻した塩川氏と合戦に及んだ所。    西端の平坦尾根途中に片堀切が・・・... ...続きを見る

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2012/01/15 20:54
山下城 川西市
山下城は別称を龍尾城とも呼ばれるドラゴンの城。辰年の最初の城ブログとしてもGood 廃城後につけられた名称の様ですが、古城山の主郭から二方の尾根に段曲輪を遺す形状を表したものか?。私には更に北東方の242m峰から二方に延び出す尾根先の古城山に山下城の本城?、一方(北西)の尾根先:向山に別郭が在り、双頭の龍の城を想像します。前のブログ山下城(向山)に余りWeb紹介されていないと思える山下城(別郭)を画像紹介しました。本城の大規模城郭:山下城(古城山・獅子山)に比べ、単郭ながら諸々の遺構に見所も... ...続きを見る

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2012/01/14 20:37
山下城(向山)
北摂には川辺郡(兵庫県)に塩川氏・能勢郡(大阪府)には能勢氏が粗(ほぼ)同等の勢力を持っていたが、両郡境では度々・領地争いが展開され天文18年(1549)≪天正12年の事か?≫には「枳根之宮合戦」に発展し、天正12年には能勢氏が秀吉の九州遠征に従軍中の留守に能勢二侵攻した塩川氏に対し、天正14年:秀吉のお膝下で勝手に戦を仕掛けたと秀吉軍の塩川氏討伐軍を前に山下城主:塩川国満は開城して自刃。     山下城(向山)のクランク状空堀(横堀)と外側土塁(曲輪) 塩川氏の本拠城が此の山下城ですが一蔵... ...続きを見る

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2012/01/13 22:23
為楽山城 豊能
慶長6年(1601)能勢氏中興の祖とされ、深く法華経に帰依した能勢頼次が、日蓮宗中興の祖とされる京都本願寺第十三世貫主:寂照院日乾上人を開山に創建されたのが「関西身延霊場」無漏山真如寺で、地黄城(地黄陣屋)から妙見奥の院への参道を辿り真如寺から奥の院を経て妙見山への巡回路も今は登山者が利用するだけなのか?。 三角点石標柱が埋まる妙見山は(為楽山660m)は点名:奥の院だが本来の奥の院は上記のように別場所。修験道場の雰囲気が漂う展望には優れない場所。現在の能勢妙見(妙見宮)は天平勝寳(749-7... ...続きを見る

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2011/12/30 20:17
丸山城 豊能郡
野間の大けやき近く・野間中交差点からR477号バイパス道を走る。東方のR477号線街道筋側に警察署や東中学校の体育館が見える辺り・丸山新城(地黄陣屋)がある。陣屋の名称ながら旗本:能勢氏の単郭ながら周囲を石積で堅固な居城なので後で訪ねるとして、正面に見えてきた比高50m程の低丘陵に向かう。 田圃道の奥の山影に医薬門の山門を見せる能勢氏の菩提寺清普寺への車道北・山裾に源満仲の宝筺印塔・石造九重塔が見えているところが丸山城への大手登城口。 丸山城主郭から帯曲輪尾根側の土塁虎口部?と二ノ曲輪(... ...続きを見る

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2011/12/29 09:22
福泉寺城
福泉寺跡と福泉寺城は小金ヶ岳への登山ルート途中に在るが此処を目的に登る人も少ない。多紀アルプスの三山(西ヶ岳・御嶽・黄金ヶ岳)の中でも露岩の岩尾根を辿るアルペン気分と展望が楽しめ、標高は御嶽(1等三角点798m)に負けるが人気は一の山。御嶽&#12316;大タワからの縦走か、篠見四十八滝からの縦走で訪れる登山者が多い。   現状:城域中央部の低土塁曲輪 多紀アルプスの大タワを越える県道301号線から小金ヶ岳へ、唾市ダムから・小金口登山口(福泉寺跡案内板がある)から・大タワ手前のヘアピンカーブの... ...続きを見る

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2011/12/20 23:21
福泉寺 篠山市
多紀アルプスで最も人気のコース・御嶽&#12316;大タワ&#12316;;小金ヶ岳は、平安時代初期の貞観年間(859〜877)に開かれ山岳宗教の対象となった丹波修験道のなかでも御嶽修験道として、平安時代中庸期(鳥羽天皇の1100年頃か?)には大峰山を凌ぐ程に隆盛を極め、修験の一大聖地ともなっています。     小金ヶ岳側jから御嶽を望む 嘗て栄えた丹波修験の中でも隆盛を極めた御嶽修験道の道場。三岳(西ヶ岳・御嶽・小金ヶ岳)の最高所:御嶽の南には大岳寺が創建され、其の後:小金ヶ岳の南尾根筋に... ...続きを見る

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2011/12/19 22:52
谷山城 篠山市
京都から播磨・摂津へ抜ける要衝には主に篠山川を挟む二本の街道筋があり、源平合戦に「一の谷」へ向かい、又兄源頼朝から追われた義経が逃れた丹波道には、先のブログで紹介した東本荘市谷城等諸城砦の在る県守・車塚古墳を繋ぐ県道301号沿いには笛吹山伝説を初め・義経や其の従者:伊勢三郎や那須与一・鷲尾三郎等に関する伝承が彼方此方に残ります。R372号【(デカンショ街道・京街道)は亀岡方面から福住を経ての古来よりの基幹道で四季山城麓の馬池等にも義経道の伝説を残すところです。     谷山城の段曲輪群 八上... ...続きを見る

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2011/12/18 22:37
東本荘市谷城
篠山TV中継所施設の建つ衣笠山485mから東南へ流れ出す尾根筋が、県守集落と東本荘集落を分ける。其の低丘陵尾根上の283mピークに東本荘市谷城が、更に下る尾根先端ピークには口県守城が在り、二つの集落を繋ぐ地区道に落ち込む。尾根続きに半独立丘陵(約300mX150m程??)の南で県道702号線に出る。東側には雲部車塚古墳がある。    二段の東曲輪(右端に土塁残欠・左に回り込む虎口) 市谷城へは東本荘の集落から谷沿いに衣笠山に至る山道が地図には破線で示されており、適宜・踏み跡なり藪漕ぎで登城は... ...続きを見る

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2011/12/16 00:16
口県守城 篠山
県道702号線沿いに見る丹波地方最大の前方後円墳:車塚古墳の西側から、北に向かう谷間に拡がる県守集落への道は、直ぐ左手に幅狭い東本荘地区への道を分ける。此車道へ落ち込む低丘陵上に口県守城が在りました。     三ノ曲輪(東に土塁)と二ノ曲輪の切岸 東本荘市谷城と口県守城は8年振りの再訪ですが、前回同様・二つの地区を分ける尾根伝いに二つの山城を訪ねます。比高80m程か?・・藪漕ぎもなく薄いが踏み跡も有り、辿れば10-15分位で城域には楽に到達出来る。    二ノ曲輪の上り土塁と主郭側の切岸 ... ...続きを見る

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2011/12/15 00:35
城山城 篠山市
紅葉の名所で知られる洞光寺からも近い雲部車塚古墳は、垂水区の五色塚古墳に次ぐ兵庫県下では第二位とされ、丹波地方最大の前方後円墳です。     城山城は車塚展望台からすぐ・・・ 此の車塚の東側には北方から南へ延び出した低丘陵が県道702号線に其の先端を落としています。松ヶ鼻とよばれ、丘陵東麓を篠山川が流れ、川沿い300m程上流民家側には方墳の北条古墳(県指定)や、此の後向かう車塚古墳西北の県守(あがたもり)には山ン谷古墳が点在する一帯です。ブログのコメントから・・:古墳についてのトラウマで割愛... ...続きを見る

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2011/12/13 20:53
長谷山城 U
丹波市内の山城オフには嘗て丹波三郡【氷上郡・天田郡・何鹿郡】を領した赤井直政の本拠:黒井城のお膝元・春日町からスタートした。但馬山名氏が丹波の領内に侵攻した際には、反対に反撃し但馬竹田城をも落とし、山名氏は織田信長に助けを求めた。此の黒井城攻略の主将が明智光秀。      長谷山城:主郭の櫓台土檀 若狭方面・播磨方面からの援軍を併せての二回目(天正6年)の攻撃では圧倒的大軍による戦闘に黒井支城群は次々と落城。黒井城を包囲する付城群は此の時築かれり・落とした城を改修したものでしょう。本陣の茶臼... ...続きを見る

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2011/12/07 13:41
東中城 U
春日ICから野村城の東側を通り、三尾山の東山麓・県道69号線を栗柄峠に向かう街道筋は、黒井城主:赤井直正と明智方に付いた八上城主:波多野秀治の謀叛による”呼び込み戦法”に、明智光秀が命からがら栗柄峠・鼓峠を越えて逃れた道。    副郭櫓台・虎口側より土塁を挟む二重横堀(中央横堀の左手下方に登城虎口!!) ...続きを見る

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2011/12/06 19:11
惣山城 U 丹波
明智光秀の丹波”黒井城攻め”付城廻りは、黒井川を挟んで対峙する陣城:茶臼山城を皮切りに、次は少し東へ移動して惣山城に向かいます。小さな溝谷の側から高さ15m程の断崖を呈してそそり立つ露岩の細長い低丘陵(南北約60m・東西約18m程)上には毘沙門堂が建ち、堂内には毘沙門天と大黒天が祀られている。    惣山城主郭東面の腰曲輪から ...続きを見る

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2011/12/04 08:52
茶臼山城 U
R175号を東へ走っていると六反田交差点左手に黒井城跡・春日局の里の立看板を見る。左折して北方に進むと春日庁舎・黒井駅に向かう正面丘陵上に黒井城が望まれます。 六反田交差点を右折して南方への直線道の先に、お椀を逆さにした様な円錐形の低丘陵が見える。明智光秀の丹波黒井城攻めの陣城として、一夜城等の伝説を残す小富士城とともに茶臼山城が在ります。今回オフの訪城初めはJR黒井駅からも近い茶臼山城です。北近畿自動車道を潜り、野村城側を通って栗柄峠を篠山や鼓峠を京丹波町へ通じる県道69号に合流するバイパス... ...続きを見る

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2011/12/03 00:08
前木戸城 U
丹波市内に有っては特異な縄張り・しかも残存状態も良い前木戸(サシド)城へは幾度か訪ねた。今年も年頭に訪城しブログに掲載した城址ですが、早々にも城サイト仲間を案内したいと計画していたオフ会も、諸々都合で延び延びになっていたが、松茸山の止め山も解禁になった11月に実施した。 取付き点近くの二村神社から前木戸城 天正期:明智の丹波攻めに篠山市の八上城籠城戦の包囲網・向城群は城郭研究の専門家・教育委員会・地元協力により報告資料等もあって知られていますが、丹波市の黒井城攻城については、信長公記... ...続きを見る

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2011/12/02 00:03
至山城 丹波市
岩屋山(506m)に在った石龕寺城(岩屋城)は、南北朝期:建武3年と観応2年、都を追われた足利高(尊)氏が二度共に丹波の此処に石龕寺に逃れてきます。丹波攻めの天正7年:最後の城主は広沢綱忠で、援軍として播磨から侵攻の丹羽長秀・細川藤孝等の連合軍に攻められ、久下氏の玉巻城と共に落城。   イタリ山山頂・三角点 主郭!? 石龕寺から長い谷間の岩屋集落内を経て、岩屋谷川が旧佐治川と篠山川が合流する地点に流れ出る。河口迄約300m程の地点には足利高氏が追っての探索を逃れ隠れた二重川伝説の足利橋がある... ...続きを見る

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2011/11/30 00:40
至山・山南仁王駅
”丹波”の名の語源ともなったとされる赤米の里:丹波市山南町の南境界を、北方から佐治川(現:加古川)が、東からは篠山川が合流して・此処から加古川となって南へ流れ出します。この三河川合流地点の旧佐治川側に井原橋が掛かり、南詰めの東(合流地点側)にはミニ道の駅「山南仁王駅」が在り、南側に阿形の仁王像が立つ。 南詰め西側は佐治川沿い南側から西方へ延び上がり石金山へと続く低丘陵尾根が始まる。この尾根筋東先端部が三川の合流地点・道の駅のあるR175号に落ち込む。この丘陵北裾一帯が「であい公園」で入口には吽... ...続きを見る

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2011/11/29 00:06
丹波霧:石金山
ふるさと兵庫の50山【いろんな人・団体等で推挙する山は雑多・条件や基準がある筈もなく?、個人的に推薦されている山書家の偏った日本百名山が独り歩きしているように、余り意味が無い。今では各県の50山や100山は、倍数100-300山位であらわされているかもしれません・・!!?が】の石金山(509m)からイタリ山(至山274m)へは、時おり歩いてみる。   石金山から天空の城(中央:岩尾城)と篠ヶ峰(背後の最高峰) 丹波市と播磨の那珂郡・西脇市を境する低丘陵尾根のイタリ山は「いたりやま 道のいたり... ...続きを見る

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2011/11/27 08:29
砥峰高原と峰山高原
昨年公開された村上春樹原作の映画「ノルウェイの森」のロケ地となった事で、一躍:知名度も上がった大河内高原の一:砥峰高原に今年も出掛けてきた。此方は未だ知名度も低い・・大河内高原ですがススキの名所で、江戸時代頃・大規模に行われた砂鉄採取の鉄穴(かんな)流しにより特異な山容が遺る砥峰高原のカヤトの風景は観光パンフやTV・雑誌の画像でお馴染みの所・・・、    砥峰高原 11月 昔は簡保の宿で日帰り”薬石のラドン温泉”の跡地に高原ホテル「リラクシア」が建つ峰山高原・・・、砥峰高原へ... ...続きを見る

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2011/11/18 19:43
井脇城  船井郡
此処:京丹波町では25ヶ所の山城が確認されていると云う。丹波綾部道路建設に伴う事前調査により、先日は三ノ宮東城の発掘調査現地説明会が行われたところですが、当日は参加出来なかったが後日に出掛け見学してきた。此の城の調査を最後に11月末には道路工事が着手される様ですが、此の丹波綾部道路建設に伴う本格的?発掘事前調査で最初に実施されたのが井脇城だったようです。   井脇城主郭北角の切岸と低土塁 ...続きを見る

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2011/10/28 21:41
三ノ宮東城 船井
此の急斜面で「取付く島もない・・」程に鬱蒼として、獣道ともつかない僅かな踏み跡を侵入口として取付いた藪山の中に、切岸高い曲輪段や最奥に堀切と土塁が地表確認できただけの山城が三ノ宮東城。R9号(山陰道)から府道26号線を繋いでR173号(綾部街道)との合流点:三ノ宮に出てくると、山内氏の三ノ宮城と三ノ宮東城が街道の要衝を挟んで呼応するかのように並んで見える。  主郭の櫓台土塁・手前は礎石建物跡・一輪車側に貯蔵穴 二つの三宮城の関連は不明ですが現在:丹波綾部道路建設の為・事前発掘調査中で、大河ド... ...続きを見る

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2011/10/26 21:15
三ノ宮城
京都府船井郡の旧瑞穂町(現:京丹波町)の三ノ宮に三ノ宮西城と三ノ宮東城を再び訪ねた。三ノ宮東城は以前は次いでに訪ね、猛烈な藪の急斜面を駆け登り、辛うじて高い切岸の曲輪の平坦段と、藪中の大堀切と土塁・竪堀らしい溝が何とか確認出来る程度で、城域の全体像が想像も出来なかったが、道路拡張?(丹波綾部道路)工事の為・発掘調査中、先日・現地説明会が有ったが参加出来ず、しかし調査後は道路工事により消滅の運命のある。 未訪の城なら敢えて見学するつもりは無かったが、石積み虎口や畝状ともとれる竪堀群や柱穴・礎石建... ...続きを見る

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2011/10/20 23:17
八幡山段城
但馬国境近い丹波市最北の宿場:佐治宿から向かうR427号が遠阪峠を但馬:朝来市に越える。現在では遠阪川を挟んでR483号(北近畿豊岡自動車道)が東面の丘陵麓を縫って併走する。連続するトンネル群に山垣トンネルがあり、山垣城の直下を抜けてゆく。足立一族の元祖で武蔵国足立郡を領し、北条氏に仕えた豪族久保田(足立)遠元が足立姓を名乗ったと云われ全国足立家の遠祖とされています。 丹波へは承元3年(1209)佐治郷に地頭職を得て足立遠政が入部し、その後:山垣城を本拠城として周囲には数多くの城砦群が築かれ、... ...続きを見る

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2011/10/15 12:00
井中城  丹波
円通寺砦の二重堀切【尾根を遮断するはずの堀切だが尾根に掛かる部分が浅い!!?】を越え、段々傾斜を増す北への尾根筋を4等三角点峰302mに向かうと井中城が在る。尾根筋に更に関連する城遺構が暗示される。北尾根続きには氷上と青垣の町境には沼城が在る。 芦田氏の沼城も香良合戦の敗戦?後は赤井・荻野氏傘下に組み込まれ、氷上郡(丹波市)領主:黒井城配下の”繋ぎの城”となったか?、敗色濃い砦を後にして・尾根先に次々と拠点を移しながら逃れた”逃げの城”が有るのかも・・・?。何箇所か平坦地形は有るが・・・其れら... ...続きを見る

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2011/10/08 19:32
円通寺砦 U
以前に紹介した円通寺砦を再訪した。季節を変え・取付きを変えたりして訪れると、行く度に遺構に対して違った感慨を持ったり、新発見があったりするものですネ。    小曲輪・帯曲輪の側から落ちる短いが数状の竪堀と竪堀痕を観る 市史や県史は無論の事・遺跡分布地図にも関連図書・古文書等にも表記されていない新発見の城については特に周辺の所在や立地位置にまで思考が届かず、再訪によって少し考え方が違ってくるのかも・・? 冷めた目で推測・確認してみても・やはり不明のままの城砦があるものです・・?。   主郭... ...続きを見る

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2011/10/07 21:00
奥谷城
天寧寺城とは西に約500m程・府道528号線を挟んで奥谷集落の天満宮境内一帯の山林内に奥谷城が在りました。比高20m程の丘陵上の城域ですが、東に大呂谷沿いに金山城山麓を三岳山の東麓を通り坂浦峠をR176号に出て丹後・加悦に向かう街道と、南側足元を西に向かう桐村谷が鹿島神社(北の丘陵には桐村城が在る)側を抜ける山道が但馬・但東町へ通じます。    桐村谷側の車道を見下ろす。見えない裾側にが田圃や谷川があり、切り立つ激写面は体感出来る筈 丹波から丹後・但馬に通じる間道とはいえ、往時は要衝だったの... ...続きを見る

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2011/10/06 10:26
天寧寺城
丹波の古刹:天寧寺の背後の丘陵上に天寧寺城が在りました。金山郷を領した金山氏は常陸国に発祥した大中臣那珂氏の後裔で鎌倉時代末期:大中臣那珂五郎三郎経久(つねひさ)が天田郡佐々木荘下山保(金山・三岳地方等!?)地頭職を任じられ、其の子宗経・盛経ら一族と共に丹波に来住してきたことに始まるとされますが、南北朝期:貞治4年(1365)地頭:大中臣(金山)宗経の嫡男宗泰が足利尊氏に従って上洛し、丹波金山郷に移ったとの説もある様です。     天寧寺城南郭南端:秋葉社を祀る曲輪  三代目大中臣(金山)宗... ...続きを見る

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2011/10/04 20:41
堂屋敷城
由良川沿いに大江町・宮津市へ向かうR175号線と、牧川沿い・JR山陰線沿いに但馬へ向かうR9号線が分岐する福知山市の牧地区に牧氏居館と牧城を再訪した後、麓から北方に遠く望む緩やかなスカイラインを見せる山稜に向かって、山懐から奥深く谷筋に食込む林道を辿る。   堂屋敷城:段曲輪東端の切岸と露岩の虎口?・右手の帯曲輪が主郭西端の堀切まで延びる 向かう山稜上の三等三角点(点名:堂屋敷? 375m)には、福知山市のWeb遺跡地図で探すと堂屋敷城が在る。実際は三角点峰ではなく、更に広く緩やかな主尾根西... ...続きを見る

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2011/09/30 16:07
平通城 豊能
上杉下所城と共に平通城(岡崎城)もまた、府県境に位置して塩川氏を警戒する能勢氏最前線の城で、天文18年 (1549)塩川氏が能勢郷に侵攻した杵根ノ宮合戦の際には、大きな役割を負った城塞であったと思われます。   土橋付き堀切の北斜面側(自然露岩の散在か?石材は多く見かける) 城史は不明ですが天正7年(1579)織田信長の摂津攻めに織田信澄・塩川伯耆守国満の連合軍によって、能勢町の能勢氏や西郷衆の多くが討死し、 悉くが落城し・残った西郷衆も帰農して終焉する。平通城の城主として岡崎四郎義實・左衛... ...続きを見る

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2011/09/27 20:52
上杉下所城
川辺郡の塩川氏が豊能郡に侵攻して、迎え撃つ能勢氏と配下に付いた能勢の土豪:西郷衆とが合戦に及んだ杵根ノ宮合戦の舞台となった森上城下・岐尼神社から府道602号を南下して以前:上杉城へ訪城した主計(かずさ)坂に着く。今は稲荷坂と呼ばれています。 尾根と並走する竪堀も屈曲し、上方の小曲輪からは横矢も掛かる!! 府道で分断されるが:此の稲荷坂から南へ延びる尾根続き・水晶山?(365m三角点)への主尾根を分ける鞍部から西北へ延び出す丘陵上に上杉下所(しもんじょ)城が在りました。 腰曲輪(左上)から回... ...続きを見る

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2011/09/25 01:08
牧城 福知山
福知山市街地をR9号(山陰道)で抜けて牧川が由良川に合流する近く、牧でR175号(大江町・宮津方面)と分岐する。西北方には丸い低丘陵がR9号線側に覆い被さる様に急激に其の先端を落としています。愛宕社を祀る愛宕山山頂部に牧城が在りました。  牧城:主郭(切岸と空堀が見辛く申し訳ありません) 比高約60m程を山麓の民家傍からは、ほぼ直線的に・しかも急斜面を石段参道が延びています。牧氏居館跡とされる一宮神社側からなら集落内の地区道を抜けて西の墓地への道・下川口簡易浄水施設からも砂利道の参道があり... ...続きを見る

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2011/09/15 19:14
垂水城 豊能
山田城とは垂水の谷を挟んで西南部、南先端を長谷川に落とす点名:向所(4等三角点335m)の尾根が、山田城から西へ続く主尾根と合流する辺りに垂水城が在りました。 山田城からの尾根続き。山田城へのスタート地点とした新宮神社から大日堂を過ぎ、山田城への取り付き地点ともなる林道を詰め上がって行くと、谷の最奥部で二つの城の鞍部に着く筈ですが、林道は途中で行止り。しかも行止り付近で二本に分かれる。    此の堀切状の向は40X25m程の平坦地形(栗林?)が有るだけ!!? 左手の林道は直ぐ墓地で終点。そ... ...続きを見る

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2011/09/12 23:20
山田城 豊能
先日廻った森上城・今西城にも記したが、天文18年(1549)森上城主:能勢小重郎が此の地の郷士西郷衆と篭り、侵攻してきた多田城・山下城の塩川氏と対峙した枳根(岐尼)ノ宮合戦の西郷衆として参戦している山田城主:山田氏は山辺城の大町氏等と共に西郷衆の中でも四天王クラス!!     二郭を分ける大堀切底から主郭(東郭)側の切岸と土塁虎口を望む 森上城からは山田川を挟んで西方に約1.5kmの近場に山田城が在りました。縄張りは単純と云えば単純な土塁囲みの曲輪が二つ並ぶだけ・・・!!?。・・・とはいえ高... ...続きを見る

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2011/09/09 22:06
浮ノ城 豊能
浮ノ城はR173号(能勢街道)で、はらがたわ峠を越えて能勢町山辺地区に下ってくる。玉泉寺付近の西方から府道602号線の山田側へ浮峠を越えるのが池田街道(旧丹州街道)で能勢町下所に下りてくる。現在の能勢街道(丹州街道)R173号でも栗栖から”はらがたわ峠”に向かう「一里松」迄に三度も山辺川を渡る。峠越えの道が渡川せず山裾沿いに通過出来れば・・小さな浮峠を越えるルートが往時の主要街道で有ることに納得!!?。    浮ノ城:主郭北面の腰曲輪切岸と鞍部(手前は西斜面への竪堀) 此の要衝監視・防備の砦... ...続きを見る

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2011/09/07 19:43
今西城 豊能
今西城と森上城は主客顛倒とも思える、元々の森上城は平安時代:天暦年間に築j城されていたらしいが、天文年間に地侍の西郷衆の一:森本氏により改修され、今西城も同時期に築かれ修復されたもののようです。   今西城:西北面の大堀切と外側土塁 宿敵:塩川氏が天文18年(1549)北摂・能勢の地に侵攻した際、枳根庄の領主:西郷衆を束ね指揮した大将:能勢小重郎により、塩川氏を撃退させた「杵根ノ宮合戦」 の主舞台:森本城に拠って以後は能勢氏累代の持城となったものか?。森本氏は主城:森上城の西 僅か150m程... ...続きを見る

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2011/09/05 20:01
森上城 U
森上城・今西城へのスタート地点とした岐尼神社は、嘗ての枳根庄の一つ・森上の地に鎮座する能勢町内に3つある延喜式内社の一つで、摂津源氏・清和源氏の祖:多田源氏の多田満仲が祭神の一柱として祀られる。神社から南へ延びる府道603号(摂丹街道)に出ると、森上・今西・山田・浮ノ城・垂水城・吉村の諸城が望まれる稲地の田園風景が拡がる。天文18年山辺郡の塩川氏が能勢氏の枳根庄に侵攻した際、能勢小重郎が 拠る森上城を中心に展開した枳根(岐尼)ノ宮合戦に、塩川氏が布陣したのが稲地・・  森上城主郭南面に三曲輪を... ...続きを見る

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2011/09/04 19:47
森上城  豊能
R173号(能勢街道)山辺口まで下ってくると左手に能勢富士とも鷹爪山呼ばれる山辺城址を望む。北摂で最大規模の山城です。国道を次の交差点「栗栖」で、前回までは左折して東郷地域の田尻城等を訪城したが、今回は右折してR602号線に入り、500m程の先右手の岐尼神社がスタート地点。交通量が多いが周辺にはJA駐車場以外に路駐スペースも無く、直ぐ先の岐尼(きね)神社の参拝者用駐車場を利用させてもらう。    森上居館の土塁と幅広い空堀 此の北側に迫る丘陵上の尾根続き約150m程を隔てて森上城と今西城の二... ...続きを見る

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2011/09/03 21:39
井内城  豊能
今回・豊能郡能勢町の山城巡りは、能勢・猪名川周辺を中心にキャスリングを楽しむ”イッシー”さんのコーディネートにより吉野城から始め、此の井内城をフィナーレとして廻った。     井内城北端の堀切土塁と主曲輪側の切岸 宿野二区に在る井内城は東隣の宿野一区にある宿野城(未訪)とは約800m程を隔てて呼応する。共に井内孫之進が城主の城とされるようですが、此の城も昭和63年(1988)の高橋成計氏調査により発見された城。天正6年:能勢氏が織田信長に離叛した荒木村重(伊丹市)に付いた為翌年には能勢氏の諸... ...続きを見る

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2011/09/01 18:01
田尻東山城
多田源氏の祖:多田満仲の嫡男頼光を摂津源氏の祖とし、多田ョ綱の孫国基が荘園整理令により永承年間(1046-53)頃・摂津国能勢郡の地(仁和寺領の荘園だったか?)を領して能勢氏を名乗り・一族が田尻荘を本拠として田尻城を築いたものと思えます。      埋もれた浅い空堀に土橋が付く R175号(能勢街道)の栗栖から始まる 府道4号線(茨木能勢線)は、明月峠を越え田尻から猪ノ子峠を経て野間氏の野間郷へ、さらに妙見山の野間峠を越えれば余野氏の里。能勢氏と同族の能勢三惣領【能勢・野間・余野氏】の領地を... ...続きを見る

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2011/08/30 22:40
田尻城 豊能
R175号(能勢街道)の栗栖から府道4号線で明月峠を越えて下田尻へ降りてくる途中の「北脇」付近から南へ入る地区道から長久寺を目指すと、寺院駐車場から左手にある墓所を抜けた背後の丘陵上・寺からの比高約60m程に田尻城が在りました。 明月峠越えの間道と田尻川沿いの要衝で吉野から国境の大槌峠(ひいらぎ峠)越えで亀岡市本梅町に入る。田尻城の城史は不詳ですが能勢氏一族の城だった様で、天正12年頭領:能勢ョ次が秀吉の九州遠征に従軍し不在中の手薄を好機とみた多田城の塩川勢(頭領は山下城の塩川国満)が能勢に... ...続きを見る

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2011/08/29 22:51
吉野城 豊能
堀越峠を越えた上杉地区が旧京都・桑田郡にあって、杉原城は在地領主:中沢氏(長沢氏)の犬甘野城の出城とも推察される”境目の城”で、中澤氏は篠山八上城主:波多野氏の七頭の一人・大山城主の一族です。吉野城も能勢街道(R173)と摂丹街道(R423)の中央を南北に貫き、能勢街道・妙見街道・池田街道・摂丹街道を繋ぐ要衝で、大槌峠(ひいらぎ峠)に在った”吉野の関”を通り本梅町加舎で亀岡市街地や篠山街道を園部方面に分ける要衝の地。加舎には波多野与兵衛尉秀親が拠った数掛山城が在り、其の南玄関口を守備する”境目の... ...続きを見る

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2011/08/27 00:31
杉原城 豊能郡
杉原城については平成14年(2002)能勢町人権広報部発行の「広報のせ」No.462号の文化財への道で、其の存在を知ってはいたが、今回まで訪城の機会を失していた。兵庫県側の猪名川・大阪府能勢の山城へと・地元の山城を皮切りに中世山城に魅せられた同志の誘いも有って、能勢の山城を何箇所か案内してもらった。    複雑な折れを伴う土塁壁沿いに曲輪に入る虎口 府道732号を堀越峠に向かう。むかし妙見山の奥の院から縦走の際・此の峠を横断して北の尾根を歌垣山へ向かった。車道も山道も殆んど変わらず懐かしく思... ...続きを見る

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2011/08/25 09:53
明月砦 豊能郡
篠山市側からデカンショ街道(京街道)を通リ、R173号(能勢街道)で”はらがたわトンネル”を抜けると大阪府豊能郡能勢町に入る。山間の細長い盆地を平野部に下りてくると山辺・栗栖の交差点。 ...続きを見る

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2011/08/21 12:24
六十内城
先日は和久川沿い(丹後街道・丹波街道)の北に位置する姫髪山城を訪ねたが、今回もT氏・M氏より姫髪山から北方への尾根続き、牧川沿い(山陰街道)を見下ろす位置にある六十内(むそち)城への同行を誘われ出掛けた。 此の日は六十内城の次に寄るだろうと思えた和久川側の山崎城傍を抜け十三丘(とみおか)集落から牧川沿いの9号線(山陰街道)に出たが、十三丘集落からJR上川口駅へと牧川を渡らずに山陰道を東西に通じる間道があり、対向車を気にしながらの幅狭い林道然の間道を抜け出た所が上川口駅のある六十内集落。   ... ...続きを見る

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2011/08/18 23:10
姫髪山城 U
福知山市内の古刹:もみじの寺としても有名な長安寺の背山に姫髪山があり、”丹波大文字”とも呼ばれ親しまれている市のランドマーク。嘗て此の山頂406mに姫髪山城が在って、城主の娘と家老の恋の伝説も残されると云うが、広過ぎる!!?平坦地形の山頂部を山城としたレポートはまだ知らない。 ...続きを見る

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2011/08/15 17:57
岡安支城
大浦半島を分ける底辺?のR27号線(丹後街道)の沿って、志楽川に小倉城や、以前に河辺川沿いの観音寺城等を廻ったが、其の中間部の朝来川沿いの城を廻ってみた。兵庫丹波・但馬なら朝来は旧朝来郡・現:朝来市・朝来町・・・天空の城「竹田城」も此の朝来(あさご)市に有りますが、丹後舞鶴の此処では朝来=「あせく」と呼ばれますが語源や由来は知らない。 ...続きを見る

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2011/08/12 09:17
小倉城 舞鶴市
巨大中央権力による地方豪族を匪賊として退治する構図は、崇神天皇の時代:土蜘蛛族の頭領陸耳御笠(くがみみみかさ)と匹女(ひきめ)等を、朝廷の討伐官軍の将は日子座王(ヒコイマスノキミ・崇神天皇の弟)が追討し、此の伝説が平安時代・多田源氏の祖:多田満仲の子で摂関家 ・藤原家に仕えた源頼光の大江山鬼退治に引きき継がれます。 今回訪れた舞鶴市の志楽川は源を青葉山(若狭富士と呼ばれる若狭・丹後境界の山)に発し、この山に篭る陸耳御笠を撃ち・戦場となった小倉に血原(千原)の小字が残ると云う。 陸耳御笠と匹女は... ...続きを見る

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2011/08/10 21:12
小倉城北尾根遺構?
小倉城から北に延びる主尾根から北西に落ち込む短い枝尾根の先端部に小倉中庵城と小倉薬師城が在りました。 ...続きを見る

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2011/08/09 08:01
小倉薬師城
小倉薬師城へは小倉中庵城から尾根伝に主尾根に出て、西へ延びる短い枝尾根を辿ってみるつもりだったが、中庵城からの枝尾根から主尾根までには短いが、羊歯の海に溺れ・倒木の大波に・また刺の多い弦木の敗れた網を避けながらの悪戦苦闘。 思いの外 広い主尾根筋は緩斜面が続くだけに左右の枝尾根筋は判り辛く、薬師城へと思える枝尾根筋を探しあぐねた。羊歯類は益々深く・荊棘の弦に遮断され進行を阻止され、小倉城を訪城後に再トライしたが結果は小倉谷の林道まで降りて、石仏が祀られる谷間の南側から丘陵上の城址を再度下方から... ...続きを見る

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2011/08/08 19:07
小倉中庵城
舞鶴若狭自動車道の全線無料化実験は終了(H23.6.19)したが、間際になって東舞鶴と若狭小浜近辺の山城を幾度か訪ねる事が出来た。計画予定日が雨で順延・・気になる見残した山城の幾つかを訪ねてみようと、通い慣れた!!?東舞鶴ICを降りて府道28号線に出る。    此の主郭部の切岸を見て ヤッと城址に着いた事を実感の小規模城郭(砦) 溝尻城を左手に「堂奥」交差点からの長い直線道路をR27号(丹後街道)との交差点「小倉」の東約50m程で直ぐ山間に入っていくような幅狭い小倉地区内に入っていく。重文の... ...続きを見る

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2011/08/07 23:50
加茂堡 小浜市
小浜市宮川地区に入り宮川公民館前から竹長城・野木川を隔て新保山城へ、龍泉寺前から賀羅岳城(ガラガラ城)を訪城して、 良継寺に引返し宮川公民館まで戻ってきたが行動時間には少し余裕が有るので、最初に登った竹長城の尾根から望む真近の加茂堡 (加茂城)に向かう。 ...続きを見る

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2011/07/31 19:52
賀羅岳城 小浜
賀羅(キャラ)岳城については・・・福井埋蔵文化財の遺跡分布地図は298m三角点峰【従来からの?賀羅岳城】をガラガラ城(遺跡概要には土塁・堀切・竪堀・虎口)とあり、その尾根続きの南・直線距離で約800mにある239m峰を賀羅岳山城(今回未訪・遺跡概要は空白のまま)として表記されています。    主郭北端の大土塁 現状では本保の長英寺背後の丘陵上に在る城を従来からの!!??賀羅岳城=ガラガラ城(298m) とします。築城時期・築城主等の城史について不明ですが後日・調査等により見直し・修正が必要と... ...続きを見る

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2011/07/28 20:44
後川砦 篠山
いつもコメントを戴く猪名川のイッシーさんからのお誘いで、丹波篠山市側から県道12号線(川西篠山線)を古阪峠に向かう。古阪峠を城東トンネルで抜ける丘陵上に後川砦が在りました。 ...続きを見る

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2011/07/24 23:41
新保山城 小浜
竹長城とは野木川を隔てた東北方に甍を白く輝かせる龍泉寺の大屋根が見える。その背山から北へ延び上がる尾根上に新保山城(霞美ヶ城)が在りました。新保山城は4等三角点の新保山(287m南郭)&#12316;主郭&#12316;最高所の北郭(293m)へと堀切で区分された三郭部と、主郭から西の尾根にも・幅狭い尾根先には、先の三郭以上に広い幅を持つ平坦地形10数段が在る。此の西郭部は居住性が高く堀切は無いが横堀らしい遺構が下部に有った。  新保山城(霞美ヶ城)主郭の低土塁 ...続きを見る

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2011/07/23 22:15
竹長城 小浜市
高浜町(滋賀県)からの若狭街道、三方五湖方面からJR小浜線とR27号線沿いの丹後街道が合流して小浜市街地へと西に向かうと、国分寺跡や舟塚古墳等の古文化・遺跡が点在する。    竹長城へは公民館前の激急斜面に取付く・・・ ”東市場”近辺・JR東小浜駅から北へ向かう県道219号線は若狭幹線の広域林道を越えて若狭湾・世久見湾沿いに走るR162号線に出る。幹線林道尾根上を西に走れば天ヶ城へ尾根続きの阿納トンネルを小浜湾に出る。野木川沿いの県道219号線を山に囲まれた宮川地区に入ってくると宮川地区内の... ...続きを見る

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2011/07/21 07:25
天ヶ城 小浜市
古刹:羽賀寺の背山に小浜市の西津地区では最高峰の天ヶ城山(天下城山 3等 266m)が在り、福谷・北塩谷の総合公園や羽賀寺から登山コースが整備されています。南尾根の羽賀寺から・西尾根の福谷・奈胡集落背後を東尾根が若狭幹線林道・阿納トンネルへと、三方からの尾根を繋げるジャンクション・ピークの山頂に主郭の櫓台を置く天ヶ城が在りました。     土塁で囲まれた北郭から北へ延び出す平坦地形は曲輪段跡!!? 築城時期は不明ですが、現状遺る遺構は若狭国守護武田氏家臣内藤筑前守勝高が天文年間(1532-5... ...続きを見る

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2011/07/20 00:06
達城 大飯郡
若狭国大飯郡本郷を本願地とした有力国人本郷氏は、承久の乱 (1221)後:新補地頭職に任じられた美作左近太夫朝親が入部し本郷朝親を名乗り初代となり、以後は在地勢力として室町時代には足利氏に属し、経済や軍事面でも大きな力をもってきます。現在も大飯町の中心地:本郷と温泉施設”あみーしゃん大飯”の間、佐分利川沿い南北に延びる丘陵上に達城が在りました。   土橋付き堀切と思えたが微妙に?(堀切巾程のズレは自然地形によるものか)食い違う。堀切で無ければ左右の竪堀というより片堀切 一方:安芸国守護:武田... ...続きを見る

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2011/07/15 22:15
白石山城 大飯
JR小浜線の若狭和田駅の東に「馬居寺」への道標案内板を見て、谷間の奥に向かう幅狭い地区道を進む。御詠歌に君が馬 居りし昔の名をとめて・・・とあり、寺の縁起によると、聖徳太子伝説の霊地として・太子による開創を伝える若狭でも最古の古刹です。此の馬居寺の西背山の頂部に白石山城が在りました。    主郭部:主曲輪側の土塁・空堀 ...続きを見る

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2011/07/12 20:46
石山城 大飯郡
舞鶴若狭自動車道の大飯・高浜ICの料金所ゲートからも、東方の丘陵北麓を抜けて行く自動車道高架側・石山地区の南背後に在って、 其の先端部は自動車道工事によって削り落とされ地肌を見せる崖上から南北に延びる尾根上に築かれた石山城の位置は直ぐ確認出来る。    主郭の仕切土塁:最高所の土塁上は櫓台、自然石・露岩を取込み石積み部も有る様子? 若狭守護職として武田氏が入国以前より、大飯郡佐分利郷に勢力を持つ国人武藤氏は、応仁の乱以後・武田氏の領国化で其の配下に組み入れられます。武藤氏は武田四老の一人(高... ...続きを見る

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2011/07/09 23:42
柿安城 舞鶴市
東西に舞鶴市と福井県高浜町を境する大浦半島を、南北に分ける府道561号線を河辺川沿いに走り、観音寺城・河辺原城・西屋城と廻り、河辺川が舞鶴湾(東港)に流れ出る平の湾に落ち込む断崖上の丘陵部に在る中田城・柿安城に向かった。戦後の引揚げ船の拠点として最期まで残されたのが岸壁の母の舞台「舞鶴引揚げ港」で其の報道・記録映像に映るのが平の桟橋。   柿安城北郭:尾根続きの土塁 此の風景と湾の入口から西大浦を繋ぐ鋼鉄の白い斜張橋の舞鶴クレインブリッジ(鶴の橋)を眼下の望む海の城が中田城と尾根続きに僅か1... ...続きを見る

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2011/07/07 18:19
中田城 舞鶴市
舞鶴市の東舞鶴湾の北方:大浦半島西南の舞鶴湾(東港)に架かる鋼鉄の白い斜張橋の舞鶴クレインブリッジ(鶴の橋:全長735m)を右手に見送り、 新大波トンネルを抜けると終戦後の”引き揚船”拠点地の一つで、”岸壁の母”で知られます。【岸壁の母モデルは関東の人・平桟橋で待つ人もあったでしょうが、舞台は東舞鶴駅から近い五条桟橋ではなかったか!!?】国内に最後まで残された”舞鶴引き揚げ港”で、平の桟橋(復元)や”引き揚げ記念館”の側が河辺川が舞鶴湾(平湾)に流れ出る河口。   中田城最南端の曲輪切岸 ... ...続きを見る

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2011/07/06 20:02
西屋城 舞鶴市
舞鶴市の東北部:大浦半島西南の舞鶴湾(東港)に架かる舞鶴クレインブリッジを右手に見送り、 新大波トンネルを抜けると平の桟橋や”引き揚げ記念館”に出るが河辺川が此処に流れ出る。東北の若狭湾に抜け出る府道561号線の河辺川沿いに観音寺城や河辺原城を訪ね、続けて西屋城へも寄ってみる。      空堀土塁を越えて西屋城主郭に入る 鵺退治”シノビ竹”伝説が残る旧加佐郡志楽庄は、源頼政が此の恩賞に賜った所領で、西屋城は河辺谷の中程に位置して、其の古城ともされる様です?。当人が来郷することも無かったと思え... ...続きを見る

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2011/07/05 20:01
河辺原城 舞鶴
河辺原城へは観音寺城の前に登るつもりでいたが、目標地点の卍マークの寺院が分からないまま、よく似た山容地形・山麓の橋まで有って間違えて西の丘陵上をさ迷った挙げ句、残念して下山してきた経緯がある。     観音寺城から河辺谷に降りてきて正面(谷を挟んで間違え登った丘陵の東隣)の山に向かった。幸にも山上部に関電鉄塔が二基あるので巡視路が見つかれば楽勝・・・・山麓を廻り巡視路(火力線No23とNo24)をみつけた。火力線とは大浦半島の西端・松ヶ崎にある”舞鶴火力発電所”の事でしょう。    西郭(... ...続きを見る

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2011/07/04 00:03
観音寺城 舞鶴
河辺川沿いの府道561号線が大浦半島を南北に分けるように西南の舞鶴湾から東北の若狭湾に抜け出る。多禰寺方面に向かう21号線と分岐する「平」から福井県境に向かう561号線沿いの河辺谷は旧加佐郡志楽庄で、平安時代末期:鵺退治で有名な源頼政の知行した地で、この鵺を射た矢が此の地「河辺由里&#12316;観音寺」付近で採れる”シノビ竹”だったとも伝えられるところです。もっとも”河辺xxxx”・・と河辺を付けての名は江戸j時代に入ってからと云います。   主郭北方を囲む土塁と土塁虎口部(曲輪へは切岸(1... ...続きを見る

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2011/07/01 18:03
茶磨山城 小浜
小浜城の東約 1.3km地点には北方から江古川が丘陵裾を鋭角に屈曲して、北川に並走して西の小浜湾に流れ出ます。江古川が大きく流れを変える地点・北方から南面の江古川に其の先端を落とす独立山塊が有り、南山麓の丸山集落の背山135m峰(4等3角点標石が主郭内に埋まる)には、城史の詳細は不明ですが室町時代末の弘治年中(1555-58)内藤兵庫の拠ったと伝えられる茶磨山城(丸山城)が在りました。      主郭部北曲輪(周囲を分厚い土塁囲みの曲輪中央に連絡通路の上り土塁) 城の南面は低丘陵ながら比高1... ...続きを見る

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2011/06/26 20:36
大塩城(田縄城)
永禄5年(1562)先のブログで紹介した稲岡城に比定される湯岡城の南部石見守に攻められ、落城した城に大塩長門守の拠る田縄城(大塩城) が在りました。しかし勝った湯岡城の土橋だけ?の遺構に比べ、大塩城の其れは、土塁囲みの曲輪に見事な虎口・中仕切土塁・堀切は3&#12316;4の土塁で仕切られた西日本では珍しい障子堀の遺構を残こす。 主郭部(副郭)の横矢の掛かる通路を経て・一折れして入る低土塁虎口部 若狭守護武田氏は此れまでにも応仁の乱後の和睦に・一色氏に丹後国を返還して後処理では家臣団と足並が... ...続きを見る

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2011/06/24 20:27
湯岡城 小浜市
湯岡城は後瀬山城から南への尾根を辿れば225m三角点の最高所から東へと尾根続き。山城めぐりの登山コースとしては良さそうですが、遠距離では時間的余裕も無い。・・・と云って土地勘も無く、勝手知らない地では、車での取付き点探しには何時も苦労する。 後瀬山城の登山口からはR26号線沿いに約1.2km程なので、車を置いて此処からスタートする。伏原と湯岡交差点の粗中間点で、一つ南側の地区道を入った熊野神社から・・丘陵上の水道施設(大きな貯水槽)は南川沿いのR162号線側からは、緩やかな丘陵を伸ばして南川に... ...続きを見る

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2011/06/22 20:53
後瀬山城 小浜
後瀬山(のちせやま)城はJR小浜駅の南西約km、R27号線の後瀬山トンネル東口を出て直ぐ、左折した神社境内から、主郭に祀られる愛宕神社へと参道山道が通じています。昨年秋にも寄ったがは・国指定史跡とはいえ、松茸シーズンだったので訪城を躊躇し諦めたが、登ってもよかったのかも・・・? ...続きを見る

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2011/06/21 19:58
片山城 東舞鶴
東舞鶴市街地の行永と溝尻の間・与保呂川と伯母谷川に挟まれた南北約1.5km程の低丘陵尾根の南端、府立養護学校分校・舞鶴医療センターの東に在る行永大迫城を先に紹介しましたが、北の端には片山城が在りました。JR東舞鶴駅南口の南浜町から、府道51号線を東に渡り、北浜町の東側流れる与保呂川に架かる丸山橋を渡った所に霊園が有るので、其処から比高も4−50m程の稜線?に登着けるだろうと考えたが、住宅地内・私道には入っ行けないので、徒歩で与保呂川沿いに丘陵北末端部を回り込んでみた。 霊園前から急に狭くなる車... ...続きを見る

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2011/06/18 23:12
行永大迫城
東舞鶴の山城では先に与保呂川沿いに日向城・殿村城・常城・芥子谷城・亀岩城等を紹介し、伯母谷川沿いの溝尻城と其の支城をブログとHPに紹介しましたが、与保呂川が亀岩城麓で北に流れを変え、伯母谷川と平行に舞鶴湾に流れ出ていきます。 二つの川に挟まれて東西約1.5km・標高も高いところで110mの低丘陵が有り、其の南端部に行永大迫城(行永大宮城)が在り、丘陵尾根北先端部のピーク81mには片山城が在りました。与保呂川沿いの南二派亀岩城・東北へ伯母谷川を渡れば溝尻も近い。共に幻の倉梯城(永正14年 (15... ...続きを見る

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2011/06/17 18:57
梅雨時の花
鬱陶しい梅雨時の花の代表は カキツバタや紫陽花・・・里では自生の花を見ることは殆んど無くなった山百合の花を見かけた。・・・・勿論山の中。しかも踏み跡さえ途絶え羊歯類に覆われた藪山ですが、荒れた地肌が少し見える倒木の陰に 清楚な淡いピンクがかった白い花。 大概の里山で尾根筋に踏み跡くらいは有るはずですが、其のかすかな踏み跡さえ途切れがちの尾根筋にササユリの仄かな香り・・近隣にも町花として愛されている花に気をとられてもおられない。之からの時期 山へは望まぬ接待主の蛇・ササダニ・蛭・・・しかし其のよ... ...続きを見る

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2011/06/16 18:56
十念嶽城 若狭
十念嶽城は砕導山城の東約1.5km程の位置・R27号線を跨いで大飯・高浜ICへ向かう県道16号線を越えて東へ走る。     山頂主郭の南尾根側を半周する低土塁 カサハラ川(漢字表示名が記されていると思われる西詰めの親柱を見ていないが笠原か?)に架かる丸山橋を渡ると前方・川筋北方にJR小浜線・国道が並走する位置へ、伸びだし落ちる低丘陵が見える。尾根の北に4等三角点のピークには粟屋氏の城塞とされる十念嶽城(十念岳砦・粟屋氏出城の別名がある)が在りました。 山頂部の一部を除き・特に南尾根側は猛烈... ...続きを見る

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2011/06/13 20:52
砕導山城 若狭
R27号線沿い・JR若狭高浜駅の北方に若狭高浜町のランドマーク:明鏡洞と高浜城が在り、南には式内社の佐伎治神社が鎮座する。此の佐伎治神社から妙見山(砕導山)山頂の妙見宮へと、参道が通じています。此の妙見宮に主郭を置く砕導山城は守護:若狭武田氏の重臣逸見昌経が、武田氏に対し叛乱を起こして立て篭った城。    砕導山城(妙見堂主郭)の虎口?受け曲輪 武田氏に四度も違乱し、其の度に敗北を期すが勢力を盛り返す。砕導山城は逸見昌経が丹波守護代:八木城主の内藤宗勝(松永長頼:松永久秀の実弟)軍の援軍を得... ...続きを見る

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2011/06/12 21:28
森城 舞鶴市
東舞鶴公園の周辺には先に紹介の芥子谷城・亀岩城(行永城)や行永青山城・今回の森城(藁谷城)が在る。「牧野河内守樣高付覚」に:行永村(森城の在る森村の東南部!!)に四つの古城【茶摩山&lt;亀山城!?&gt;・なへん地&lt;行永青山城!?&gt;・芥子谷&lt;芥子谷城!?&gt;・馬場&lt;森城!?&gt;】を挙げるが、茶摩山の上羽丹波守以外は城主不明という。     森城:西斜面の帯曲輪から落ちる畝状竪掘群 320" height="213" class="up-image" alt=... ...続きを見る

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2011/06/08 23:05
行永青山城
前回は常城・木ノ下城の探索には取付点探し等に随分と手間取り、少々バテ気味だったので、丸山公園(東舞鶴公園)周辺の城砦をロケハンして廻った。テニス・コート、子供遊戯施設の側から展望台に登ってみて、眼下の赤迫池の上方に行永青山城を見たが、 公園南側の住宅地からは入り込む余地無さそうで、今回は府道487号線の起点となる亀岩交差点から府道51号線を椿川沿いに、丘陵の南側から取り付いた。   行永青山城:帯曲輪から落ちる6&#12316;7本の畝状竪堀群をみる 行永には四つの古城【茶摩山&lt;亀山城... ...続きを見る

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2011/06/07 21:39
亀岩城 舞鶴
舞鶴市行永の亀岩城(行永城・倉橋城)は、城名からも・当初は倉橋(倉梯)郷の領主は丹後守護職一色氏の守護代:延永氏か其の家臣が拠った城でしょう。守護一色氏の勢力が弱体化する中で起こった、若狭武田方の守護代:逸見氏と図ったクーデターも、管領細川氏や援軍朝倉氏等の武田氏連合軍に敗れ、幻の倉梯城(溝城城・芥子谷城・亀岩城が推則されています)に延永氏は敗死。    北尾根の曲輪(古墓地)から主郭へ・・数段の曲輪は断崖状の激急斜面で切岸も高い ...続きを見る

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2011/06/03 21:56
木ノ下城
訪城では・何んということなく、短絡にしかも簡易に行き着ける低丘陵上の山城ながら、取付き点が分からないばかりに、とんでもないルートを選択して悪戦苦闘・艱難辛苦の末に辿り着くが、苦労多い割りには余り報われない。砦規模の小さな山城の僅かな遺構だけでも確認できれば良し・・とする結果の城は結構多い。         木ノ下城の堀切 ...続きを見る

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2011/05/31 20:49
常城 舞鶴市
舞鶴若狭自動車道で行永トンネル、続いて木ノ下トンネルを出ると、与保呂川を渡って直ぐ東舞鶴ICを降りる。舞鶴自自動車動沿いに南下すると府道487号線に出る。左折して与保呂川を遡ると、直ぐ与保呂小学校前を抜ける。南方に殿村城・殿村支城の在る山稜を望み、その先・日尾池姫神社を右前方の杜に見て、左手に日向城・与保呂川沿い最奥に在る桂城を前回までのブログで紹介・HPにアップしています。→ ”蛇切岩”伝説と与保呂川の山城     土塁と堀切内の土橋・上り土塁を常城の主郭に入る 舞鶴自動車道高架下:府道4... ...続きを見る

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2011/05/30 20:56
殿村支城
与保呂小学校の南方・報恩寺背後の丘陵頂部愛宕山(点名:生水229m)の殿村城が、殿村城から北尾根を約300m程下った位置に殿村支城が在りました。地誌に中世波賀隠岐守が拠ったという上与保呂城(殿村城)があり、小字国居(殿村支城のことか?)には時岡源之丞の別城があったと伝えます。養老山報恩寺(臨済宗天竜寺派)は南北朝期の康歴元年(1379)普明国師の開山を伝える古刹。”殿村”と呼ばれるのは報恩寺周辺の様で当然・取付き点の第一候補だが、寺から尾根への取り付きは無理っぽい。  尾根続き山側の... ...続きを見る

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2011/05/29 13:12
殿村城 舞鶴
殿村城は上与保呂村の入口に位置し、北に日向城・西には菅坂川を挟んで木ノ下城と呼応する位置に在って、菅坂峠を越えれば丹波綾部市の上林郷に到る。丹後街道の要衝を小倉(R27号線)から堂奥(府道28号:祖母谷川沿い・市内最大級の規模をもつ溝尻城が在る)をへて与保呂川沿い(府道487号)の、下与保呂村・上与保呂村の分岐点に降りてくる。殿村城・殿村支城や木ノ下城は此の要衝を正面に監視出来る位置。     殿村城東郭の切岸と愛宕社 ...続きを見る

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2011/05/28 23:26
日向城 舞鶴
与保呂桂城を降りてきて「羽賀谷橋」を渡り、日尾池姫神社から続く桜並木の沿道を西に進むと、北方の点名:羽賀谷(319m)から南西へ延び出す尾根先が台形の稜線を見せる。丘陵尾根は急斜面となり、先端部を与保呂川に落とすが、台形に見える緩斜面上の東西約100m程の尾根の前後を堀切で遮断して城域を確保する日向城が在りました。   日向城:尾根側の大堀切 ...続きを見る

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2011/05/26 22:06
与保呂桂城
美女が大蛇に化身する蛇切岩の伝説が与保呂川の氾濫や治水に関連するだけでなく、金属・とりわけ製鉄・精錬に関係してくる事は、三つに分かれた大蛇の尻尾を祀った大森神社&gt;(弥加宜神社・近くには単郭の城館ながら周囲を畝状竪堀で堅める森城が在る)は金属の神。胴を祀る堂田神社の近くには亀岩城(行永城)があり、頭は与保呂川上流の日尾池姫神社(蛇頭松姫大神)が在る。 与保呂桂城は此の日尾池姫神社の400m程上流に岸谷ダムと浄水センタがある。此処から林道?を400m程進むと桂貯水池に着く。桂・岸谷の二つの貯... ...続きを見る

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2011/05/25 20:51
溝尻支城
宮谷山(4等三角点)山頂部に築かれた溝尻城の尾根続き、南尾根先には堂奥城が其の大手口を守備し、南西へ延び出す尾根末端部を溝尻集落に落とす、先端ピークには溝尻支城が築かれて、其の搦手口?を防禦しているようです。      溝尻支城主曲輪東下の土橋+上り土塁付き堀切 東西二箇所の登城口を守る堂奥城と溝尻支城は、本城の尾根続き先端部に築造された出曲輪というより、共に城域の尾根両端を堀切で遮断して独立性を持たせ、階段状に曲輪を並べただけ!?の支城です。   主曲輪から末端の送電線鉄塔を置く曲輪まで... ...続きを見る

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2011/05/21 21:00
堂奥城 東舞鶴
舞鶴市内最大規模を誇る溝尻城の城主とされる矢野氏については、丹後守護一色氏の家臣で守護代の延永氏が若狭武田氏との合戦に、敗死し没落・衰退するが、同じ倉梯郷を領していた矢野氏が在地領主として拠ったといわれます。なぜ領内に二つの勢力?が有ったのか・それ以前の詳細が不詳ですが、勝手な!!?一つの仮説を立ててみると山頂北郭に祀られる妙見大菩薩や、倉梯山南山麓の与保呂川流域に残る日尾池姫神社の大蛇伝説等・・・詳細は割愛しますが・・どちらも鉱山採石関連に行き着きます!!?。    土橋付堀切から斜上する登... ...続きを見る

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2011/05/20 23:24
溝尻城  舞鶴
溝尻城は舞鶴市屈指の・・・というより、宮谷山山頂に溝尻城主郭を置き、南尾根先に堂奥城・南西尾根上に溝尻支城と・・二つの支城を大手道と搦手道に配し、山域全体を城塞化している、市内最大規模の城郭として知られる様です。城主は矢野氏とされますが・不明点も多い謎の一族累代を伝える様です。  溝尻城主郭西北尾根:土橋付堀切と竪堀間は竪土塁!!(ホントはもっと急傾斜) ・・・・が山城を目指した城郭フアンも愛宕社を祀る主郭背後の櫓台を下り、其の切岸下の妙見宮を祀る北郭(広く長く平坦な曲輪の北端に、宮谷山の4... ...続きを見る

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2011/05/18 22:27
堂奥ニノ谷城  舞鶴市
半日程度の余裕では余り遠出も出来ないが、舞鶴若狭自動車道を福知山・綾部以北へホンとに久し振り・・・に走り、東舞鶴インターチェンジを降りると、ゲートの真正面に宮谷山(4等三角点 200m)が見える。山の名:まして低山の点標名など・・峰続きに縦走もできず!? 登山対象にもならない山。   尾根幅は狭いが・堀切は深く左右の激急斜な谷に落ち込む しかし此の山には舞鶴市でも最大規模の城郭が在りました。若狭守護:武田氏と丹後守護:一色氏とは因縁の争いが絶えず、特に若狭国境に近い東舞鶴側に一色氏の城砦群が... ...続きを見る

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2011/05/14 22:39
大河城 丹波市
京の都に境して京都丹波・兵庫丹波は、丹後・但馬・播磨を繋ぐ要衝で、地方との産業・文化の交差点ともなっていますが、都での権力闘争に敗れ京を追われた敗者が真っ先に選ぶ逃避先。其の追ってもまた丹波に侵攻し戦いの絶える時期は殆んど無かったかも・・・?     大河城低郭(南郭)の南面:帯曲輪の石垣 足利高氏や細川氏の内紛・先日ブログ荒神山城の足利義尹等で・・・丹波の地侍を頼っての逃走は、丹波内にも多くの呼応する諸城砦群と・其れに対峙する諸城砦が築かれ、中世城郭数は全国でも有数の残存城砦の保有地帯・・... ...続きを見る

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2011/05/12 09:22
下滝城 丹波市
JR福知山線下り列車が下滝駅に着く直ぐ手前・篠山川に、今では珍しくなった「広田の吊り橋」が架かる。上流には丹波竜化石の発掘現場が有りますが、此処から広田の吊り橋・・・更に無形文化財の神楽が奉納される青田大歳神社付近にかけての、川床・両岸の岩盤に注目すれば、甌穴(ポットホール)を幾つも観察出来ます。広田の吊り橋を渡りJR踏切りを越えれ県道77号線に出ます。北東角の山裾に小さな森の様な丘陵先端部が見えてきます。 ...続きを見る

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2011/05/09 23:46
日置城 福知山
福知山市夜久野町の千原やR9号線・牧川沿いの諸城を昨年の同時期に訪ねたが、今回:神谷城から日置城を廻った。山を観れば山城が判ると豪語され・殆んど知られることもない無名?の山城をライフワークとして、夜久野周辺の城砦群を隈無く攻め終えられている城フアンの方でも、日置(へき)城は未訪の様です。     日置城南郭(主郭)切岸と南曲輪 山城としては何故これ程までに?里からは余りにも遠く・峻険な山上に在る日置城ですが、標高(329m)でも劣る無名の峰々は登山対象としても魅力が無いのか?、「山あそ」(島... ...続きを見る

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2011/05/02 21:54
姫髪山城 福知山
丹波市から穴裏峠を越えて福知山市の和久川沿いのR429号線を走る。福知山市でも旧天田郡三和町方面を除き、旧天田郡夜久野町と、両天田郡に挟まれた中央部の旧福知山市に向かうのに、よく利用するルートです。R429号を市街地へと東走していると、北方に富士型の美しい山容の姫髪山が、山頂近くの「大」の字に朝陽を浴びてクッキリと見えてきます。     大文字の火床と薪を運ぶモノレール・下方に登山口の長安寺 毎年8月16日に行われている行事・大文字の送り火の火床で、「丹波大文字」で親しまれ旧福知山市のランド... ...続きを見る

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2011/04/24 20:36
香良城U 丹波
関西圏のキャスリング(主に山城探訪)フアンにも、馴染の薄い香良城の名を知る人は・まして城址を訪れた方は少ないと思われます。しかし丹波の戦国史・とりわけても氷上郡内に於いて最大規模の激戦となったのが香良合戦。其の主戦場となったのが香良城ではなかったかと思われます。    香良城の二重堀切(外側)の竪土塁と堀切 信長の天下布武の号令のもと:「丹波攻略」の黒井城攻めに・一度は明智光秀を追返したが、落城の前年に病死した黒井城主:赤井悪右衛門(荻野)直正は、丹波の赤鬼の異名で知られ・此れまで連戦連勝で... ...続きを見る

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2011/04/22 20:29
香良城T 丹波
丹波の”もみじ三山”に加え、昨年「隠れ紅葉の名所として、紹介するつもりだったが止めた岩滝寺は地元自治会によるものか?、時節には入山料を徴収する観光寺になってしまった様。寺側の意向に添ったものとは思えないが・・。「ふるさと兵庫50山」で知られるようになった五台山への登山口に在り、五台山・鷹取山や今回の香良城へも自由に通り抜け出来なくなったなったよう?。     香良病院の背後に鉄壁の香良城(西岩山) 独鈷の滝の大蛇伝説・浅山一伝斎(寛永9年(1632)の御前試合に勝って剣名を轟かせています!!... ...続きを見る

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2011/04/20 22:24
東はりま日時計の丘公園
丹波市山南町の西南端部で、旧佐治川(現:加古川)が篠山川と合流し、加古川となって南下する。東播磨の西脇市と接する国境が黒田庄町で元:多可郡だったが西脇市に編入されました。西脇市もまた旧:多可郡から市として独立!?したところ。丹波市の北方:福知山市も元は天田郡内から市政を敷いたところ。福知山市を中に挟んで西に天田郡夜久野町があり、東南方に天田郡三和町があって・判り辛かったが北方の舞鶴・宮津方面を分けて大江町も福知山市に統合された。 現在地理的にはわかり易くなったのかも知れないが、国・郡で構成され... ...続きを見る

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2011/04/16 21:26
福谷城 神戸市
この度の東北関東大震災により、お亡くなりになられた方々には心よりお悔やみ申し上げますとともに、不明者の安全・無事を祈り、被災された皆様へは”頑張ってください”と、個人的にはエールをおくることしか出来ませんが、御見舞い申し上げます。 私も今年17回忌を迎える兵庫南部地震(阪神大震災)に被災し県外疎開していましたが、残された息子の入学に際しては特別に小束山(垂水区?)だったかに高校在籍時の関連学生寮に入寮させていただき、取りあえず最低限必要家財を用意したり・・で数回走った市立農業公園横の道が県道6... ...続きを見る

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2011/03/16 21:59
東下城 神戸市
先のブログ”蛇池”のヒロインは東下城城主の姫君との伝承ですが、其の東下城(山田城・東下山城)が、県道85号線沿いに、西神戸脊山の丹生山系を望む丹生神社の石鳥居南方の丘陵北末端に在りました。丹生山と聞けば衝原湖(呑吐ダム)畔の千年家付近に降りてくる”義経道”を思い出す。平安末期の寿永3年(1184)一の谷合戦に大勝 した源義経一行が猟師:鷲尾三郎の案内で須磨浦に向かった道。        東下城主郭部の堀切 此の鷲尾三郎が功により山田庄を得て居したのが東下。時代は下が... ...続きを見る

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2011/03/15 21:53
天正寺山城
中国自動車道吉川ICからR428号線を南下してゆくと、山陽自動車道高架を潜ると、三田市方面から三木市に向かう県道38号線と淡河本町交差点で合流する。此処に「道の駅おうご(淡河)」が有り、目の前の浦川(淡河川)に面して断崖形状をみせる丘陵上には、智武を備えた武将:淡河弾正忠定範の淡河城があります。三木城主別所長治の義理の伯父で、三木合戦時の秀吉軍に対する淡河合戦での奇略(軍馬の群れに雌馬を放す・・)の伝承は良く知られているところです。     主郭背後の岩を抱く崖状切岸と堀切 城... ...続きを見る

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2011/03/13 08:57
上宿城 篠山市
日置の堂山砦(明智軍の付城とされる)と、其の西に約800m程の位置には、・八上城の井戸曲輪(朝路池)に至る搦手道か?、その登城東口を守備・監視する八上城の尾根続き東尾根末端部の安明寺砦をブログで紹介済みですが、堂山砦の東500m程には摂津三田・能勢・池田方面を繋ぐ街道(県道12号線)が走り、曽地川を越えれば波多野氏以前からの土豪:波々伯部氏一族の領地に入る。 曽地川がその境界になるのかは知らないが、直近には西への延び出す低丘陵尾根上に曲輪を並べる城遺構が在る。東西に伸びる尾根を辿ると弥十郎ヶ岳... ...続きを見る

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2011/03/09 22:26
安明寺砦
堂山砦の西正面・約800m程の地点、高城山(八上城)から東へ延び出す尾根の最東端に位置して安明寺砦が在りました。之も小さな砦で尾根先端部に3〜4程の曲輪を尾根上に連ねてはいるが、曲輪は高低差も小さく、切岸も無い。唯一・主郭の西端を堀切(両端に土橋が付く)が城域を分け、堀切上には低土塁がある。此の砦の南側からの谷筋が八上城の井戸曲輪(朝路池)へと通じる搦め手道!!?。       堀切の両端に土橋が付く 安明寺砦は堂山砦・洞中砦・上宿城をはじめとして曽地城・曽地砦・曽地奥砦(高野山城)は、織田... ...続きを見る

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2011/03/08 22:03
東中山城 綾部
十倉向町に渡辺氏の赤道城と、僅か6〜700m東南に隣接する武吉町に 坂田氏の梨子ヶ岡城を訪ね、時間に余裕も有るのであと1〜2城どこか・・近在に城砦は!!と、「綾部市遺跡地図」を探して見ると梨子ヶ岡城からの下山途中に前方に望む上林川沿い対岸(左岸)上流の佃町には佃城と尾根続きの西北方に東中山城が載せてある。        主郭北面の切岸と堀切 玉泉寺下の地区道を上林川の対岸に渡り、武吉町の集落を外れると、急に車道の幅を狭く感じる。左に丘陵端の崖沿い、右手には谷深く・幅広く ・水量も結構多くて流... ...続きを見る

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2011/03/04 22:39
梨子ヶ岡城
赤道城とは僅か6〜700m程東南の武吉町に梨子ヶ岡城が在りました。梅林山玉泉寺(臨済宗南禅寺派)が登城口なので取付き点探しで苦労することもない。玉泉寺は慶長6年(1601)開創で・はじめ五詮庵と称されていたが、寺宝となっている大日如来像は真言宗薬師寺(山寺だが所在不詳・・?)に祀られていたものという。天正8年の明智「丹波攻め」で落とされた横山城を福知山城として大改修の際・寺は其の建材として運び出されたが、如来像は村人らにより護持され、その後も難に遭いながら現:市の文化財指定を受けています。  ... ...続きを見る

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2011/03/03 21:18
赤道城 綾部市
沼ヶ谷城とは上林川を挟んだ南東方の低丘陵・十倉向町の脊山に赤道城が在りました。府道1号線を東に走ると井根川が合流し、中洲を拡げ川幅が極端に広がる上林川と流れと接する地点・十倉橋を渡り十倉向町に入る。沼ヶ谷城の先には・井根川の谷奥に井根砦が在るだけで、府道1号線沿いに城塞を見ないが、大きく蛇行を繰り返しながら深く・流れも早い(両再度は大型車輌は通行困難な車道)上林川沿いに山城・丘城が点在する。 其の手始めが沼ヶ谷城とは川を挟んで呼応する赤道城。共に築城は渡辺氏とされるが、以仁王の伝承から続く平安... ...続きを見る

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2011/03/02 22:48
光山寺砦 神戸
神戸市北区の大沢(おおぞう)町には、開創・開基の年代等詳細は不明ですが、真言宗石峰寺の末寺として創建され、七堂伽藍塔頭堂宇を誇る巨刹:般若山光山寺が在ったと伝えられていました。しかし戦国時代・羽柴秀吉軍による「三木合戦」の余波を受けてか?、兵火により全山焼亡し灰塵に期したという。  土塁・空堀の10m程斜面上部が三等三角点:日西原の山頂です。古墳の周濠とも思えず!! 北区から三木城へ向かう途中に淡河を通る・山陽道へ通じる要衝!!。三木城主別所長治とは婚姻関係にある淡河弾正忠は智勇に優れた武将... ...続きを見る

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2011/02/27 20:13
天狗岩 神戸市
三田市・神戸市境にある大規模スーパーとアウトレット・モールへは時々出かける。二ケ所のエリアを繋ぐ陸橋からはフルーツ・フラワーパークの大観覧車やヨーロッパの城館をイメージした建物が、生憎の雪曇りの中・夢の島の様に霞んで見える。フルーツ・フラワーパーク側からもハイキングコースが整備されていて、今まで何度か行ってみようと思いながら・棚田に続く細い車道・・・砦が在ったとされる光山寺山は公園化された様子なので、あきらめていたが、こんな天気に遊びに行く人もいないだろうと‥連れには・ゆっくり買物に時間をかけて... ...続きを見る

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2011/02/25 21:52
西山城 加西市
芝生広場や庭園、テニスコート等を備えた公共の宿「いこいの村はりま」の裏山へは、幾つかの整備された遊歩道が通じ、 西山の山頂部には加西市のランドマーク展望台が建つ。此の西山から亀山古墳(加西市指定文化財)の有る亀山へ、展望の尾根続きが楽しめ・遊歩道を散策する市民の姿を見ます。    加西市のランドマーク展望台・マスコットキャラは根日女(ねひめ) 展望台の建つ西山山頂部が西山城跡とは?、城跡と知って訪れても遺構はよく判らない。遊歩道や展望公園としての開発・整地によって消えたのかも?。亀山古墳に向... ...続きを見る

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2011/02/19 22:37
広原城 加西市
むかしから籤運が悪くて、殆どスカ!!の等外か・4等?以下の欄外なので!!抽選・籤引きの類は避けてきたが、山城巡りも・段々 その傾向が強くなってきたのかも知れない・・・ナ? 敢えて超マイナーな山城を探して出掛けているわけでもないのですが、結果的には城主も城史も不明。知名度さらに無く・城の遺構さえ定かでない・・・山城フアンでも 殆ど見向きもしないスポットに 出掛けて行っては貴重な時間を無駄にした様な?・・低山・低丘陵を彷徨い歩いただけの散々な結果で終える事が多い。        唯一の遺構らし... ...続きを見る

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2011/02/18 20:40
篠場城 丹波市
丹波竜発見・発掘調査中の現場に近いJR下滝駅を出ると正面に丹波竜親子の愛らしい姿のモニュメントを見て、県道77号線に出る。東北約350m程に下滝城、県道77号線沿いに西へ向かうと上久下公民館(丹波竜関連情報の発信基地になっている!!?)がある。北東隣に山裾付近には村上奥太夫屋敷跡とされる、4〜5段の平坦地(曲輪)が”それ”だとされます?。         北郭の低土塁 久下公民館背後の低丘陵は西方300m程で県道沿いに断崖状に聳立して迫り出して、先端部の西南端を県道に落とします。西100m程... ...続きを見る

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2011/02/15 00:02
友尾山城 西脇
築城時期や目的・城主等の城史が不明の城は多いが、城の伝承も遺構も無く・なぜこの様な場所に在るのかは、往時の山越えの通行ルートや時代背景等を知らない。山歩きでは遺跡分布地図等の資料になく、伝承等・地元で存在自体も不明の城址を発見したり、調査実施等詳細は不明ながら・遺跡分布地図に記載されている城を探訪してみることはある。 先日訪ねた猪名川町の木津城も、低丘陵の尾根末端付近の比高も・さして急斜面でもない尾根上に平坦地形が延びるが、何処までもが城域なのか堀切や土塁・切岸加工された曲輪等の遺構を見ない。... ...続きを見る

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2011/02/13 09:11
木津城 猪名川
兵庫県川辺郡猪名川町のWebに城址として紹介されている九ヶ所の内、阿古谷の西峰城(猪名川自然公園地域内にあって、猪名川グリーン・カントリー開発の為消滅した)を除けば、此の木津城と銀山城が「縄張り」の判りにくい城砦に思えます。多田の銀山城は一等?三角点と城山の名に釣られ、以前に登山の対象として出掛け山頂の曲輪だけ?の遺構で、よくわからないまま山を下りている。     木津城山麓から山城尾根への分岐点にある土橋付き空堀状? 今まで丹波や播磨の山々を歩いてきた過去の山域を見直してみると、通り過ぎて... ...続きを見る

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2011/02/09 20:41
木間生城 川辺
武庫川にも丘陵に突き当たり極端に屈曲して元の流れ!?に戻る”曲り”という処が有る。その三方を川に囲まれた中に曲り城が在ったが、県道12号線沿いの猪名川にも「曲り」に似た地形が有り、屈曲して流れる猪名川が西面を除き三方を濠として囲む小さな山塊の頂部に木間生城が在りました。      木間生城:北の堀切(主郭側切岸下部) 猪名川町には低山ながら尖峰が多く、先日の愛宕山城や三蔵山城・多田の城山(銀山城)や此の木間生城も、栃原と木間生(「こもお」は韓国語の”有難う”を連想する読みですね!!・・韓流フ... ...続きを見る

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2011/02/08 19:13
笹尾城 猪名川
県道12号線沿いに:先日訪れた愛宕山城への入口・猪名川霊園前を更に南下して笹尾集落の六瀬住民センターまで降りてきた。杉生城・若城〜此処笹尾城も多田荘六瀬(むっせ)村、多田院御家人の六瀬氏(平尾氏?)が領主として統治していた地帯。小さな山城が在ったが杉生城と同様に城域の前後を堀切区分している。       主郭部北端の土橋付き堀切六瀬住民センターと笹尾公会堂(地区消防団車庫・火の見櫓が有る)間の地区道を抜ける正面の比高70m程の頂部に主郭を置くが、南北の尾根筋100m程の小規模な城。堀切も埋もれ... ...続きを見る

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2011/02/06 18:27
愛宕山城
篠山市から後川(しつかわ)越えで県道12号線沿い。猪名川町の杉生城・若城を訪ねて南下。仁頂寺分岐を過ぎると清水地区に入ってくる。 「猪名川霊園」の大きな石碑をみて、霊園内に向かい坂道を登っていく谷間の西には、霊園最奥部に見える鞍部からは西へ・更に南へと比高100m、一気に高度を上げる尖峰上に愛宕山414mの山容がのぞまれます。県道12号線の霊園入口からも常に気になる山は、低山ながら登行欲を掻き立て、三角峰の追谷山へと北へ尾根縦走するのも良さそうです。 ...続きを見る

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2011/02/01 17:15
若城 猪名川
杉生城とは県道12号線を挟んで西の低丘陵上の山頂部に、金刀比羅宮を祀る平坦地に主郭を置く小さな城郭遺構が在ります?。・・・山頂部の祠まで参道が通じており、副郭から主郭へ入る平入り虎口状を見て祠造成時の削平によるものなら、細長く延びる尾根上の空堀道状はただの参道。     参道入口直ぐ上の虎口? 鳥居のある丘陵尾根筋南端から直ぐに現れる土塁虎口・細い空堀道と、此処に二段・続いて一段、段差のある曲輪状が植林・畑地・参詣道のよるものなら、主郭までの尾根上の曲輪t思える平坦地は削平甘く、自然地形のま... ...続きを見る

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2011/01/31 20:34
杉生城 猪名川
篠山市から県道12号線で後川に越え、三田市や篭坊温泉への分岐を直進して猪名川町杉生(六瀬村)に下ってくる。多田源氏の祖は多田(源)満仲に始まり、多田庄に所領を持つ在地領主の多田院御家人の城のうち、六瀬に杉生城・若城・愛宕山城・木間生城等があり、此れ等のうち・いくつかを訪城したいと出かけてきた。            杉生城(北面堀切上部の帯曲輪と主郭切岸) 在地領主として・多田院御家人として、また多田院御家人の筆頭となった塩川氏に付いて、能勢氏とは積年の対立が続き、天正期には秀吉命の背いて本... ...続きを見る

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2011/01/30 21:03
"竜のうろこ"伝説 猪名川町
篠山市側から久しぶりに県道12号線を後川(しつかわ)に出て、「猪村」〜大野山登山口の西軽井沢を南下して猪名川町へ抜け、杉生城を訪城の際・取付き地点として景福寺に向かった。 「後川越え」は八上城主波多野氏が嘗て三田北部を統治していた事もあり、明智光秀が八上城を包囲した篭城戦には、三田側から援護の兵糧米を運び込んだルートで、首塚や種々の悲話が三田・篠山両市に残されます。三田市には永澤寺があり、花の寺として有名ですが、足利幕府管領:細川頼之が後円融天皇の勅願を受けて建立された寺であり、崇敬される開山... ...続きを見る

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2011/01/28 22:10
鳴尾山城 西脇
西脇市の市街地からは西南に望む鳴尾山(なきやま)の独立丘陵の北端が、極端な急斜面を見せて野間川沿いに、加西市や多可郡八千代・中野間方面を結ぶ県道34号線に落ち込んでいます。送電線鉄塔を乗せる山稜尾根部に台形地形をみせる尾根端の山頂部に鳴尾山城が在りました。 ...続きを見る

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2011/01/23 18:24
ガンジョウジ城
城山トンネルを東へ抜け出た正面に仰ぐ向山連山は、ヒカゲツツジや山裾に日本一低い分水界のあるところとして知られます。北方の霧山(西波多野氏の氷上城?)から天王坂・権現山(赤井直正初陣の野山城)を経て、延び出す尾根の南端に此の城山が位置して、氷上郡(丹波市)を東西に分け・氷上盆地を南へ高谷j川が加古川へ、東側には向山連山の山塊を挟んだ僅か500m程の狭間に、由良川源流の黒井川が流れ出る分水界を成しています。 ...続きを見る

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2011/01/13 19:22
川阪砦 篠山
草山地区本郷に細見氏の将監屋敷・本郷城(草山城)を訪ね‥次いで多紀アルプスの中でも最人気の小金ケ岳から東へ続く縦走尾根の694mピーク付近から北へ延び出す尾根上に位置する川阪砦に向かった。・・・人気の山とはいえ小金ケ岳から篠見四十八滝への主尾根筋さえ未だ薮っぽく、枝尾根ルートへ踏み込むには読図が必要。 ...続きを見る

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2011/01/06 00:16
ゴリョン<御領> 篠山市
県道 97号線が京都府三和町へ県道 301号線が多紀アルプス御嶽・小金ヶ岳を分ける”大タワ”を越えて篠山市街地へ、県道300号線が県道301号線を分けて藤坂峠を越えてR173号へ抜け、京都府瑞穂町や京都府丹波町へ通じる県道703号線が交差する。これ等間道の連絡口の本郷集落には細見氏の草山砦(本郷城)が在り、交通の要衝監視に当たっていたと思えます。しかし本郷集落から更に東奥地へと、友淵川源流に向かって入っていく川阪集落にも川阪砦が在りました。         川阪の道祖神(自然石) 川阪砦へは... ...続きを見る

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2011/01/05 00:04
草山城 篠山市
本郷城(草山城・草山砦)は細見将監城ともよばれ、シャクナゲ寺・身代わり観音でも知られる松隣寺背後の殿山321m山頂部に在りました。寛永10年(1633)篠山青山藩士の細見(勘兵衛!)将鑑宗高により、天台宗の寺を現在地に移し、草山城(本郷城)主細見左近将鑑信光の院号「松隣院殿」から付けられたといわれ細見氏一族の菩提寺です。 ...続きを見る

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2011/01/04 00:02
細見将監屋敷
篠山市の最北端に位置して、草山温泉を過ぎると北へ97号線は京都府三和町(現福知山市)へ、711号線は船井郡京丹波町に入る府県境界。先に紹介した垣屋城を左手に見ながら進むR97号線が二つの谷中分水界となる丹波市春日町側の栗柄峠分岐を過ぎ、鼓峠を越えて西紀町本郷へ下りてくる。   将監屋敷東北端 此の栗柄峠から鼓峠こそ丹波の赤鬼の異名で恐れられた黒井城(現:丹波市)赤井直正を攻めた明智光秀が、天正4年(1576)、勝利目前の明智方にいた八上城(現:篠山市)波多野秀治が、偽りの同盟を破棄し、黒井城... ...続きを見る

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2011/01/03 00:04
西倉城(仮称)
新年あけまして おめでとうございます 今年も新たな人生の儚い?時間を刻み始めました。  新春:初ブログは BIGニュースで始めたいところですが・・・砦規模の小規模な城砦の紹介からとします。        主郭部:帯曲輪から主曲輪の切岸 兵庫県丹波市の但馬に境する青垣町には全国足立姓の祖:足立遠政が、承元3年(1209)氷上郡(丹波市)佐治郷の地頭職を任命されて関東から入部し山垣城を本拠とします。平安時代・保元3年(1158)とも鎌倉時代の元徳年間(1329-31)の頃とも云われ・明確... ...続きを見る

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2011/01/02 04:43
垣屋城 篠山
城郭資料やWEb上の城砦所在のリストに載せてある垣屋城は一帯の丘陵南東端の高坂川が宮田川に合流し、此れ等を濠とする小山上に一枝城が示されている様ですが、丘陵西に突出すもう一本の尾根上にも城遺構が遺り、地元のバス停のある絵図案内には西ケ谷・垣屋城。 ...続きを見る

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2010/12/31 08:37
垣屋・一枝城
R176の長安寺交差点から内場山城を左に見て、宮田の篠山市西紀支所で県道97号(丹南三和線)を北上。西谷城下を通り、板井城を舞鶴自動車道側に見て、宮田川沿いの盆地を遡り垣屋集落を目指す。丹波市側からは鋸歯のような小さな峰を連ねる西多紀アルプスの鋸山の峰々を背に、宮田川に延び出した先端に小山を載せた低丘陵部に一枝城が在りました。 ...続きを見る

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2010/12/30 00:20
野間城 能勢
能勢三惣領の一「野間氏発祥の地」顕彰碑の建つ野間屋敷からま南へ、野間川に架かる農作業用の橋を渡る。山麓に向うには少し西に下った工場倉庫?脇から南へ。土塁囲いの様な貯水池沿いからの山道を、墓地跡を抜けて進むが、このあたり左手一帯の平坦地が武家屋敷跡?。野間氏居館は此の一帯の最奥部とは思えるが、山への入口直ぐに見かける空堀・土塁・泉池庭跡?を一先ず居館跡(鬱蒼とした雑木薮への侵入では、遺構探しも徒労に終わるかも?)として、山道を進む。     野間城主郭:土塁上の櫓台に祀られる稲生稲荷社 山道は... ...続きを見る

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2010/12/28 10:47
野間氏居館
野間屋敷から南に進む細い地区内の車道は野間川に行き当たる。西に下れば野間家菩提所?の圓珠寺前を過ぎてR477号に出る。野間川と大原川が近接し・少し下流で合流し知明湖(一庫ダム)に流れ出る。野間屋敷の南に聳える高岳山(点名:野間)のちゅうふく部:山頂から北へ延びる尾根先の城山の野間城が在り、山裾が麓の田圃と接する付近の林の中に野間氏居館が在りました。   土塁と空堀の北西角は石積みを覗かせる土塁虎口? 何時訪れても おそらくは下草薮の鬱蒼とした林の中に、居館跡と判っていても足を踏み入れるには躊... ...続きを見る

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2010/12/27 00:11
片山城  能勢
上杉城に行く際に立ち寄ったR173号線・道の駅”栗の郷能勢”の東側に、上杉城と対峙するかに様な位置に片山城が在りました。 ...続きを見る

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2010/12/21 00:06
上杉城 能勢
もう七年程昔・・のこと。此の上杉城へ行くつもりで兵庫県側の猪名川町から阿古谷峠を越えて上杉区に入った。山城もリスト一覧を参照しての住所だけ、登山も山城も地図無しでの無鉄砲さで、上杉から向かう山容から、点名:上杉(4等三角点)が城山・・・!と勝手に決めての訪城に、やはり場違いで行き着けず      上杉城:主郭北の大堀切 ...続きを見る

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2010/12/20 00:17
淀山城 篠山市
京都から亀岡を経て篠山市へ”デカンショ街道(R372号線)”が通じます。延喜式の山陰街道は京街道・丹波街道として交通・文化の基幹で、京都・丹波・播磨や但馬方面への要衝です。西国街道の摂津池田・茨木や、川西方面からは妙見街道・能勢街道(R173号線)が天王坂を越えて篠山から綾部・福知山方面へ向かいます。   主郭北の大堀切東下方に横堀・竪堀がL字状に繋がる遺構があるが在地領主による縄張りなのか? ...続きを見る

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2010/12/19 00:02
錦繍の有馬富士
三田市のランドマーク・有馬富士と福島大池(鴨池)を一望する「県立有馬富士公園」の自然学習センター(センターは市立だったか?)の展望台に立つと、深まる秋とともに錦繍に衣替えする有馬富士と其の山麓の感嘆すべき絶景を目にすることが出来ます。 ...続きを見る

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2010/12/14 07:17
北谷城 綾部
綾部工業団地周辺の城巡りでは、壊滅どころか見る影無しに消滅していた西八田城・中世の城主名も残る?中山城も、数段の段差を伴い・広大な平坦地形が神社境内として存在している様ですが、山頂部の主郭に曲輪切岸を見るだけで、消化不良のまま向かったのが工業団地の中央部。       祠背後の大土塁と空堀・手前は土橋 丘陵部を切り開く大造成整備され、傾斜面に階段状に建つ工場群・その間を右へ左へと、クネクネ屈曲しながら車道が通じる。そんな中で工場案内標示に従い進む車道脇に赤い鳥居を見る。神社整備拡張等の手が入... ...続きを見る

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2010/10/30 22:09
石原城 綾部
福知山市の綾部市境に牡丹寺として知られる洞玄寺が在り、其の敷地には折れを伴う空堀を廻わし、大土塁で囲われた大槻安藝守の石原(いさ)城が在る【洞玄は安芸国(広島)から来住した古城主の法名】此の石原(いさ)城の北方、由良川を挟んで対岸の丘陵南端に私市丸山古墳が見える。其の真東・直線上約1kmの綾部市側にも石原(いしはら)城がある。       主郭北面の大土塁(向いのコーナー部は櫓台!!?か) 先に紹介の小貝城は主郭の三方(北面は未確認だが? 地形から・そう思える!!)に深い空堀を廻すが土塁は見... ...続きを見る

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2010/10/21 20:21
小貝城 綾部
舞鶴若狭自動車道トンネル上に遺構保存された私市丸山古墳からは、綾部市街から福知山市にかけて由良川流域の眺望が良い。東方に走る府道74号線側に・その先端を落とす半独立低丘陵が、小貝(おがい)地区を挟んで真向いに横たわる。       小貝城:二ノ丸と主郭間の空堀(薮に覆われ草を刈らないと堀切とも思えないほど) この丘陵頂部へは丸山古墳公園からや小貝の八坂神社、尾根先東北山麓部からは石原遊歩道入口があり、此処からは林道経由で・途中には遊歩道専用駐車場まで整備された”綾部市創造の森”コースがありま... ...続きを見る

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2010/10/19 22:52
四文字山城
京都府下でも最大級の円墳私市丸山古墳の真下に私市トンネルがあり、高速道の舞鶴若狭自動車道が抜けていきます。丸山古墳から高速道に沿う様に北へ延びていく尾根筋の先に標高171m三角点マークの無名峰がある。         丸山古墳から四文字山を望む 此の山頂に主郭を置く・四文字山城が在りました。所在地に私市町東四文字山・西四文字山とあり、丸山古墳から観て最初の峰が東四文字・三角点峰が西四文字なのでしょう。更に高所が福知山市と綾部市に境しており、此処まで城遺構を確認しに行けなかった。尾根上に長々と... ...続きを見る

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2010/10/18 07:40
峰山高原 神河町
先にススキの名所として砥峰高原を紹介した播磨神崎郡神河町の大河内高原に峰山高原はあり、高原と森林浴(使い古された過去の用語かナ?)・テニスコート・球技グラウンドやキャンプ場等施設と、以前には簡保の宿が在り、薬石効果を謳ったトロン温泉が有り、日帰り温泉として利用したこともあったが閉鎖していたが、跡地には峰山高原ホテル・リラクシアが建ち、少し垢抜けて一帯のリゾート施設も復興していた。       峰山高原:リラクシアの森(映画”ノルウエーの森”撮影地) ホテルからは旧来の巡視専用林道が峰山高原側... ...続きを見る

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2010/10/14 20:10
砥峰高原 神河町
アウトドアには最高の季節だが、松茸シーズンに入り・止山(松茸山)への入山立入禁止で登山や山城訪門出来ない山が多く、知らず入ってのトラブルを避けるためにも、解禁の11月まで行動自粛の範囲が増えて憂鬱な季節でもあるが、今日朝(AM8〜9時頃)の大河内高原の砥峰高原ライブカメラでは雨模様だったが、天気予報を信じ・頼りとして・・「とのみね交流館」を目指し・AM11時頃には着いた。 ...続きを見る

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2010/09/26 19:14
貝野城 多可郡
妙見富士とも多可富士とも呼ばれる妙見山(2等 693m)は近畿・関西100山からは当外ですが、ふるさと兵庫50山からも選外の不遇な山です。そのほうが良かったと・・静かな山歩き・歴史散策が楽しめます。登山口近くには北播磨余暇公園・登山口には東山古墳群・周辺一帯には鉱山跡の坑口や精錬跡、伝説には「あまんじゃこの忘れ石」、山頂からの展望も良好、山頂からの尾根続には城山(貝野城)・妙見砦・向山へ進路を変えれば段の城の高城・築ヶ鼻城と・此れを詰め城とした段垣内構居があり、遺構も良好に残る為キャスリングを兼... ...続きを見る

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2010/09/24 19:15
荒田神社 多可
播磨赤松氏家一族の在田(有田)氏は赤松範資の子:朝範が滝野・光明寺合戦に、戦功があって足利尊氏から東播磨地方を領有、多可郡在田荘に移り有田(在田)姓を名乗ります。在田氏は貝野城・段ノ城の他、弟が分家して野間城【多可郡八千代区 野間山城や光竜寺山城等)】を築いていますが、天正3年荒田城合戦に同族赤松家の別所重棟等の連合軍の夜襲による奇襲うぃ受け、二日余りの戦いに在田氏の城は次々落城します。貝野城と段ノ城中ほどの山麓:安楽田に在田氏居館の段垣内構居(荒田構居)が在って、居館や瑞光寺が焼討ちされます。... ...続きを見る

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2010/09/23 00:41
東山古墳群
丹波市から小野尻峠を、西脇市の北方の多可郡那珂(中)区へ降って来ると、北播磨余暇公園のバックには・多可富士・妙見富士【ふるさと富士】とも呼ばれる妙見山の姿が望まれます。妙見山のスカイライン(稜線)を南へ追っていくと、つい2〜3年前くらいだろうか?、山頂部が伐採された山城が・その名:貝野城の本丸の姿を見せており、猛暑日が続きアウトドアには出足を砕かれ・二の足を踏む・・・。やっと落ち着いてきたので・曇り空を幸いに気になる城へ再訪した。       東山古墳群からに城山(貝野城)・右手に妙見山 此... ...続きを見る

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2010/09/22 20:30
本福寺谷城 綾部市
綾部市松ヶ崎の本福寺から、福知山市観音寺との市境尾根を高嶽416mに向う登山コースがある。福知山市側に観音寺城(将監城)の山城からも登山コースではないが、尾根沿いに山道が通じている様で、市境尾根の275m峰に合流します。本福寺谷城は275m峰から北東方へ複雑に延び出す枝尾根のCa200m付近の緩斜面から東へ向う約100m程の枝尾根上に城遺構を残しています。      本福寺谷城:主曲輪からの段曲輪 この登山コースから外れた位置に在って発見されなかったものか?・・・しかし登山用案内標柱が残り高... ...続きを見る

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2010/09/16 21:52
段山別城 綾部
元は天田郡だった旧福知山市・その福知山市を挟んで、西に夜久野町と東の三和町が天田郡。その二つの天田郡と加佐郡(東部は舞鶴市に合併)大江町が旧福知山市に統合合併してされて福知山市となっています。今回の山城山域も旧福知山市と綾部市の境界に在って、古くは何鹿(いかるが)郡【福知山市の東方の一部と綾部市全域】。      段山別城:主郭部南西端から尾根上に並ぶ曲輪群 観光案内的に現地へ行先案内・現地の遺構の現状だけなら悩むこともないのですが?、荘園や中世の国人領主・地頭等・・・・領地や勢力図等、中世... ...続きを見る

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2010/09/15 08:54
段山稲荷砦
今年に入ってからも数回訪れた綾部市高津町。高津八幡山城は良く知られる綾部市を代表する!?山城ですが、城山の在る丘陵西山麓部の長谷林道を挟んで西側の標高80m程の丘陵部にも、当地国人:大槻氏が全盛の頃の城砦群の中でも、遺構の残存状況や特異性から見ても代表格と思える段山城・将監城が在りました。 ...続きを見る

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2010/09/13 23:48
山田城 福知山
JR福知山駅を発した鉄路が、山陰本線を外れて、篠尾新町からR9号(山陰道)を越えて下篠尾へと鉄道の引込み線が延びているのが地図上では判るが、走行中の車や・列車からは、おそらく気付く人も少ないかも?・・西日本旅客福知山電車基地で、昭和55年(1981〜)頃から始まった建設工事に先立つ基地敷地内の予備調査では、標高80mにも満たない低丘陵の拡がる一帯に、多くの古墳と中世の城郭遺構4つが発見されたています。 ...続きを見る

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2010/08/26 22:47
西山城 福知山
古文書や郷土史誌・地元に伝承も残らず、埋蔵文化財分布調査等による遺跡地図にも記載されていない山城遺構を発見し、其の遺構と・遺構保存状態の良さに驚かされることがある。一方では分布図・遺跡地図を頼りに訪城してみるが、辛うじて城砦遺構と思われる平坦地形を辛うじて見るだけ。曲輪の切岸はおろか、段差も低く、土塁や堀切や竪堀も埋もれてか、始から無いのか?、知識不足で判断・発見出来ないものも有る。       主郭部?の土塁(土壇)に囲まれた内部に二つの窪地が有る?  ...続きを見る

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2010/08/22 23:39
天王山城 綾部
綾部市志賀郷町・向田町に山城を訪ねたが、旧志賀郷の里に山城の存在は、地元の人々にも其の城史や伝承は殆ど残らず知られてない様ですが、”志賀郷の七不思議”については・夫々の奇瑞さえ失われたとしながらも、確りと七不思議伝承だけは知られ・知らされて現在にも息づいています。此の七不思議xxxを”村おこし”?的イベントとして志賀の「XX日市」が行われ、そのメイン会場が志賀郷町のJA支所。     天王山城:帯曲輪から主郭西の腰曲輪に入る上り土塁虎口!! ...続きを見る

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2010/08/01 22:44
狭間城 綾部
明徳や応永の乱の戦功に拠るものか!!?・応永年間(1394-1428志賀左衛門頼宗が、何鹿郡の吾雀(あすすぎ)庄(志賀郷現:綾部市)を賜り入部していますが、志賀郷内の諸城や城史は不明です。既に物部庄の国人領主で、管領:細川氏の近臣にあった上原氏が近隣国にも覇勢を誇っており、武士(もののふ)とは物部氏の”もののべ”から転化したものと云われるほどに、豪勇を誇る家筋の上原(物部)氏は管領細川氏の家臣団の一人で、志賀郷の領主達も上原氏に下りて、自領安堵を得ていたものか?。       狭間城:主曲輪と... ...続きを見る

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2010/07/30 22:12
蓼原城 福知
近畿地方も”梅雨明”の今日(17日)・・・丹波市のトップを切って、恒例の花火大会が実施されています。午後8;30〜9:10頃まで・・・ 福知山市街地から夜久野・和田山方面に向かうR9号線から、R175に入って北タンゴ鉄道・由良川沿いに走って蓼原地区に入ってくると、鬼を象った石のモニュメント”緑の一里塚”の有る休憩ロード・パーキングが有る。「山の鬼道・河の鬼遊」とも記されてあり、鬼伝説の里・大江町内各所には、このような休憩・駐車スペースと、ウオーキングや由良川河川敷や堤防・川原に遊園施設でも有... ...続きを見る

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2010/07/17 21:34
河守城 福知
福知山市街地から由良川沿いのR175号線を走って、全国的に知られる「鬼の里」大江町の玄関口・北近畿タンゴ鉄道大江駅に着く。大江山鬼瓦公園の北方・ R175号線を挟んですぐ、集落に迫る低丘稜には河守城と新治城(河守別城)が在り、R175号線沿いに南西約700m地点には蓼原城が在る。いずれも丹後一色氏一族:新治氏の城だが、元亀年間(1570〜73)に至って天田郡(福知山市)や何鹿郡(綾部市)に侵攻した黒井城主(丹波市)赤井氏によって河守城・新治城・蓼原城等に拠った新治氏は一時期滅ぼされたとされます... ...続きを見る

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2010/07/14 20:29
上杉城(仮称)
城山(日室ヶ嶽)は元伊勢内宮(皇大神社)の御神体山であり、日本各所に30数箇所発見されているという日本のピラミッド?の一つともされる山でした。福知山市遺跡情報地図の大江町内宮地区には古墳が三箇所と縄文時代頃の分散地が一ヶ所記載されているだけで、神霊降臨の神話伝承地に・城砦遺構や古代山岳祭祀遺蹟等一切無い空白地帯。       宮川(岩戸渓谷入口)に架かる鬼嶽橋から望む面山:上杉城(仮称) ...続きを見る

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2010/07/10 20:14
日室ヶ嶽
久しぶり何年ぶりかで縦走登山(結果的に)の山城探訪となった。ついでに山塊の最高所にある三角点峰を目指すことはあるが、今回:目指す城山は宗教的意味合いの城山(ジョウヤマ)なのか?城砦跡など無かった。此の城山が中世城郭なら東西に出曲輪か砦が・・・と思っての尾根縦走は、結果:最終の尾根東端小ピークに砦跡を発見。遺跡情報地図には此処に古墳が発見されており其の名称が城山古墳群!!。広い周辺地域一帯に城砦遺構の発見等は報告されていない・・!!。【次回のブログに紹介の予定です・・・】 大江町内宮に城山(3... ...続きを見る

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2010/07/08 07:54
片山砦 綾部
日置谷城の城砦遺構残存状態の良さに加えて、近在の城跡に見ない特異な縄張りに圧倒されながら山城を下って来た。此処だけは丹波の中世土豪の城というより、光秀「丹波攻め」以降〜信長・秀吉に仕え、関ヶ原合戦後は家康に仕えて此の上林郷に陣屋を構えた藤懸氏による織豊系に改修された縄張りとも思われた。       片山砦:土塁虎口 ...続きを見る

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2010/07/03 10:20
日置谷城
綾部市の府道1号線:上林川流域に沿って拡がる広大な田園風景は、口・中・奥の三地区に分かれ、綾部市の約三分の二を占め・近畿地方でも5番目!!と云われる田園地帯。上林荘の中央部・八津合町の古城山に在る上林城は、足利尊氏に従って武功の有った上林氏が室町幕府命で上林荘に地頭として入部し、天文年間の光明寺再建には在地の有力土豪として、その勢力を示している。其の頃:上林氏一族の一部?(大部分かも知れないが不詳?)は山城(京都)宇治に移って茶園を経営し ・豊臣秀吉からは宇治茶頭取として宇治茶の総支配を命じられ... ...続きを見る

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2010/07/02 22:13
弓削城 綾部
先に比久尼城と姥ヶ城を訪ねて府道1号線(綾部小浜線)に戻ってくると、南側の正面にテレビ中継所施設の建つピークに4等三角点268m丘陵上に瀬尾谷城が在りました。長閑で広々とした田園風景が拡がる丘陵の北山裾を東西に上林川が流れ、東方に比高4〜50m程の独立する小山と並ぶ其の東側に比高6〜70m程の三角推状の綺麗な山容を見せる山が見える。その山稜に弓削城が在ります。         東郭部の幅広い横掘(箱堀)と切岸を立てる東曲輪 ...続きを見る

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2010/06/29 23:18
瀬尾谷城
先に訪れた綾部市上林地区の五津合(いつあい)町の比久尼城・姥ヶ城とは、府道1号線と上林川を挟んで南側の丘陵に位置する八津合(やつあい)町の瀬尾谷城と弓削城に向かいます。二つに城は共に築城時期・城主等の城史は不明で、北に位置する比久尼城・姥ヶ城の丘城とは好対照・縄張り自体大きく異なる素朴な中世の山城。           瀬尾谷城主郭と南端の土塁残欠 ...続きを見る

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2010/06/28 22:17
姥ヶ城 綾部
苔生す様子からも年中:湿地帯、場所により池か沼 天然の要害・沼田濠を挟んで南に居館:比久尼城と、北に其の詰め城とも考えられる姥ヶ城が、中上林地区の畑口川沿いに在りました。         姥ヶ城西面の空掘 ...続きを見る

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2010/06/27 23:34
比久尼城
R173号線(綾部街道)の須知山トンネルを抜けて質山峠を降って綾部市に入ってくる。目の前の由良川の架かる新綾部大橋を渡るとR27号線に出て、和知・南丹市方面へ右折する。山家陣屋・山家城のある山家交差点で府道1号線に入ると、上林川に沿って走る道は以前:綾部温泉・二王の湯や、光明寺を経て君尾山・養老山・福井県境の三国山への登山口を目指した綾部小浜線。           幅広い空掘と土塁が城域を二分する ...続きを見る

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2010/06/26 20:57
荒河城 福知
JR山陰線と併走する北近畿タンゴ鉄道宮福線福知山駅の次停車駅が厚中問屋駅。ホームに覆い被さる程の迫る丘陵の崖上に保育園が建つ。私設公園跡地を抜ける車道は山上へ続き旅行社・ホテルが建ち、市街地からも目立つ独立丘陵ですが、桜時期を除いて・また安尾城(和久城)と知って訪れる人はまずいないかも?。鎌倉期の塩見氏の古城は、天文年間:村上某が拠っていたが、荒河伊達右衛門(左ヱ門?)に攻め落とされたと云う。 ...続きを見る

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2010/06/08 12:04
奥野部城
JR福知山駅の西方・大型店舗等が目立つ篠尾の市街地を抜けるR9号線は和久城が在った丘陵部の小峠を越えて一直線に北に向かい、和久川をわたる。和久川を渡った橋の北詰め西に家具ショップが有るが、その背後に覆い被さる程に迫る丘陵上に奥野部城が有りました。 ...続きを見る

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2010/06/05 21:06
奥野部段城
京都府福知山市:和久川沿いの北側に位置し、由良川との合流地点も近いR9号線(山陰街道)側には奥野部城(岩ヶ端城)が在りますが、その歴史も城主も不明?(福知山市史等には記載や・研究報告がされているのかも知れませんが!!)。 福知山市街地を抜けたR9号線は牧川沿いに夜久野町から朝来市へ向う山陰街道ですが、市街地境?となる和久川沿いに西へ走るR429号も佐治街道を丹波市青垣町へ、そのままR429号〜府道526号で「ゆずりトンネル」を抜けると下夜久野でR9号に合流します。先のブログで紹介の夜久野町の諸... ...続きを見る

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2010/06/03 22:29
関垣城 福知
JR山陰線夜久野駅の諸城廻り、夜久野町T(千原)・夜久野町U(大油子)・夜久野町V(下夜久野駅周辺)・夜久野町W(下夜久野〜中夜久野)をUPしてきた。未だ日置の山城や末城等、幾つかの山城が未訪ですが、後日の楽しみに、一応5月上旬までの訪問済み山城のレポートを終えた。はやく整理しておかないといけない・・・と思いながら、城史も不明・・?、”何か関連情報でも無いものか?・・と思うが知り得る情報は其の目途も無いまま!!?、記憶も薄れていくだけ。私事のリスト整理上の都合ではあっても空白で放って置くわけにも... ...続きを見る

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2010/06/02 00:18
茶薄山城 綾部市
城跡に茶臼山の名を聞く事は多いが、此処は茶薄山城・・!! 山の名についての情報は知らない・・・。 土豪:大槻氏の甲ヶ岳城は福知山方面への進出拠点として、永録7年(1564)丹波守護代:内藤氏が改修して入った城で、天正3年(1575)内藤氏の本拠城:丹波八木城は明智光秀に攻められ落城・城主以下討死したが、一族の内藤正勝が再起を期して八田城 (高城城 綾部市七百石町)に向うが、途中将兵は散り散りになり、明智勢に追われ苦戦したが辛うじて鴻ヶ嶽城に辿り着くが、遂に此処に自刃し内藤氏は滅亡・鴻ヶ嶽城は築... ...続きを見る

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2010/05/25 21:33
高内城 福知
福知山市街地を北上し、牧川を渡ると直ぐ大江町から宮津市、天橋立から丹後半島へと向うR175号・R176号線分岐点の牧。由良川河口へ約2km程の地点です。此れよりは牧川・JR山陰線に併走してR9号線を走りますが、此処のところ立て続けに訪れたJR下夜久野駅周辺の山城を思い起こしながら通り過ぎ、道路標識に日置(へき)の名を見る。此処に日置谷城が在るが狭い地区内に駐車スペースを見つける土地感無く、通り過ぎた先の「いねむりパーキング」に車を寄せたら、其処が関垣城への取付き点。日置谷城も遠くない距離なので此... ...続きを見る

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2010/05/24 20:12
日置谷城
この地(夜久野郷)に武蔵国から来住した夜久氏が、どの城を本拠城としていたのか?。小規模な城ばかりで、支城と区別出来そうな規模や縄張りをもつ本拠城として際立った城砦が見当らない?。 南北朝以降:夜久郷(夜久野町)は 足利尊氏母堂を祀る安国寺(綾部市)領や建仁寺の寺領で、荘園領主等の領地を巡る争奪の記録も無さそう?。文明年間(1469-87)細川氏に付いて、西軍の山名氏方を勝竜寺城(京都府長岡京市)や倉橋(椋橋)城(豊中市)・中嶋城(大阪市淀川区)等に攻撃した丹波国人衆の中に、負傷しながらも活躍し... ...続きを見る

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2010/05/22 22:56
今安城 福知
福知山市の大文字山姫髪山を望みながら、福知山市街地から由良川支流の和久川沿いに走るR429号線の北側に元郷社延喜式内社天照玉命(あまてるたまのみこと)神社の杜が見える。神社の杜の北を流れる和久川を渡る地区道の正面が今井集落の中央に通じ、背後に迫る低丘陵が集落を挟むように東西から南に尾根を延ばす。         遺跡地図に載せて有る今安城の西丘陵尾根(府道109号から) ...続きを見る

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2010/05/21 07:11
武神社〜山崎城
和久川沿い福知山市街地に向う途中、府道側に”額塚”の石碑を見て、有名な古墳か伝承地と思えたが未だ詳細は不明!!?ですが、和久川に丘陵末端を落とす山際に鳥居を見る。牛頭天王神社として勧請した天照玉命神社の末社:武神社で、明治政府による神仏習合・分離令の廃仏毀釈運動のなかで、武神社と社名が改称されたものですは、31歳で入封し20年間を過した福知山藩主松平忠房による創建。三段池公園の灌漑用貯水池工事の業績くらいしか知らないが、寛文9年(1669)2万石を加増され島原城へ国替以後は良く知られた藩主。 ... ...続きを見る

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2010/05/20 08:09
井田城 福知
府道526号「ゆずりトンネル」を抜けて夜久野町千原経由、 千原からは北へ約1km程でR9号線のJR山陰線下夜久野駅東の額田踏切りと交差点に出る。正面の丘陵部先端部が東北方:牧川沿いのR9号線と、牧川に流れ出る畑川沿いに北上する府道707号との分岐点へ落込む地点に賀茂神社があり其の裏山山上の166mピークには、山頂部の広い円形(約30u)の主郭を軸として、東南へ延び出す尾根筋に同心円状の段曲輪(各曲輪幅は約4〜5m程の小曲輪)を廻す井田城(谷城) が在りました。 ...続きを見る

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2010/05/16 19:02
荒神城 福知山
下夜久野駅前からJR山陰本線・R9号(山陰街道)を牧川沿いに葯500m程西走していくと、右手前方に東光寺の記念塔宝楼閣(八十八所霊場廻り完成の記念塔)が目に付くと、その麓で北に入る地区道沿いに額田川が牧川へ流れ出る地点。R9号と別れ額田川沿いには、左手(西)に東光寺〜鳴岩城が北正面には荒神城が在り、額田川を挟んで・大油子地区へ向う間道を挟んで呼応し、其の出入口を警備監視する位置に有る。        荒神城の土橋付き堀切 ...続きを見る

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2010/05/13 05:22
鳴岩城 福知山
京都府福知山市夜久野町の城砦は先に夜久野町Tで千原の山城を、夜久野町Uでは大油子地区の山城を紹介してきました。       額田川から東光寺:鳴岩城(月輪城の居館と山城)を望む ...続きを見る

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2010/05/12 13:17
菅谷城-奥山城
福知山市夜久野町大油子地区内の、小範囲内に点在する小規模・単郭の山城を訪ねた最後に菅谷城から奥山城へ・・・福知山市遺跡地図に表示の有る城館遺構は全て廻った心算ですが、地方誌に云う大油子城と其の居館が在ったとされる、其の位置や城史の情報は殆ど不明。大油子城の固有名や其の所在は判らないが、大油子城の居館は熊野神社の斜向いに見える比高20m足らずの台形の丘陵上に存在する段城の事だとは推察できます。しかし大油子城とは段城の真北・直線距離では 約300m程の丘陵に在る熊野城の事か、それとも真東約400mの... ...続きを見る

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2010/05/07 11:43
段城 福知山市
レポートが前後して先に訪城した鳴岩城は後になっていますが、此の地が旦(だん)で、月輪城と鳴岩城が有り、旦ノ上の居館が月輪城なのかも知れませんが、居館が在ったと思える広い平坦地形の位置には、八十八ヶ所霊場巡り石仏群の完成を祝した大きな記念塔が建てられているだけ。 ...続きを見る

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2010/05/03 22:24
熊野城 福知山
大油子地区の諸城では、主郭の尾根側背後に土塁を積み・堀切で遮断して防備する縄張りは変わらないが、先に訪城した西山城・秋葉城には然程?顕著では無かったが、主郭を土塁で囲む熊野城と菅谷城を見ると・・同じ規模の山城ながら、同じ領主一族による・同時代に築かれた城郭かどうかは疑問が残る。 ...続きを見る

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2010/05/02 00:56
秋葉城 福知山
福知山市夜久野町大油子を流れる牧川(由良川支流)と、地区内から流れ出る枝流沿いの、東西1.5km程の間には市の遺跡地図には、5つ程の城跡が記されています。いずれの城も築城時期や城主等の城史不明の小城ばかりですが、遺構の残存状態が良く植林帯の中・訪城時期も良くて雑木・藪に悩まされること無く観察出来た。 ...続きを見る

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2010/05/01 07:19
西山城 福知山
以前のブログに紹介した大油子玄武岩・奇怪な?石仏・清海寺の六地蔵石幢(せきどう)は、福知山市夜久野町”大油子地区内の城めぐり”に訪れた際、取付き点探しの途中で見た遺跡です。大油子へはR9(山陰道)高内から牧川とJR山陰線沿いに府道56号に入りますが、直進するR9号は緩い坂道を上り小倉地区に入ります。此処にはよく知られた玄武岩公園があり、 ご存知の方・訪れた方も多い筈・・・・!!? ...続きを見る

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2010/04/30 07:57
東シ千原城  夜久野
福知山市夜久野町千原には、「丹波史」に奥州(岩手県)衣川より来住した愛古城主(千原城・愛宕城!?)衣川下総守が居城して寛文5年(1665)12月に卒したとある。当地の村誌には此れは城ではないとも記されている愛古城(千原城)が、Web福知山市遺跡分布図の千原地区に扇山城と共に記されている千原城とは別の城遺構なのか?はともかく、千原城とは深山川を挟んで直近(約250m)に位置して東シ千原城(仮称) の城砦遺構が有るが、地史誌は無論・Web福知山市遺跡分布図にも城郭遺構に記載を見ない。       ... ...続きを見る

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2010/04/26 09:32
扇山城 福知山
千原城からは公民館前に戻り、府道526号を東に渡り直進すると、千原川に架かる門田橋を渡ったT字辻に着く。右手直ぐにDoCoMoの夜久野千原無線中継施設の無線塔が建ち、此処から山に入る踏み跡が続く。            主郭側から見る南尾根の土塁堀切 ...続きを見る

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2010/04/23 23:09
高倉山城 播磨
兵庫県の西端中央付近・岡山県に境して、播磨・美作・備前の三国の接点は、鳥取・津山・赤穂を結ぶ要衝の地。因縁の播磨の赤松氏VS但馬の山名氏や、出雲の尼子氏VS中国の毛利氏が、更には織田信長の中国攻めの先陣として、秀吉軍が赤松氏の拠る上月城を攻略し、上月城に入った尼子氏を毛利氏が大軍で包囲、尼子氏救援に向った秀吉軍は、大軍を前に手が出せず、信長命により攻略中の三木城攻めに専念する為引き返す。   見捨てられ無援の中で、孤軍奮戦も束の間、尼子家の再興を賭けての悲願は叶わぬままに尼子氏は滅亡・忠臣:... ...続きを見る

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2010/04/15 23:17
仁位⇔高倉間の曲輪遺構
岡山県の境する兵庫県西部の辺境の地。獲るに足らない小さな上月(こうづき)城の攻防に、赤松氏・上月氏・尼子氏が滅亡。戦国期に城主も赤松氏や上月氏・嘉吉の乱の盛衰に、山名氏に奪われ、赤松家再興されると上月氏、再び侵攻してきた山名氏や、出雲の尼子氏の侵攻・争奪が繰り返されて、都度に城主も頻繁に交替しています。      播磨・美作・備前三国の境に位置して播磨(姫路市・赤穂市)や岡山(津山市)・山陰(鳥取市)を結ぶ要衝の地にあって、中国の毛利氏・但馬の山名氏・織田方に付いて悲願の”お家再興”を願う山... ...続きを見る

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2010/04/13 19:29
仁位山城 播磨
織田信長は天正5年(1577)羽柴秀吉に中国攻めの初戦として、先に紹介した上月(こうづき)城主:毛利方・赤松政範の攻略を命じ、作用川を挟んで上月城と対峙する仁位山に、上月城包囲の付城を築き、安藤信濃守を入れて布陣し、秀吉は尾根続きの高倉城(城主:赤松義則)を攻め取って、此処を本陣としています。 ...続きを見る

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2010/04/12 21:09
上月城 西播磨
上月城には二つの上月城が在り鎌倉時代:播磨を支配していた赤松一族の徳平則景の弟・頼景が上月氏を名乗って正治年間(1199-1201)に大平山に太平山上月城を築いたのが始まりと伝えられます。其の後:建武の乱に武功のあった上月次郎景盛が、延元元年(1336)大平山から荒神山の出城に城を移したのが荒神山上月城で、現在(一般に)は荒神山上月城を上月城として呼ばれており、上月古城は太平山城と呼ばれるようで、歴史資料館のパンフにも上月合戦と尼子氏の忠臣:山中鹿之介終焉の地として 荒神山上月城だけが脚光を浴び... ...続きを見る

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2010/04/05 22:56
古路谷城(仮) 綾部市
以前より観音寺城から高嶽と、高津城から甲ヶ岳への縦走を考えていたが、今回T氏より後者の実践にお誘いを受けた。高津町へは2ヶ月前に高岳城(綾部三大城の一ではなく、福知山市六人部境界)に、段山城と将監城を併せて訪城したばかり。計画は高津城からではなく、長谷林道を荒倉谷沿いに入り、将監城を目前の不動谷出合から長谷林道を3〜40m進んだ付近に在ったらしい?xx廃寺跡から辿り、高津城からの主尾根を甲ヶ岳に向います。          古路谷城(仮称)の尾根東上の堀切 ...続きを見る

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2010/03/26 08:07
野山砦 綾部市
綾部市高津町から甲ヶ岳を経て上延町・安場町へのトレースには、もう一ヶ所・確認する地点がありました。山城専門ブロガーからT氏の友人M氏が入手された情報によると、甲ヶ岳から茶薄山城へ向う途中に畦状竪堀が有るという!!。       野山砦の東曲輪から:低い段差で主曲輪を周る帯曲輪? ...続きを見る

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2010/03/25 09:40
諏訪城 綾部市
今年初頭・綾部市南西部の高津町に段山城・将監城・高岳城に訪れたが、日を置かず両城を調査されたT氏・M氏からは、夫々の城に隣接して、関連城郭か・別城か・・・市の遺跡地図やその他情報にも無い?城遺構が発見されています。 ...続きを見る

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2010/03/24 23:55
岩の崖 西脇市
なんとも 素っ気無いネーミングだが 「加古川水の新百景の一」が旧加古川の南約2.5km地点・田高(たこお)にあった。丹波・播磨境界尾根上の主峰:石金山から東へ伸びる尾根の末端ピーク:至山に裾をR175が走るが、この麓で、旧佐治川と篠山川が合流して旧加古川となって、播磨灘へ流れ出ます。日本一低い谷中分水界「水分れ」から佐治川・加古川へ・・・高低差は低いが周囲の山々水を集める一級河川は、同様に日本海へ流れ出る由良川も・その氾濫による被害・水との戦いの古い歴史が語られます。 ...続きを見る

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2010/03/15 08:08
啓蟄を過ぎた今からが本番!!?
四季折々に山を歩いていると 小さな植物や動物・余り歓迎出来ない昆虫類・・・いろいろなものを見かけますネ。 素敵な画像ではなくてゴメンなさい・・・ 丹波・播磨境界の石金山から南西へ伸びる尾根筋をトレースし、290mピーク付近から主尾根を外して、猛烈な羊歯類で覆われ足下も見えない南への急斜な枝尾根を下った。この尾根先236m付近が石原北山山城の城域とされる範囲ですが、未だ城遺構らしいものを見ない。 ...続きを見る

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2010/03/14 18:03
西畑城館 西脇
西脇市の黒田庄町から石原坂(トンネル)を抜けて多可郡中町に向う車道の左手、石原地区の中央部に小丘陵があり、頂部に建つ薬師堂が城郭に見える。この丘の南側集落内に石原城(推定)が在りましたが、宅地と畑の中に、城址の遺構もなく面影も有りませんが、黒田官兵衛出生地の説が有る同じ黒田庄町の黒田城を攻め落とした石原城主の城。       西畑遺跡(居館と詰め城セットの石原氏の城館跡か!!?) ...続きを見る

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2010/03/13 22:49
雪中花?
奈良・二月堂の「お水とり」も終った事だし・・・殆ど有効利用する機会も無かったスタッドレス・タイヤをノーマルに替えようかと思っていた。長雨や なんやかや・・と出掛けることも余り無かったが、野にも山にも・・春は確実に「其処にやってきていました」 ...続きを見る

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2010/03/12 09:09
毘沙門砦 丹波
高見城から北東へ延びる尾根先端付近に東鴨野城が有り、新井小学校の背山になる。小学校前の交差点を真北に進むと北山交差点。コミュニテイセンタがありその先の地区道を入ると丹波佐吉(照信)の手になる狛犬(キツネ像)が護る稲荷社が有る。 ...続きを見る

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2010/02/28 09:35
泉山城 丹波市
高見城から北末端の穂壷城に至る丘陵上に点在する高見城砦群のなかで、穂壷城・妙見砦・泉山城(砦)・谷屋砦(鴨野城)は「丹波志」等に城砦名だけは出てくる。其の中でも泉山城だけは、南北朝期初期の建武年間(1334〜38)高見城(佐野城)は丹波守護・仁木頼章の城として頼章の家臣が拠り、泉山城(泉山砦)には頼章の弟・仁木四郎源(和泉守)義長が一時期在城していたとも 伝えられます。 ...続きを見る

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2010/02/27 08:34
鴨野城
高見城から北へ延び出す丘陵尾根が、萱刈坂で途切れ、標高208mを最高ピークとして比高30〜100m程の超低丘陵が・さらに北へ約2km程続いて、尾根西面には加古川沿いに播磨を結ぶ氷上町、東面は柏原町を分ける町界分岐尾根で、其の先端をR175号線に落とす位置に穂壷城が在る。佐治川(現:加古川)と柏原川・高谷川が合流する地点でも有り、川を自然の濠とする丘城として丹波市では、高見城とともによく知られた城です。    鴨野城:腰曲輪から帯曲輪北端の切岸と其の上に主郭東の二ノ曲輪 ...続きを見る

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2010/02/24 22:50
蟲生城 西脇
加古川の左岸・丹波市と西脇市の間に旧多可郡黒田庄町(現:西脇市に編入)がある。北方から南西へ延び出す丘陵部が加古川に最も迫り出してくる上比延地区を抜けると、「日本のへそ公園」がある東経135度線・北緯35度線が交差する「経緯度交差点」。うっかり通り過ぎてしまうほど狭い地区道を直ぐ東山裾にある福地地区へ向うと、細い集落を抜けて御霊神社前に出る。始めてだと地図の読図に長けるか・GPSに頼らなければ、屈曲した変則交差点や、何年も前から通れるのに通れない?広い直線道路沿いに、此処までなかなか行き着けない... ...続きを見る

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2010/02/09 15:21
蟲生城館
黒田庄町の三角点山(点名:上比延)は、登山ガイドブックに載っている福谷公園が起点の様ですが、福地地区の御霊神社前からもコースが整備されています。此の神社側近くに蟲生城新館が在り、西の集落上部には蟲生城館が、そして其処から登り始める丘陵上の西山上に稲荷神社が祀られる西郭から東の尾根端ピークに主郭を置く蟲生城(福地城)が在りました。          蟲生城館の空掘(右:疎水溝?)と手前左には土塁沿いに深い空掘?が延びる 蟲生城館は蟲生城を詰め城としたセットの館跡だったのでしょうが、北の背後を堀... ...続きを見る

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2010/02/08 14:39
西河原城
日本一低い中央分水界として知られる丹波市氷上町の水分れ公園を起点に、扇状に嶺を連ねる向山連山は、マイカー登山では起点から起点に戻ってこれる理想的に縦走出来き、展望が効き・なによりも春のヒカゲツツジの群生に、阪神間の登山者には人気の山の様です。      今朝の雪の山城(石生西河原城)に立つ:主郭?の分水界展望所と土塁の残欠 ...続きを見る

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2010/02/06 20:45
四ノ山砦 丹波
半欠け茶碗の縁を廻るような向山連山縦走の急斜面の登行、細い尾根筋を半円を描きながら、展望と花を愛でての山行なので、平凡な平坦地・まして展望に欠き、平坦地の先に現れるヒカゲツツジの幻影!!?を追って急げば、足元の地形に注意を払う人も少ないのでしょう。私も気にはなったがマサか・・まさか・・で素通りしていた。先に譲葉山城の発見・再確認から、尾根続き・ しかも北方に黒井城を望む(花のシーズン中はおそらく・雑木を透かしても展望は無いと思えますが・・)。冬枯れの今なら・・・!!。登山コースの中の四ノ山山頂... ...続きを見る

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2010/02/05 21:40
高岳城 綾部市
昔(7〜8年前)福知山市の六人部(むとべ)から天尖(あまんづく 320m)と、多保市(とおのいち)から高嶽〜時ノ子谷上〜平石へ歩いた事があった。山城なんか殆ど意識も無く、余り登山レポートも見かけない丹波の里山めぐりに精出していたが、其の2ヵ月後・今度は綾部市側の高津から高嶽を目指したとき、目前の低丘陵に高津城(八幡山城)があり、集落入口の府道には縄張り図付きの絵看板が立てられており、少し興味を持ち其の後:訪れたが、未だこのときには高嶽に向う林道沿いに段山城や将監城の遺構が、真近に眠っていた等想像... ...続きを見る

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2010/02/02 22:27
高嶽 綾部市
綾部市高津町に四山城を訪ねてみる。名の知られる高津八幡城は既に3〜4回は訪れてているが、其の西麓に段山城と将監城があり、此処は既に当ブログに照会しましたが、最後に向う高岳城は、過去に二度山頂を踏んだが山城であった事を知らず、また城遺構にも気付かず今回の再々訪となった。 ...続きを見る

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2010/02/01 23:52
将監城 綾部市
綾部市高津町の諸城では、先に寄った段山城の真南に将監城が在った。綾部市側の高津町は上高津・福知山市側の下高津には、アジサイ寺でよく知られる観音寺があり、其の背山には観音寺城が在って別名を将監城。           将監城:畦状竪堀 しかも尾根続きを辿れば市境界尾根に出て高嶽に繋ぐ。その市境界尾根を東に下る尾根先には、此の将監城にも繋がります。先日・将監城を訪城されたT氏とM氏によって、この市境界尾根付近にも、城砦遺構を発見されています。技巧の極みを感じさせる将監城の遺構に比して、境目の城は... ...続きを見る

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2010/01/30 22:14
段山城 綾部
福知山市と境して僅かに綾部市側に入ったところ・高津町に四つの中世城郭が在りますが、よく知られるのが高津城(高津八幡城)で、も一つは高嶽山頂に在ったとされる高岳城です。あと二つの城が地区内の目前に在ったが、市の遺跡分布図を見て始めて知った。殆ど知られることの無かった城の様ですが、なぜこれ程までに遺構の残存状態の良い城が、集落近くに有りながら市史・資料に情報が無かったのかと不思議・残念な気持ちです。・・・が為に現状態で維持されてきたのかと・・複雑な気持ちです。その二つの城が段山城と将監城。    ... ...続きを見る

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2010/01/29 22:09
ヌクモ城 福知
R9号線長田野工業団地から舞鶴自動車道の高架を抜け、府道8号線石原駅に下りてくる一つ手前:左手に府立工業高等学校と洞玄寺が並んで建つ台地がある。牡丹寺として知られる此の洞源寺境内が石原城(洞玄寺城)で、土塁と堀切を廻らせた居館の遺構が残り、近年・市史蹟に指定された大槻安芸守政治の隠居城と築城されたこと等は、先に訪城レポート済みです。 ...続きを見る

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2010/01/27 00:07
円通寺砦 丹波
藪・下草で遺構確認も難しい山城の探索は、冬枯れの今こそベスト・シーズンです。積雪がなければ・・・!!ですが。 兵庫丹波の紅葉三山として知られている円通寺の西の山上、4等三角点峰から南東へ延び出す丘陵が民家背後に迫る其の先端のピークは、愛宕社か稲荷社が祀られていた様で、一基の石燈篭と、祠跡には礎壇石材が積上げ集められている東西15mX南北20m程の平坦な場所がある。 比高20m足らずに低丘陵へは嘗ての参道が通じていますが、途中・何段かの小さな削平段があり、山上の祠跡の背後:尾根続きは2m程の切... ...続きを見る

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2010/01/26 00:11
上野城・上野砦
美女山という山名に魅せられ登ってみようと思いながら、藪と棘の山のイメージが強くて、今となっては・わざわざ登るほども無いと 周辺の琴滝や明智光秀により石積の城として改修され織豊系縄張りで知られる須知城や、空掘・大土塁囲いの此れも織豊系縄張りの居館というより 当初は居館を複数連ねていたと云う、見所と訪城して遜色のない館城の上野城・・・を廻ったことがあった。 ...続きを見る

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2010/01/07 07:56
垣内城 京丹波
先のブログで紹介済の橋爪城とはR9号線沿いの西・僅か1km程を隔てて垣内城が在りました。橋爪城は丹波大内氏が山内荘を領して拠った本拠城と思われます。山内一豊の祖父久豊が天田郡(福知山市)境に三ノ宮城を築き、此処に生まれたのが父盛豊・・・父子共に主君で愛知:岩倉城主の織田氏に仕えて丹波を遠く離れ、山内一豊も父・祖父についても一宮市の岩倉城からが話の始まりの様ですね 。 ...続きを見る

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2010/01/04 00:05
竹田城/干支の虎
新年 あけまして おめでとうございます  ...続きを見る

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2010/01/02 08:36
光秀「丹波攻略」伝承の兜山
兜・甲・冑・鎧・・・・武具の名称が付いた山名は、山城としても関連が有りそうで・気になるところです。まして名の有る名将・武将に因む伝承が残ればなおの事・・・・・もう10数年以前・瑞穂町の観光パンフレットに兜山(429m)について、山頂には明智光秀が”丹波攻略”の際、此処で兜を置いて策を練った伝えられる石があると云う・・・・そんな記事があったと記憶している!!?。播磨高御位山を縦走した際に有った”太閤岩” が天正期に秀吉が志方の城山(中道子山城)攻めに、此の岩に腰掛て采配を振るったと伝えられ山崎・天... ...続きを見る

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2009/12/26 08:05
京都:嵐山城と蔵王神社城
嵯峨野・嵐山レポートの閉めは目的の嵐山城ですが、地方領主の山城とは異なり、天皇御在所・足利の室町幕府が開かれ管領・各国の守護が詰める京の都です。足利将軍の中枢に此の領地の支配権を持つ領主がいるはずも無く?、築城に許可を与えたのは足利将軍なのか?・・・・築城目的は?・・・要衝監視?。 ...続きを見る

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2009/10/30 20:55
京都:松尾山〜嵐山(嵐山城)
渡月橋を渡る人々は一様に 色付き始めた紅葉が姿を映す大堰川に目を移し 映像等で知り得た名勝:嵐山に来たんだとの実感を肌身に感じておられるのでしょう。しかしホントの嵐山が其の山襞を上方に追って見上げる尾根上に有ることを御存知の方は少ないかも・・・・ ...続きを見る

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2009/10/29 08:30
建部山城砦群:福井城  舞鶴
一色氏の本拠城:建部山城の数ある城砦群の中で、建部山山塊に点在する城の城主名が古文書・地方誌史により判るものに、北方由良川の「渡し場」と宮津街道監視と「搦め手」を護る中山城の沼田幸兵衛と、南方の大手道とは少し離れるが、搦め手の中山城に通じる蔵王峠越えの裏街道と、西舞鶴から念仏峠を越えて由良川へ・由良川沿いには旧加佐郡大江町(河守)からは普光峠を宮津へ、福知山へ、由良川沿いに河口の由良港へと、宮津街道の要衝監視には、福井北城を呼応しながら・其の任に就いていた福井城の福井藤兵衛が伝承等にみえる程度?... ...続きを見る

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2009/09/25 22:14
建部山城と西砦・東砦  舞鶴
「道の駅・舞鶴港とれとれセンター」に広い駐車場に立つと、建部山が舞鶴富士・丹後富士・田辺富士とも呼ばれる、典型的富士型の姿をのぞかせています。出来れば市場内の店頭の新鮮魚介類をその場で・刺身・焼き・・で味わい舌鼓みを討ちたいところですが、目的は別・・ 五老岳やR175号線を挟んで真向いの愛宕山が地元の校歌に謳われているのに、なぜか舞鶴富士・田辺辻よりも大方は「丹後富士」とまで呼び親しまれているような建部山が校歌に謳われているのを知りません・!??。校歌の山・京都 ...続きを見る

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2009/09/23 22:57
舞鶴富士:建部山
典型的な富士型の山に限らず、其の地のシンボリックな山を親しみを込めて「○○富士」と呼ばれるふるさと富士は各所に見たり聞いたり・・今回訪れた京都府舞鶴市にも、蒼い海に蔭を落とす建部山が、名実共に此の富士の山。                       舞鶴湾を全景にして撮りたかったが・・・ ...続きを見る

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2009/09/21 20:04
丹後七姫(安寿姫)T:山椒太夫
全国に点在するご当地富士・ふるさと富士は多く、夫々に趣をもって地元の人々にも親しく眺められます。かつては軍港都市・舞鶴港から眺めた建部山も丹後富士です。周辺の弥仙山(丹波富士)・青葉山(若狭富士)・由良ヶ岳(丹後富士)へは過去に登頂澄みですが、此処:建部山だけが残っていました。建部の山頂には平安時代に寺が在ったと・・・また同時代を舞台に由良川沿いに展開した民話・伝承とはいえ、安寿と厨子王の伝承地が点在し、山頂に舞鶴要塞が築かれる前!!?:安寿姫を祀る塚が有ったようです。 ...続きを見る

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2009/09/19 10:57
大上東平城 篠山市
「丹波攻略」に際し八上城の波多野氏を攻める明智光秀は、籠城する八上軍に対し、周辺に多くの向城を築きます。篠山川を挟んだ北方には、宮山砦・鉄砲山砦・般若寺城を本陣として・勝山砦・塚ノ山砦・野間砦・本陣の後方には縄張りの特異性から良く知られる大上西ノ山城等々が横並びに築かれます。              大上東平城北郭:堀切側帯曲輪の切岸と北郭主曲輪 ...続きを見る

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2009/09/16 08:07
別所城 舞鶴市
池下城と布敷城をナントかクリアして(池下城の畝状竪堀・布敷城のU字状の竪堀や虎口形状・残存遺構に記載の無い横掘は果たして?堀切遺構の記載無い山城だけに 此の溝が気になるが!!?)・・・・・池内のT字交差点に戻って、今度は府道27号を池内川に沿って、別所城に向う。                別所城主郭土塁から見る堀切 ...続きを見る

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2009/09/14 19:10
布敷城(湯谷城)  舞鶴市
池下(いけしも)城とは池ノ内下集落を挟んで東側の丘陵上に布敷城が在りました。西舞鶴市街地からの府道74号と東舞鶴市街地からの府道27号は池内で交差する。此処で府道74号は南へと池ノ内下集落を抜けて、綾部市上杉でR27号線に合流する。府道74号(舞鶴綾部福知山線)は弥仙山から派生する西尾根を越える丹波と丹後の国境線。R27号を主要街道とすれば府道74号は「みせん道」とも呼ばれた裏街道。 ...続きを見る

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2009/09/13 16:31
池下城(高壷城)  舞鶴市
福知山市から大江町へと由良川沿いに幾つかの山城を先に訪ね、今回は綾部市側からR27号を越えた市境(・・と云うより丹波と丹後を分ける国境)尾根を越えてWebに訪城レポートのない舞鶴の山城を訪ねてみた。 弥仙山は丹波富士とも呼び親しまれるピラミダルな山容と、回峰修験の山で、君尾山光明寺へは「改心の道」登山コースが整備されると聞いていた随分以前の、根本道場ともいえそうな?施福寺から蓮ヶ峰を縦走して弥仙山へ向った事があつた。まだ7年ほど前のことで・・弥仙山北方の三角点峰を踏んで周回する心算で、下降尾根... ...続きを見る

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2009/09/12 20:01
金屋城 福知山
前のブログ鬼の郷で紹介した福知山市大江町河守には鬼をテーマの記念・資料館もあって「鬼の里」がPRされています。悪の権化の様に語られる大江山の鬼に対し、国の中枢にあって国家の権力を誇示するため、遠路はるばる勢力を派遣したものか?。近在の豪族・領主に出兵を指示する事の方が要を得ていると考えますが、其れも出来ないほど権威が失墜していたのかも・・?            金屋城:主郭に祀られる愛宕社 ...続きを見る

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2009/07/28 07:31
北有路別城
北有路城からR175号線の大雲橋北詰めを北東へと、北有路城の別城が在る五日市集落内に向う。車道沿いに駐車スペースは無さそう・・・地図に見る目標位置の神社(十倉五社明神の一社)も、通り過ぎ際に鳥居を見つけて引き返す有様!!。有路地域に十倉神社が五社在るといい(加佐郡神社名を検索して4社しか見つからなかったが、大江町内唯一の式内社:阿良須神社が此の十倉五社明神の一社と分かった)、 ...続きを見る

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2009/07/20 17:59
北有路城 福知山
堂本愛宕山城(北有路城)の古城主:倉橋弥三は、天正の乱に山名与九郎に滅ぼされて帰農したと云われます。旧加佐郡大江町誌・大江町の山城項に記される北有路城を訪ねて、福知山市から由良川沿いにR175号線(宮津街道)を北有路に向う。兵庫丹波と境する隣国の京都丹波福知山市を遠く感じることも無いのに、その福知山市境の与謝郡(加悦町他)や加佐郡(大江町)は宮津市や舞鶴市側・丹後国のイメージが強く遠く感じていた。得る情報も少なく疎遠だったが、福知山市を東西から挟む天田郡(福知山市も嘗ては天田郡)の西に夜久野町・... ...続きを見る

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2009/07/19 21:27
野山城 丹波市
「丹波の赤鬼」と怖れられた黒井城主:赤井(荻野)直正【後谷城主:赤井時家の二男才丸】は、赤井氏とは同族で荻野18人衆と呼ばれた地侍の盟主に請われ・天文年間(1532〜55)朝日城に迎え入れられます。野山城は其の朝日城の支配下に有った砦の様です。 京都丹波を領していた八木城主内藤宗勝は、再三にわたって丹波氷上へ侵攻し、都度に交戦しています。朝日城城主となった才丸(荻野直正)も、直ちに内藤氏を迎え撃つため野山城の大将として拠り、此れを退けて初陣を飾っています。 ...続きを見る

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2009/07/07 19:40
惣山城 丹波市
地質学上でも余り使用されなくなったらしい?・・ケルン・バットとかケルン・コルですが、山用語としても久しく登山レポートをUPしていないので、古語に近いのかも知れてませんが岩場道では樹木に標すテーピングに代わるケルン・岩場のバットレス(胸壁か!?)・コルは鞍部を・・・、此処でのコルはルンゼ(谷)の意味が強いと思えます。 ...続きを見る

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2009/07/04 18:14
棚原城 丹波市
先のブログ断層崖上の城砦とHP野村断層で紹介している断層のチャート(珪石)の岩脈が、明智光秀が黒井城攻めに陣を置いた茶臼山城の西方から県道69号線 (栗柄峠を経て篠山市へ・鼓峠を経て園部・亀岡方面に通じる)側の春日学園(特別支援学校)へと、黒井盆地の南端を走っています。その間・二つの低丘陵が貯水池(新池)を挟んで立つ。 ...続きを見る

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2009/07/03 22:40
野上野城(多利城)  春日町
別所氏の三木城を包囲した羽柴秀吉や、波多野氏の八上城攻防の明智光秀との間でいくつもの悲話・伝承が生まれた長期籠城戦では、多くの陣城(向城)を築いて包囲網は良く知られるところです。「丹波の赤鬼」として勇名を轟かせた赤井直正の黒井城はどうだろう・・・!!。 ...続きを見る

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2009/07/01 08:25
穴裏峠城(仮称)
丹波市内の城では最古級の山室城(領主:芦田氏)が京都府福知山市との国境の町・青垣町に在りました。此処に山間を越える穴裏峠を監視する”境目の城”が存在していた伝承も無く、埋蔵文化財調査による遺構を示す記録等も有りません。 ...続きを見る

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2009/06/03 16:41
滝ノ奥砦(仮称)  丹波市青垣町
瑞雲寺の奥に「ほりきり」と呼ばれる所がある・・・と聞いて、場所不定のまま尾根を辿り見つけた「ほりきり」は、当初の状態は判らないが、山道としての切り通し道だったらしい・・・?。しかし瑞雲寺の背山直ぐの丘陵上部と、此の「ほりきり」から続く北への尾根筋にも二ヶ所に、堀切や削平段をみる城砦遺構が有った。 ...続きを見る

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2009/05/30 16:22
瑞雲寺城(C仮称)
瑞雲寺城(仮称)の二箇所に見つけた城砦遺構は、城域と遺構状態から見て・築造目的等・・・どうにもよく判らない部分が多かった。特に「ほりきり・・」と呼ばれていた場所は此処だと推察される所に立派な堀切はあるが、此処に至るコースは下方から続く山道絡み・・・・・城遺構の堀切ではなさそう。此処からの長い平坦地形の尾根北方には、浅いながら堀切があり、更に北への尾根ピークには物見の砦らしく数段の曲輪が存在する。        瑞雲寺から小室城(東芦田城)遠望 ...続きを見る

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2009/05/25 01:07
胸腹神社・大燈寺 丹波市
丹波但馬境界尾根に向かう山間の小さな惣持の集落に 鎮守の社が建つ。石鳥居を潜り斜面を二折れした先からは社殿に向う急な長い石段参道が 真直ぐ山腹に延びていきますが、石階段の第一歩を踏み初める入口部には城壁を思わせる様な石垣がある。登り着いた社殿は・社号は知らないが珍しい名前で胸腹神社という。疫病が大流行した時代の病気退散祈願等により想起された社なのかも知れません。佐治郷神楽の里の集落「惣」の字からは、昔は・何かの中心的な存在の村だったのでしょうか? ...続きを見る

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2009/05/21 09:22
豊田城(谷城)   京丹波町
京都府船井郡・・・此処には今も山上に高石垣や石塁を残す須知城が在りますが、此の城を於いて他には殆ど知られる事も無い、城主等の城史も不明の城は幾つか存在します。 ...続きを見る

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2009/05/18 09:07
坂井城 京丹波
先に寄った井尻城からは国道7号線(山陰道)に出て福知山市方面へ向かうと、坂井城(正式名か別名が有るのかも不明)は直ぐ其処・・・!!。 ...続きを見る

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2009/05/15 18:09
井尻城 京丹波
篠山市からR173号で板坂峠のトンネルを抜け出ると、京都府側・船井郡京丹波町(旧瑞穂町)・・・市町村統廃合により、その歴史の重さや由緒も伝統も無視されて、氷上郡が丹波市に改称された様に、京都府側にも瑞穂の情緒が失われ、京丹波町が誕生しています。もともと丹波町が有っただけに、丹波の名にこだわって・互いにマイナスイメージが強くなっている様な気がします。 ...続きを見る

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2009/05/11 23:05
大平山城 亀岡
長い尾根上に平坦地を持ち、一部に自然石を利用して切岸補強した曲輪を持ち、全城域が100mを越える大規模な山城ながら、防御や曲輪を区分する堀切や空掘が、有効な鞍部や平坦地形の中に無い大平山城が在った。 ...続きを見る

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2009/05/08 09:08
大田山城 亀岡
大田城から背後の延びる尾根筋を深く・鋭く切り裂く堀切が城域を遮断しています。しかし尾根左右の裾に広い平坦地が有り、堀切道は連絡通路でもあったようです。城域を出て山上部を目指して進む斜面の情景に一時・驚愕します。突然のように目前に次々現われる巨岩・累積する石材。石垣積みの平坦地。何処をどう通っても避け切れずに現われる露岩や石垣・石提を越えて進みますが、この光景は稜上まで続きます。 ...続きを見る

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2009/05/07 09:19
小坂城と篠山城築城の残石
小坂城の位置については、二日間のブログで紹介している明月神社と東山古墳(四王寺古墳群?)を参照してください。明月神社から佐仲ダムへ向う車道の直ぐ先の公園広場の西側か、東山古墳から其のまま尾根沿いに比高50m程で小坂城の曲輪の南端に入ります。 ...続きを見る

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2009/04/29 07:55
田ノ口城 丹波市
全国の足立姓の祖は山垣城の足立遠政と云われます。遠阪川沿いの東側丘陵は京都丹波の福知山市との府県境尾根が延びて、遠阪峠へと続いています。遠阪峠を越えて京都府側の夜久野・但馬へ抜ける兵庫丹波最北端の宿場町・佐治郷に、鎌倉時代に来住したのが足立氏一族で、其の本拠城となったのが山垣城。 ...続きを見る

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2009/04/20 00:07
竜王不動〜竜王山 丹波市
倉町野の桜を紹介した丹波市青垣町の「丹波少年自然の家」から望む仁右ヱ門山(によもん山 竜王山568m峰)へは尾根伝いの「裏山登山コース」の他、倉町川を車道沿いに少し上流に向うと、左手に東屋休憩所のある側に「アドベンチャーコース」の入口が、右手前には倉町川に架かる丸木橋を渡ったところから始まる「竜王コース」があります。「竜王不動尊・やまびこ見晴らしの丘登山コース」と魅力的な案内道標が立ちますが、歩き始めて直ぐに、是は大変なコースと実感されるかも・・・!!?。 ...続きを見る

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2009/04/19 07:42
竜王山〜カブト鉢・青垣の杜
倉町野の桜を紹介した丹波市青垣町の「”青垣の杜” 丹波少年自然の家」から望むカブト鉢(481m)〜仁右ヱ門山(によもん山 Web等では一般的に「竜王山」の名で知られる568m峰)を縦走して、岩屋山・大蓑山・吼子尾(くずお)山や、親不知(おやしらず)等・・・・展望を楽しみながらキツネ岩・愛宕展望台(一帯には谷を挟んだ二箇所に佐治城跡がある)を、旧丹波最北の宿場町佐治に下って、旧街道の風情を訪ねてみるのもいいかな・・・            竜王山からカブト鉢(左)とイゲ(右の少し低い方に4等三角... ...続きを見る

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2009/04/18 17:50
譲葉山城・明智丹波攻めの陣城!!
今年初めのブログに 「不人気な山の楽しみ方」と題して紹介していた譲葉山山頂の権現堂(譲葉権現を祀る)の建つ方形の台地の遺構に、祠関連かとも思い・も一つ自信も無く、それでも陣城ではなかったかとコメントを入れていましたが、やはり城の遺構だった様です。                譲葉山城(東郭):権現堂に入る土塁虎口 ...続きを見る

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2009/04/14 20:04
国松館と矢代城
県道97号 (丹南・三和線)宮田交差点で、篠山市街地へと、東へ県道140号線に入って約1.5km。「ユニトピアささやま」の案内看板が立つ三叉路側に迫り出した、比高2〜30m程の独立低丘陵に大野城があり、先に城山オフでの立寄りで紹介済ですが、「ユニトピアささやま」への車道直ぐ・池を挟んで北方に、東西に突き出してきた丘陵が数軒の民家を囲い込んでいます。 ...続きを見る

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2009/04/09 21:39
倉町川の桜U
西宮市の阪急夙川駅近く、千歳町・安井町・震災時は分銅町に居て、夫婦で・子供達と・・例年・夙川〜苦楽園〜満池谷へと夙川堤を散策するのが30数年間 我家の恒例行事でした。もっとも震災の数年前からは夫婦二人だけ で苦楽園口〜夙川へ戻る途中での食事やショッピングに変りましたが・・            定番!!の倉町川の桜並木 ...続きを見る

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2009/04/08 09:13
高蓮寺城 福知山
此の時節・地元の新聞やTV等では”タラの芽”や”タケノコ”が取材されることがあります。”タケノコ”と云えば「報恩寺(ほおじ)のタケノコ」が良く知られる所です。以前のブログで紹介した報恩寺城の南西部に低い高龍寺山があり、府道74号線から私市(きさいち)城麓を抜けて報恩寺地区に入る492号からは西方に目立つ存在です、 ...続きを見る

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2009/04/05 08:41
宮ノ越城(位田古城) 綾部市
府道8号線で福知山市から綾部市へ入り、北方に由良川に架かる以久田橋や栗橋を渡る際、北東方に一目で城山と判る山容の高城山が見えてきます。綾部三大山城としては先日訪れた甲ヶ岳城のみが・現地案内板等に紹介されるよう、あと二つが何処か知らないが、山城の全体的な規模や地元の城意識や愛着!?・登山対象としての展望の良さ、なによりも奥丹波における最大規模の一揆「位田の乱」の舞台として歴史的に知られる位田城こそ「綾部三大山城の一」かと思っているのですが?。             位田の低城から高城を望む ... ...続きを見る

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2009/04/03 16:19
一尾城(栗城)
洞玄寺城・観音寺城・高津城・甲ヶ岳城へと、京都丹波の福知山市東部から綾部市にかけての旧何鹿(いかるが)郡の在地土豪:大槻氏の、由良川沿い南側の山城をを見てきたので・・・・ ...続きを見る

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2009/04/01 20:45
甲ヶ岳城 綾部
今月初めに高津城を訪城し、続けて此処へも来る予定でしたが、デジカメの容量不足や時間的制約!!から引揚げたので、リベンジしたのが鴻ヶ嶽城(甲ヶ岳)です。 ...続きを見る

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2009/03/31 09:20
高津城の名木
綾部市の高津八幡宮より、山上の八幡山城(高津城)を目指して 歩き始めて直ぐ右手に「御神木・・・」の案内板を見て、下方に延びていく山道を降っていく道は高津城への搦め手道だったか?・・陰龍寺道で、途中には中筋地区の「古木・名木第6号 ひのき」が有る。幹周3m・樹高35m・樹齢300年とあり、幹の途中で分れている為・別名「泣桧」と呼ばれた様ですが、今は其の名も伝承を遺すのみ。其の片方も・分岐する元から枯れ朽ちてしまって無いが?・・・・もう片一方は上方で枝を延ばし葉を付け・未だ樹勢盛んな様です。「泣桧」... ...続きを見る

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2009/03/29 22:05
高尾城(長谷城)
先に紹介の岩戸神社城から西方に伸び上がる急峻な稜線の尾根上に、高尾城(長谷城・鷹尾城)が在りました。           出曲輪の岩場から高尾城主郭頂部の峰と三尾山を望む ...続きを見る

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2009/03/26 08:13
岩戸神社城
へら鮒釣等で釣客をよぶ長谷大池へ向う案内板を見て、右折すると正面に露岩を抱いて、荒々しく急峻な稜線を見せて聳え立つ山がある。其の山裾に石鳥居が立つ岩戸神社が建つ。稜線の末端を少しずらせて此の神社背後に落ち込む枝尾根末端部の丘陵上に3段ほどの段曲輪を廻し、尾根続きを堀切で遮断する小規模ながら遺構を留める岩戸神社城館跡が残ります。 ...続きを見る

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2009/03/24 21:07
茶臼山城 丹波
山間の兵庫丹波では数少ない平城、しかも土塁・濠跡・土壇等の遺構がよく残される野村城の直ぐ近くに、茶臼山城が在りました。旧氷上郡(丹波市)の黒井城を包囲した明智光秀は、光秀に付いて包囲陣に加わっていた旧多紀郡(篠山市)の八上城主:波多野秀治の背反により、優位な体制は一気に崩されて、命からがら栗柄峠〜鼓峠を越えて京へ逃れた光秀も、再び八上城・黒井城攻めに転じます。 ...続きを見る

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2009/03/23 08:37
観音寺城と居館
京都丹波の福知山市の一部と綾部市:何鹿(いかるが)郡は在地国人:大槻氏の勢力下に有った所で、以前に訪れた高津城が本拠城だったか?・・・洞玄寺城・栗城・丸山城・テデカ城等支城群を勢力範囲に配していますが、多保市(とおのいち)城とは山上の山城と山麓に居館をセットの遺構が残る事で福知山市史でも紹介されていましたが、多保市城の山城部は舞鶴自動車道で消滅したか?城域と思える一帯は自動車道で隔てられた向かいの丘陵部との空間に消えているようです。 ...続きを見る

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2009/03/16 22:12
高津城(八幡山城) 綾部市
由良川左岸・JR山陰線沿いに綾部市と福知山市を結ぶ府道8号線の石原(いさ)へ、R9号線から舞鶴自動車道の高架沿いによく通る道。府道8号との合流地点に石原城(洞玄寺城)と、その手前:舞鶴自動車道が東へ向い石原トンネルに入る丘陵上に石原上城(ヌクモ城)のある事は以前にブログでも紹介済ですが、 ...続きを見る

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2009/03/14 20:03
沼城  丹波市
丹波市の氷上町・青垣町に境する低丘陵が県道7号線沿いの御油・沼地区の西方から北に延び、その先端部を県道7号線に落としています。此の丘陵先端部を近畿時自動車道のトンネルが抜けていきます。トンネルを北に抜けると青垣町の栗栖野で、此方から望む丘陵部はトンネル上部付近から平坦な・いかにも山城風情の感じられる山容です。 ...続きを見る

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2009/03/09 00:04
奥村城(東奥城)
丹波市柏原で知られる城は柏原織田藩陣屋(柏原城)ですが、三丹(丹波・但馬・丹後)一と云われる厄神祭で賑わう八幡神社に中世の城が在った事を、知る人は少ないようです。天正期に丹波攻めにより神社は燃失し、秀吉により神社が再建された事は、祭日にはスピーカーでガイダンスが流されるので周知されているのでしょうが・・? ...続きを見る

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2009/03/06 14:20
穴地蔵尊 丹波
山中の岩窟に霊力を信じてか、役行者や不動尊が祀られていたり。驚異を感じ、霊験を信じて観音像や地蔵像が岩室を祠として祀られている例は、丹波市内でも他に見受けられます。今回:柏原町内の知られざる!!?城跡に再訪する際 地元自治会により設置されている「穴地蔵尊」案内板を頼りに足をのばしてみた。 ...続きを見る

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2009/03/05 08:08
館山城 篠山市
丹波篠山の城山オフ・FIN(ファン)は、取って置きの館山城。昨年:今回のメンバー3名とはミニオフで立寄った高山城(真南条上城)とは二村神社を中央に挟んで、西方の丘陵に向う。 「お〜ィ 其処から行けるよ・・・」先程:入山伺いがてら声をかけた近在のご老人が遠くから声を掛けてくれる。民家横から溝谷を越えて田圃に向う小さな橋を渡るり、目前に武家屋敷跡らしい段曲輪が山裾の植林帯の中に見える。左手から稲荷神社へと石段の残る古い参道があるが、やはり此処は屋敷跡に入って右手から詰めてみましょうか。ところが此処... ...続きを見る

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2009/03/03 07:57
比延山城と三ノ丸館  西脇市
日本へそ公園のある丘陵(山頂部に前方後円墳がある)東の車道を南下していくと左手に比延山の急斜な山容と、頂部尾根の一部に露岩が見える。車道を直進していくと比延小学校。「三ノ丸」と呼ばれ古くより居館の在った可能性は、近年・校舎や体育館の建て替え工事の際の調査で、室町時代の居館跡が検出され比延前田遺跡(三ノ丸居館)として西脇市教育委員会調査報告書T〜Vが出されています。    比延山城本丸から眼下に二ノ丸(中学校)と三ノ丸(小学校)のグランドを望む ...続きを見る

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2009/02/22 23:25
浅根山城 綾部
京都府綾部市の西北方、比高50m程の独立低丘陵の、犀川の流れを見下ろす山上に展望東屋が建つ浅根山公園がある。公園とは云っても駐車場から直ぐ上部に東屋の建つ展望所。其処から木橋を渡って50m程先にある5〜6m程高い位置に歩道が続いて其の頂部で道は終る?。歩道は付近を周回する事無く?同じ道を引き返すだけ?の特殊公園です。 ...続きを見る

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2009/02/18 09:04
小畑城 綾部市
管領・丹波守護細川高国の丹波守護代:内藤宗勝は(先の細川稙国の時に守護代を辞して離脱していたが稙国の死で、再び高国に代わると《大永5年〜享禄4年 1525-1531》高国側に戻り、天田郡(福知山市)への進出する拠点として、何鹿郡(綾部市)鴻ヶ嶽城を甲ヶ岳山頂に築いて一族の内藤日向守正綱を入れ、小畑城には重臣の波々伯部弾正(築城主:源内左衛門義信の事か?)xx?を置いたといい、小西城六反城もこの際、同時に築かれたものでしょう!!か。永禄年間のはじめには福知山の押さえとして、鬼ヶ城にも内藤氏の一族を... ...続きを見る

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2009/02/17 17:44
小西城〜空山 綾部市
何年か前:空山へ登るのに綾部市鍛治屋町から向った事が有る。民話「ポイの餅」石碑が立てられていた。ホラ話や頓智話の原型になりそうな素朴なお話です。        茶畑の奥に小西城(中央)と右手奥に空山を望む ...続きを見る

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2009/02/16 20:42
黒田如水:出生の城!!?〜天狗山
羽柴秀吉の軍師:黒田孝隆【黒田如水】は、小寺職隆の長子として姫路城に生まれたとも、西脇市(旧黒田庄町)の黒田城主:黒田重隆の二男として生まれ・後に姫路城主:小寺職隆の養子となったとする二つの系図があり、どちらが正しいのか判断出来ないと云う。 ...続きを見る

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2009/02/09 08:48
眺望の寺山 西脇市 
およそ寺山と呼ばれる山は、城山と呼ばれる山に比べてみても藪山が多いと思う。西脇市の寺山も実相寺と観音寺・二つの寺の背山で共に丘陵山腹部の尾根先一帯は墓苑となっています。 ...続きを見る

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2009/02/02 08:13
大土塁と竪堀の中の不思議空間の城
山城は普通!!?山麓に居館を構え、其の背山に”詰め城”が築かれています。山麓の居館・家臣屋敷群からは大手道・搦め手の登城ルートが尾根続きや・谷を詰め上がり山城に通じており、途中に見張等の出曲輪が有り、城域に入ってから竪堀や堀切・土塁や切岸加工した曲輪によって堅固する防御施設を見るものです。 ...続きを見る

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2009/01/26 00:02
小稗城 丹波市
丹波高地最北端の地・佐治川(現:加古川)源流にあって但馬国境の粟鹿峰(粟鹿山)東山麓の青垣町稲土の小稗・大稗へは、粟鹿峠の伝説「お杉地蔵」を訪ね足立一族の支城・小稗城にも(5年ぶり?の再訪)立ち寄ってきました。 ...続きを見る

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2009/01/21 00:07
加茂神社〜高見城三ノ丸北東出曲輪(仮称)
高見城は当初:佐野城と呼ばれた氷上町佐野から萱刈坂を越えて柏原へ向う街道筋の大新屋に 石匠・難波金兵衛・石材加工店の看板をみます。「日本一」石工の丹波佐吉は、但馬で生まれ・両親と死別した彼を引取り育て、技術を伝えた 難波金兵衛、実子2代目金兵衛の里で、佐吉も此処を故郷とて”丹波の佐吉”として知られます。 ...続きを見る

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2009/01/20 08:50
不人気な山の楽しみ方? 譲葉山
山に登る楽しみ方には色々有って、一概に其の山の良し悪しを既成概念で決める事はないでしょうが、一応に労多くして、展望も無く・鬱陶しく暗い山頂では人気も無いのも頷けます・・!! ...続きを見る

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2009/01/14 15:48
今年の初登山は八日山  西脇市
市民病院に母を連れていったが、検査入院となった。血液・レントゲンと種々検査や入院手続き・・・・。 待ち時間も長く 丁度:前回寄った八幡神社背後の独立低丘陵・八日山への登山口もわかっていたので登ってみることに・・・ ...続きを見る

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2009/01/08 21:59
瑞雲寺城(仮称)  丹波市
以前:東芦田の地元の方から”ほりきり”と呼ばれているところがある・・・と聞いていた。以前に紹介した鴨内城と同様、県道109号線東側一帯は山麓の集落近くを外れると、県埋蔵文化財遺跡地図に・何の記載も無い空白地帯です。”ほりきり”と聞いて山城の堀切と勝手に決めるのも危険かも知れない?。山越えの峠道が”切り通し”になっているのかも知れないと思っても見ます。”ほりきり”の所在は不明でしたが此処は丹波の古豪:芦田氏の本拠地。東芦田城(小室城)城主:芦田金猶が祀られる瑞雲寺が在り、居館跡との伝承もある。背後... ...続きを見る

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2009/01/07 21:56
平成21年・干支の山城  丹波市
日本一低い分水界:氷上町石生の向山連山「水分れ」からは北方を、黒井川が竹田川・由良川を経て日本海へ流れ出ます。黒井川は向山とR175号線を挟んで、僅か500m程を隔てる山間を空けて、城山(ガンジョウジ城)〜霧山(霧山城)〜天王坂〜五台山(ふるさと兵庫50山の一)へと延びる分水界尾根に繋がります。 ...続きを見る

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2009/01/02 09:10
新才城(仮称)   丹波市春日町
R175号の稲継交差点から城山トンネル (ガンジョウジ城の山腹)を抜けると、正面に露岩を抱く向山連山の丘陵北端部を西から北側へと廻り込んで、黒井盆地に入っていきます。 一方:篠山市から金山城の在った鐘ヶ坂を越え、八幡山城の在った 柏原町を通るR176号から、日本一低い谷中分水界「水分れ」沿いに走ってくると、向山連山とガンジョウジ山から霧山〜天王坂を経て五台山へと延びる丘陵が続き、僅かに此処だけが途切れたように黒井盆地に入る狭い南西の玄関口となり・黒井城の咽喉元の迫る位置ともなっています。  ... ...続きを見る

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2008/12/31 09:54
山田城 丹波市
奥丹波に覇勢を競い台頭し、京都丹波の天田・何鹿へと領有地を拡大、山名氏の但馬へも侵攻し但馬竹田城を落とし山名氏の本拠:此隅山城にも迫る勢力を持っていた黒井城主・赤井直正「丹波の赤鬼」は明智光秀が「丹波攻略」を始めた天正3年(1575)、竹田城から黒井城に帰城し以後:八上城の波多野氏との”呼び込み戦法”等、明智軍との戦闘には果敢に抵抗を続けます。 ...続きを見る

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2008/12/30 10:51
余田城  丹波市
丹波市氷上町側に以前:新発見の鴨内城をレポートしていますが、此処からの谷を詰める山道が、「ふるさと兵庫の50山」として丹波市内では登山者に人気の五台山へ通じる尾根筋を越える鴨内峠へ延びています。 一方市島側からは鴨坂から前山川沿いに、名水として知られた「狸穴(むじあな)の水」を登山口として鴨内峠経由で五台山へ通じます。 ...続きを見る

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2008/12/26 00:21
長谷山城 丹波
丹波市市島町から戸平峠を越えて京都府側の三和町に抜ける県道59号線がある。峠のトンネル前の小公園には、丹波の地酒の仕込みに使用された「奥丹波のおいしい水」ポンプ井戸が有り、10数年前までは時々はポリタン持って戴きに行ったが、水質が落ちてか?使用できなくなって久しい。 ...続きを見る

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2008/12/25 11:18
八百里城 篠山
兵庫丹波の篠山市・丹波市には伝承含め、城館遺構とされるものが其々に150ヶ所以上は有るようです。中世山城として丹波市に赤井直正の黒井城・篠山市に波多野秀治の八上城が、丹波の三大山城(八木城は京都・南丹市)として先ず・挙げられますが、次にどの城が挙げられますか・・・?      八百里城主郭の大土塁と櫓台(奥の土塁) 岩尾城・柏原城(織田藩陣屋)・篠山城は近世の城なので除外しますが、皆さんが篠山市側で次に候補に浮かぶ城は何処でしょうか?  酒井党の油井城!! 籾井氏の籾井城!! 荒木氏の細工所... ...続きを見る

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2008/12/21 21:16
矢筈山城 西脇
西脇市街地の中央・童子山公園を西に降り始めると、杉原川を挟んで正面に二つの小さな起伏を見せる峰を乗せる、シンボリックな矢筈山(矢筈山城)が姿を見せる。 ...続きを見る

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2008/12/17 17:47
念仏城
加東市東条に不思議な城?!!がある。縄張り図さえ記載されている城なのに、多くの城郭フアンの訪城レポートをWebで検索しても皆無・・!!?。遺構が消滅しているどころか、二重の空掘りが主郭を廻り、腰曲輪から粗等間隔に竪堀が走る。其の先にも竪堀が谷に落ち込む・・・・。      空掘は主郭側と外側土塁から突き出す櫓台状で枡形を造り「横矢」が掛る ...続きを見る

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2008/12/15 22:15
小和田城 丹波
丹波市の最北端・青垣町の佐治宿は、延喜式旧山陰道以後・・・但馬と京都北部国境に位置して、丹波路最後の宿場町として栄えたところです。この佐治郷に全国の足立姓の祖とされる足立遠政が、鎌倉時代初期:承元3年(1209)武蔵国から新補地として与えられ、地頭職に任ぜられて来住し、本拠地を山垣城に移すまでの当初は小倉の黒尾神社に居を構えた(岩本城)とされます。 ...続きを見る

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2008/12/14 00:04
庵我城(仮称)  福知山市
丹波は鬼の国・・・?其の代表が大江山の酒呑(顛)童子ですが、其の一の子分:茨木童子が棲んだのが福知山のランドマーク・烏ヶ岳の奥に峰を並べる鬼ヶ城です。 ...続きを見る

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2008/12/12 08:00
山垣城  丹波市
山垣城は全国の足立姓の元祖・足立左衛門尉遠政の築いた山城として少しは知られる山城です。 全国の城フアンのサイトの中にも 此の小さな山城レポートを見ますが、一様に其の探索範囲が限られているようです。遺構の縄張り図や城紀行等の案内にある範囲が、其処まで微に入り・細に入り紹介が出来ないのかもしれません。 ...続きを見る

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2008/12/11 09:13
山崎城 福知山
天気が良い日は霧が深く、午前10時過ぎても 山の姿が見えず、土地勘のない場所に来ての山城探しと其の取付点探しには苦労します・・・・・ ...続きを見る

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2008/12/07 08:38
今安城(再訪)  福知山市
以前に地元・福知山市の「べーさん」から違うのではないかとの指摘を受け、気になっていた今安城へやっと再訪してきました。今安地区の集落を挟み込むように、三角点102m峰から東南と西南の二方に延び出す低丘陵上には、独立した見張台をもち、標高80〜102mの低丘陵上に曲輪を並べる今安城がありました。 ...続きを見る

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2008/12/06 08:09
晩秋の岩尾城C  (石の城) 
丹波市山南町の蛇山山頂に在る岩尾城は戦国時代の山城で谷氏の婿養子として入った和田日向守が養父:谷氏を刺殺して岩尾城を築きます。 ...続きを見る

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2008/12/05 08:00
晩秋の岩尾城B  (土の城)  
&gt;丹波の山城は織田信長の「天下布武」のもと、明智光秀を総大将として始まった「丹波攻略」に、大軍を擁しての猛攻にも屈しない丹波勢の抵抗は手強かった。     岩尾城古城の遺構ではよく知られる土塁囲みの細長い曲輪 ...続きを見る

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2008/12/04 00:40
晩秋の岩尾城@  人間地獄
平城の壮大な濠や庭園・高石垣・荘厳な天守閣や白壁に囲まれる櫓を具えた近世の城は、観光城として雑踏の中に価値観を変えて存在しているようです。!!?                   人間地獄から蛇山(岩尾城跡)を望む ...続きを見る

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2008/12/02 07:59
鴨野城 丹波市
高見城からは急激に高度を落としながら北方へ延びだす稜線は、氷上町稲畑(稲畑土人形・稲畑式三番叟でも知られ!!?ます)から柏原町へ越える萱刈坂で寸断されますが、車道を挟んでそのまま丘陵はR175号傍の柏原川と佐治川(加古川)合流地点にある要衝と・要害地形の穂壷城まで続きます。 ...続きを見る

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2008/12/01 07:41
高見城 三ノ丸北東出曲輪? 丹波市
「丹波悠々の森」から高見城山を目指す登山コースは、亀井戸跡を過ぎ、高見城山頂の南側を捲いて石戸山方面に縦走するコースの分岐を右折すると、直ぐ愛宕社を祀る三ノ丸に着く。二ノ丸を越えて主郭の高見城山へは30m程だが、此の三ノ丸から北西・北東への二方向尾根筋にも、殆ど知られていない城砦遺構が眠っています。 とはいえ此処から先の尾根伝いの下降は、尾根とはいえ先の見えない激降り、北西側の尾根は岩場を伝い危険な程。しかし此処には高見城本城の主郭にさえ、僅かに崩れかけた石積を見るだけですが・・、このルートを... ...続きを見る

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2008/11/30 10:06
晩秋の高見山  丹波市
悠々の森から高見城山を目指す登山コースに最初に現れる2〜3段の曲輪からは、西側の谷を隔てる尾根にトラバースしてゆく山道を伝う。鴨野集落から谷詰めで此処に至るコースを検討したが、今日は高見城山から、気になっている丹波の森公苑に通じる南方の尾根をとって石戸側へ越す峠から、悠々の森へ戻る心算。高見城砦群が北方に集中して・南方には中の台と石戸山の尾根筋以外に未だ未確認。           中の台(高見城西郭)より高見城山 ...続きを見る

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2008/11/29 08:12
岩倉2号墳 小野
小野市の来住の鴨池で紹介した男池(おいけ)・女池(めいけ)の間を東南へ向う小野アルプスの紅山や惣山(小野富士)へ向う登山コース案内板の「紅山北コース」を辿り、「岩倉2号墳⇒」の表示に従えば、小野市最大規模の横穴式石室をもち、南東に開口する石室入口部分には見事な巨石の秣石(羨道部を塞ぐ・閉塞石等が残る古墳も稀で、大概の古墳の羨道を残す開口部は此の部分・・・?に閉塞石は置かれていたのでしょうか?・・・・・素人考えでよくは判りませんが・・)を載せる、岩倉古墳群の一つ・岩倉2号墳に行き着きます。 ...続きを見る

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2008/11/17 17:15
鴨池  小野市
小野アルプスと呼ばれる紅山(巨大な滑り台状の岩尾根)〜惣山(見るところから見れば小野富士とも呼ばれる)〜アンテナ山〜あざめ峠(此処を北へ降った来住町に来住城が有るので後日レポート予定です)へは、人気の登山コースです。 ...続きを見る

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2008/11/16 23:44
乙原砦 三田市
三田の民話に「後光が射した万体山」という お話が載っています。三田市域のほぼ中央部に位置して、一等三角点の千丈寺山(此の山も天狗伝説の山です)山塊の東裾を北上する県道49号線をとって有馬富士を左に見て、千丈寺湖の東を小野地区・乙原地区を抜けて、花の寺で有名な永沢寺に向かいます。 ...続きを見る

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2008/11/01 21:55
見残しの八上城
先日(10月19日)篠山城下に「丹波の祇園さん」篠山春日神社の山鉾巡行を見に行く前に、篠山城の前身:八上城に立寄ります。松茸収穫の時期の止め山も此処は国有林なので・・・・       河原町:丹波黒豆取扱では有名な老舗の前で・・ ...続きを見る

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2008/10/25 11:14
丹波霧: 石金山
ここのところ連日好天が続き 深い霧にとざされ 乳白色のしじまの中に 時々走り抜けてゆく車のタイヤを擦る音だけが聞こえてくる・・・・・・丹波の霧の里に 陽の光りが射しこむ時間は遅く、霧が晴れ・青い空と明るく暖かな日差しに照り映えるのは10時過ぎ頃。 ...続きを見る

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2008/10/18 16:54
六反城 綾部市
綾部市の民話に「ポイの餅」という話があります。もう5年ほど前、山城に興味を持ち始めた頃で、空山への登山に綾部市の鍛冶屋町に向う途中に六反城が在る事を知り寄ろうとしたことがありました。独立丘陵なので直ぐわかるだろうと思っていたが勧進の城の位置がよく判らず、取り付き点さえ見つけられずにそのまま進んで、鍛治屋町のバス停まで来て、この話を紹介している案内板を見た。 ...続きを見る

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2008/09/29 07:22
摂丹境の山 三田
篠山市側からは篠山城の真南・女畷の碑を見て「野中」を抜け、デカンショ街道(R372)を横断して「小枕」の谷間に古墳群を見ながら、県道49号線を走る。谷間の細い山裾の道は段々傾斜も急な九十九折れの山道になる。少し開けた急カーブの角に美濃坂峠の東屋休憩所がある。登ってきた篠山盆地が峡谷の下方に拡がるが、展望は期待薄です。しかし関東の日本画家:小川芋銭(うせん)によって一躍知られるところとなった「丹波の霧海」は此処から描かれたものという?。 ...続きを見る

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2008/06/24 21:05
断崖の展望台「屋形城」 神崎郡
但馬境界の生野から姫路へと南北に流れる市川の流域を見下ろして 標高216mの小さな独立丘陵が有る。市川の流れに沿って西麓を走るR312号線の上に覆い被さる程に迫り出す丘陵先端部と 山頂付近を断崖状に傍立たせて露岩と砂地の小さな平坦地を持つ城砦がありました。 ...続きを見る

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2008/05/15 07:22
鶴居城 神崎郡
播磨:神埼郡 飯盛山の屋形城は市川の流れに沿った流域を南北に望む、絶好の展望所です。 以前に訪れた谷城と 綺麗な山容を見せる鶴居〜稲荷山〜大中山へ三重に峰を連ねる山並み この中央の稲荷山には鶴居城が在り、寄ってみたいと思いながら麓に至る道が判らず 場違いな林道をつめてみたり 狭い地区道に行き場を失い!! 引き返したことも・・・・ ...続きを見る

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2008/05/14 12:52
軽部城・上野城  養父市
R9号線の道の駅:但馬楽座は、天然温泉「やぶ温泉」とホテルを併せ持った総合観光センターで、名実共に阪神間からの観光拠点としての地位を保っているようです。 ...続きを見る

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2008/05/03 09:00
向山連山のヒカゲツツジ  丹波市
日本一低い谷中分水界で、瀬戸内海へ注ぐ加古川と、 日本海へ流れ出る由良川の水が分かれる・起点となる石生の水分れ公園を、起立した丘陵が囲い込む。                     ヒカゲツツジのフレームを通して黒井城を望む ...続きを見る

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2008/04/28 21:48
弥十郎ヶ岳:鶴沢の植物!!!
阪神間からは北摂最深部:大阪府からは県境を越えた篭坊温泉や、県道12号線後川の竹谷林道からダイレクトに登る弥十郎ヶ岳は、よく登られる山のようです。丹波側からは畑市のキャンプ場や、県道12号線の曽地からも洞中古墳に寄って四十九院跡を登ってくるコースがあります。 ...続きを見る

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2008/04/26 15:47
石禾城・石禾上城・石禾下城 
岡城・法道寺城も今日UPした高田茶臼山城も石禾谷の城館です。石禾は(いしかわ)と呼ぶのかも知れませんが、石禾は地図では石和と書かれていますので「いさわ」としておきます。但馬の朝来市和田山町と養父市養父町の境界尾根の近接した三つの峰の其々に、三つの城が築かれています。 ...続きを見る

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2008/04/23 23:02
岡城・法道寺城
二つの城は主郭を高土塁で囲む但馬では他に類例の無い?ユニークな縄張りの城で、それだけに織豊系の城だと云われていますが?どうなんでしょうか。 ...続きを見る

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2008/04/21 07:02
向山城と滝野城 朝来市
磯部氏館からJR山陰線が山裾を走る長谷山に向うが、正面(北側)から線路越えで山の斜面に取り付く山道の有無は、土地勘無く・集落も無いので、磯部川を渡った後で大きく迂回する様なら、最初から尾根東端の峠に向う車道からと新設?!!の高架車道を進んだが、山裾は砂防コンクリートの帯で取り付けず、もし上部に登れても身体を押し込んで進める隙間も無く、手強い猛烈な藪が控えている。 ...続きを見る

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2008/04/19 08:03
陳東氏館 朝来市
築城時期も創築の城主も不詳 口碑に陳東氏の城といわれる山城がありました。 京都からの山陰道・兵庫丹波からは但馬道・播磨方面からは生野峠を越え、名城(当時の領民にとっては苦役の象徴・悪魔の城)総石垣の竹田城を望み円山川沿いに但馬の東玄関に入ってくる地点。 ...続きを見る

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2008/04/17 00:59
但馬の花に・・・U
但馬へは登山目的で妙見山・氷ノ山へは単独で 尖がり山等へ 山仲間のオフで出かけたが殆ど4月か5月初めのゴールデンウイーク期間  妙見山の帰りに進美寺山(進美寺城)や宿南城に寄ったのが 但馬の山城廻りの始まりだったか・・・!!? ...続きを見る

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2008/04/14 23:35
但馬の花に・・・T
丹波市から久しぶりに遠阪峠を但馬側に越えてくると、但馬側(旧山東町)の粟鹿川沿いに桜の堤防が・・・丹波側の遠阪峠の其れより見事な咲きっぷり・・・花を愛でて訪れる人もいない為 淡いピンクの花は新鮮に映ります。 ...続きを見る

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2008/04/10 20:11
東芦田城 丹波
丹波市青垣町には全国・足立氏の祖として知られる、城主:足立遠政の山垣城があり、遠阪峠を越えて但馬:朝来市に出ます。氷上町から青垣町に入る町界を北方へと山に向う車道は穴裏峠を越えて京都府福知山市に抜ける要衝でもあり、この地:東芦田地区に領地を得て、丹波地方でも最も古く鎌倉時代には築城されていた山城がありました。山麓にある古刹:吼子尾(くずお)山胎蔵寺には「方便水」の伝説があり、旧胎蔵寺の繁栄を物語る壮大な堂宇跡ちの石垣が残ります。 ...続きを見る

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2008/04/09 23:17
慈眼寺山裏山城
羽柴秀吉軍の三木城を包囲する執拗な程の付城や包囲の多重土塁は、三木城への兵糧搬入や、三木城からの攻撃や、三木城への参篭や援軍を阻止してきた事でしょう。 激戦地となった平田・大村・加佐の合戦場はもとより、三木城と其れを取巻く付城群の多くを眼下の望む「三木合戦一大展望所」が、標高僅か150m足らずの小野市との市境界近くにありました。 山陽自動車道が走る丘陵南端の4等三角点のピークからは、標高からは想像もできないスケールで三木市街地を眺望出来る「慈眼寺山付城」は有馬法印則頼【合戦後は淡河城主となり... ...続きを見る

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2008/04/05 19:05
野村城  加古川
一年前:城廻りの播磨オフは加古川駅集合だったので、約束の時間までに井ノ口城(2〜3度訪れた温泉”みとろ荘”が其の城址に建つ)と、野口城に寄ったことが有った。宗佐の厄神さん(宗佐八幡神社)が其の「野村城跡」跡とも云われ、城跡案内も神社西裏手の倉庫側に立っていました。 ...続きを見る

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2008/04/03 17:46
木之部城と木之部北城 篠山市
川代渓谷(峡谷と呼ぶのが正しいとも!!?云われる)を抜けて大山下交差点でR175と合流する。直進して佐中ダムへ向かう車道途中で交差する県道140号に入るか、R175の長安寺交差点で右折し県道140号を篠山市街地へ向うと、二つの低丘陵の間を抜ける小さな峠の間に広がる木ノ部集落です。 木ノ部は舞鶴若狭自動車道で唯一のSAがあるところ。道路建設工事に際し発掘調査が行われ、奈良時代末期〜鎌倉時代初期頃の荘園遺跡・遺物が出土しています。木組の井戸や100点以上の緑釉陶器・祭祀用具等から、平安時代前期・摂... ...続きを見る

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2008/04/02 07:54
坂本城 西脇市
関西で坂本城と云えば明智光秀の城:近江坂本城か、播磨では嘉吉の乱に赤松満祐が将軍義教を暗殺して下向した本拠地:姫路書写の坂本城が知られるところですが・・・ 霞ヶ城〜光竜寺城・野間山城に寄った東播磨の城オフ・最後の寄城は、集合場所の道の駅:北はりまエコミュジアムを間近に見下ろす坂本城です。 ...続きを見る

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2008/04/01 07:42
霞ヶ城(森本城)
春は訪城の最適季ですね。東播磨の山城オフで集合場所の西脇市内から、野間山城に向う前に寄ったのが途中にある霞ヶ城(森本城)を先ず案内します。丹波市から多可郡へ抜ける小野尻峠を下ってくると、妙見山東裾の牧野大池を水源に思い出川を渡ります。 思い出川左岸(東側)に沿って浅香山塊の低丘陵尾根が南に延び出し、思い出川と杉原川が合流する地点に其の先端部を落としています。二つの川に挟まれた間子(まこう)は夏でも水に事欠かない湧き水・泥田に「間子のスズメは泥田で足をとられて飛べずに歩く」という伝説があり橋の親... ...続きを見る

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2008/03/31 09:17
光竜寺城・野間山城
一年ぶりの山城オフ 訪城の最適シーズンの此の時期、いつの間にか恒例となった播磨の赤松氏の諸城廻り。今年は多可郡八千代区の野間城にして仲間の参集を募った。 ...続きを見る

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2008/03/29 23:04
曽地城・曽地砦・曽地奥砦
県道12号(川西篠山線)で猪名川方面から篠山市へ越す古坂峠に後川砦があり、降ってくると洞中砦がある。市指定の二つの古墳がある事では良く知られる所ですが・・  R372(京街道)へは約1km程の地点で西に向う谷間の曽地(そうじ)川に沿う丘陵帯を越えれば八上城東登城口の野々垣集落です。また此の丘陵も尾根続きに八上城に通じています。 ...続きを見る

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2008/03/27 11:44
八上城籠城戦の兵糧運搬と向城
PCの不具合で更新出来ていない間に桜開花宣言を聞く事となってしまいました・・・ 曽地城・曽地砦・曽地奥砦(高野山城)へのレポート紹介前の前章として・・・ 悲惨で酷い飢餓作戦については、秀吉軍による播磨別所氏の:三木合戦「三木の干し殺し」に代表して語られます。伊丹城主荒木村重が神戸花隈城を築いた後・信長に叛き三木別所氏に救援の兵糧を送った明要寺・丹生山のルートにも稚児ヶ墓山・花折山の山名に残る、兵糧輸送の悲話が伝わります。 ...続きを見る

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2008/03/26 13:49
真南条上城 篠山
酒井氏の油井城を訪ねた後に向う高山城(真南条上城)こそ、今日の山城案内の主目的地。以前に紹介した館山城とは二村神社を挟んで約800m程で呼応し、北にはR372(京街道:デカンショ街道)と真南条川を隔てた低丘陵には足見寺城・此の三城は波多野氏家臣:河村氏の城でした。 ...続きを見る

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2008/03/20 22:35
油井城の石積
兵庫丹波の山城は八上城・金山城・高見城・黒井城・岩尾城を除いて、全国の城郭フアンにも訪城リストに載せられる城は少ないですね。見栄えもしない小さな土の城・人知れずひっそり佇む中世の山城に、立派な石垣や堀を廻らす広大な曲輪を持つ城は皆無に近い。 ...続きを見る

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2008/03/19 21:30
足見寺城 篠山
助太郎屋敷から北方・舞鶴若狭自動車道の先に低い山の稜線が幾つかの丸い峰を覗かせて、此処からは近くに一番高く見える峰の山頂部には、比較的・連郭式山城遺構を残す足見寺城がありました。       灰屋?も残る茅葺き入母屋造りの角屋をもつ民家から足見寺城の山稜を望む       城の北側は急斜面で、槙ヶ峰(JR篠山口に程近い)から南方へ派生する尾根が此処で落ち込み、二つの要衝:R176号(丹波の森街道:阪神・摂津から丹波・但馬・若狭を繋いで南北に延びる但馬道)側の初田集落と、R372号(デカンショ... ...続きを見る

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2008/03/11 08:07
香良城〜五台山
以前に紅葉の名所として紹介した岩瀧寺 丹波の名瀑:独鈷の滝 そして此処から登る「ふるさと兵庫の50山」としても人気の五台山はご存知の方も多いはずですね。勿論行かれたことのある方もいらっしゃるでしょうね。  ...続きを見る

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2008/03/06 08:13
今福城  篠山市
盃山という山がある。低山ながら篠山市街地を眼下にする見晴らしの良い山です。此処にも畑氏が築いた知らせの砦(烽火台)が在ったと云われます。立派に山城遺構を残す城ですが・・城跡を意識する人は少ない・・(^^ゞ しかし県道から登山口に向う分岐が旧篠山歩兵第70連隊跡地で、朝駆けや多紀連山を舞台としての山岳訓練により「丹波の鬼」として勇名を轟かせたといわれますが、其の背後の盃ヶ岳も厳しい訓練の場となっていたのでしょう。 ...続きを見る

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2008/03/02 17:40
法光寺城砦群
多紀郡(篠山市)一帯を支配した波多野氏の本城:八上城は井上靖氏の「戦国無頼」、明智光秀の謀略により城主秀治兄弟を捕らえ安土へ護送したこと。丹波攻めで篭城する若き闘将:義弟の二階堂秀香・朝路池や乙女塚等の落城伝説・・・と話題も多くて良く知られています。       法光寺第二砦(主郭をほぼ円状に帯曲輪が廻る) 篠山城に次いで八上城・蕪丸(奥谷城)・法光寺城一帯が国指定史跡になっていますが、後の二つの城、とりわけ法光寺城を保存知の人も城跡へ足を延ばされた方は少ないよう様です。八上城・蕪丸とは谷を... ...続きを見る

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2008/02/24 00:13
四季山城 篠山
昨年末に周辺を散策して、渋谷伯耆守居館・酒井監物館や、女畷や乙女塚のある野中集落の周辺に もう一つの館跡を探しに来たのですが、情報に乏しくレポートが進みませんので、最寄の山城を再訪してアップしておきます。 ...続きを見る

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2008/01/20 08:18
「館山城」  篠山市
館山城といっても千葉・館山市の様に天守が聳え、里見八犬伝でも知られる名城とは ほど遠く、丹波の片隅に紹介される事も無く、名さえ知られず、あまつさえ主郭部の狭い山頂部には浄水道施設が建てられており、当初の削平されていた遺構の状況が変えられた小城がありました。              浄水道施設の一段高みにある主郭 多紀郡(篠山市)から京都府の一部をも勢力下に治めていた八上城・波多野氏も、弘治年間(1555-58)三好長慶軍の侵攻に、丹波を追われ敗走した一時期が有りました。「細川両家記」による... ...続きを見る

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2008/01/19 19:50
干支の山と 山城と
登山や城廻りの趣味も 山キチ 城キチと呼ばれる程に!! フリークともなると 年初めに干支に因んだ山や城を訪ねる計画を お持ちのようですね・・・(^_-)-☆ 昨年 開設したブログの「亥」の一番が 山と城 同時に制覇の猪の口山(黒井城)でした。 ...続きを見る

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2008/01/03 08:39
味間(三崎)伊豆守屋敷と福井谷館
先日のブログ 石野氏・山崎氏の屋敷跡から北西へ約1kmで味間の里に入ります。味間は丹波茶で有名な地区ですが、多紀郡(篠山市)一円を領して君臨した波多野氏の八上城西の玄関口・落城の際に波多野氏の遺児:甚蔵は此処に遁れています。 摂津〜丹波へ南北に通じる街道筋のJR篠山口付近は酒井党の大沢城や禄庄城・JR丹波大山付近には大山城・平井山城・西山城(住吉台の住宅地開発で壊滅)等が有りましたが、播磨方面へ向う街道にも古来から利用された要衝の地・此の味間谷を抜ける街道入口を挟んで睨みを効かすように味間北城・... ...続きを見る

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2007/12/27 08:22
石野屋敷と山城屋敷
JR篠山駅を降りた西方正面に丸く低いドーム状の山の頂には禄庄城があり、その奥・北に延びる尾根先が突然断崖となって切れる突端部には佐幾山城という小さな砦がありました。この砦・実は いまは断崖の少し先、空中に消えたあたりに僅かな平坦地を持った物見台             同心円状に4〜5段の曲輪を廻す禄庄城 ...続きを見る

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2007/12/25 08:22
播磨の十水「松ヶ井の水」 多可町
先のブログ二件共に、多可郡加美区から神崎郡へと千ヶ峰(1005m)から笠形山(939m)へ延びる稜線上の鞍部・高坂峠を越える。此の旧峠道の頂付近に「松ヶ井の水」(落葉の清水)があり、清水が流れ出る小公園が有りました。一時期土砂で埋まり所在さえ分からず幻の名水となっていたものですが、林道工事の際に発見され復活していました。     高坂峠も近い旧落葉の清水「松ヶ井の水」 室町時代末期、永正年間(1504-21)播磨・備前・美作の守護:赤松義村が定めた「播磨十水」の一つです。其の後:其の下方に高... ...続きを見る

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2007/12/12 00:08
エル・ビレッジおおかわち 神崎郡神河町
神崎郡神河町は兵庫県で一番人口の少ない町だという!!。今年4月にミニ山オフで出掛けた高場山へはJR播但線寺前駅の先の「こっとん亭」を集合場所とした。此処からは峰山高原や、その手前から小田原川を遡行しての登山で、夜鷹山の展望台に立ったが、其処から望む大田ダムの眺望は絶景です。 ...続きを見る

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2007/12/11 08:09
三方の大カツラ
丹波市の市花として選ばれた「カタクリ」の自生地で、コスモス畑でも観賞者を集める「清住の里」に、丹波の正倉院と呼ばれる名刹:達身寺が有ります。 ...続きを見る

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2007/12/04 00:09
高見城山の丹波霧
丹波の霧海展望所として先に紹介している「ふるさと兵庫の50山」石金山や五台山が有りますが 此処:高見城山も其の一つです。 ...続きを見る

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2007/12/02 07:34
金山城の紅葉 篠山
鐘ヶ坂に明治・昭和・平成其々に開通した三つのトンネルがある事は先に紹介していますが、 ...続きを見る

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2007/12/01 07:35
紅葉の隠れスポット「三寶寺」 柏原町
柏原町からはハローワーク〜萱刈坂を越えて氷上町佐野へ抜けて帰るのが通常ルートですが、途中・高見城山を望む。その山麓に「丹波悠々の森」や三寶寺・山の神池・新井神社等がある。 ...続きを見る

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2007/11/30 07:43
鐘ヶ坂3代の隧道
阪神間から高速道路を利用せず、篠山を経て昭和年代に開通した鐘ヶ坂隧道を丹波へ越えるR176号線は福知山市や但馬方面への主要道ですが、交通量の増加で事故も多発:落石や冬季の交通j規制もあり、相変わらず交通の難所には変わりが無かったが、平成の新トンネル(鐘ヶ坂バイパス道)が出来て峠越えの昭和のトンネルを潜る車は殆ど無くなりました。 ...続きを見る

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2007/11/27 07:26
紅葉の日ヶ奥渓谷
今年は異常気象で 残暑が長く続き過ぎ 気温も下がらず 紅葉は焼け枯れて色彩に欠け 見頃を迎えたと思ったら もう駆け足で シーズンを終えてしまいそうです・・(^_-)-☆ 奇岩・巨岩が引立たせる渓谷美を期待して出かけた丹波市春日町の「日ヶ奥渓谷」〜神池寺は多紀連山県立自然公園に含まれる一角で美しい渓谷です。谷沿いに架けられた吊り橋は今・通行出来ず 林道沿いに進んで「山の神」祠から観滝歩道を下って 滝壺を遊歩道から覗き見られる白龍の滝 に行ってみます。 ...続きを見る

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2007/11/23 08:07
紅葉の岩瀧寺
昨日UPした五台山の霧海を見物して、戻ってきた登山口にある岩瀧寺は近年:紅葉のスポットとして訪れる人が多くなってきました。 ...続きを見る

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2007/11/16 07:43
丹波霧・五台山
ここんとこ:天気が良い日には午前中(AM10:00頃まで)丹波の霧海の景観が楽しめます。静かに眠っている乳白色の霧の海が、朝の陽差しで眼を覚まし、気温の上昇とともに少しずつ静かに静かに、ほんの一部分だけが動き始めます。 五台山山頂展望台から ...続きを見る

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2007/11/15 07:09
天空の古城  但馬・丹波 
秋 たけなわの此の時期 好天の昨日(11/3)は但馬の竹田城も 素晴らしい雲海に浮かび、留まり動かず・やがて静かに静かに流れ始める霧の切れ間から朝陽を受けて輝く石垣の姿、白い海の中に現れてくる眼下の眺望に、幽玄の世界を堪能された人も多かったでしょうね。山間を流れる円山川から湧き上がってくる川霧が、城山を霧の中に閉ざす。絶好の条件は遠くから眺めても、直説古城に登っても 間近に「天空の城」を実感出来た事でしょうね。 ...続きを見る

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2007/11/04 06:51
秋の色って・・有馬富士公園
兵庫県立都市公園「有馬富士公園」は、優美な姿の有馬富士・其の富士の姿を映す福島大池は鴨池としても冬の風物詩。池の水が流れ出る辺りの、流紋岩質の見事な一枚岩、其の下には滝壺をもった滝が・・・湖畔には最近移築されたらしい?茅葺民家と棚田が有馬富士を背に望まれる。 ...続きを見る

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2007/11/01 21:47
秋の色って…丹波の森公苑 丹波市
真夏日が長く続きすぎたが 秋の空気・秋の空・  爽やかさの中に 少し肌寒さを感じてくる    だんだんと 陽の光りと暖かさが心嬉しくなる  まだ早い  日溜まりの 懐かしさが 感じられます ♪逢えなくなって どれくらいたつのでしょう 〜 〜   あなた愛してくれた すべて包んでくれた・・・それは ひだまり でした♪  「ひだまり」の歌 の歌詞が フッと 霞めて消えた       まだ 時期早々 初冬の季語? でしたかね・・・!! ...続きを見る

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2007/10/30 07:25
池部城 福知山
福知山城と猪崎城以外にも、福知山市には多くの中世城館が市内各所に点在しています。しかも遺構の残存状態が、兵庫丹波の城館とは比較にならないほどに良好に残されているようです。 ...続きを見る

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2007/10/21 21:43
ランドマークの烏ヶ岳〜鬼ヶ城
随分と広範囲な行政区を抱えた新制福知山市ですが、旧福知山市としてのランドマーク・市街地から眺める烏ヶ岳〜鬼ヶ城の二つの峰の山容は印象的です。此の山への登山口としては三段池公園から名刹:醍醐寺をへて向うコースが、一般的に知られているようです。 ...続きを見る

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2007/10/08 21:55
金屋岩脈:流紋岩質凝灰岩 丹波市
昨日UPした金屋十三塚からも歩度近い所。金屋川に沿った林道の奥には観応2年)弟の直義と勢力争いに負けた足利尊氏父子が、再起を図って丹波へ逃れ石龕寺に籠もった際、尊氏の嫡男:義詮(よしあきら)に関する伝承の不動明王尊があり、その側には兵庫県レッドデータブックの地質の部に記されている、生野層群下部の流紋デイサイト質ガラス質溶結凝灰岩中の2次噴気孔、閃緑ひん岩・・・・?(^_-)-☆ (金屋の流紋岩質凝灰岩)が見られます・ ...続きを見る

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2007/08/30 08:21
金屋の十三塚
毎回アクセス数が2桁にもとどかない、面白く無いレポートが続き申し訳有りません・・。(^^ゞ 丹波市のモミジ三山の一つ石龕寺への旧表参道(小川地区村森〜岩屋)の道筋に25基、裏参道となる久下地区金屋からの寺坂コースに5基の県指定町石が残ります。 ...続きを見る

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2007/08/29 21:54
玄武公園 福知山
案内板が無ければ周濠も夏草で覆われた墳丘が枡塚古墳であることも気付かない。そんな9号線沿い”ドライブイン夜久野”の北側に小公園が有る。背後に田倉山から南面の夜久野ヶ原や鉄鈷山・居母山・龍ヶ城を望む展望台の様な築山ですが、 田倉山(宝山)一帯が夜久野ヶ原の旧火山台地で在った事。 応仁の乱の戦火の余波により、但馬守護:山名氏と管領:細川氏・守護代の内藤氏が戦った夜久野合戦の激戦地となったところです。細川方の大将:内藤氏の塚を探して寄った千原に京都府内唯一残る火山遺跡の「夜久野玄武溶岩公園」がありま... ...続きを見る

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2007/07/31 19:20
和久川沿いの城館群V 福知山
半田城と今安城 ロードマップに半田は記されているが、1/86000縮図では とても位置を測定できる程の精度は無い。Webの1/2500地図を見ても此方には半田は無い。 ところが今安地区の北にある半独立丘陵の頂部に点標名:半田の文字が記されている。縄張り図でも有れば地図上の地形を読みながら登城口を探せるのですが。 ...続きを見る

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2007/07/03 22:26

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