| タイトル | 日 時 |
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止々呂美上城(砦) 箕面市
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2012/01/31 23:53 |
山辺城(鷹爪城) 豊能郡
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2012/01/28 23:00 |
山辺城 T(東出曲輪)
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2012/01/27 23:57 |
栗栖城 能勢町
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2012/01/20 00:11 |
下見砦 能勢町
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2012/01/17 21:30 |
大里城? 能勢町
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2012/01/15 20:54 |
ドラゴンの城:山下城(龍尾城)
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2012/01/14 20:37 |
山下城(向山) 川西市
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2012/01/13 22:23 |
為楽山城 豊能郡能勢町
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2011/12/30 20:17 |
丸山城 大阪府豊能郡
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2011/12/29 09:22 |
福泉寺城
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2011/12/20 23:21 |
福泉寺 篠山市
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2011/12/19 22:52 |
谷山城 篠山市
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2011/12/18 22:37 |
東本荘市谷城 篠山市
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2011/12/16 00:16 |
口県守城 篠山市
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2011/12/15 00:35 |
城山城 篠山市
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2011/12/13 20:53 |
長谷山城(北村城) U
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2011/12/07 13:41 |
東中城 U
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2011/12/06 19:11 |
惣山城 U 丹波市
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2011/12/04 08:52 |
茶臼山城 U
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2011/12/03 00:08 |
前木戸城 U
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2011/12/02 00:03 |
至山城館 丹波市
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2011/11/30 00:40 |
イタリ山と山南仁王駅
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2011/11/29 00:06 |
丹波の霧海:石金山
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2011/11/27 08:29 |
砥峰高原と峰山高原
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2011/11/18 19:43 |
井脇城 京丹波町
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2011/10/28 21:41 |
三ノ宮東城 京丹波町
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2011/10/26 21:15 |
三ノ宮城 京丹波町
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2011/10/20 23:17 |
八幡山段城 丹波市
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2011/10/15 12:00 |
井中城 丹波市
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2011/10/08 19:32 |
円通寺砦U 丹波市
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2011/10/07 21:00 |
奥谷城 福知山市
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2011/10/06 10:26 |
天寧寺城 福知山市
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2011/10/04 20:41 |
堂屋敷城 福知山市
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2011/09/30 16:07 |
平通城 豊能郡能勢町
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2011/09/27 20:52 |
上杉下所城 能勢町
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2011/09/25 01:08 |
牧城(再訪) 福知山市
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2011/09/15 19:14 |
垂水城 能勢町
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2011/09/12 23:20 |
山田城 能勢町
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2011/09/09 22:06 |
浮ノ城 能勢町
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2011/09/07 19:43 |
今西城 能勢町
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2011/09/05 20:01 |
森上城:U 能勢町
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2011/09/04 19:47 |
森上城:T 能勢町
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2011/09/03 21:39 |
井内城 豊能郡能勢
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2011/09/01 18:01 |
田尻東山城 能勢町
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2011/08/30 22:40 |
田尻城 豊能郡能勢
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2011/08/29 22:51 |
吉野城 豊能郡能勢町
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2011/08/27 00:31 |
杉原城 豊能郡
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2011/08/25 09:53 |
明月砦 豊能郡
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2011/08/21 12:24 |
六十内城 福知山
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2011/08/18 23:10 |
姫髪山城U 福知山
福知山市内の古刹:もみじの寺としても有名な長安寺の背山に姫髪山があり、”丹波大文字”とも呼ばれ親しまれている市のランドマーク。嘗て此の山頂406mに姫髪山城が在って、城主の娘と家老の恋の伝説も残されると云うが、広過ぎる!!?平坦地形の山頂部を山城としたレポートはまだ知らない。 ...続きを見る |
2011/08/15 17:57 |
岡安支城 舞鶴市
大浦半島を分ける底辺?のR27号線(丹後街道)の沿って、志楽川に小倉城や、以前に河辺川沿いの観音寺城等を廻ったが、其の中間部の朝来川沿いの城を廻ってみた。兵庫丹波・但馬なら朝来は旧朝来郡・現:朝来市・朝来町・・・天空の城「竹田城」も此の朝来(あさご)市に有りますが、丹後舞鶴の此処では朝来=「あせく」と呼ばれますが語源や由来は知らない。 ...続きを見る |
2011/08/12 09:17 |
小倉城 舞鶴市
巨大中央権力による地方豪族を匪賊として退治する構図は、崇神天皇の時代:土蜘蛛族の頭領陸耳御笠(くがみみみかさ)と匹女(ひきめ)等を、朝廷の討伐官軍の将は日子座王(ヒコイマスノキミ・崇神天皇の弟)が追討し、此の伝説が平安時代・多田源氏の祖:多田満仲の子で摂関家 ・藤原家に仕えた源頼光の大江山鬼退治に引きき継がれます。 ...続きを見る |
2011/08/10 21:12 |
小倉城北尾根遺構?
小倉城から北に延びる主尾根から北西に落ち込む短い枝尾根の先端部に小倉中庵城と小倉薬師城が在りました。 ...続きを見る |
2011/08/09 08:01 |
小倉薬師城 舞鶴市
小倉薬師城へは小倉中庵城から尾根伝に主尾根に出て、西へ延びる短い枝尾根を辿ってみるつもりだったが、中庵城からの枝尾根から主尾根までには短いが、羊歯の海に溺れ・倒木の大波に・また刺の多い弦木の敗れた網を避けながらの悪戦苦闘。 ...続きを見る |
2011/08/08 19:07 |
小倉中庵城 舞鶴市
舞鶴若狭自動車道の全線無料化実験は終了(H23.6.19)したが、間際になって東舞鶴と若狭小浜近辺の山城を幾度か訪ねる事が出来た。計画予定日が雨で順延・・気になる見残した山城の幾つかを訪ねてみようと、通い慣れた!!?東舞鶴ICを降りて府道28号線に出る。 此の主郭部の切岸を見て ヤッと城址に着いた事を実感の小規模城郭(砦) 溝尻城を左手に「堂奥」交差点からの長い直線道路をR27号(丹後街道)との交差点「小倉」の東約50m程で直ぐ山間に入っていくような幅狭い小倉地区内に入っていく。重文の... ...続きを見る |
2011/08/07 23:50 |
加茂堡 小浜市
小浜市宮川地区に入り宮川公民館前から竹長城・野木川を隔て新保山城へ、龍泉寺前から賀羅岳城(ガラガラ城)を訪城して、 良継寺に引返し宮川公民館まで戻ってきたが行動時間には少し余裕が有るので、最初に登った竹長城の尾根から望む真近の加茂堡 (加茂城)に向かう。 ...続きを見る |
2011/07/31 19:52 |
賀羅岳城 小浜市
賀羅(キャラ)岳城については・・・福井埋蔵文化財の遺跡分布地図は298m三角点峰【従来からの?賀羅岳城】をガラガラ城(遺跡概要には土塁・堀切・竪堀・虎口)とあり、その尾根続きの南・直線距離で約800mにある239m峰を賀羅岳山城(今回未訪・遺跡概要は空白のまま)として表記されています。 主郭北端の大土塁 現状では本保の長英寺背後の丘陵上に在る城を従来からの!!??賀羅岳城=ガラガラ城(298m) とします。築城時期・築城主等の城史について不明ですが後日・調査等により見直し・修正が必要と... ...続きを見る |
2011/07/28 20:44 |
後川砦(再訪) 篠山
いつもコメントを戴く猪名川のイッシーさんからのお誘いで、丹波篠山市側から県道12号線(川西篠山線)を古阪峠に向かう。古阪峠を城東トンネルで抜ける丘陵上に後川砦が在りました。 ...続きを見る |
2011/07/24 23:41 |
新保山城 小浜市
竹長城とは野木川を隔てた東北方に甍を白く輝かせる龍泉寺の大屋根が見える。その背山から北へ延び上がる尾根上に新保山城(霞美ヶ城)が在りました。新保山城は4等三角点の新保山(287m南郭)〜主郭〜最高所の北郭(293m)へと堀切で区分された三郭部と、主郭から西の尾根にも・幅狭い尾根先には、先の三郭以上に広い幅を持つ平坦地形10数段が在る。此の西郭部は居住性が高く堀切は無いが横堀らしい遺構が下部に有った。 新保山城(霞美ヶ城)主郭の低土塁 ...続きを見る |
2011/07/23 22:15 |
竹長城 小浜市
高浜町(滋賀県)からの若狭街道、三方五湖方面からJR小浜線とR27号線沿いの丹後街道が合流して小浜市街地へと西に向かうと、国分寺跡や舟塚古墳等の古文化・遺跡が点在する。 竹長城へは公民館前の激急斜面に取付く・・・ ...続きを見る |
2011/07/21 07:25 |
天ヶ城 小浜市
古刹:羽賀寺の背山に小浜市の西津地区では最高峰の天ヶ城山(天下城山 3等 266m)が在り、福谷・北塩谷の総合公園や羽賀寺から登山コースが整備されています。南尾根の羽賀寺から・西尾根の福谷・奈胡集落背後を東尾根が若狭幹線林道・阿納トンネルへと、三方からの尾根を繋げるジャンクション・ピークの山頂に主郭の櫓台を置く天ヶ城が在りました。 土塁で囲まれた北郭から北へ延び出す平坦地形は曲輪段跡!!? 築城時期は不明ですが、現状遺る遺構は若狭国守護武田氏家臣内藤筑前守勝高が天文年間(1532-5... ...続きを見る |
2011/07/20 00:06 |
達城(達峰城) 大飯郡
若狭国大飯郡本郷を本願地とした有力国人本郷氏は、承久の乱 (1221)後:新補地頭職に任じられた美作左近太夫朝親が入部し本郷朝親を名乗り初代となり、以後は在地勢力として室町時代には足利氏に属し、経済や軍事面でも大きな力をもってきます。現在も大飯町の中心地:本郷と温泉施設”あみーしゃん大飯”の間、佐分利川沿い南北に延びる丘陵上に達城が在りました。 土橋付き堀切と思えたが微妙に?(堀切巾程のズレは自然地形によるものか)食い違う。堀切で無ければ左右の竪堀というより片堀切 一方:安芸国守護:武田... ...続きを見る |
2011/07/15 22:15 |
白石山城 高浜町
JR小浜線の若狭和田駅の東に「馬居寺」への道標案内板を見て、谷間の奥に向かう幅狭い地区道を進む。御詠歌に君が馬 居りし昔の名をとめて・・・とあり、寺の縁起によると、聖徳太子伝説の霊地として・太子による開創を伝える若狭でも最古の古刹です。此の馬居寺の西背山の頂部に白石山城が在りました。 主郭部:主曲輪側の土塁・空堀 ...続きを見る |
2011/07/12 20:46 |
石山城 福井県大飯
舞鶴若狭自動車道の大飯・高浜ICの料金所ゲートからも、東方の丘陵北麓を抜けて行く自動車道高架側・石山地区の南背後に在って、 其の先端部は自動車道工事によって削り落とされ地肌を見せる崖上から南北に延びる尾根上に築かれた石山城の位置は直ぐ確認出来る。 主郭の仕切土塁:最高所の土塁上は櫓台、自然石・露岩を取込み石積み部も有る様子? ...続きを見る |
2011/07/09 23:42 |
柿安城 舞鶴市
東西に舞鶴市と福井県高浜町を境する大浦半島を、南北に分ける府道561号線を河辺川沿いに走り、観音寺城・河辺原城・西屋城と廻り、河辺川が舞鶴湾(東港)に流れ出る平の湾に落ち込む断崖上の丘陵部に在る中田城・柿安城に向かった。戦後の引揚げ船の拠点として最期まで残されたのが岸壁の母の舞台「舞鶴引揚げ港」で其の報道・記録映像に映るのが平の桟橋。 柿安城北郭:尾根続きの土塁 此の風景と湾の入口から西大浦を繋ぐ鋼鉄の白い斜張橋の舞鶴クレインブリッジ(鶴の橋)を眼下の望む海の城が中田城と尾根続きに僅か1... ...続きを見る |
2011/07/07 18:19 |
中田城 舞鶴市
舞鶴市の東舞鶴湾の北方:大浦半島西南の舞鶴湾(東港)に架かる鋼鉄の白い斜張橋の舞鶴クレインブリッジ(鶴の橋:全長735m)を右手に見送り、 新大波トンネルを抜けると終戦後の”引き揚船”拠点地の一つで、”岸壁の母”で知られます。【岸壁の母モデルは関東の人・平桟橋で待つ人もあったでしょうが、舞台は東舞鶴駅から近い五条桟橋ではなかったか!!?】国内に最後まで残された”舞鶴引き揚げ港”で、平の桟橋(復元)や”引き揚げ記念館”の側が河辺川が舞鶴湾(平湾)に流れ出る河口。 中田城最南端の曲輪切岸 ... ...続きを見る |
2011/07/06 20:02 |
西屋城 舞鶴市
舞鶴市の東北部:大浦半島西南の舞鶴湾(東港)に架かる舞鶴クレインブリッジを右手に見送り、 新大波トンネルを抜けると平の桟橋や”引き揚げ記念館”に出るが河辺川が此処に流れ出る。東北の若狭湾に抜け出る府道561号線の河辺川沿いに観音寺城や河辺原城を訪ね、続けて西屋城へも寄ってみる。 空堀土塁を越えて西屋城主郭に入る 鵺退治”シノビ竹”伝説が残る旧加佐郡志楽庄は、源頼政が此の恩賞に賜った所領で、西屋城は河辺谷の中程に位置して、其の古城ともされる様です?。当人が来郷することも無かったと思え... ...続きを見る |
2011/07/05 20:01 |
河辺原城 舞鶴市
河辺原城へは観音寺城の前に登るつもりでいたが、目標地点の卍マークの寺院が分からないまま、よく似た山容地形・山麓の橋まで有って間違えて西の丘陵上をさ迷った挙げ句、残念して下山してきた経緯がある。 観音寺城から河辺谷に降りてきて正面(谷を挟んで間違え登った丘陵の東隣)の山に向かった。幸にも山上部に関電鉄塔が二基あるので巡視路が見つかれば楽勝・・・・山麓を廻り巡視路(火力線No23とNo24)をみつけた。火力線とは大浦半島の西端・松ヶ崎にある”舞鶴火力発電所”の事でしょう。 西郭(... ...続きを見る |
2011/07/04 00:03 |
観音寺城 舞鶴市
河辺川沿いの府道561号線が大浦半島を南北に分けるように西南の舞鶴湾から東北の若狭湾に抜け出る。多禰寺方面に向かう21号線と分岐する「平」から福井県境に向かう561号線沿いの河辺谷は旧加佐郡志楽庄で、平安時代末期:鵺退治で有名な源頼政の知行した地で、この鵺を射た矢が此の地「河辺由里〜観音寺」付近で採れる”シノビ竹”だったとも伝えられるところです。もっとも”河辺xxxx”・・と河辺を付けての名は江戸j時代に入ってからと云います。 主郭北方を囲む土塁と土塁虎口部(曲輪へは切岸(1... ...続きを見る |
2011/07/01 18:03 |
茶磨山城 小浜市
小浜城の東約 1.3km地点には北方から江古川が丘陵裾を鋭角に屈曲して、北川に並走して西の小浜湾に流れ出ます。江古川が大きく流れを変える地点・北方から南面の江古川に其の先端を落とす独立山塊が有り、南山麓の丸山集落の背山135m峰(4等3角点標石が主郭内に埋まる)には、城史の詳細は不明ですが室町時代末の弘治年中(1555-58)内藤兵庫の拠ったと伝えられる茶磨山城(丸山城)が在りました。 主郭部北曲輪(周囲を分厚い土塁囲みの曲輪中央に連絡通路の上り土塁) ...続きを見る |
2011/06/26 20:36 |
大塩城(田縄城) 小浜
永禄5年(1562)先のブログで紹介した稲岡城に比定される湯岡城の南部石見守に攻められ、落城した城に大塩長門守の拠る田縄城(大塩城) が在りました。しかし勝った湯岡城の土橋だけ?の遺構に比べ、大塩城の其れは、土塁囲みの曲輪に見事な虎口・中仕切土塁・堀切は3〜4の土塁で仕切られた西日本では珍しい障子堀の遺構を残こす。 主郭部(副郭)の横矢の掛かる通路を経て・一折れして入る低土塁虎口部 若狭守護武田氏は此れまでにも応仁の乱後の和睦に・一色氏に丹後国を返還して後処理では家臣団と足並が... ...続きを見る |
2011/06/24 20:27 |
湯岡城 小浜市
湯岡城は後瀬山城から南への尾根を辿れば225m三角点の最高所から東へと尾根続き。山城めぐりの登山コースとしては良さそうですが、遠距離では時間的余裕も無い。・・・と云って土地勘も無く、勝手知らない地では、車での取付き点探しには何時も苦労する。 ...続きを見る |
2011/06/22 20:53 |
後瀬山城 小浜市
後瀬山(のちせやま)城はJR小浜駅の南西約km、R27号線の後瀬山トンネル東口を出て直ぐ、左折した神社境内から、主郭に祀られる愛宕神社へと参道山道が通じています。昨年秋にも寄ったがは・国指定史跡とはいえ、松茸シーズンだったので訪城を躊躇し諦めたが、登ってもよかったのかも・・・? ...続きを見る |
2011/06/21 19:58 |
片山城 東舞鶴
東舞鶴市街地の行永と溝尻の間・与保呂川と伯母谷川に挟まれた南北約1.5km程の低丘陵尾根の南端、府立養護学校分校・舞鶴医療センターの東に在る行永大迫城を先に紹介しましたが、北の端には片山城が在りました。JR東舞鶴駅南口の南浜町から、府道51号線を東に渡り、北浜町の東側流れる与保呂川に架かる丸山橋を渡った所に霊園が有るので、其処から比高も4−50m程の稜線?に登着けるだろうと考えたが、住宅地内・私道には入っ行けないので、徒歩で与保呂川沿いに丘陵北末端部を回り込んでみた。 ...続きを見る |
2011/06/18 23:12 |
行永大迫城 東舞鶴
東舞鶴の山城では先に与保呂川沿いに日向城・殿村城・常城・芥子谷城・亀岩城等を紹介し、伯母谷川沿いの溝尻城と其の支城をブログとHPに紹介しましたが、与保呂川が亀岩城麓で北に流れを変え、伯母谷川と平行に舞鶴湾に流れ出ていきます。 ...続きを見る |
2011/06/17 18:57 |
梅雨時の花
鬱陶しい梅雨時の花の代表は カキツバタや紫陽花・・・里では自生の花を見ることは殆んど無くなった山百合の花を見かけた。・・・・勿論山の中。しかも踏み跡さえ途絶え羊歯類に覆われた藪山ですが、荒れた地肌が少し見える倒木の陰に 清楚な淡いピンクがかった白い花。 ...続きを見る |
2011/06/16 18:56 |
十念嶽城 若狭高浜
十念嶽城は砕導山城の東約1.5km程の位置・R27号線を跨いで大飯・高浜ICへ向かう県道16号線を越えて東へ走る。 山頂主郭の南尾根側を半周する低土塁 カサハラ川(漢字表示名が記されていると思われる西詰めの親柱を見ていないが笠原か?)に架かる丸山橋を渡ると前方・川筋北方にJR小浜線・国道が並走する位置へ、伸びだし落ちる低丘陵が見える。尾根の北に4等三角点のピークには粟屋氏の城塞とされる十念嶽城(十念岳砦・粟屋氏出城の別名がある)が在りました。 山頂部の一部を除き・特に南尾根側は猛烈... ...続きを見る |
2011/06/13 20:52 |
砕導山城 若狭高浜
R27号線沿い・JR若狭高浜駅の北方に若狭高浜町のランドマーク:明鏡洞と高浜城が在り、南には式内社の佐伎治神社が鎮座する。此の佐伎治神社から妙見山(砕導山)山頂の妙見宮へと、参道が通じています。此の妙見宮に主郭を置く砕導山城は守護:若狭武田氏の重臣逸見昌経が、武田氏に対し叛乱を起こして立て篭った城。 砕導山城(妙見堂主郭)の虎口?受け曲輪 武田氏に四度も違乱し、其の度に敗北を期すが勢力を盛り返す。砕導山城は逸見昌経が丹波守護代:八木城主の内藤宗勝(松永長頼:松永久秀の実弟)軍の援軍を... ...続きを見る |
2011/06/12 21:28 |
森城(藁谷城) 舞鶴市
東舞鶴公園の周辺には先に紹介の芥子谷城・亀岩城(行永城)や行永青山城・今回の森城(藁谷城)が在る。「牧野河内守樣高付覚」に:行永村(森城の在る森村の東南部!!)に四つの古城【茶摩山<亀山城!?>・なへん地<行永青山城!?>・芥子谷<芥子谷城!?>・馬場<森城!?>】を挙げるが、茶摩山の上羽丹波守以外は城主不明という。 森城:西斜面の帯曲輪から落ちる畝状竪掘群 ...続きを見る |
2011/06/08 23:05 |
行永青山城 舞鶴市
前回は常城・木ノ下城の探索には取付点探し等に随分と手間取り、少々バテ気味だったので、丸山公園(東舞鶴公園)周辺の城砦をロケハンして廻った。テニス・コート、子供遊戯施設の側から展望台に登ってみて、眼下の赤迫池の上方に行永青山城を見たが、 公園南側の住宅地からは入り込む余地無さそうで、今回は府道487号線の起点となる亀岩交差点から府道51号線を椿川沿いに、丘陵の南側から取り付いた。 行永青山城:帯曲輪から落ちる6〜7本の畝状竪堀群をみる 行永には四つの古城【茶摩山<亀山城... ...続きを見る |
2011/06/07 21:39 |
亀岩城(行永城) 舞鶴市
舞鶴市行永の亀岩城(行永城・倉橋城)は、城名からも・当初は倉橋(倉梯)郷の領主は丹後守護職一色氏の守護代:延永氏か其の家臣が拠った城でしょう。守護一色氏の勢力が弱体化する中で起こった、若狭武田方の守護代:逸見氏と図ったクーデターも、管領細川氏や援軍朝倉氏等の武田氏連合軍に敗れ、幻の倉梯城(溝城城・芥子谷城・亀岩城が推則されています)に延永氏は敗死。 北尾根の曲輪(古墓地)から主郭へ・・数段の曲輪は断崖状の激急斜面で切岸も高い ...続きを見る |
2011/06/03 21:56 |
木ノ下城 舞鶴市
訪城では・何んということなく、短絡にしかも簡易に行き着ける低丘陵上の山城ながら、取付き点が分からないばかりに、とんでもないルートを選択して悪戦苦闘・艱難辛苦の末に辿り着くが、苦労多い割りには余り報われない。砦規模の小さな山城の僅かな遺構だけでも確認できれば良し |
2011/05/31 20:49 |
常城 舞鶴市東舞鶴
舞鶴若狭自動車道で行永トンネル、続いて木ノ下トンネルを出ると、与保呂川を渡って直ぐ東舞鶴ICを降りる。舞鶴自自動車動沿いに南下すると府道487号線に出る。左折して与保呂川を遡ると、直ぐ与保呂小学校前を抜ける。南方に殿村城・殿村支城の在る山稜を望み、その先・日尾池姫神社を右前方の杜に見て、左手に日向城・与保呂川沿い最奥に在る桂城を前回までのブログで紹介・HPにアップしています。→ ”蛇切岩”伝説と与保呂川の山城 土塁と堀切内の土橋・上り土塁を常城の主郭に入る ...続きを見る |
2011/05/30 20:56 |
殿村支城 舞鶴市
与保呂小学校の南方・報恩寺背後の丘陵頂部愛宕山(点名:生水229m)の殿村城が、殿村城から北尾根を約300m程下った位置に殿村支城が在りました。地誌に中世波賀隠岐守が拠ったという上与保呂城(殿村城)があり、小字国居(殿村支城のことか?)には時岡源之丞の別城があったと伝えます。養老山報恩寺(臨済宗天竜寺派)は南北朝期の康歴元年(1379)普明国師の開山を伝える古刹。”殿村”と呼ばれるのは報恩寺周辺の様で当然・取付き点の第一候補だが、寺から尾根への取り付きは無理っぽい。 尾根続き山側の... ...続きを見る |
2011/05/29 13:12 |
殿村城 舞鶴市
殿村城は上与保呂村の入口に位置し、北に日向城・西には菅坂川を挟んで木ノ下城と呼応する位置に在って、菅坂峠を越えれば丹波綾部市の上林郷に到る。丹後街道の要衝を小倉(R27号線)から堂奥(府道28号:祖母谷川沿い・市内最大級の規模をもつ溝尻城が在る)をへて与保呂川沿い(府道487号)の、下与保呂村・上与保呂村の分岐点に降りてくる。殿村城・殿村支城や木ノ下城は此の要衝を正面に監視出来る位置。 殿村城東郭の切岸と愛宕社 ...続きを見る |
2011/05/28 23:26 |
日向城 舞鶴市
与保呂桂城を降りてきて「羽賀谷橋」を渡り、日尾池姫神社から続く桜並木の沿道を西に進むと、北方の点名:羽賀谷(319m)から南西へ延び出す尾根先が台形の稜線を見せる。丘陵尾根は急斜面となり、先端部を与保呂川に落とすが、台形に見える緩斜面上の東西約100m程の尾根の前後を堀切で遮断して城域を確保する日向城が在りました。 日向城:尾根側の大堀切 ...続きを見る |
2011/05/26 22:06 |
与保呂桂城 舞鶴市
美女が大蛇に化身する蛇切岩の伝説が与保呂川の氾濫や治水に関連するだけでなく、金属・とりわけ製鉄・精錬に関係してくる事は、三つに分かれた大蛇の尻尾を祀った大森神社>(弥加宜神社・近くには単郭の城館ながら周囲を畝状竪堀で堅める森城が在る)は金属の神。胴を祀る堂田神社の近くには亀岩城(行永城)があり、頭は与保呂川上流の日尾池姫神社(蛇頭松姫大神)が在る。 ...続きを見る |
2011/05/25 20:51 |
溝尻支城 舞鶴市
宮谷山(4等三角点)山頂部に築かれた溝尻城の尾根続き、南尾根先には堂奥城が其の大手口を守備し、南西へ延び出す尾根末端部を溝尻集落に落とす、先端ピークには溝尻支城が築かれて、其の搦手口?を防禦しているようです。 溝尻支城主曲輪東下の土橋+上り土塁付き堀切 東西二箇所の登城口を守る堂奥城と溝尻支城は、本城の尾根続き先端部に築造された出曲輪というより、共に城域の尾根両端を堀切で遮断して独立性を持たせ、階段状に曲輪を並べただけ!?の支城です。 主曲輪から末端の送電線鉄塔を置... ...続きを見る |
2011/05/21 21:00 |
堂奥城 舞鶴市東舞鶴
舞鶴市内最大規模を誇る溝尻城の城主とされる矢野氏については、丹後守護一色氏の家臣で守護代の延永氏が若狭武田氏との合戦に、敗死し没落・衰退するが、同じ倉梯郷を領していた矢野氏が在地領主として拠ったといわれます。なぜ領内に二つの勢力?が有ったのか・それ以前の詳細が不詳ですが、勝手な!!?一つの仮説を立ててみると山頂北郭に祀られる妙見大菩薩や、倉梯山南山麓の与保呂川流域に残る日尾池姫神社の大蛇伝説等・・・詳細は割愛しますが・・どちらも鉱山採石関連に行き着きます!!?。 土橋付堀切から斜上する登... ...続きを見る |
2011/05/20 23:24 |
溝尻城 舞鶴市東舞鶴
溝尻城は舞鶴市屈指の・・・というより、宮谷山山頂に溝尻城主郭を置き、南尾根先に堂奥城・南西尾根上に溝尻支城と・・二つの支城を大手道と搦手道に配し、山域全体を城塞化している、市内最大規模の城郭として知られる様です。城主は矢野氏とされますが・不明点も多い謎の一族累代を伝える様です。 溝尻城主郭西北尾根:土橋付堀切と竪堀間は竪土塁!!(ホントはもっと急傾斜) ...続きを見る |
2011/05/18 22:27 |
堂奥ニノ谷城 舞鶴市
半日程度の余裕では余り遠出も出来ないが、舞鶴若狭自動車道を福知山・綾部以北へホンとに久し振り・・・に走り、東舞鶴インターチェンジを降りると、ゲートの真正面に宮谷山(4等三角点 200m)が見える。山の名:まして低山の点標名など・・峰続きに縦走もできず!? 登山対象にもならない山。 尾根幅は狭いが・堀切は深く左右の激急斜な谷に落ち込む しかし此の山には舞鶴市でも最大規模の城郭が在りました。若狭守護:武田氏と丹後守護:一色氏とは因縁の争いが絶えず、特に若狭国境に近い東舞鶴側に一色氏の城砦群が... ...続きを見る |
2011/05/14 22:39 |
大河城 丹波市
京の都に境して京都丹波・兵庫丹波は、丹後・但馬・播磨を繋ぐ要衝で、地方との産業・文化の交差点ともなっていますが、都での権力闘争に敗れ京を追われた敗者が真っ先に選ぶ逃避先。其の追ってもまた丹波に侵攻し戦いの絶える時期は殆んど無かったかも・・・? 大河城低郭(南郭)の南面:帯曲輪の石垣 ...続きを見る |
2011/05/12 09:22 |
下滝城 丹波市山南町
JR福知山線下り列車が下滝駅に着く直ぐ手前・篠山川に、今では珍しくなった「広田の吊り橋」が架かる。上流には丹波竜化石の発掘現場が有りますが、此処から広田の吊り橋・・・更に無形文化財の神楽が奉納される青田大歳神社付近にかけての、川床・両岸の岩盤に注目すれば、甌穴(ポットホール)を幾つも観察出来ます。広田の吊り橋を渡りJR踏切りを越えれ県道77号線に出ます。北東角の山裾に小さな森の様な丘陵先端部が見えてきます。 ...続きを見る |
2011/05/09 23:46 |
日置城 福知山市
福知山市夜久野町の千原やR9号線・牧川沿いの諸城を昨年の同時期に訪ねたが、今回:神谷城から日置城を廻った。山を観れば山城が判ると豪語され・殆んど知られることもない無名?の山城をライフワークとして、夜久野周辺の城砦群を隈無く攻め終えられている城フアンの方でも、日置(へき)城は未訪の様です。 日置城南郭(主郭)切岸と南曲輪 山城としては何故これ程までに?里からは余りにも遠く・峻険な山上に在る日置城ですが、標高(329m)でも劣る無名の峰々は登山対象としても魅力が無いのか?、「山あそ」(島... ...続きを見る |
2011/05/02 21:54 |
姫髪山城 福知山市
丹波市から穴裏峠を越えて福知山市の和久川沿いのR429号線を走る。福知山市でも旧天田郡三和町方面を除き、旧天田郡夜久野町と、両天田郡に挟まれた中央部の旧福知山市に向かうのに、よく利用するルートです。R429号を市街地へと東走していると、北方に富士型の美しい山容の姫髪山が、山頂近くの「大」の字に朝陽を浴びてクッキリと見えてきます。 大文字の火床と薪を運ぶモノレール・下方に登山口の長安寺 ...続きを見る |
2011/04/24 20:36 |
U 香良城 丹波市
関西圏のキャスリング(主に山城探訪)フアンにも、馴染の薄い香良城の名を知る人は・まして城址を訪れた方は少ないと思われます。しかし丹波の戦国史・とりわけても氷上郡内に於いて最大規模の激戦となったのが香良合戦。其の主戦場となったのが香良城ではなかったかと思われます。 香良城の二重堀切(外側)の竪土塁と堀切 ...続きを見る |
2011/04/22 20:29 |
T香良城へ 丹波市
丹波の”もみじ三山”に加え、昨年「隠れ紅葉の名所として、紹介するつもりだったが止めた岩滝寺は地元自治会によるものか?、時節には入山料を徴収する観光寺になってしまった様。寺側の意向に添ったものとは思えないが・・。「ふるさと兵庫50山」で知られるようになった五台山への登山口に在り、五台山・鷹取山や今回の香良城へも自由に通り抜け出来なくなったなったよう?。 香良病院の背後に鉄壁の香良城(西岩山) ...続きを見る |
2011/04/20 22:24 |
東はりま日時計の丘公園
丹波市山南町の西南端部で、旧佐治川(現:加古川)が篠山川と合流し、加古川となって南下する。東播磨の西脇市と接する国境が黒田庄町で元:多可郡だったが西脇市に編入されました。西脇市もまた旧:多可郡から市として独立!?したところ。丹波市の北方:福知山市も元は天田郡内から市政を敷いたところ。福知山市を中に挟んで西に天田郡夜久野町があり、東南方に天田郡三和町があって・判り辛かったが北方の舞鶴・宮津方面を分けて大江町も福知山市に統合された。 ...続きを見る |
2011/04/16 21:26 |
福谷城 神戸市西区
この度の東北関東大震災により、お亡くなりになられた方々には心よりお悔やみ申し上げますとともに、不明者の安全・無事を祈り、被災された皆様へは”頑張ってください”と、個人的にはエールをおくることしか出来ませんが、御見舞い申し上げます。 私も今年17回忌を迎える兵庫南部地震(阪神大震災)に被災し県外疎開していましたが、残された息子の入学に際しては特別に小束山(垂水区?)だったかに高校在籍時の関連学生寮に入寮させていただき、取りあえず最低限必要家財を用意したり・・で数回走った市立農業公園横の道が県道6... ...続きを見る |
2011/03/16 21:59 |
東下城 神戸市北区
先のブログ”蛇池”のヒロインは東下城城主の姫君との伝承ですが、其の東下城(山田城・東下山城)が、県道85号線沿いに、西神戸脊山の丹生山系を望む丹生神社の石鳥居南方の丘陵北末端に在りました。丹生山と聞けば衝原湖(呑吐ダム)畔の千年家付近に降りてくる”義経道”を思い出す。平安末期の寿永3年(1184)一の谷合戦に大勝 した源義経一行が猟師:鷲尾三郎の案内で須磨浦に向かった道。 東下城主郭部の堀切 此の鷲尾三郎が功により山田庄を得て居したのが東下。時代は下が... ...続きを見る |
2011/03/15 21:53 |
天正寺山城 神戸北
中国自動車道吉川ICからR428号線を南下してゆくと、山陽自動車道高架を潜ると、三田市方面から三木市に向かう県道38号線と淡河本町交差点で合流する。此処に「道の駅おうご(淡河)」が有り、目の前の浦川(淡河川)に面して断崖形状をみせる丘陵上には、智武を備えた武将:淡河弾正忠定範の淡河城があります。三木城主別所長治の義理の伯父で、三木合戦時の秀吉軍に対する淡河合戦での奇略(軍馬の群れに雌馬を放す・・)の伝承は良く知られているところです。 主郭背後の岩を抱く崖状切岸と堀切 城... ...続きを見る |
2011/03/13 08:57 |
上宿城 篠山市
日置の堂山砦(明智軍の付城とされる)と、其の西に約800m程の位置には、・八上城の井戸曲輪(朝路池)に至る搦手道か?、その登城東口を守備・監視する八上城の尾根続き東尾根末端部の安明寺砦をブログで紹介済みですが、堂山砦の東500m程には摂津三田・能勢・池田方面を繋ぐ街道(県道12号線)が走り、曽地川を越えれば波多野氏以前からの土豪:波々伯部氏一族の領地に入る。 ...続きを見る |
2011/03/09 22:26 |
安明寺砦 篠山市
堂山砦の西正面・約800m程の地点、高城山(八上城)から東へ延び出す尾根の最東端に位置して安明寺砦が在りました。之も小さな砦で尾根先端部に3〜4程の曲輪を尾根上に連ねてはいるが、曲輪は高低差も小さく、切岸も無い。唯一・主郭の西端を堀切(両端に土橋が付く)が城域を分け、堀切上には低土塁がある。此の砦の南側からの谷筋が八上城の井戸曲輪(朝路池)へと通じる搦め手道!!?。 堀切の両端に土橋が付く 安明寺砦は堂山砦・洞中砦・上宿城をはじめとして曽地城・曽地砦・曽地奥砦(高野山城)は、織田... ...続きを見る |
2011/03/08 22:03 |
東中山城 綾部市
十倉向町に渡辺氏の赤道城と、僅か6〜700m東南に隣接する武吉町に 坂田氏の梨子ヶ岡城を訪ね、時間に余裕も有るのであと1〜2城どこか・・近在に城砦は!!と、「綾部市遺跡地図」を探して見ると梨子ヶ岡城からの下山途中に前方に望む上林川沿い対岸(左岸)上流の佃町には佃城と尾根続きの西北方に東中山城が載せてある。 主郭北面の切岸と堀切 玉泉寺下の地区道を上林川の対岸に渡り、武吉町の集落を外れると、急に車道の幅を狭く感じる。左に丘陵端の崖沿い、右手には谷深く・幅広く ・水量も結構多くて流... ...続きを見る |
2011/03/04 22:39 |
梨子ヶ岡城 綾部市
赤道城とは僅か6〜700m程東南の武吉町に梨子ヶ岡城が在りました。梅林山玉泉寺(臨済宗南禅寺派)が登城口なので取付き点探しで苦労することもない。玉泉寺は慶長6年(1601)開創で・はじめ五詮庵と称されていたが、寺宝となっている大日如来像は真言宗薬師寺(山寺だが所在不詳・・?)に祀られていたものという。天正8年の明智「丹波攻め」で落とされた横山城を福知山城として大改修の際・寺は其の建材として運び出されたが、如来像は村人らにより護持され、その後も難に遭いながら現:市の文化財指定を受けています。 ... ...続きを見る |
2011/03/03 21:18 |
赤道城 綾部市
沼ヶ谷城とは上林川を挟んだ南東方の低丘陵・十倉向町の脊山に赤道城が在りました。府道1号線を東に走ると井根川が合流し、中洲を拡げ川幅が極端に広がる上林川と流れと接する地点・十倉橋を渡り十倉向町に入る。沼ヶ谷城の先には・井根川の谷奥に井根砦が在るだけで、府道1号線沿いに城塞を見ないが、大きく蛇行を繰り返しながら深く・流れも早い(両再度は大型車輌は通行困難な車道)上林川沿いに山城・丘城が点在する。 ...続きを見る |
2011/03/02 22:48 |
光山寺砦 神戸北
神戸市北区の大沢(おおぞう)町には、開創・開基の年代等詳細は不明ですが、真言宗石峰寺の末寺として創建され、七堂伽藍塔頭堂宇を誇る巨刹:般若山光山寺が在ったと伝えられていました。しかし戦国時代・羽柴秀吉軍による「三木合戦」の余波を受けてか?、兵火により全山焼亡し灰塵に期したという。 土塁・空堀の10m程斜面上部が三等三角点:日西原の山頂です。古墳の周濠とも思えず!! ...続きを見る |
2011/02/27 20:13 |
天狗岩 神戸市北区
三田市・神戸市境にある大規模スーパーとアウトレット・モールへは時々出かける。二ケ所のエリアを繋ぐ陸橋からはフルーツ・フラワーパークの大観覧車やヨーロッパの城館をイメージした建物が、生憎の雪曇りの中・夢の島の様に霞んで見える。フルーツ・フラワーパーク側からもハイキングコースが整備されていて、今まで何度か行ってみようと思いながら・棚田に続く細い車道・・・砦が在ったとされる光山寺山は公園化された様子なので、あきらめていたが、こんな天気に遊びに行く人もいないだろうと‥連れには・ゆっくり買物に時間をかけて... ...続きを見る |
2011/02/25 21:52 |
西山城 加西市
芝生広場や庭園、テニスコート等を備えた公共の宿「いこいの村はりま」の裏山へは、幾つかの整備された遊歩道が通じ、 西山の山頂部には加西市のランドマーク展望台が建つ。此の西山から亀山古墳(加西市指定文化財)の有る亀山へ、展望の尾根続きが楽しめ・遊歩道を散策する市民の姿を見ます。 加西市のランドマーク展望台・マスコットキャラは根日女(ねひめ)展望台の建つ西山山頂部が西山城跡とは?、城跡と知って訪れても遺構はよく判らない。遊歩道や展望公園としての開発・整地によって消えたのかも?。亀山古墳に向かう... ...続きを見る |
2011/02/19 22:37 |
広原城 加西市
むかしから籤運が悪くて、殆どスカ!!の等外か・4等?以下の欄外なので!!抽選・籤引きの類は避けてきたが、山城巡りも・段々 その傾向が強くなってきたのかも知れない・・・ナ? |
2011/02/18 20:40 |
篠場城(砦) 丹波市
丹波竜発見・発掘調査中の現場に近いJR下滝駅を出ると正面に丹波竜親子の愛らしい姿のモニュメントを見て、県道77号線に出る。東北約350m程に下滝城、県道77号線沿いに西へ向かうと上久下公民館(丹波竜関連情報の発信基地になっている!!?)がある。北東隣に山裾付近には村上奥太夫屋敷跡とされる、4〜5段の平坦地(曲輪)が”それ”だとされます?。 北郭の低土塁 上久下公民館背後の低丘陵は西方300m程で県道沿いに断崖状に聳立して迫り出して、先端部の西南端を県道に落とします。西100m... ...続きを見る |
2011/02/15 00:02 |
友尾山城 西脇市
築城時期や目的・城主等の城史が不明の城は多いが、城の伝承も遺構も無く・なぜこの様な場所に在るのかは、往時の山越えの通行ルートや時代背景等を知らない。山歩きでは遺跡分布地図等の資料になく、伝承等・地元で存在自体も不明の城址を発見したり、調査実施等詳細は不明ながら・遺跡分布地図に記載されている城を探訪してみることはある。 先日訪ねた猪名川町の木津城も、低丘陵の尾根末端付近の比高も・さして急斜面でもない尾根上に平坦地形が延びるが、何処までもが城域なのか堀切や土塁・切岸加工された曲輪等の遺構を見ない。... ...続きを見る |
2011/02/13 09:11 |
木津城 猪名川町
兵庫県川辺郡猪名川町のWebに城址として紹介されている九ヶ所の内、阿古谷の西峰城(猪名川自然公園地域内にあって、猪名川グリーン・カントリー開発の為消滅した)を除けば、此の木津城と銀山城が「縄張り」の判りにくい城砦に思えます。多田の銀山城は一等?三角点と城山の名に釣られ、以前に登山の対象として出掛け山頂の曲輪だけ?の遺構で、よくわからないまま山を下りている。 木津城山麓から山城尾根への分岐点にある土橋付き空堀状? 今まで丹波や播磨の山々を歩いてきた過去の山域を見直してみると、通り過ぎて... ...続きを見る |
2011/02/09 20:41 |
木間生城 川辺郡
武庫川にも丘陵に突き当たり極端に屈曲して元の流れ!?に戻る”曲り”という処が有る。その三方を川に囲まれた中に曲り城が在ったが、県道12号線沿いの猪名川にも「曲り」に似た地形が有り、屈曲して流れる猪名川が西面を除き三方を濠として囲む小さな山塊の頂部に木間生城が在りました。 木間生城:北の堀切(主郭側切岸下部) 猪名川町には低山ながら尖峰が多く、先日の愛宕山城や三蔵山城・多田の城山(銀山城)や此の木間生城も、栃原と木間生(「こもお」は韓国語の”有難う”を連想する読みですね!!・・韓流フ... ...続きを見る |
2011/02/08 19:13 |
笹尾城 猪名川町
県道12号線沿いに:先日訪れた愛宕山城への入口・猪名川霊園前を更に南下して笹尾集落の六瀬住民センターまで降りてきた。杉生城・若城〜此処笹尾城も多田荘六瀬(むっせ)村、多田院御家人の六瀬氏(平尾氏?)が領主として統治していた地帯。小さな山城が在ったが杉生城と同様に城域の前後を堀切区分している。 主郭部北端の土橋付き堀切 六瀬住民センターと笹尾公会堂(地区消防団車庫・火の見櫓が有る)間の地区道を抜ける正面の比高70m程の頂部に主郭を置くが、南北の尾根筋100m程の小規模な城。堀切も埋... ...続きを見る |
2011/02/06 18:27 |
愛宕山城 猪名川町
篠山市から後川(しつかわ)越えで県道12号線沿い。猪名川町の杉生城・若城を訪ねて南下。仁頂寺分岐を過ぎると清水地区に入ってくる。 「猪名川霊園」の大きな石碑をみて、霊園内に向かい坂道を登っていく谷間の西には、霊園最奥部に見える鞍部からは西へ・更に南へと比高100m、一気に高度を上げる尖峰上に愛宕山414mの山容がのぞまれます。県道12号線の霊園入口からも常に気になる山は、低山ながら登行欲を掻き立て、三角峰の追谷山へと北へ尾根縦走するのも良さそうです。 ...続きを見る |
2011/02/01 17:15 |
若城 川辺郡猪名川町
杉生城とは県道12号線を挟んで西の低丘陵上の山頂部に、金刀比羅宮を祀る平坦地に主郭を置く小さな城郭遺構が在ります?。・・・山頂部の祠まで参道が通じており、副郭から主郭へ入る平入り虎口状を見て祠造成時の削平によるものなら、細長く延びる尾根上の空堀道状はただの参道。 参道入口直ぐ上の虎口? 鳥居のある丘陵尾根筋南端から直ぐに現れる土塁虎口・細い空堀道と、此処に二段・続いて一段、段差のある曲輪状が植林・畑地・参詣道のよるものなら、主郭までの尾根上の曲輪t思える平坦地は削平甘く、自然地形... ...続きを見る |
2011/01/31 20:34 |
杉生城 猪名川町
篠山市から県道12号線で後川に越え、三田市や篭坊温泉への分岐を直進して猪名川町杉生(六瀬村)に下ってくる。多田源氏の祖は多田(源)満仲に始まり、多田庄に所領を持つ在地領主の多田院御家人の城のうち、六瀬に杉生城・若城・愛宕山城・木間生城等があり、此れ等のうち・いくつかを訪城したいと出かけてきた。 杉生城(北面堀切上部の帯曲輪と主郭切岸) 在地領主として・多田院御家人として、また多田院御家人の筆頭となった塩川氏に付いて、能勢氏とは積年の対立が続き、天正期には秀吉命の背いて本... ...続きを見る |
2011/01/30 21:03 |
"竜のうろこ"伝説 猪名川町
篠山市側から久しぶりに県道12号線を後川(しつかわ)に出て、「猪村」〜大野山登山口の西軽井沢を南下して猪名川町へ抜け、杉生城を訪城の際・取付き地点として景福寺に向かった。 「後川越え」は八上城主波多野氏が嘗て三田北部を統治していた事もあり、明智光秀が八上城を包囲した篭城戦には、三田側から援護の兵糧米を運び込んだルートで、首塚や種々の悲話が三田・篠山両市に残されます。三田市には永澤寺があり、花の寺として有名ですが、足利幕府管領:細川頼之が後円融天皇の勅願を受けて建立された寺であり、崇敬される開山... ...続きを見る |
2011/01/28 22:10 |
鳴尾山城 西脇市
西脇市の市街地からは西南に望む鳴尾山(なきやま)の独立丘陵の北端が、極端な急斜面を見せて野間川沿いに、加西市や多可郡八千代・中野間方面を結ぶ県道34号線に落ち込んでいます。送電線鉄塔を乗せる山稜尾根部に台形地形をみせる尾根端の山頂部に鳴尾山城が在りました。 ...続きを見る |
2011/01/23 18:24 |
ガンジョウジ城 丹波市
城山トンネルを東へ抜け出た正面に仰ぐ向山連山は、ヒカゲツツジや山裾に日本一低い分水界のあるところとして知られます。北方の霧山(西波多野氏の氷上城?)から天王坂・権現山(赤井直正初陣の野山城)を経て、延び出す尾根の南端に此の城山が位置して、氷上郡(丹波市)を東西に分け・氷上盆地を南へ高谷j川が加古川へ、東側には向山連山の山塊を挟んだ僅か500m程の狭間に、由良川源流の黒井川が流れ出る分水界を成しています。 ...続きを見る |
2011/01/13 19:22 |
川阪砦 篠山市
草山地区本郷に細見氏の将監屋敷・本郷城(草山城)を訪ね‥次いで多紀アルプスの中でも最人気の小金ケ岳から東へ続く縦走尾根の694mピーク付近から北へ延び出す尾根上に位置する川阪砦に向かった。・・・人気の山とはいえ小金ケ岳から篠見四十八滝への主尾根筋さえ未だ薮っぽく、枝尾根ルートへ踏み込むには読図が必要。 ...続きを見る |
2011/01/06 00:16 |
ゴリョン<御領> 篠山市
県道 97号線が京都府三和町へ県道 301号線が多紀アルプス御嶽・小金ヶ岳を分ける”大タワ”を越えて篠山市街地へ、県道300号線が県道301号線を分けて藤坂峠を越えてR173号へ抜け、京都府瑞穂町や京都府丹波町へ通じる県道703号線が交差する。これ等間道の連絡口の本郷集落には細見氏の草山砦(本郷城)が在り、交通の要衝監視に当たっていたと思えます。しかし本郷集落から更に東奥地へと、友淵川源流に向かって入っていく川阪集落にも川阪砦が在りました。 川阪の道祖神(自然石) ...続きを見る |
2011/01/05 00:04 |
草山城(本郷城) 篠山市
本郷城(草山城・草山砦)は細見将監城ともよばれ、シャクナゲ寺・身代わり観音でも知られる松隣寺背後の殿山321m山頂部に在りました。寛永10年(1633)篠山青山藩士の細見(勘兵衛!)将鑑宗高により、天台宗の寺を現在地に移し、草山城(本郷城)主細見左近将鑑信光の院号「松隣院殿」から付けられたといわれ細見氏一族の菩提寺です。 ...続きを見る |
2011/01/04 00:02 |
細見将監屋敷 篠山市
篠山市の最北端に位置して、草山温泉を過ぎると北へ97号線は京都府三和町(現福知山市)へ、711号線は船井郡京丹波町に入る府県境界。先に紹介した垣屋城を左手に見ながら進むR97号線が二つの谷中分水界となる丹波市春日町側の栗柄峠分岐を過ぎ、鼓峠を越えて西紀町本郷へ下りてくる。 将監屋敷東北端 此の栗柄峠から鼓峠こそ丹波の赤鬼の異名で恐れられた黒井城(現:丹波市)赤井直正を攻めた明智光秀が、天正4年(1576)、勝利目前の明智方にいた八上城(現:篠山市)波多野秀治が、偽りの同盟を破棄し、黒井城... ...続きを見る |
2011/01/03 00:04 |
西倉城(仮称) 丹波市
新年あけまして おめでとうございます |
2011/01/02 04:43 |
垣屋城(西ケ谷城) 篠山市
城郭資料やWEb上の城砦所在のリストに載せてある垣屋城は一帯の丘陵南東端の高坂川が宮田川に合流し、此れ等を濠とする小山上に一枝城が示されている様ですが、丘陵西に突出すもう一本の尾根上にも城遺構が遺り、地元のバス停のある絵図案内には西ケ谷・垣屋城。 ...続きを見る |
2010/12/31 08:37 |
垣屋城(一枝城) 篠山市
R176の長安寺交差点から内場山城を左に見て、宮田の篠山市西紀支所で県道97号(丹南三和線)を北上。西谷城下を通り、板井城を舞鶴自動車道側に見て、宮田川沿いの盆地を遡り垣屋集落を目指す。丹波市側からは鋸歯のような小さな峰を連ねる西多紀アルプスの鋸山の峰々を背に、宮田川に延び出した先端に小山を載せた低丘陵部に一枝城が在りました。 ...続きを見る |
2010/12/30 00:20 |
野間城 豊能郡能勢町
能勢三惣領の一「野間氏発祥の地」顕彰碑の建つ野間屋敷からま南へ、野間川に架かる農作業用の橋を渡る。山麓に向うには少し西に下った工場倉庫?脇から南へ。土塁囲いの様な貯水池沿いからの山道を、墓地跡を抜けて進むが、このあたり左手一帯の平坦地が武家屋敷跡?。野間氏居館は此の一帯の最奥部とは思えるが、山への入口直ぐに見かける空堀・土塁・泉池庭跡?を一先ず居館跡(鬱蒼とした雑木薮への侵入では、遺構探しも徒労に終わるかも?)として、山道を進む。 野間城主郭:土塁上の櫓台に祀られる稲生稲荷社 ...続きを見る |
2010/12/28 10:47 |
野間氏居館 能勢町
野間屋敷から南に進む細い地区内の車道は野間川に行き当たる。西に下れば野間家菩提所?の圓珠寺前を過ぎてR477号に出る。野間川と大原川が近接し・少し下流で合流し知明湖(一庫ダム)に流れ出る。野間屋敷の南に聳える高岳山(点名:野間)のちゅうふく部:山頂から北へ延びる尾根先の城山の野間城が在り、山裾が麓の田圃と接する付近の林の中に野間氏居館が在りました。 土塁と空堀の北西角は石積みを覗かせる土塁虎口? ...続きを見る |
2010/12/27 00:11 |
片山城 大阪府能勢町
上杉城に行く際に立ち寄ったR173号線・道の駅”栗の郷能勢”の東側に、上杉城と対峙するかに様な位置に片山城が在りました。 ...続きを見る |
2010/12/21 00:06 |
上杉城 大阪府能勢町
もう七年程昔・・のこと。此の上杉城へ行くつもりで兵庫県側の猪名川町から阿古谷峠を越えて上杉区に入った。山城もリスト一覧を参照しての住所だけ、登山も山城も地図無しでの無鉄砲さで、上杉から向かう山容から、点名:上杉(4等三角点)が城山・・・!と勝手に決めての訪城に、やはり場違いで行き着けず |
2010/12/20 00:17 |
淀山城 篠山市
京都から亀岡を経て篠山市へ”デカンショ街道(R372号線)”が通じます。延喜式の山陰街道は京街道・丹波街道として交通・文化の基幹で、京都・丹波・播磨や但馬方面への要衝です。西国街道の摂津池田・茨木や、川西方面からは妙見街道・能勢街道(R173号線)が天王坂を越えて篠山から綾部・福知山方面へ向かいます。 主郭北の大堀切東下方に横堀・竪堀がL字状に繋がる遺構があるが在地領主による縄張りなのか? ...続きを見る |
2010/12/19 00:02 |
錦繍の有馬富士 三田市
三田市のランドマーク・有馬富士と福島大池(鴨池)を一望する「県立有馬富士公園」の自然学習センター(センターは市立だったか?)の展望台に立つと、深まる秋とともに錦繍に衣替えする |
2010/12/14 07:17 |
北谷城 綾部市
綾部工業団地周辺の城巡りでは、壊滅どころか見る影無しに消滅していた西八田城・中世の城主名も残る?中山城も、数段の段差を伴い・広大な平坦地形が神社境内として存在している様ですが、山頂部の主郭に曲輪切岸を見るだけで、消化不良のまま向かったのが工業団地の中央部。 祠背後の大土塁と空堀・手前は土橋 ...続きを見る |
2010/10/30 22:09 |
石原城 綾部市
福知山市の綾部市境に牡丹寺として知られる洞玄寺が在り、其の敷地には折れを伴う空堀を廻わし、大土塁で囲われた大槻安藝守の石原(いさ)城が在る【洞玄は安芸国(広島)から来住した古城主の法名】此の石原(いさ)城の北方、由良川を挟んで対岸の丘陵南端に私市丸山古墳が見える。其の真東・直線上約1kmの綾部市側にも石原(いしはら)城がある。 主郭北面の大土塁(向いのコーナー部は櫓台!!?か) 先に紹介の小貝城は主郭の三方(北面は未確認だが? 地形から・そう思える!!)に深い空堀を廻すが土塁は見... ...続きを見る |
2010/10/21 20:21 |
小貝城 綾部市
舞鶴若狭自動車道トンネル上に遺構保存された私市丸山古墳からは、綾部市街から福知山市にかけて由良川流域の眺望が良い。東方に走る府道74号線側に・その先端を落とす半独立低丘陵が、小貝(おがい)地区を挟んで真向いに横たわる。 小貝城:二ノ丸と主郭間の空堀(薮に覆われ草を刈らないと堀切とも思えないほど) この丘陵頂部へは丸山古墳公園からや小貝の八坂神社、尾根先東北山麓部からは石原遊歩道入口があり、此処からは林道経由で・途中には遊歩道専用駐車場まで整備された”綾部市創造の森”コースがありま... ...続きを見る |
2010/10/19 22:52 |
四文字山城 綾部市
京都府下でも最大級の円墳私市丸山古墳の真下に私市トンネルがあり、高速道の舞鶴若狭自動車道が抜けていきます。丸山古墳から高速道に沿う様に北へ延びていく尾根筋の先に標高171m三角点マークの無名峰がある。 丸山古墳から四文字山を望む 此の山頂に主郭を置く・四文字山城が在りました。所在地に私市町東四文字山・西四文字山とあり、丸山古墳から観て最初の峰が東四文字・三角点峰が西四文字なのでしょう。更に高所が福知山市と綾部市に境しており、此処まで城遺構を確認しに行けなかった。尾根上に長々と... ...続きを見る |
2010/10/18 07:40 |
峰山高原 神河町
先にススキの名所として砥峰高原を紹介した播磨神崎郡神河町の大河内高原に峰山高原はあり、高原と森林浴(使い古された過去の用語かナ?)・テニスコート・球技グラウンドやキャンプ場等施設と、以前には簡保の宿が在り、薬石効果を謳ったトロン温泉が有り、日帰り温泉として利用したこともあったが閉鎖していたが、跡地には峰山高原ホテル・リラクシアが建ち、少し垢抜けて一帯のリゾート施設も復興していた。 峰山高原:リラクシアの森(映画”ノルウエーの森”撮影地) ...続きを見る |
2010/10/14 20:10 |
砥峰高原 神河町
アウトドアには最高の季節だが、松茸シーズンに入り・止山(松茸山)への入山立入禁止で登山や山城訪門出来ない山が多く、知らず入ってのトラブルを避けるためにも、解禁の11月まで行動自粛の範囲が増えて憂鬱な季節でもあるが、今日朝(AM8〜9時頃)の大河内高原の砥峰高原ライブカメラでは雨模様だったが、天気予報を信じ・頼りとして |
2010/09/26 19:14 |
貝野城 播磨:多可郡
妙見富士とも多可富士とも呼ばれる妙見山(2等 693m)は近畿・関西100山からは当外ですが、ふるさと兵庫50山からも選外の不遇な山です。そのほうが良かったと・・静かな山歩き・歴史散策が楽しめます。登山口近くには北播磨余暇公園・登山口には東山古墳群・周辺一帯には鉱山跡の坑口や精錬跡、伝説には「あまんじゃこの忘れ石」、山頂からの展望も良好、山頂からの尾根続には城山(貝野城)・妙見砦・向山へ進路を変えれば段の城の高城・築ヶ鼻城と・此れを詰め城とした段垣内構居があり、遺構も良好に残る為キャスリングを兼... ...続きを見る |
2010/09/24 19:15 |
荒田神社 多可郡
播磨赤松氏家一族の在田(有田)氏は赤松範資の子:朝範が滝野・光明寺合戦に、戦功があって足利尊氏から東播磨地方を領有、多可郡在田荘に移り有田(在田)姓を名乗ります。在田氏は貝野城・段ノ城の他、弟が分家して野間城【多可郡八千代区 野間山城や光竜寺山城等)】を築いていますが、天正3年荒田城合戦に同族赤松家の別所重棟等の連合軍の夜襲による奇襲うぃ受け、二日余りの戦いに在田氏の城は次々落城します。貝野城と段ノ城中ほどの山麓:安楽田に在田氏居館の段垣内構居(荒田構居)が在って、居館や瑞光寺が焼討ちされます。... ...続きを見る |
2010/09/23 00:41 |
東山古墳群 多可郡
丹波市から小野尻峠を、西脇市の北方の多可郡那珂(中)区へ降って来ると、北播磨余暇公園のバックには・多可富士・妙見富士【ふるさと富士】とも呼ばれる妙見山の姿が望まれます。妙見山のスカイライン(稜線)を南へ追っていくと、つい2〜3年前くらいだろうか?、山頂部が伐採された山城が・その名:貝野城の本丸の姿を見せており、猛暑日が続きアウトドアには出足を砕かれ・二の足を踏む・・・。やっと落ち着いてきたので・曇り空を幸いに気になる城へ再訪した。 東山古墳群からに城山(貝野城)・右手に妙見山 ... ...続きを見る |
2010/09/22 20:30 |
本福寺谷城 綾部市
綾部市松ヶ崎の本福寺から、福知山市観音寺との市境尾根を高嶽416mに向う登山コースがある。福知山市側に観音寺城(将監城)の山城からも登山コースではないが、尾根沿いに山道が通じている様で、市境尾根の275m峰に合流します。本福寺谷城は275m峰から北東方へ複雑に延び出す枝尾根のCa200m付近の緩斜面から東へ向う約100m程の枝尾根上に城遺構を残しています。 本福寺谷城:主曲輪からの段曲輪 ...続きを見る |
2010/09/16 21:52 |
段山別城 綾部市
元は天田郡だった旧福知山市・その福知山市を挟んで、西に夜久野町と東の三和町が天田郡。その二つの天田郡と加佐郡(東部は舞鶴市に合併)大江町が旧福知山市に統合合併してされて福知山市となっています。今回の山城山域も旧福知山市と綾部市の境界に在って、古くは何鹿(いかるが)郡【福知山市の東方の一部と綾部市全域】。 段山別城:主郭部南西端から尾根上に並ぶ曲輪群 観光案内的に現地へ行先案内・現地の遺構の現状だけなら悩むこともないのですが?、荘園や中世の国人領主・地頭等・・・・領地や勢力図等、中世... ...続きを見る |
2010/09/15 08:54 |
段山稲荷砦 綾部市
今年に入ってからも数回訪れた綾部市高津町。高津八幡山城は良く知られる綾部市を代表する!?山城ですが、城山の在る丘陵西山麓部の長谷林道を挟んで西側の標高80m程の丘陵部にも、当地国人:大槻氏が全盛の頃の城砦群の中でも、遺構の残存状況や特異性から見ても代表格と思える段山城・将監城が在りました。 ...続きを見る |
2010/09/13 23:48 |
山田城 福知山市
JR福知山駅を発した鉄路が、山陰本線を外れて、篠尾新町からR9号(山陰道)を越えて下篠尾へと鉄道の引込み線が延びているのが地図上では判るが、走行中の車や・列車からは、おそらく気付く人も少ないかも?・・西日本旅客福知山電車基地で、昭和55年(1981〜)頃から始まった建設工事に先立つ基地敷地内の予備調査では、標高80mにも満たない低丘陵の拡がる一帯に、多くの古墳と中世の城郭遺構4つが発見されたています。 ...続きを見る |
2010/08/26 22:47 |
西山城 福知山市
古文書や郷土史誌・地元に伝承も残らず、埋蔵文化財分布調査等による遺跡地図にも記載されていない山城遺構を発見し、其の遺構と・遺構保存状態の良さに驚かされることがある。一方では分布図・遺跡地図を頼りに訪城してみるが、辛うじて城砦遺構と思われる平坦地形を辛うじて見るだけ。曲輪の切岸はおろか、段差も低く、土塁や堀切や竪堀も埋もれてか、始から無いのか?、知識不足で判断・発見出来ないものも有る。 主郭部?の土塁(土壇)に囲まれた内部に二つの窪地が有る? ...続きを見る |
2010/08/22 23:39 |
天王山城 綾部市
綾部市志賀郷町・向田町に山城を訪ねたが、旧志賀郷の里に山城の存在は、地元の人々にも其の城史や伝承は殆ど残らず知られてない様ですが、”志賀郷の七不思議”については・夫々の奇瑞さえ失われたとしながらも、確りと七不思議伝承だけは知られ・知らされて現在にも息づいています。此の七不思議xxxを”村おこし”?的イベントとして志賀の「XX日市」が行われ、そのメイン会場が志賀郷町のJA支所。 天王山城:帯曲輪から主郭西の腰曲輪に入る上り土塁虎口!! ...続きを見る |
2010/08/01 22:44 |
狭間城 綾部市
明徳や応永の乱の戦功に拠るものか!!?・応永年間(1394-1428志賀左衛門頼宗が、何鹿郡の吾雀(あすすぎ)庄(志賀郷現:綾部市)を賜り入部していますが、志賀郷内の諸城や城史は不明です。既に物部庄の国人領主で、管領:細川氏の近臣にあった上原氏が近隣国にも覇勢を誇っており、武士(もののふ)とは物部氏の”もののべ”から転化したものと云われるほどに、豪勇を誇る家筋の上原(物部)氏は管領細川氏の家臣団の一人で、志賀郷の領主達も上原氏に下りて、自領安堵を得ていたものか?。 狭間城:主曲輪と... ...続きを見る |
2010/07/30 22:12 |
蓼原城 大江町
近畿地方も”梅雨明”の今日(17日)・・・丹波市のトップを切って、恒例の花火大会が実施されています。午後8;30〜9:10頃まで・・・ |
2010/07/17 21:34 |
河守城 大江町
福知山市街地から由良川沿いのR175号線を走って、全国的に知られる |
2010/07/14 20:29 |
上杉城(仮称)
城山(日室ヶ嶽)は元伊勢内宮(皇大神社)の御神体山であり、日本各所に30数箇所発見されているという日本のピラミッド?の一つともされる山でした。福知山市遺跡情報地図の大江町内宮地区には古墳が三箇所と縄文時代頃の分散地が一ヶ所記載されているだけで、神霊降臨の神話伝承地に・城砦遺構や古代山岳祭祀遺蹟等一切無い空白地帯。 宮川(岩戸渓谷入口)に架かる鬼嶽橋から望む面山:上杉城(仮称) ...続きを見る |
2010/07/10 20:14 |
日室ヶ嶽 大江町
久しぶり |
2010/07/08 07:54 |
片山砦 綾部市
日置谷城の城砦遺構残存状態の良さに加えて、近在の城跡に見ない特異な縄張りに圧倒されながら山城を下って来た。此処だけは丹波の中世土豪の城というより、光秀「丹波攻め」以降〜信長・秀吉に仕え、関ヶ原合戦後は家康に仕えて此の上林郷に陣屋を構えた藤懸氏による織豊系に改修された縄張りとも思われた。 片山砦:土塁虎口 ...続きを見る |
2010/07/03 10:20 |
日置谷城 綾部市
綾部市の府道1号線:上林川流域に沿って拡がる広大な田園風景は、口・中・奥の三地区に分かれ、綾部市の約三分の二を占め・近畿地方でも5番目!!と云われる田園地帯。上林荘の中央部・八津合町の古城山に在る上林城は、足利尊氏に従って武功の有った上林氏が室町幕府命で上林荘に地頭として入部し、天文年間の光明寺再建には在地の有力土豪として、その勢力を示している。其の頃:上林氏一族の一部?(大部分かも知れないが不詳?)は山城(京都)宇治に移って茶園を経営し ・豊臣秀吉からは宇治茶頭取として宇治茶の総支配を命じられ... ...続きを見る |
2010/07/02 22:13 |
弓削城 綾部市
先に比久尼城と姥ヶ城を訪ねて府道1号線(綾部小浜線)に戻ってくると、南側の正面にテレビ中継所施設の建つピークに4等三角点268m丘陵上に瀬尾谷城が在りました。長閑で広々とした田園風景が拡がる丘陵の北山裾を東西に上林川が流れ、東方に比高4〜50m程の独立する小山と並ぶ其の東側に比高6〜70m程の三角推状の綺麗な山容を見せる山が見える。その山稜に弓削城が在ります。 東郭部の幅広い横掘(箱堀)と切岸を立てる東曲輪 ...続きを見る |
2010/06/29 23:18 |
瀬尾谷城 綾部市
先に訪れた綾部市上林地区の五津合(いつあい)町の比久尼城・姥ヶ城とは、府道1号線と上林川を挟んで南側の丘陵に位置する八津合(やつあい)町の瀬尾谷城と弓削城に向かいます。二つに城は共に築城時期・城主等の城史は不明で、北に位置する比久尼城・姥ヶ城の丘城とは好対照・縄張り自体大きく異なる素朴な中世の山城。 瀬尾谷城主郭と南端の土塁残欠 ...続きを見る |
2010/06/28 22:17 |
姥ヶ城 綾部市
苔生す様子からも年中:湿地帯、場所により池か沼 天然の要害・沼田濠を挟んで南に居館:比久尼城と、北に其の詰め城とも考えられる姥ヶ城が、中上林地区の畑口川沿いに在りました。 姥ヶ城西面の空掘 ...続きを見る |
2010/06/27 23:34 |
比久尼城 綾部市
R173号線(綾部街道)の須知山トンネルを抜けて質山峠を降って綾部市に入ってくる。目の前の由良川の架かる新綾部大橋を渡るとR27号線に出て、和知・南丹市方面へ右折する。山家陣屋・山家城のある山家交差点で府道1号線に入ると、上林川に沿って走る道は以前:綾部温泉・二王の湯や、光明寺を経て君尾山・養老山・福井県境の三国山への登山口を目指した綾部小浜線。 幅広い空掘と土塁が城域を二分する ...続きを見る |
2010/06/26 20:57 |
荒河城 福知山市
JR山陰線と併走する北近畿タンゴ鉄道宮福線福知山駅の次停車駅が厚中問屋駅。ホームに覆い被さる程の迫る丘陵の崖上に保育園が建つ。私設公園跡地を抜ける車道は山上へ続き旅行社・ホテルが建ち、市街地からも目立つ独立丘陵ですが、桜時期を除いて・また安尾城(和久城)と知って訪れる人はまずいないかも?。鎌倉期の塩見氏の古城は、天文年間:村上某が拠っていたが、荒河伊達右衛門(左ヱ門?)に攻め落とされたと云う。 ...続きを見る |
2010/06/08 12:04 |
奥野部城 福知山
JR福知山駅の西方・大型店舗等が目立つ篠尾の市街地を抜けるR9号線は和久城が在った丘陵部の小峠を越えて一直線に北に向かい、和久川をわたる。和久川を渡った橋の北詰め西に家具ショップが有るが、その背後に覆い被さる程に迫る丘陵上に奥野部城が有りました。 ...続きを見る |
2010/06/05 21:06 |
奥野部段城
京都府福知山市:和久川沿いの北側に位置し、由良川との合流地点も近いR9号線(山陰街道)側には奥野部城(岩ヶ端城)が在りますが、その歴史も城主も不明?(福知山市史等には記載や・研究報告がされているのかも知れませんが!!)。 福知山市街地を抜けたR9号線は牧川沿いに夜久野町から朝来市へ向う山陰街道ですが、市街地境?となる和久川沿いに西へ走るR429号も佐治街道を丹波市青垣町へ、そのままR429号〜府道526号で「ゆずりトンネル」を抜けると下夜久野でR9号に合流します。先のブログで紹介の夜久野町の諸... ...続きを見る |
2010/06/03 22:29 |
関垣城 夜久野町
JR山陰線夜久野駅の諸城廻り、夜久野町T(千原)・夜久野町U(大油子)・夜久野町V(下夜久野駅周辺)・夜久野町W(下夜久野〜中夜久野)をUPしてきた。未だ日置の山城や末城等、幾つかの山城が未訪ですが、後日の楽しみに、一応5月上旬までの訪問済み山城のレポートを終えた。はやく整理しておかないといけない・・・と思いながら、城史も不明・・?、”何か関連情報でも無いものか?・・と思うが知り得る情報は其の目途も無いまま!!?、記憶も薄れていくだけ。私事のリスト整理上の都合ではあっても空白で放って置くわけにも... ...続きを見る |
2010/06/02 00:18 |
茶薄山城 綾部市
城跡に茶臼山の名を聞く事は多いが、此処は茶薄山城・・!! 山の名についての情報は知らない・・・。 土豪:大槻氏の甲ヶ岳城は福知山方面への進出拠点として、永録7年(1564)丹波守護代:内藤氏が改修して入った城で、天正3年(1575)内藤氏の本拠城:丹波八木城は明智光秀に攻められ落城・城主以下討死したが、一族の内藤正勝が再起を期して八田城 (高城城 綾部市七百石町)に向うが、途中将兵は散り散りになり、明智勢に追われ苦戦したが辛うじて鴻ヶ嶽城に辿り着くが、遂に此処に自刃し内藤氏は滅亡・鴻ヶ嶽城は築... ...続きを見る |
2010/05/25 21:33 |
高内城 夜久野町
福知山市街地を北上し、牧川を渡ると直ぐ大江町から宮津市、天橋立から丹後半島へと向うR175号・R176号線分岐点の牧。由良川河口へ約2km程の地点です。此れよりは牧川・JR山陰線に併走してR9号線を走りますが、此処のところ立て続けに訪れたJR下夜久野駅周辺の山城を思い起こしながら通り過ぎ、道路標識に日置(へき)の名を見る。此処に日置谷城が在るが狭い地区内に駐車スペースを見つける土地感無く、通り過ぎた先の「いねむりパーキング」に車を寄せたら、其処が関垣城への取付き点。日置谷城も遠くない距離なので此... ...続きを見る |
2010/05/24 20:12 |
日置谷城 夜久野
この地(夜久野郷)に武蔵国から来住した夜久氏が、どの城を本拠城としていたのか?。小規模な城ばかりで、支城と区別出来そうな規模や縄張りをもつ本拠城として際立った城砦が見当らない?。 南北朝以降:夜久郷(夜久野町)は 足利尊氏母堂を祀る安国寺(綾部市)領や建仁寺の寺領で、荘園領主等の領地を巡る争奪の記録も無さそう?。文明年間(1469-87)細川氏に付いて、西軍の山名氏方を勝竜寺城(京都府長岡京市)や倉橋(椋橋)城(豊中市)・中嶋城(大阪市淀川区)等に攻撃した丹波国人衆の中に、負傷しながらも活躍し... ...続きを見る |
2010/05/22 22:56 |
今安城 福知山市
福知山市の大文字山姫髪山を望みながら、福知山市街地から由良川支流の和久川沿いに走るR429号線の北側に元郷社延喜式内社天照玉命(あまてるたまのみこと)神社の杜が見える。神社の杜の北を流れる和久川を渡る地区道の正面が今井集落の中央に通じ、背後に迫る低丘陵が集落を挟むように東西から南に尾根を延ばす。 遺跡地図に載せて有る今安城の西丘陵尾根(府道109号から) ...続きを見る |
2010/05/21 07:11 |
武神社〜山崎城
和久川沿い福知山市街地に向う途中、府道側に”額塚”の石碑を見て、有名な古墳か伝承地と思えたが未だ詳細は不明!!?ですが、和久川に丘陵末端を落とす山際に鳥居を見る。牛頭天王神社として勧請した天照玉命神社の末社:武神社で、明治政府による神仏習合・分離令の廃仏毀釈運動のなかで、武神社と社名が改称されたものですは、31歳で入封し20年間を過した福知山藩主松平忠房による創建。三段池公園の灌漑用貯水池工事の業績くらいしか知らないが、寛文9年(1669)2万石を加増され島原城へ国替以後は良く知られた藩主。 ... ...続きを見る |
2010/05/20 08:09 |
井田城 夜久野
府道526号「ゆずりトンネル」を抜けて夜久野町千原経由、 千原からは北へ約1km程でR9号線のJR山陰線下夜久野駅東の額田踏切りと交差点に出る。正面の丘陵部先端部が東北方:牧川沿いのR9号線と、牧川に流れ出る畑川沿いに北上する府道707号との分岐点へ落込む地点に賀茂神社があり其の裏山山上の166mピークには、山頂部の広い円形(約30u)の主郭を軸として、東南へ延び出す尾根筋に同心円状の段曲輪(各曲輪幅は約4〜5m程の小曲輪)を廻す井田城(谷城) が在りました。 ...続きを見る |
2010/05/16 19:02 |
荒神城 夜久野町
下夜久野駅前からJR山陰本線・R9号(山陰街道)を牧川沿いに葯500m程西走していくと、右手前方に東光寺の記念塔宝楼閣(八十八所霊場廻り完成の記念塔)が目に付くと、その麓で北に入る地区道沿いに額田川が牧川へ流れ出る地点。R9号と別れ額田川沿いには、左手(西)に東光寺〜鳴岩城が北正面には荒神城が在り、額田川を挟んで・大油子地区へ向う間道を挟んで呼応し、其の出入口を警備監視する位置に有る。 荒神城の土橋付き堀切 ...続きを見る |
2010/05/13 05:22 |
鳴岩城 夜久野町
京都府福知山市夜久野町の城砦は先に夜久野町Tで千原の山城を、夜久野町Uでは大油子地区の山城を紹介してきました。 額田川から東光寺:鳴岩城(月輪城の居館と山城)を望む ...続きを見る |
2010/05/12 13:17 |
菅谷城〜奥山城
福知山市夜久野町大油子地区内の、小範囲内に点在する小規模・単郭の山城を訪ねた最後に菅谷城から奥山城へ・・・福知山市遺跡地図に表示の有る城館遺構は全て廻った心算ですが、地方誌に云う大油子城と其の居館が在ったとされる、其の位置や城史の情報は殆ど不明。大油子城の固有名や其の所在は判らないが、大油子城の居館は熊野神社の斜向いに見える比高20m足らずの台形の丘陵上に存在する段城の事だとは推察できます。しかし大油子城とは段城の真北・直線距離では 約300m程の丘陵に在る熊野城の事か、それとも真東約400mの... ...続きを見る |
2010/05/07 11:43 |
段城 夜久野町
レポートが前後して先に訪城した鳴岩城は後になっていますが、此の地が旦(だん)で、月輪城と鳴岩城が有り、旦ノ上の居館が月輪城なのかも知れませんが、居館が在ったと思える広い平坦地形の位置には、八十八ヶ所霊場巡り石仏群の完成を祝した大きな記念塔が建てられているだけ。 ...続きを見る |
2010/05/03 22:24 |
熊野城 夜久野町
大油子地区の諸城では、主郭の尾根側背後に土塁を積み・堀切で遮断して防備する縄張りは変わらないが、先に訪城した西山城・秋葉城には然程?顕著では無かったが、主郭を土塁で囲む熊野城と菅谷城を見ると・・同じ規模の山城ながら、同じ領主一族による・同時代に築かれた城郭かどうかは疑問が残る。 ...続きを見る |
2010/05/02 00:56 |
秋葉城 夜久野町
福知山市夜久野町大油子を流れる牧川(由良川支流)と、地区内から流れ出る枝流沿いの、東西1.5km程の間には市の遺跡地図には、5つ程の城跡が記されています。いずれの城も築城時期や城主等の城史不明の小城ばかりですが、遺構の残存状態が良く植林帯の中・訪城時期も良くて雑木・藪に悩まされること無く観察出来た。 ...続きを見る |
2010/05/01 07:19 |
西山城 夜久野町
以前のブログに紹介した大油子玄武岩・奇怪な?石仏・清海寺の六地蔵石幢(せきどう)は、福知山市夜久野町”大油子地区内の城めぐり”に訪れた際、取付き点探しの途中で見た遺跡です。大油子へはR9(山陰道)高内から牧川とJR山陰線沿いに府道56号に入りますが、直進するR9号は緩い坂道を上り小倉地区に入ります。此処にはよく知られた玄武岩公園があり、 ご存知の方・訪れた方も多い筈・・・・!!? ...続きを見る |
2010/04/30 07:57 |
東シ千原城 夜久野
福知山市夜久野町千原には、「丹波史」に奥州(岩手県)衣川より来住した愛古城主(千原城・愛宕城!?)衣川下総守が居城して寛文5年(1665)12月に卒したとある。当地の村誌には此れは城ではないとも記されている愛古城(千原城)が、Web福知山市遺跡分布図の千原地区に扇山城と共に記されている千原城とは別の城遺構なのか?はともかく、千原城とは深山川を挟んで直近(約250m)に位置して東シ千原城(仮称) の城砦遺構が有るが、地史誌は無論・Web福知山市遺跡分布図にも城郭遺構に記載を見ない。 ... ...続きを見る |
2010/04/26 09:32 |
扇山城 夜久野町
千原城からは公民館前に戻り、府道526号を東に渡り直進すると、千原川に架かる門田橋を渡ったT字辻に着く。右手直ぐにDoCoMoの夜久野千原無線中継施設の無線塔が建ち、此処から山に入る踏み跡が続く。 主郭側から見る南尾根の土塁堀切 ...続きを見る |
2010/04/23 23:09 |
高倉山城 作用町
兵庫県の西端中央付近・岡山県に境して、播磨・美作・備前の三国の接点は、鳥取・津山・赤穂を結ぶ要衝の地。因縁の播磨の赤松氏VS但馬の山名氏や、出雲の尼子氏VS中国の毛利氏が、更には織田信長の中国攻めの先陣として、秀吉軍が赤松氏の拠る上月城を攻略し、上月城に入った尼子氏を毛利氏が大軍で包囲、尼子氏救援に向った秀吉軍は、大軍を前に手が出せず、信長命により攻略中の三木城攻めに専念する為引き返す。 見捨てられ無援の中で、孤軍奮戦も束の間、尼子家の再興を賭けての悲願は叶わぬままに尼子氏は滅亡・忠臣:... ...続きを見る |
2010/04/15 23:17 |
仁位⇔高倉間の曲輪遺構
岡山県の境する兵庫県西部の辺境の地。獲るに足らない小さな上月(こうづき)城の攻防に、赤松氏・上月氏・尼子氏が滅亡。戦国期に城主も赤松氏や上月氏・嘉吉の乱の盛衰に、山名氏に奪われ、赤松家再興されると上月氏、再び侵攻してきた山名氏や、出雲の尼子氏の侵攻・争奪が繰り返されて、都度に城主も頻繁に交替しています。 播磨・美作・備前三国の境に位置して播磨(姫路市・赤穂市)や岡山(津山市)・山陰(鳥取市)を結ぶ要衝の地にあって、中国の毛利氏・但馬の山名氏・織田方に付いて悲願の”お家再興”を願... ...続きを見る |
2010/04/13 19:29 |
仁位山城 作用町
織田信長は天正5年(1577)羽柴秀吉に中国攻めの初戦として、先に紹介した上月(こうづき)城主:毛利方・赤松政範の攻略を命じ、作用川を挟んで上月城と対峙する仁位山に、上月城包囲の付城を築き、安藤信濃守を入れて布陣し、秀吉は尾根続きの高倉城(城主:赤松義則)を攻め取って、此処を本陣としています。 ...続きを見る |
2010/04/12 21:09 |
上月城 作用町
上月城には二つの上月城が在り鎌倉時代:播磨を支配していた赤松一族の徳平則景の弟・頼景が上月氏を名乗って正治年間(1199-1201)に大平山に太平山上月城を築いたのが始まりと伝えられます。其の後:建武の乱に武功のあった上月次郎景盛が、延元元年(1336)大平山から荒神山の出城に城を移したのが荒神山上月城で、現在(一般に)は荒神山上月城を上月城として呼ばれており、上月古城は太平山城と呼ばれるようで、歴史資料館のパンフにも上月合戦と尼子氏の忠臣:山中鹿之介終焉の地として 荒神山上月城だけが脚光を浴び... ...続きを見る |
2010/04/05 22:56 |
古路谷城(仮) 綾部市
以前より観音寺城から高嶽と、高津城から甲ヶ岳への縦走を考えていたが、今回T氏より後者の実践にお誘いを受けた。高津町へは2ヶ月前に高岳城(綾部三大城の一ではなく、福知山市六人部境界)に、段山城と将監城を併せて訪城したばかり。計画は高津城からではなく、長谷林道を荒倉谷沿いに入り、将監城を目前の不動谷出合から長谷林道を3〜40m進んだ付近に在ったらしい?xx廃寺跡から辿り、高津城からの主尾根を甲ヶ岳に向います。 古路谷城(仮称)の尾根東上の堀切 ...続きを見る |
2010/03/26 08:07 |
野山砦 綾部市
綾部市高津町から甲ヶ岳を経て上延町・安場町へのトレースには、もう一ヶ所・確認する地点がありました。山城専門ブロガーからT氏の友人M氏が入手された情報によると、甲ヶ岳から茶薄山城へ向う途中に畦状竪堀が有るという!!。 野山砦の東曲輪から:低い段差で主曲輪を周る帯曲輪? ...続きを見る |
2010/03/25 09:40 |
諏訪城 綾部市
今年初頭・綾部市南西部の高津町に段山城・将監城・高岳城に訪れたが、日を置かず両城を調査されたT氏・M氏からは、夫々の城に隣接して、関連城郭か・別城か・・・市の遺跡地図やその他情報にも無い?城遺構が発見されています。 ...続きを見る |
2010/03/24 23:55 |
金水寺城 丹波市柏原
丹波市山南町側から奥野々峠(県道86号)を柏原町側へ越えてR176に合流する下小倉地区に下ってくる。武蔵7党に属した豪族・久下氏は源頼朝の挙兵に”一番”に駆けつけた事で名を挙げ、承久3年(1221)丹波栗作郷(丹波市山南町上久下・久下地区)の地頭として来住し、足利尊氏:篠村八幡宮の旗揚げに「一番」を旗印に一番に駆けつけたことは良く知られます。 ...続きを見る |
2010/03/18 19:56 |
岩の崖 西脇市
なんとも 素っ気無いネーミングだが 「加古川水の新百景の一」が旧加古川の南約2.5km地点・田高(たこお)にあった。丹波・播磨境界尾根上の主峰:石金山から東へ伸びる尾根の末端ピーク:至山に裾をR175が走るが、この麓で、旧佐治川と篠山川が合流して旧加古川となって、播磨灘へ流れ出ます。日本一低い谷中分水界「水分れ」から佐治川・加古川へ・・・高低差は低いが周囲の山々水を集める一級河川は、同様に日本海へ流れ出る由良川も・その氾濫による被害・水との戦いの古い歴史が語られます。 ...続きを見る |
2010/03/15 08:08 |
啓蟄を過ぎた今からが本番!!?
四季折々に山を歩いていると 小さな植物や動物・余り歓迎出来ない昆虫類・・・いろいろなものを見かけますネ。 素敵な画像ではなくてゴメンなさい・・・ |
2010/03/14 18:03 |
西畑城館!? 西脇市
西脇市の黒田庄町から石原坂(トンネル)を抜けて多可郡中町に向う車道の左手、石原地区の中央部に小丘陵があり、頂部に建つ薬師堂が城郭に見える。この丘の南側集落内に石原城(推定)が在りましたが、宅地と畑の中に、城址の遺構もなく面影も有りませんが、黒田官兵衛出生地の説が有る同じ黒田庄町の黒田城を攻め落とした石原城主の城。 西畑遺跡(居館と詰め城セットの石原氏の城館跡か!!?) ...続きを見る |
2010/03/13 22:49 |
雪中花?
奈良・二月堂の「お水とり」も終った事だし・・・殆ど有効利用する機会も無かったスタッドレス・タイヤをノーマルに替えようかと思っていた。長雨や なんやかや・・と出掛けることも余り無かったが、野にも山にも・・春は確実に「其処にやってきていました」 ...続きを見る |
2010/03/12 09:09 |
毘沙門砦 丹波市
高見城から北東へ延びる尾根先端付近に東鴨野城が有り、新井小学校の背山になる。小学校前の交差点を真北に進むと北山交差点。コミュニテイセンタがありその先の地区道を入ると丹波佐吉(照信)の手になる狛犬(キツネ像)が護る稲荷社が有る。 ...続きを見る |
2010/02/28 09:35 |
泉山城 丹波市
高見城から北末端の穂壷城に至る丘陵上に点在する高見城砦群のなかで、穂壷城・妙見砦・泉山城(砦)・谷屋砦(鴨野城)は「丹波志」等に城砦名だけは出てくる。其の中でも泉山城だけは、南北朝期初期の建武年間(1334〜38)高見城(佐野城)は丹波守護・仁木頼章の城として頼章の家臣が拠り、泉山城(泉山砦)には頼章の弟・仁木四郎源(和泉守)義長が一時期在城していたとも 伝えられます。 ...続きを見る |
2010/02/27 08:34 |
鴨野城 丹波市
高見城から北へ延び出す丘陵尾根が、萱刈坂で途切れ、標高208mを最高ピークとして比高30〜100m程の超低丘陵が・さらに北へ約2km程続いて、尾根西面には加古川沿いに播磨を結ぶ氷上町、東面は柏原町を分ける町界分岐尾根で、其の先端をR175号線に落とす位置に穂壷城が在る。佐治川(現:加古川)と柏原川・高谷川が合流する地点でも有り、川を自然の濠とする丘城として丹波市では、高見城とともによく知られた城です。 鴨野城:腰曲輪から帯曲輪北端の切岸と其の上に主郭東の二ノ曲輪 ...続きを見る |
2010/02/24 22:50 |
蟲生城 西脇市
加古川の左岸・丹波市と西脇市の間に旧多可郡黒田庄町(現:西脇市に編入)がある。北方から南西へ延び出す丘陵部が加古川に最も迫り出してくる上比延地区を抜けると、「日本のへそ公園」がある東経135度線・北緯35度線が交差する「経緯度交差点」。うっかり通り過ぎてしまうほど狭い地区道を直ぐ東山裾にある福地地区へ向うと、細い集落を抜けて御霊神社前に出る。始めてだと地図の読図に長けるか・GPSに頼らなければ、屈曲した変則交差点や、何年も前から通れるのに通れない?広い直線道路沿いに、此処までなかなか行き着けない... ...続きを見る |
2010/02/09 15:21 |
蟲生城館と新城館
黒田庄町の三角点山(点名:上比延)は、登山ガイドブックに載っている福谷公園が起点の様ですが、福地地区の御霊神社前からもコースが整備されています。此の神社側近くに蟲生新城館が在り、西の集落上部には蟲生城館が、そして其処から登り始める丘陵上の西山上に稲荷神社が祀られる西郭から東の尾根端ピークに主郭を置く蟲生城(福地城)が在りました。 蟲生城館の空掘(右:疎水溝?)と手前左には土塁沿いに深い空掘?が延びる ...続きを見る |
2010/02/08 14:39 |
西河原城 丹波市
日本一低い中央分水界として知られる丹波市氷上町の水分れ公園を起点に、扇状に嶺を連ねる向山連山は、マイカー登山では起点から起点に戻ってこれる理想的に縦走出来き、展望が効き・なによりも春のヒカゲツツジの群生に、阪神間の登山者には人気の山の様です。 今朝の雪の山城(石生西河原城)に立つ:主郭?の分水界展望所と土塁の残欠 ...続きを見る |
2010/02/06 20:45 |
四ノ山砦 丹波市
日本一低い谷中分水界の有る「水分れ公園」を起点に向山連山を目指す登山者は、ゴールデンウイークを前に急増します。登山コース途中・各所に有る岩の展望台からの眺望も楽しみの一つですが、此の時期のお目当ては、 尾根上に見るヒカゲツツジの群生。ゴールデンウイークを過ぎてから見頃となる石楠花と同種のヒカゲツツジが。淡い黄緑色の花を咲かせ、コバノミツバツツジの淡いピンクの花と相俟って、厳しい登行の疲れを癒してくれます。 ...続きを見る |
2010/02/05 21:40 |
高岳城 綾部・福知山
昔(7〜8年前)福知山市の六人部(むとべ)から天尖(あまんづく 320m)と、多保市(とおのいち)から高嶽〜時ノ子谷上〜平石へ歩いた事があった。山城なんか殆ど意識も無く、余り登山レポートも見かけない丹波の里山めぐりに精出していたが、其の2ヵ月後・今度は綾部市側の高津から高嶽を目指したとき、目前の低丘陵に高津城(八幡山城)があり、集落入口の府道には縄張り図付きの絵看板が立てられており、少し興味を持ち其の後:訪れたが、未だこのときには高嶽に向う林道沿いに段山城や将監城の遺構が、真近に眠っていた等想像... ...続きを見る |
2010/02/02 22:27 |
高嶽 綾部・福知山市
綾部市高津町に四山城を訪ねてみる。名の知られる高津八幡城は既に3〜4回は訪れてているが、其の西麓に段山城と将監城があり、此処は既に当ブログに照会しましたが、最後に向う高岳城は、過去に二度山頂を踏んだが山城であった事を知らず、また城遺構にも気付かず今回の再々訪となった。 ...続きを見る |
2010/02/01 23:52 |
将監城 綾部市
綾部市高津町の諸城では、先に寄った段山城の真南に将監城が在った。綾部市側の高津町は上高津・福知山市側の下高津には、アジサイ寺でよく知られる観音寺があり、其の背山には観音寺城が在って別名を将監城。 将監城:畦状竪堀 しかも尾根続きを辿れば市境界尾根に出て高嶽に繋ぐ。その市境界尾根を東に下る尾根先には、此の将監城にも繋がります。先日・将監城を訪城されたT氏とM氏によって、この市境界尾根付近にも、城砦遺構を発見されています。技巧の極みを感じさせる将監城の遺構に比して、境目の城は... ...続きを見る |
2010/01/30 22:14 |
段山城 綾部市
福知山市と境して僅かに綾部市側に入ったところ・高津町に四つの中世城郭が在りますが、よく知られるのが高津城(高津八幡城)で、も一つは高嶽山頂に在ったとされる高岳城です。あと二つの城が地区内の目前に在ったが、市の遺跡分布図を見て始めて知った。殆ど知られることの無かった城の様ですが、なぜこれ程までに遺構の残存状態の良い城が、集落近くに有りながら市史・資料に情報が無かったのかと不思議・残念な気持ちです。・・・が為に現状態で維持されてきたのかと・・複雑な気持ちです。その二つの城が段山城と将監城。 ... ...続きを見る |
2010/01/29 22:09 |
ヌクモ城 福知山市
R9号線長田野工業団地から舞鶴自動車道の高架を抜け、府道8号線石原駅に下りてくる一つ手前:左手に府立工業高等学校と洞玄寺が並んで建つ台地がある。牡丹寺として知られる此の洞源寺境内が石原城(洞玄寺城)で、土塁と堀切を廻らせた居館の遺構が残り、近年・市史蹟に指定された大槻安芸守政治の隠居城と築城されたこと等は、先に訪城レポート済みです。 ...続きを見る |
2010/01/27 00:07 |
円通寺砦 丹波市
藪・下草で遺構確認も難しい山城の探索は、冬枯れの今こそベスト・シーズンです。積雪がなければ・・・!!ですが。 兵庫丹波の紅葉三山として知られている円通寺の西の山上、4等三角点峰から南東へ延び出す丘陵が民家背後に迫る其の先端のピークは、愛宕社か稲荷社が祀られていた様で、一基の石燈篭と、祠跡には礎壇石材が積上げ集められている東西15mX南北20m程の平坦な場所がある。 比高20m足らずに低丘陵へは嘗ての参道が通じていますが、途中・何段かの小さな削平段があり、山上の祠跡の背後:尾根続きは2m程の切... ...続きを見る |
2010/01/26 00:11 |
上野城・上野砦 京丹波町
美女山という山名に魅せられ登ってみようと思いながら、藪と棘の山のイメージが強くて、今となっては・わざわざ登るほども無いと 周辺の琴滝や明智光秀により石積の城として改修され織豊系縄張りで知られる須知城や、空掘・大土塁囲いの此れも織豊系縄張りの居館というより 当初は居館を複数連ねていたと云う、見所と訪城して遜色のない館城の上野城・・・を廻ったことがあった。 ...続きを見る |
2010/01/07 07:56 |
垣内城 京丹波町
先のブログで紹介済の橋爪城とはR9号線沿いの西・僅か1km程を隔てて垣内城が在りました。橋爪城は丹波大内氏が山内荘を領して拠った本拠城と思われます。山内一豊の祖父久豊が天田郡(福知山市)境に三ノ宮城を築き、此処に生まれたのが父盛豊・・・父子共に主君で愛知:岩倉城主の織田氏に仕えて丹波を遠く離れ、山内一豊も父・祖父についても一宮市の岩倉城からが話の始まりの様ですね 。 ...続きを見る |
2010/01/04 00:05 |
干支の山城 竹田城(虎臥城)
新年 あけまして おめでとうございます |
2010/01/02 08:36 |
光秀「丹波攻略」伝承の兜山
兜・甲・冑・鎧・・・・武具の名称が付いた山名は、山城としても関連が有りそうで・気になるところです。まして名の有る名将・武将に因む伝承が残ればなおの事・・・・・もう10数年以前・瑞穂町の観光パンフレットに兜山(429m)について、山頂には明智光秀が”丹波攻略”の際、此処で兜を置いて策を練った伝えられる石があると云う・・・・そんな記事があったと記憶している!!?。播磨高御位山を縦走した際に有った”太閤岩” が天正期に秀吉が志方の城山(中道子山城)攻めに、此の岩に腰掛て采配を振るったと伝えられ山崎・天... ...続きを見る |
2009/12/26 08:05 |
京都:嵐山城と蔵王神社城
嵯峨野・嵐山レポートの閉めは目的の嵐山城ですが、地方領主の山城とは異なり、天皇御在所・足利の室町幕府が開かれ管領・各国の守護が詰める京の都です。足利将軍の中枢に此の領地の支配権を持つ領主がいるはずも無く?、築城に許可を与えたのは足利将軍なのか?・・・・築城目的は?・・・要衝監視?。 ...続きを見る |
2009/10/30 20:55 |
京都:松尾山〜嵐山(嵐山城)
渡月橋を渡る人々は一様に 色付き始めた紅葉が姿を映す大堰川に目を移し 映像等で知り得た名勝:嵐山に来たんだとの実感を肌身に感じておられるのでしょう。しかしホントの嵐山が其の山襞を上方に追って見上げる尾根上に有ることを御存知の方は少ないかも・・・・ ...続きを見る |
2009/10/29 08:30 |
建部山城砦群:福井城 舞鶴
一色氏の本拠城:建部山城の数ある城砦群の中で、建部山山塊に点在する城の城主名が古文書・地方誌史により判るものに、北方由良川の「渡し場」と宮津街道監視と「搦め手」を護る中山城の沼田幸兵衛と、南方の大手道とは少し離れるが、搦め手の中山城に通じる蔵王峠越えの裏街道と、西舞鶴から念仏峠を越えて由良川へ・由良川沿いには旧加佐郡大江町(河守)からは普光峠を宮津へ、福知山へ、由良川沿いに河口の由良港へと、宮津街道の要衝監視には、福井北城を呼応しながら・其の任に就いていた福井城の福井藤兵衛が伝承等にみえる程度?... ...続きを見る |
2009/09/25 22:14 |
建部山城と西砦・東砦 舞鶴
「道の駅・舞鶴港とれとれセンター」に広い駐車場に立つと、建部山が舞鶴富士・丹後富士・田辺富士とも呼ばれる、典型的富士型の姿をのぞかせています。出来れば市場内の店頭の新鮮魚介類をその場で・刺身・焼き・・で味わい舌鼓みを討ちたいところですが、目的は別・・ |
2009/09/23 22:57 |
舞鶴富士:建部山
典型的な富士型の山に限らず、其の地のシンボリックな山を親しみを込めて「○○富士」と呼ばれるふるさと富士は各所に見たり聞いたり・・今回訪れた京都府舞鶴市にも、蒼い海に蔭を落とす建部山が、名実共に此の富士の山。 舞鶴湾を全景にして撮りたかったが・・・ |
2009/09/21 20:04 |
丹後七姫伝説(安寿姫) T:山椒太夫
全国に点在するご当地富士・ふるさと富士は多く、夫々に趣をもって地元の人々にも親しく眺められます。かつては軍港都市・舞鶴港から眺めた建部山も丹後富士です。周辺の弥仙山(丹波富士)・青葉山(若狭富士)・由良ヶ岳(丹後富士)へは過去に登頂澄みですが、此処:建部山だけが残っていました。建部の山頂には平安時代に寺が在ったと・・・また同時代を舞台に由良川沿いに展開した民話・伝承とはいえ、安寿と厨子王の伝承地が点在し、山頂に舞鶴要塞が築かれる前!!?:安寿姫を祀る塚が有ったようです。 ...続きを見る |
2009/09/19 10:57 |
別所城 舞鶴市
池下城と布敷城をナントかクリアして(池下城の畝状竪堀・布敷城のU字状の竪堀や虎口形状・残存遺構に記載の無い横掘は果たして?堀切遺構の記載無い山城だけに 此の溝が気になるが!!?)・・・・・池内のT字交差点に戻って、今度は府道27号を池内川に沿って、別所城に向う。 別所城主郭土塁から見る堀切 ...続きを見る |
2009/09/14 19:10 |
布敷城(湯谷城) 舞鶴市
池下(いけしも)城とは池ノ内下集落を挟んで東側の丘陵上に布敷城が在りました。西舞鶴市街地からの府道74号と東舞鶴市街地からの府道27号は池内で交差する。此処で府道74号は南へと池ノ内下集落を抜けて、綾部市上杉でR27号線に合流する。府道74号(舞鶴綾部福知山線)は弥仙山から派生する西尾根を越える丹波と丹後の国境線。R27号を主要街道とすれば府道74号は「みせん道」とも呼ばれた裏街道。 ...続きを見る |
2009/09/13 16:31 |
池下城(高壷城) 舞鶴市
福知山市から大江町へと由良川沿いに幾つかの山城を先に訪ね、今回は綾部市側からR27号を越えた市境(・・と云うより丹波と丹後を分ける国境)尾根を越えてWebに訪城レポートのない舞鶴の山城を訪ねてみた。 弥仙山は丹波富士とも呼び親しまれるピラミダルな山容と、回峰修験の山で、君尾山光明寺へは「改心の道」登山コースが整備されると聞いていた随分以前の、根本道場ともいえそうな?施福寺から蓮ヶ峰を縦走して弥仙山へ向った事があつた。まだ7年ほど前のことで・・弥仙山北方の三角点峰を踏んで周回する心算で、下降尾根... ...続きを見る |
2009/09/12 20:01 |
金屋城 福知山市大江町
前のブログ鬼の郷で紹介した福知山市大江町河守には鬼をテーマの記念・資料館もあって「鬼の里」がPRされています。悪の権化の様に語られる大江山の鬼に対し、国の中枢にあって国家の権力を誇示するため、遠路はるばる勢力を派遣したものか?。近在の豪族・領主に出兵を指示する事の方が要を得ていると考えますが、其れも出来ないほど権威が失墜していたのかも・・? 金屋城:主郭に祀られる愛宕社 ...続きを見る |
2009/07/28 07:31 |
北有路別城 福知山市大江町
北有路城からR175号線の大雲橋北詰めを北東へと、北有路城の別城が在る五日市集落内に向う。車道沿いに駐車スペースは無さそう・・・地図に見る目標位置の神社(十倉五社明神の一社)も、通り過ぎ際に鳥居を見つけて引き返す有様!!。有路地域に十倉神社が五社在るといい(加佐郡神社名を検索して4社しか見つからなかったが、大江町内唯一の式内社:阿良須神社が此の十倉五社明神の一社と分かった)、 ...続きを見る |
2009/07/20 17:59 |
北有路城 福知山市大江町
堂本愛宕山城(北有路城)の古城主:倉橋弥三は、天正の乱に山名与九郎に滅ぼされて帰農したと云われます。旧加佐郡大江町誌・大江町の山城項に記される北有路城を訪ねて、福知山市から由良川沿いにR175号線(宮津街道)を北有路に向う。兵庫丹波と境する隣国の京都丹波福知山市を遠く感じることも無いのに、その福知山市境の与謝郡(加悦町他)や加佐郡(大江町)は宮津市や舞鶴市側・丹後国のイメージが強く遠く感じていた。得る情報も少なく疎遠だったが、福知山市を東西から挟む天田郡(福知山市も嘗ては天田郡)の西に夜久野町・... ...続きを見る |
2009/07/19 21:27 |
野山城 丹波市春日町
「丹波の赤鬼」と怖れられた黒井城主:赤井(荻野)直正【後谷城主:赤井時家の二男才丸】は、赤井氏とは同族で荻野18人衆と呼ばれた地侍の盟主に請われ・天文年間(1532〜55)朝日城に迎え入れられます。野山城は其の朝日城の支配下に有った砦の様です。 京都丹波を領していた八木城主内藤宗勝は、再三にわたって丹波氷上へ侵攻し、都度に交戦しています。朝日城城主となった才丸(荻野直正)も、直ちに内藤氏を迎え撃つため野山城の大将として拠り、此れを退けて初陣を飾っています。 ...続きを見る |
2009/07/07 19:40 |
惣山城 丹波市春日町
地質学上でも余り使用されなくなったらしい?・・ケルン・バットとかケルン・コルですが、山用語としても久しく登山レポートをUPしていないので、古語に近いのかも知れてませんが |
2009/07/04 18:14 |
棚原城 丹波市春日町
先のブログ断層崖上の城砦とHP野村断層で紹介している断層のチャート(珪石)の岩脈が、明智光秀が黒井城攻めに陣を置いた茶臼山城の西方から県道69号線 (栗柄峠を経て篠山市へ・鼓峠を経て園部・亀岡方面に通じる)側の春日学園(特別支援学校)へと、黒井盆地の南端を走っています。その間・二つの低丘陵が貯水池(新池)を挟んで立つ。 ...続きを見る |
2009/07/03 22:40 |
野上野城(多利城) 春日町
別所氏の三木城を包囲した羽柴秀吉や、波多野氏の八上城攻防の明智光秀との間でいくつもの悲話・伝承が生まれた長期籠城戦では、多くの陣城(向城)を築いて包囲網は良く知られるところです。「丹波の赤鬼」として勇名を轟かせた赤井直正の黒井城はどうだろう・・・!!。 ...続きを見る |
2009/07/01 08:25 |
穴裏峠城(仮称) 丹波市
丹波市内の城では最古級の山室城(領主:芦田氏)が京都府福知山市との国境の町・青垣町に在りました。此処に山間を越える穴裏峠を監視する”境目の城”が存在していた伝承も無く、埋蔵文化財調査による遺構を示す記録等も有りません。 ...続きを見る |
2009/06/03 16:41 |
滝ノ奥砦(仮称) 丹波市青垣町
瑞雲寺の奥に「ほりきり」と呼ばれる所がある・・・と聞いて、場所不定のまま尾根を辿り見つけた「ほりきり」は、当初の状態は判らないが、山道としての切り通し道だったらしい・・・?。しかし瑞雲寺の背山直ぐの丘陵上部と、此の「ほりきり」から続く北への尾根筋にも二ヶ所に、堀切や削平段をみる城砦遺構が有った。 ...続きを見る |
2009/05/30 16:22 |
瑞雲寺城(C 仮称) 丹波市
以前のログに記した瑞雲寺城(仮称)の、二箇所に見つけた城砦遺構は、城域と遺構状態から見て・築造目的等・・・どうにも良く判らない部分が多かった。特に「ほりきり・・」と呼ばれていた場所は此処だと推察される所に立派な堀切は有るのですが、此処に至るコースは下方から続く山道絡み・・・・・城遺構の堀切では無さそうですが、此処からの長い平坦地形の北には、浅いながら堀切が有り、更に北への尾根ピークには物見の砦らしく、数段の曲輪が存在する。 瑞雲寺から小室城(東芦田城)遠望 ...続きを見る |
2009/05/25 01:07 |
胸腹神社・大燈寺 青垣町
丹波但馬境界尾根に向かう山間の小さな惣持の集落に 鎮守の社が建つ。石鳥居を潜り斜面を二折れした先からは社殿に向う急な長い石段参道が 真直ぐ山腹に延びていきますが、石階段の第一歩を踏み初める入口部には城壁を思わせる様な石垣がある。登り着いた社殿は・社号は知らないが珍しい名前で胸腹神社という。疫病が大流行した時代の病気退散祈願等により想起された社なのかも知れません。佐治郷神楽の里の集落「惣」の字からは、昔は・何かの中心的な存在の村だったのでしょうか? ...続きを見る |
2009/05/21 09:22 |
豊田城(谷城) 京丹波町
京都府船井郡・・・此処には今も山上に高石垣や石塁を残す須知城が在りますが、此の城を於いて他には殆ど知られる事も無い、城主等の城史も不明の城は幾つか存在します。 ...続きを見る |
2009/05/18 09:07 |
坂井城 京丹波町
先に寄った井尻城からは国道7号線(山陰道)に出て福知山市方面へ向かうと、坂井城(正式名か別名が有るのかも不明)は直ぐ其処・・・!!。 ...続きを見る |
2009/05/15 18:09 |
井尻城 京丹波町
篠山市からR173号で板坂峠のトンネルを抜け出ると、京都府側・船井郡京丹波町(旧瑞穂町)・・・市町村統廃合により、その歴史の重さや由緒も伝統も無視されて、氷上郡が丹波市に改称された様に、京都府側にも瑞穂の情緒が失われ、京丹波町が誕生しています。もともと丹波町が有っただけに、丹波の名にこだわって・互いにマイナスイメージが強くなっている様な気がします。 ...続きを見る |
2009/05/11 23:05 |
大平山城 亀岡市
長い尾根上に平坦地を持ち、一部に自然石を利用して切岸補強した曲輪を持ち、全城域が100mを越える大規模な山城ながら、防御や曲輪を区分する堀切や空掘が、有効な鞍部や平坦地形の中に無い大平山城が在った。 ...続きを見る |
2009/05/08 09:08 |
大田山城 亀岡市
大田城から背後の延びる尾根筋を深く・鋭く切り裂く堀切が城域を遮断しています。しかし尾根左右の裾に広い平坦地が有り、堀切道は連絡通路でもあったようです。城域を出て山上部を目指して進む斜面の情景に一時・驚愕します。突然のように目前に次々現われる巨岩・累積する石材。石垣積みの平坦地。何処をどう通っても避け切れずに現われる露岩や石垣・石提を越えて進みますが、この光景は稜上まで続きます。 ...続きを見る |
2009/05/07 09:19 |
小坂城と篠山城築城の残石
小坂城の位置については、二日間のブログで紹介している明月神社と東山古墳(四王寺古墳群?)を参照してください。明月神社から佐仲ダムへ向う車道の直ぐ先の公園広場の西側か、東山古墳から其のまま尾根沿いに比高50m程で小坂城の曲輪の南端に入ります。 ...続きを見る |
2009/04/29 07:55 |
田ノ口城 丹波市青垣町
全国の足立姓の祖は山垣城の足立遠政と云われます。遠阪川沿いの東側丘陵は京都丹波の福知山市との府県境尾根が延びて、遠阪峠へと続いています。遠阪峠を越えて京都府側の夜久野・但馬へ抜ける兵庫丹波最北端の宿場町・佐治郷に、鎌倉時代に来住したのが足立氏一族で、其の本拠城となったのが山垣城。 ...続きを見る |
2009/04/20 00:07 |
竜王不動コース〜竜王山 丹波市
倉町野の桜を紹介した丹波市青垣町の「丹波少年自然の家」から望む仁右ヱ門山(によもん山 竜王山568m峰)へは尾根伝いの「裏山登山コース」の他、倉町川を車道沿いに少し上流に向うと、左手に東屋休憩所のある側に「アドベンチャーコース」の入口が、右手前には倉町川に架かる丸木橋を渡ったところから始まる「竜王コース」があります。「竜王不動尊・やまびこ見晴らしの丘登山コース」と魅力的な案内道標が立ちますが、歩き始めて直ぐに、是は大変なコースと実感されるかも・・・!!?。 ...続きを見る |
2009/04/19 07:42 |
竜王山〜カブト鉢 (青垣の杜)
倉町野の桜を紹介した丹波市青垣町の「”青垣の杜” 丹波少年自然の家」から望むカブト鉢(481m)〜仁右ヱ門山(によもん山 Web等では一般的に「竜王山」の名で知られる568m峰)を縦走して、岩屋山・大蓑山・吼子尾(くずお)山や、親不知(おやしらず)等・・・・展望を楽しみながらキツネ岩・愛宕展望台(一帯には谷を挟んだ二箇所に佐治城跡がある)を、旧丹波最北の宿場町佐治に下って、旧街道の風情を訪ねてみるのもいいかな・・・ 竜王山からカブト鉢(左)とイゲ(右の少し低い方に4等三角... ...続きを見る |
2009/04/18 17:50 |
譲葉山西城・明智丹波攻めの向城!!
「天下布武」命による丹波攻略による八上城・黒井城攻めで、金山城を築き本陣としていた総指揮者:明智光秀は、八上の本拠城を包囲すると、金山城から柏原八幡山城に本陣を移します。 尾根筋に切岸をもつ二段の曲輪が見える ...続きを見る |
2009/04/15 20:35 |
譲葉山城・明智丹波攻めの陣城!!
今年初めのブログに 「不人気な山の楽しみ方」と題して紹介していた譲葉山山頂の権現堂(譲葉権現を祀る)の建つ方形の台地の遺構に、祠関連かとも思い・も一つ自信も無く、それでも陣城ではなかったかとコメントを入れていましたが、やはり城の遺構だった様です。 譲葉山城(東郭):権現堂に入る土塁虎口 ...続きを見る |
2009/04/14 20:04 |
国松館と矢代城 篠山市
県道97号 (丹南・三和線)宮田交差点で、篠山市街地へと、東へ県道140号線に入って約1.5km。「ユニトピアささやま」の案内看板が立つ三叉路側に迫り出した、比高2〜30m程の独立低丘陵に大野城があり、先に城山オフでの立寄りで紹介済ですが、「ユニトピアささやま」への車道直ぐ・池を挟んで北方に、東西に突き出してきた丘陵が数軒の民家を囲い込んでいます。 ...続きを見る |
2009/04/09 21:39 |
倉町川の桜U 丹波市
西宮市の阪急夙川駅近く、千歳町・安井町・震災時は分銅町に居て、夫婦で・子供達と・・例年・夙川〜苦楽園〜満池谷へと夙川堤を散策するのが30数年間 我家の恒例行事でした。もっとも震災の数年前からは夫婦二人だけ で苦楽園口〜夙川へ戻る途中での食事やショッピングに変りましたが・・ |
2009/04/08 09:13 |
高蓮寺城 福知山市
此の時節・地元の新聞やTV等では”タラの芽”や”タケノコ”が取材されることがあります。”タケノコ”と云えば「報恩寺(ほおじ)のタケノコ」が良く知られる所です。以前のブログで紹介した報恩寺城の南西部に低い高龍寺山があり、府道74号線から私市(きさいち)城麓を抜けて報恩寺地区に入る492号からは西方に目立つ存在です、 ...続きを見る |
2009/04/05 08:41 |
宮ノ越城(位田古城) 綾部市
府道8号線で福知山市から綾部市へ入り、北方に由良川に架かる以久田橋や栗橋を渡る際、北東方に一目で城山と判る山容の高城山が見えてきます。綾部三大山城としては先日訪れた甲ヶ岳城のみが・現地案内板等に紹介されるよう、あと二つが何処か知らないが、山城の全体的な規模や地元の城意識や愛着!?・登山対象としての展望の良さ、なによりも奥丹波における最大規模の一揆「位田の乱」の舞台として歴史的に知られる位田城こそ「綾部三大山城の一」かと思っているのですが?。 位田の低城から高城を望む ... ...続きを見る |
2009/04/03 16:19 |
一尾城(栗城) 綾部市
洞玄寺城・観音寺城・高津城・甲ヶ岳城へと、京都丹波の福知山市東部から綾部市にかけての旧何鹿(いかるが)郡の在地土豪:大槻氏の、由良川沿い南側の山城をを見てきたので・・・・ ...続きを見る |
2009/04/01 20:45 |
甲ヶ岳城【綾部三大山城】
今月初めに高津城を訪城し、続けて此処へも来る予定でしたが、デジカメの容量不足や時間的制約!!から引揚げたので、リベンジしたのが鴻ヶ嶽城(甲ヶ岳)です。 ...続きを見る |
2009/03/31 09:20 |
城跡に立つ名木100選 綾部市
綾部市の高津八幡宮より、山上の八幡山城(高津城)を目指して 歩き始めて直ぐ右手に「御神木・・・」の案内板を見て、下方に延びていく山道を降っていく道は高津城への搦め手道だったか?・・陰龍寺道で、途中には中筋地区の「古木・名木第6号 ひのき」が有る。幹周3m・樹高35m・樹齢300年とあり、幹の途中で分れている為・別名「泣桧」と呼ばれた様ですが、今は其の名も伝承を遺すのみ。其の片方も・分岐する元から枯れ朽ちてしまって無いが?・・・・もう片一方は上方で枝を延ばし葉を付け・未だ樹勢盛んな様です。「泣桧」... ...続きを見る |
2009/03/29 22:05 |
高尾城(長谷城) 丹波市
先に紹介の岩戸神社城から西方に伸び上がる急峻な稜線の尾根上に、高尾城(長谷城・鷹尾城)が在りました。 |
2009/03/26 08:13 |
岩戸神社城 丹波市
へら鮒釣等で釣客をよぶ長谷大池へ向う案内板を見て、右折すると正面に露岩を抱いて、荒々しく急峻な稜線を見せて聳え立つ山がある。其の山裾に石鳥居が立つ岩戸神社が建つ。稜線の末端を少しずらせて此の神社背後に落ち込む枝尾根末端部の丘陵上に3段ほどの段曲輪を廻し、尾根続きを堀切で遮断する小規模ながら遺構を留める岩戸神社城館跡が残ります。 ...続きを見る |
2009/03/24 21:07 |
茶臼山城(光秀の向城)
山間の兵庫丹波では数少ない平城、しかも土塁・濠跡・土壇等の遺構がよく残される野村城の直ぐ近くに、茶臼山城が在りました。旧氷上郡(丹波市)の黒井城を包囲した明智光秀は、光秀に付いて包囲陣に加わっていた旧多紀郡(篠山市)の八上城主:波多野秀治の背反により、優位な体制は一気に崩されて、命からがら栗柄峠〜鼓峠を越えて京へ逃れた光秀も、再び八上城・黒井城攻めに転じます。 ...続きを見る |
2009/03/23 08:37 |
観音寺城と居館 福知山市
京都丹波の福知山市の一部と綾部市:何鹿(いかるが)郡は在地国人:大槻氏の勢力下に有った所で、以前に訪れた高津城が本拠城だったか?・・・洞玄寺城・栗城・丸山城・テデカ城等支城群を勢力範囲に配していますが、多保市(とおのいち)城とは山上の山城と山麓に居館をセットの遺構が残る事で福知山市史でも紹介されていましたが、多保市城の山城部は舞鶴自動車道で消滅したか?城域と思える一帯は自動車道で隔てられた向かいの丘陵部との空間に消えているようです。 ...続きを見る |
2009/03/16 22:12 |
高津城(八幡山城) 綾部市
由良川左岸・JR山陰線沿いに綾部市と福知山市を結ぶ府道8号線の石原(いさ)へ、R9号線から舞鶴自動車道の高架沿いによく通る道。府道8号との合流地点に石原城(洞玄寺城)と、その手前:舞鶴自動車道が東へ向い石原トンネルに入る丘陵上に石原上城(ヌクモ城)のある事は以前にブログでも紹介済ですが、 ...続きを見る |
2009/03/14 20:03 |
沼城 丹波市
丹波市の氷上町・青垣町に境する低丘陵が県道7号線沿いの御油・沼地区の西方から北に延び、その先端部を県道7号線に落としています。此の丘陵先端部を近畿時自動車道のトンネルが抜けていきます。トンネルを北に抜けると青垣町の栗栖野で、此方から望む丘陵部はトンネル上部付近から平坦な・いかにも山城風情の感じられる山容です。 ...続きを見る |
2009/03/09 00:04 |
奥村城(東奥城) 丹波市
丹波市柏原で知られる城は柏原織田藩陣屋(柏原城)ですが、三丹(丹波・但馬・丹後)一と云われる厄神祭で賑わう八幡神社に中世の城が在った事を、知る人は少ないようです。天正期に丹波攻めにより神社は燃失し、秀吉により神社が再建された事は、祭日にはスピーカーでガイダンスが流されるので周知されているのでしょうが・・? ...続きを見る |
2009/03/06 14:20 |
穴地蔵尊 丹波市柏原町
山中の岩窟に霊力を信じてか、役行者や不動尊が祀られていたり。驚異を感じ、霊験を信じて観音像や地蔵像が岩室を祠として祀られている例は、丹波市内でも他に見受けられます。今回:柏原町内の知られざる!!?城跡に再訪する際 地元自治会により設置されている「穴地蔵尊」案内板を頼りに足をのばしてみた。 ...続きを見る |
2009/03/05 08:08 |
城山オフ(FIN)・館山城 篠山
丹波篠山の城山オフ・FIN(ファン)は、取って置きの館山城。昨年:今回のメンバー3名とはミニオフで立寄った高山城(真南条上城)とは二村神社を中央に挟んで、西方の丘陵に向う。 「お〜ィ 其処から行けるよ・・・」先程:入山伺いがてら声をかけた近在のご老人が遠くから声を掛けてくれる。民家横から溝谷を越えて田圃に向う小さな橋を渡るり、目前に武家屋敷跡らしい段曲輪が山裾の植林帯の中に見える。左手から稲荷神社へと石段の残る古い参道があるが、やはり此処は屋敷跡に入って右手から詰めてみましょうか。ところが此処... ...続きを見る |
2009/03/03 07:57 |
比延山城と三ノ丸館 西脇市
日本へそ公園のある丘陵(山頂部に前方後円墳がある)東の車道を南下していくと左手に比延山の急斜な山容と、頂部尾根の一部に露岩が見える。車道を直進していくと比延小学校。「三ノ丸」と呼ばれ古くより居館の在った可能性は、近年・校舎や体育館の建て替え工事の際の調査で、室町時代の居館跡が検出され比延前田遺跡(三ノ丸居館)として西脇市教育委員会調査報告書T〜Vが出されています。 比延山城本丸から眼下に二ノ丸(中学校)と三ノ丸(小学校)のグランドを望む ...続きを見る |
2009/02/22 23:25 |
浅根山城 綾部市
京都府綾部市の西北方、比高50m程の独立低丘陵の、犀川の流れを見下ろす山上に展望東屋が建つ浅根山公園がある。公園とは云っても駐車場から直ぐ上部に東屋の建つ展望所。其処から木橋を渡って50m程先にある5〜6m程高い位置に歩道が続いて其の頂部で道は終る?。歩道は付近を周回する事無く?同じ道を引き返すだけ?の特殊公園です。 ...続きを見る |
2009/02/18 09:04 |
小畑城 綾部市
管領・丹波守護細川高国の丹波守護代:内藤宗勝は(先の細川稙国の時に守護代を辞して離脱していたが稙国の死で、再び高国に代わると《大永5年〜享禄4年 1525-1531》高国側に戻り、天田郡(福知山市)への進出する拠点として、何鹿郡(綾部市)鴻ヶ嶽城を甲ヶ岳山頂に築いて一族の内藤日向守正綱を入れ、小畑城には重臣の波々伯部弾正(築城主:源内左衛門義信の事か?)xx?を置いたといい、小西城六反城もこの際、同時に築かれたものでしょう!!か。永禄年間のはじめには福知山の押さえとして、鬼ヶ城にも内藤氏の一族を... ...続きを見る |
2009/02/17 17:44 |
小西城〜空山 綾部市
何年か前:空山へ登るのに綾部市鍛治屋町から向った事が有る。民話「ポイの餅」石碑が立てられていた。ホラ話や頓智話の原型になりそうな素朴なお話です。 茶畑の奥に小西城(中央)と右手奥に空山を望む ...続きを見る |
2009/02/16 20:42 |
黒田如水:出生の城!!?〜天狗山 西脇市
羽柴秀吉の軍師:黒田孝隆【黒田如水】は、小寺職隆の長子として姫路城に生まれたとも、西脇市(旧黒田庄町)の黒田城主:黒田重隆の二男として生まれ・後に姫路城主:小寺職隆の養子となったとする二つの系図があり、どちらが正しいのか判断出来ないと云う。 ...続きを見る |
2009/02/09 08:48 |
山名からは想像出来ない眺望の寺山
およそ寺山と呼ばれる山名は、城山と呼ばれる山に比して、藪山が多いと思えます。此処:西脇市の寺山も実相寺と観音寺・二つの寺の背山で共に丘陵山腹部の尾根先一帯は墓苑となっています。 ...続きを見る |
2009/02/02 08:13 |
大土塁と竪堀の中の不思議空間の城
山城は普通!!?山麓に居館を構え、其の背山に”詰め城”が築かれています。山麓の居館・家臣屋敷群からは大手道・搦め手の登城ルートが尾根続きや・谷を詰め上がり山城に通じており、途中に見張等の出曲輪が有り、城域に入ってから竪堀や堀切・土塁や切岸加工した曲輪によって堅固する防御施設を見るものです。 ...続きを見る |
2009/01/26 00:02 |
小稗城 丹波市青垣町
丹波高地最北端の地・佐治川(現:加古川)源流にあって但馬国境の粟鹿峰(粟鹿山)東山麓の青垣町稲土の小稗・大稗へは、粟鹿峠の伝説「お杉地蔵」を訪ね足立一族の支城・小稗城にも(5年ぶり?の再訪)立ち寄ってきました。 ...続きを見る |
2009/01/21 00:07 |
加茂神社〜高見城三ノ丸北東出曲輪(仮称)
高見城は当初:佐野城と呼ばれた氷上町佐野から萱刈坂を越えて柏原へ向う街道筋の大新屋に 石匠・難波金兵衛・石材加工店の看板をみます。「日本一」石工の丹波佐吉は、但馬で生まれ・両親と死別した彼を引取り育て、技術を伝えた 難波金兵衛、実子2代目金兵衛の里で、佐吉も此処を故郷とて”丹波の佐吉”として知られます。 ...続きを見る |
2009/01/20 08:50 |
不人気な山の楽しみ方? 譲葉山
山に登る楽しみ方には色々有って、一概に其の山の良し悪しを既成概念で決める事はないでしょうが、一応に労多くして、展望も無く・鬱陶しく暗い山頂では人気も無いのも頷けます・・!! |
2009/01/14 15:48 |
今年の初登山は八日山 西脇市
市民病院に母を連れていったが、検査入院となった。血液・レントゲンと種々検査や入院手続き・・・・。 待ち時間も長く 丁度:前回寄った八幡神社背後の独立低丘陵・八日山への登山口もわかっていたので登ってみることに・・・ ...続きを見る |
2009/01/08 21:59 |
瑞雲寺城(仮称) 丹波市
以前:東芦田の地元の方から”ほりきり”と呼ばれているところがある・・・と聞いていた。以前に紹介した鴨内城と同様、県道109号線東側一帯は山麓の集落近くを外れると、県埋蔵文化財遺跡地図に・何の記載も無い空白地帯です。 ”ほりきり”と聞いて山城の堀切と勝手に決めるのも危険かも知れない?。山越えの峠道が”切り通し”になっているのかも知れないと思っても見ます。”ほりきり”の所在は不明でしたが此処は丹波の古豪:芦田氏の本拠地。東芦田城(小室城)城主:芦田金猶が祀られる瑞雲寺が在り、居館跡との伝承もある。... ...続きを見る |
2009/01/07 21:56 |
平成21年・干支の山城 丹波市
日本一低い分水界:氷上町石生の向山連山「水分れ」からは北方を、黒井川が竹田川・由良川を経て日本海へ流れ出ます。黒井川は向山とR175号線を挟んで、僅か500m程を隔てる山間を空けて、城山(ガンジョウジ城)〜霧山(霧山城)〜天王坂〜五台山(ふるさと兵庫50山の一)へと延びる分水界尾根に繋がります。 ...続きを見る |
2009/01/02 09:10 |
新才城(仮称) 丹波市春日町
R175号の稲継交差点から城山トンネル (ガンジョウジ城の山腹)を抜けると、正面に露岩を抱く向山連山の丘陵北端部を西から北側へと廻り込んで、黒井盆地に入っていきます。 一方:篠山市から金山城の在った鐘ヶ坂を越え、八幡山城の在った 柏原町を通るR176号から、日本一低い谷中分水界「水分れ」沿いに走ってくると、向山連山とガンジョウジ山から霧山〜天王坂を経て五台山へと延びる丘陵が続き、僅かに此処だけが途切れたように黒井盆地に入る狭い南西の玄関口となり・黒井城の咽喉元の迫る位置ともなっています。 ... ...続きを見る |
2008/12/31 09:54 |
山田城 丹波市春日町
奥丹波に覇勢を競い台頭し、京都丹波の天田・何鹿へと領有地を拡大、山名氏の但馬へも侵攻し但馬竹田城を落とし山名氏の本拠:此隅山城にも迫る勢力を持っていた黒井城主・赤井直正「丹波の赤鬼」は明智光秀が「丹波攻略」を始めた天正3年(1575)、竹田城から黒井城に帰城し以後:八上城の波多野氏との”呼び込み戦法”等、明智軍との戦闘には果敢に抵抗を続けます。 ...続きを見る |
2008/12/30 10:51 |
余田城 丹波市市島町
丹波市氷上町側に以前:新発見の鴨内城をレポートしていますが、此処からの谷を詰める山道が、「ふるさと兵庫の50山」として丹波市内では登山者に人気の五台山へ通じる尾根筋を越える鴨内峠へ延びています。 一方市島側からは鴨坂から前山川沿いに、名水として知られた「狸穴(むじあな)の水」を登山口として鴨内峠経由で五台山へ通じます。 ...続きを見る |
2008/12/26 00:21 |
長谷山城 丹波市市島町
丹波市市島町から戸平峠を越えて京都府側の三和町に抜ける県道59号線がある。峠のトンネル前の小公園には、丹波の地酒の仕込みに使用された「奥丹波のおいしい水」ポンプ井戸が有り、10数年前までは時々はポリタン持って戴きに行ったが、水質が落ちてか?使用できなくなって久しい。 ...続きを見る |
2008/12/25 11:18 |
八百里城 篠山市
兵庫丹波の篠山市・丹波市には伝承含め、城館遺構とされるものが其々に150ヶ所以上は有るようです。中世山城として丹波市に赤井直正の黒井城・篠山市に波多野秀治の八上城が、丹波の三大山城(八木城は京都・南丹市)として先ず・挙げられますが、次にどの城が挙げられますか・・・? 八百里城主郭の大土塁と櫓台(奥の土塁) 岩尾城・柏原城(織田藩陣屋)・篠山城は近世の城なので除外しますが、皆さんが篠山市側で次に候補に浮かぶ城は何処でしょうか? 酒井党の油井城!! 籾井氏の籾井城!! 荒木氏の細工所... ...続きを見る |
2008/12/21 21:16 |
矢筈山城 西脇市
西脇市街地の中央・童子山公園を西に降り始めると、杉原川を挟んで正面に二つの小さな起伏を見せる峰を乗せる、シンボリックな矢筈山(矢筈山城)が姿を見せる。 ...続きを見る |
2008/12/17 17:47 |
念仏城(念仏山構居) 加東市
加東市東条に不思議な城?!!がある。山城廻りの”きっかけ”となったバイブル本の「日本城郭体系」を(京都・大坂・兵庫等の近畿版だけで良いのですが・・)購入することも、郷里に戻ってからは閲覧さえ出来ず見ることが無いが、縄張り図さえ記載されている城なのに、多くの城郭フアンの訪城レポートをWebで検索しても皆無・・!!?。 空掘は主郭側と外側土塁から突き出す櫓台状で枡形を造り「横矢」が掛る ...続きを見る |
2008/12/15 22:15 |
小和田城 丹波市青垣町
丹波市の最北端・青垣町の佐治宿は、延喜式旧山陰道以後・・・但馬と京都北部国境に位置して、丹波路最後の宿場町として栄えたところです。この佐治郷に全国の足立姓の祖とされる足立遠政が、鎌倉時代初期:承元3年(1209)武蔵国から新補地として与えられ、地頭職に任ぜられて来住し、本拠地を山垣城に移すまでの当初は小倉の黒尾神社に居を構えた(岩本城)とされます。 ...続きを見る |
2008/12/14 00:04 |
鬼退治の城?庵我城(仮称) 福知山市
丹波は鬼の国・・・?其の代表が大江山の酒呑(顛)童子ですが、其の一の子分:茨木童子が棲んだのが福知山のランドマーク・烏ヶ岳の奥に峰を並べる鬼ヶ城です。 ...続きを見る |
2008/12/12 08:00 |
山垣城 丹波市青垣町
山垣城は全国の足立姓の元祖・足立左衛門尉遠政の築いた山城として少しは知られる山城です。 全国の城フアンのサイトの中にも 此の小さな山城レポートを見ますが、一様に其の探索範囲が限られているようです。遺構の縄張り図や城紀行等の案内にある範囲が、其処まで微に入り・細に入り紹介が出来ないのかもしれません。 ...続きを見る |
2008/12/11 09:13 |
山崎城 福知山市
天気が良い日は霧が深く、午前10時過ぎても 山の姿が見えず、土地勘のない場所に来ての山城探しと其の取付点探しには苦労します・・・・・ |
2008/12/07 08:38 |
今安城(再訪) 福知山市
以前に地元・福知山市の「べーさん」から違うのではないかとの指摘を受け、気になっていた今安城へやっと再訪してきました。 今安地区の集落を挟み込むように、三角点102m峰から東南と西南の二方に延び出す低丘陵上には、独立した見張台をもち、標高80〜102mの低丘陵上に曲輪を並べる今安城がありました。 ...続きを見る |
2008/12/06 08:09 |
晩秋の岩尾城C (石の城)
丹波市山南町の蛇山山頂に在る岩尾城は戦国時代の山城で谷氏の婿養子として入った和田日向守が養父:谷氏を刺殺して岩尾城を築きます。 ...続きを見る |
2008/12/05 08:00 |
晩秋の岩尾城B (土の城)
>丹波の山城は織田信長の「天下布武」のもと、明智光秀を総大将として始まった「丹波攻略」に、大軍を擁しての猛攻にも屈しない丹波勢の抵抗は手強かった。 岩尾城古城の遺構ではよく知られる土塁囲みの細長い曲輪 ...続きを見る |
2008/12/04 00:40 |
晩秋の岩尾城@ 人間地獄
平城の壮大な濠や庭園・高石垣・荘厳な天守閣や白壁に囲まれる櫓を具えた近世の城は、観光城として雑踏の中に価値観を変えて存在しているようです。!!? 人間地獄から蛇山(岩尾城跡)を望む ...続きを見る |
2008/12/02 07:59 |
鴨野城 丹波市氷上町・柏原町
高見城からは急激に高度を落としながら北方へ延びだす稜線は、氷上町稲畑(稲畑土人形・稲畑式三番叟でも知られ!!?ます)から柏原町へ越える萱刈坂で寸断されますが、車道を挟んでそのまま丘陵はR175号傍の柏原川と佐治川(加古川)合流地点にある要衝と・要害地形の穂壷城まで続きます。 ...続きを見る |
2008/12/01 07:41 |
丹波:高見城城砦群 三ノ丸北東出曲輪?
「丹波悠々の森」から高見城山を目指す登山コースは、亀井戸跡を過ぎ、高見城山頂の南側を捲いて石戸山方面に縦走するコースの分岐を右折すると、直ぐ愛宕社を祀る三ノ丸に着く。二ノ丸を越えて主郭の高見城山へは30m程だが、此の三ノ丸から北西・北東への二方向尾根筋にも、殆ど知られていない城砦遺構が眠っています。 ...続きを見る |
2008/11/30 10:06 |
晩秋の高見山 丹波市
悠々の森から高見城山を目指す登山コースに最初に現れる2〜3段の曲輪からは、西側の谷を隔てる尾根にトラバースしてゆく山道を伝う。鴨野集落から谷詰めで此処に至るコースを検討したが、今日は高見城山から、気になっている丹波の森公苑に通じる南方の尾根をとって石戸側へ越す峠から、悠々の森へ戻る心算。高見城城砦群が北方に集中して・南方には中の台と石戸山の尾根筋以外に未だ未確認。 中の台(高見城西郭)より高見城山 ...続きを見る |
2008/11/29 08:12 |
岩倉2号墳 小野市
小野市の来住の鴨池で紹介した男池(おいけ)・女池(めいけ)の間を東南へ向う小野アルプスの紅山や惣山(小野富士)へ向う登山コース案内板の「紅山北コース」を辿り、「岩倉2号墳⇒」の表示に従えば、小野市最大規模の横穴式石室をもち、南東に開口する石室入口部分には見事な巨石の秣石(羨道部を塞ぐ・閉塞石等が残る古墳も稀で、大概の古墳の羨道を残す開口部は此の部分・・・?に閉塞石は置かれていたのでしょうか?・・・・・素人考えでよくは判りませんが・・)を載せる、岩倉古墳群の一つ・岩倉2号墳に行き着きます。 ...続きを見る |
2008/11/17 17:15 |
来住の鴨池 小野市
小野アルプスと呼ばれる紅山(巨大な滑り台状の岩尾根)〜惣山(見るところから見れば小野富士とも呼ばれる)〜アンテナ山〜あざめ峠(此処を北へ降った来住町に来住城が有るので後日レポート予定です)へは、人気の登山コースです。 ...続きを見る |
2008/11/16 23:44 |
乙原砦 三田市
三田の民話に「後光が射した万体山」という お話が載っています。三田市域のほぼ中央部に位置して、一等三角点の千丈寺山(此の山も天狗伝説の山です)山塊の東裾を北上する県道49号線をとって有馬富士を左に見て、千丈寺湖の東を小野地区・乙原地区を抜けて、花の寺で有名な永沢寺に向かいます。 ...続きを見る |
2008/11/01 21:55 |
見残しの八上城・・・ 篠山市
先日(10月19日)篠山城下に「丹波の祇園さん」篠山春日神社の山鉾巡行を見に行く前に、篠山城の前身:八上城に立寄ります。松茸収穫の時期の止め山も此処は国有林なので・・・・ 河原町:丹波黒豆取扱では有名な老舗の前で・・ ...続きを見る |
2008/10/25 11:14 |
丹波の霧海「石金山」 丹波市山南町
ここのところ連日好天が続き 深い霧にとざされ 乳白色のしじまの中に 時々走り抜けてゆく車のタイヤを擦る音だけが聞こえてくる・・・・・・丹波の霧の里に 陽の光りが射しこむ時間は遅く、霧が晴れ・青い空と明るく暖かな日差しに照り映えるのは10時過ぎ頃。 ...続きを見る |
2008/10/18 16:54 |
六反城 綾部市
綾部市の民話に「ポイの餅」という話があります。もう5年ほど前、山城に興味を持ち始めた頃で、空山への登山に綾部市の鍛冶屋町に向う途中に六反城が在る事を知り寄ろうとしたことがありました。独立丘陵なので直ぐわかるだろうと思っていたが勧進の城の位置がよく判らず、取り付き点さえ見つけられずにそのまま進んで、鍛治屋町のバス停まで来て、この話を紹介している案内板を見た。 ...続きを見る |
2008/09/29 07:22 |
摂丹境界の山 三田市
篠山市側からは篠山城の真南・女畷の碑を見て「野中」を抜け、デカンショ街道(R372)を横断して「小枕」の谷間に古墳群を見ながら、県道49号線を走る。谷間の細い山裾の道は段々傾斜も急な九十九折れの山道になる。少し開けた急カーブの角に美濃坂峠の東屋休憩所がある。登ってきた篠山盆地が峡谷の下方に拡がるが、展望は期待薄です。しかし関東の日本画家:小川芋銭(うせん)によって一躍知られるところとなった「丹波の霧海」は此処から描かれたものという?。 ...続きを見る |
2008/06/24 21:05 |
播磨:二つの山城の展望台も山城 「屋形城」
但馬境界の生野から姫路へと南北に流れる市川の流域を見下ろして 標高216mの小さな独立丘陵が有る。市川の流れに沿って西麓を走るR312号線の上に覆い被さる程に迫り出す丘陵先端部と 山頂付近を断崖状に傍立たせて露岩と砂地の小さな平坦地を持つ城砦がありました。 ...続きを見る |
2008/05/15 07:22 |
花が教えてくれた三角点の山:鶴居城 播磨
播磨:神埼郡 飯盛山の屋形城は市川の流れに沿った流域を南北に望む、絶好の展望所です。 以前に訪れた谷城と 綺麗な山容を見せる鶴居〜稲荷山〜大中山へ三重に峰を連ねる山並み この中央の稲荷山には鶴居城が在り、寄ってみたいと思いながら麓に至る道が判らず 場違いな林道をつめてみたり 狭い地区道に行き場を失い!! 引き返したことも・・・・ ...続きを見る |
2008/05/14 12:52 |
但馬楽座から軽部城・上野城 養父市
R9号線の道の駅:但馬楽座は、天然温泉「やぶ温泉」とホテルを併せ持った総合観光センターで、名実共に阪神間からの観光拠点としての地位を保っているようです。 ...続きを見る |
2008/05/03 09:00 |
向山連山のヒカゲツツジ 丹波市
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2008/04/28 21:48 |
弥十郎ヶ岳:鶴沢の植物!!!
阪神間からは北摂最深部:大阪府からは県境を越えた篭坊温泉や、県道12号線後川の竹谷林道からダイレクトに登る弥十郎ヶ岳は、よく登られる山のようです。丹波側からは畑市のキャンプ場や、県道12号線の曽地からも洞中古墳に寄って四十九院跡を登ってくるコースがあります。 ...続きを見る |
2008/04/26 15:47 |
但馬:畑たか城(石禾城)・石禾上城・石禾下城
岡城・法道寺城も今日UPした高田茶臼山城も石禾谷の城館です。石禾は(いしかわ)と呼ぶのかも知れませんが、石禾は地図では石和と書かれていますので「いさわ」としておきます。但馬の朝来市和田山町と養父市養父町の境界尾根の近接した三つの峰の其々に、三つの城が築かれています。 ...続きを見る |
2008/04/23 23:02 |
岡城・法道寺城(岡城) 但馬:朝来市和田山町
二つの城は主郭を高土塁で囲む但馬では他に類例の無い?ユニークな縄張りの城で、それだけに織豊系の城だと云われていますが?どうなんでしょうか。 ...続きを見る |
2008/04/21 07:02 |
向山城と滝野城(磯部城) 但馬:朝来市山東町
磯部氏館からJR山陰線が山裾を走る長谷山に向うが、正面(北側)から線路越えで山の斜面に取り付く山道の有無は、土地勘無く・集落も無いので、磯部川を渡った後で大きく迂回する様なら、最初から尾根東端の峠に向う車道からと新設?!!の高架車道を進んだが、山裾は砂防コンクリートの帯で取り付けず、もし上部に登れても身体を押し込んで進める隙間も無く、手強い猛烈な藪が控えている。 ...続きを見る |
2008/04/19 08:03 |
陳東氏館 但馬:朝来市山東町
築城時期も創築の城主も不詳 口碑に陳東氏の城といわれる山城がありました。 京都からの山陰道・兵庫丹波からは但馬道・播磨方面からは生野峠を越え、名城(当時の領民にとっては苦役の象徴・悪魔の城)総石垣の竹田城を望み円山川沿いに但馬の東玄関に入ってくる地点。 ...続きを見る |
2008/04/17 00:59 |
但馬の花に・・・U 豊岡市
但馬へは登山目的で妙見山・氷ノ山へは単独で 尖がり山等へ 山仲間のオフで出かけたが殆ど4月か5月初めのゴールデンウイーク期間 妙見山の帰りに進美寺山(進美寺城)や宿南城に寄ったのが 但馬の山城廻りの始まりだったか・・・!!? ...続きを見る |
2008/04/14 23:35 |
但馬の花に・・・ 朝来市和田山町
丹波市から久しぶりに遠阪峠を但馬側に越えてくると、但馬側(旧山東町)の粟鹿川沿いに桜の堤防が・・・丹波側の遠阪峠の其れより見事な咲きっぷり・・・花を愛でて訪れる人もいない為 淡いピンクの花は新鮮に映ります。 ...続きを見る |
2008/04/10 20:11 |
東芦田城「小室城」 丹波市青垣町
丹波市青垣町には全国・足立氏の祖として知られる、城主:足立遠政の山垣城があり、遠阪峠を越えて但馬:朝来市に出ます。氷上町から青垣町に入る町界を北方へと山に向う車道は穴裏峠を越えて京都府福知山市に抜ける要衝でもあり、この地:東芦田地区に領地を得て、丹波地方でも最も古く鎌倉時代には築城されていた山城がありました。山麓にある古刹:吼子尾(くずお)山胎蔵寺には「方便水」の伝説があり、旧胎蔵寺の繁栄を物語る壮大な堂宇跡ちの石垣が残ります。 ...続きを見る |
2008/04/09 23:17 |
慈眼寺山裏山城 三木市
羽柴秀吉軍の三木城を包囲する執拗な程の付城や包囲の多重土塁は、三木城への兵糧搬入や、三木城からの攻撃や、三木城への参篭や援軍を阻止してきた事でしょう。 激戦地となった平田・大村・加佐の合戦場はもとより、三木城と其れを取巻く付城群の多くを眼下の望む「三木合戦一大展望所」が、標高僅か150m足らずの小野市との市境界近くにありました。 山陽自動車道が走る丘陵南端の4等三角点のピークからは、標高からは想像もできないスケールで三木市街地を眺望出来る「慈眼寺山付城」は有馬法印則頼【合戦後は淡河城主となり... ...続きを見る |
2008/04/05 19:05 |
野村城再訪 加古川市
一年前:城廻りの播磨オフは加古川駅集合だったので、約束の時間までに井ノ口城(2〜3度訪れた温泉”みとろ荘”が其の城址に建つ)と、野口城に寄ったことが有った。宗佐の厄神さん(宗佐八幡神社)が其の「野村城跡」跡とも云われ、城跡案内も神社西裏手の倉庫側に立っていました。 ...続きを見る |
2008/04/03 17:46 |
木之部城と木之部北城 篠山市西紀町
川代渓谷(峡谷と呼ぶのが正しいとも!!?云われる)を抜けて大山下交差点でR175と合流する。直進して佐中ダムへ向かう車道途中で交差する県道140号に入るか、R175の長安寺交差点で右折し県道140号を篠山市街地へ向うと、二つの低丘陵の間を抜ける小さな峠の間に広がる木ノ部集落です。 木ノ部は舞鶴若狭自動車道で唯一のSAがあるところ。道路建設工事に際し発掘調査が行われ、奈良時代末期〜鎌倉時代初期頃の荘園遺跡・遺物が出土しています。木組の井戸や100点以上の緑釉陶器・祭祀用具等から、平安時代前期・摂... ...続きを見る |
2008/04/02 07:54 |
坂本城 西脇市
関西で坂本城と云えば明智光秀の城:近江坂本城か、播磨では嘉吉の乱に赤松満祐が将軍義教を暗殺して下向した本拠地:姫路書写の坂本城が知られるところですが・・・ 霞ヶ城〜光竜寺城・野間山城に寄った東播磨の城オフ・最後の寄城は、集合場所の道の駅:北はりまエコミュジアムを間近に見下ろす坂本城です。 ...続きを見る |
2008/04/01 07:42 |
光竜寺城・野間山城 多可郡
一年ぶりの山城オフ 訪城の最適シーズンの此の時期、いつの間にか恒例となった播磨の赤松氏の諸城廻り。今年は多可郡八千代区の野間城にして仲間の参集を募った。 ...続きを見る |
2008/03/29 23:04 |
曽地城・曽地砦・曽地奥砦(高野山城) 篠山市
県道12号(川西篠山線)で猪名川方面から篠山市へ越す古坂峠に後川砦があり、降ってくると洞中砦がある。市指定の二つの古墳がある事では良く知られる所ですが・・ |
2008/03/27 11:44 |
八上城籠城戦の兵糧運搬と向城・・・篠山市
PCの不具合で更新出来ていない間に桜開花宣言を聞く事となってしまいました・・・ |
2008/03/26 13:49 |
高山城(真南条上城) 篠山市
酒井氏の油井城を訪ねた後に向う高山城(真南条上城)こそ、今日の山城案内の主目的地。以前に紹介した館山城とは二村神社を挟んで約800m程で呼応し、北にはR372(京街道:デカンショ街道)と真南条川を隔てた低丘陵には足見寺城・此の三城は波多野氏家臣:河村氏の城でした。 ...続きを見る |
2008/03/20 22:35 |
新発見!! 油井城の石積・・∩(*~0~*)∩ 篠山市
兵庫丹波の山城は八上城・金山城・高見城・黒井城・岩尾城を除いて、全国の城郭フアンにも訪城リストに載せられる城は少ないですね。見栄えもしない小さな土の城・人知れずひっそり佇む中世の山城に、立派な石垣や堀を廻らす広大な曲輪を持つ城は皆無に近い。 ...続きを見る |
2008/03/19 21:30 |
足見寺城 篠山市真南条
助太郎屋敷から北方・舞鶴若狭自動車道の先に低い山の稜線が幾つかの丸い峰を覗かせて、此処からは近くに一番高く見える峰の山頂部には、比較的・連郭式山城遺構を残す足見寺城がありました。 灰屋?も残る茅葺き入母屋造りの角屋をもつ民家から足見寺城の山稜を望む 城の北側は急斜面で、槙ヶ峰(JR篠山口に程近い)から南方へ派生する尾根が此処で落ち込み、二つの要衝:R176号(丹波の森街道:阪神・摂津から丹波・但馬・若狭を繋いで南北に延びる但馬道)側の初田集落と、R372号(デカンショ... ...続きを見る |
2008/03/11 08:07 |
香良城〜五台山へ 丹波市
以前に紅葉の名所として紹介した岩瀧寺 丹波の名瀑:独鈷の滝 そして此処から登る「ふるさと兵庫の50山」としても人気の五台山はご存知の方も多いはずですね。勿論行かれたことのある方もいらっしゃるでしょうね。 ...続きを見る |
2008/03/06 08:13 |
今福城 篠山市
盃山という山がある。低山ながら篠山市街地を眼下にする見晴らしの良い山です。此処にも畑氏が築いた知らせの砦(烽火台)が在ったと云われます。立派に山城遺構を残す城ですが・・城跡を意識する人は少ない・・(^^ゞ しかし県道から登山口に向う分岐が旧篠山歩兵第70連隊跡地で、朝駆けや多紀連山を舞台としての山岳訓練により「丹波の鬼」として勇名を轟かせたといわれますが、其の背後の盃ヶ岳も厳しい訓練の場となっていたのでしょう。 ...続きを見る |
2008/03/02 17:40 |
法光寺城砦群 篠山市
多紀郡(篠山市)一帯を支配した波多野氏の本城:八上城は井上靖氏の「戦国無頼」、明智光秀の謀略により城主秀治兄弟を捕らえ安土へ護送したこと。丹波攻めで篭城する若き闘将:義弟の二階堂秀香・朝路池や乙女塚等の落城伝説・・・と話題も多くて良く知られています。 法光寺第二砦(主郭をほぼ円状に帯曲輪が廻る) 篠山城に次いで八上城・蕪丸(奥谷城)・法光寺城一帯が国指定史跡になっていますが、後の二つの城、とりわけ法光寺城を保存知の人も城跡へ足を延ばされた方は少ないよう様です。八上城・蕪丸とは谷を... ...続きを見る |
2008/02/24 00:13 |
「四季山城」 篠山市
昨年末に周辺を散策して、渋谷伯耆守居館・酒井監物館や、女畷や乙女塚のある野中集落の周辺に もう一つの館跡を探しに来たのですが、情報に乏しくレポートが進みませんので、最寄の山城を再訪してアップしておきます。 ...続きを見る |
2008/01/20 08:18 |
「館山城」 篠山市
館山城といっても千葉・館山市の様に天守が聳え、里見八犬伝でも知られる名城とは ほど遠く、丹波の片隅に紹介される事も無く、名さえ知られず、あまつさえ主郭部の狭い山頂部には浄水道施設が建てられており、当初の削平されていた遺構の状況が変えられた小城がありました。 ...続きを見る |
2008/01/19 19:50 |
干支の山と 山城と 丹波市
登山や城廻りの趣味も 山キチ 城キチと呼ばれる程に!! フリークともなると 年初めに干支に因んだ山や城を訪ねる計画を お持ちのようですね・・・(^_-)-☆ 昨年 開設したブログの「亥」の一番が 山と城 同時に制覇の猪の口山(黒井城)でした。 ...続きを見る |
2008/01/03 08:39 |
味間(三崎)伊豆守屋敷と福井谷館
先日のブログ 石野氏・山崎氏の屋敷跡から北西へ約1kmで味間の里に入ります。味間は丹波茶で有名な地区ですが、多紀郡(篠山市)一円を領して君臨した波多野氏の八上城西の玄関口・落城の際に波多野氏の遺児:甚蔵は此処に遁れています。 摂津〜丹波へ南北に通じる街道筋のJR篠山口付近は酒井党の大沢城や禄庄城・JR丹波大山付近には大山城・平井山城・西山城(住吉台の住宅地開発で壊滅)等が有りましたが、播磨方面へ向う街道にも古来から利用された要衝の地・此の味間谷を抜ける街道入口を挟んで睨みを効かすように味間北城・... ...続きを見る |
2007/12/27 08:22 |
石野屋敷と山城屋敷 篠山市
JR篠山駅を降りた西方正面に丸く低いドーム状の山の頂には禄庄城があり、その奥・北に延びる尾根先が突然断崖となって切れる突端部には佐幾山城という小さな砦がありました。この砦・実は いまは断崖の少し先、空中に消えたあたりに僅かな平坦地を持った物見台 同心円状に4〜5段の曲輪を廻す禄庄城 ...続きを見る |
2007/12/25 08:22 |
播磨の十水「松ヶ井の水」 多可町加美区
先のブログ二件共に、多可郡加美区から神崎郡へと千ヶ峰(1005m)から笠形山(939m)へ延びる稜線上の鞍部・高坂峠を越える。此の旧峠道の頂付近に「松ヶ井の水」(落葉の清水)があり、清水が流れ出る小公園が有りました。一時期土砂で埋まり所在さえ分からず幻の名水となっていたものですが、林道工事の際に発見され復活していました。 高坂峠も近い旧落葉の清水「松ヶ井の水」 室町時代末期、永正年間(1504-21)播磨・備前・美作の守護:赤松義村が定めた「播磨十水」の一つです。其の後:其の下方に高... ...続きを見る |
2007/12/12 00:08 |
エル・ビレッジおおかわち 神崎郡神河町
神崎郡神河町は兵庫県で一番人口の少ない町だという!!。今年4月にミニ山オフで出掛けた高場山へはJR播但線寺前駅の先の「こっとん亭」を集合場所とした。此処からは峰山高原や、その手前から小田原川を遡行しての登山で、夜鷹山の展望台に立ったが、其処から望む大田ダムの眺望は絶景です。 ...続きを見る |
2007/12/11 08:09 |
三方の大カツラ 丹波市氷上町
丹波市の市花として選ばれた「カタクリ」の自生地で、コスモス畑でも観賞者を集める「清住の里」に、丹波の正倉院と呼ばれる名刹:達身寺が有ります。 ...続きを見る |
2007/12/04 00:09 |
丹波の霧海「高見城山」
丹波の霧海展望所として先に紹介している「ふるさと兵庫の50山」石金山や五台山が有りますが 此処:高見城山も其の一つです。 ...続きを見る |
2007/12/02 07:34 |
金山城の紅葉 篠山市
鐘ヶ坂に明治・昭和・平成其々に開通した三つのトンネルがある事は先に紹介していますが、 ...続きを見る |
2007/12/01 07:35 |
紅葉の隠れスポット「三寶寺」 柏原町
柏原町からはハローワーク〜萱刈坂を越えて氷上町佐野へ抜けて帰るのが通常ルートですが、途中・高見城山を望む。その山麓に「丹波悠々の森」や三寶寺・山の神池・新井神社等がある。 ...続きを見る |
2007/11/30 07:43 |
鐘ヶ坂隧道「古道と三つのトンネル」
阪神間から高速道路を利用せず、篠山を経て昭和年代に開通した鐘ヶ坂隧道を丹波へ越えるR176号線は福知山市や但馬方面への主要道ですが、交通量の増加で事故も多発:落石や冬季の交通j規制もあり、相変わらず交通の難所には変わりが無かったが、平成の新トンネル(鐘ヶ坂バイパス道)が出来て峠越えの昭和のトンネルを潜る車は殆ど無くなりました。 ...続きを見る |
2007/11/27 07:26 |
紅葉を追って「日ヶ奥渓谷」へ 丹波市
今年は異常気象で 残暑が長く続き過ぎ 気温も下がらず 紅葉は焼け枯れて色彩に欠け 見頃を迎えたと思ったら もう駆け足で シーズンを終えてしまいそうです・・(^_-)-☆ 奇岩・巨岩が引立たせる渓谷美を期待して出かけた丹波市春日町の「日ヶ奥渓谷」〜神池寺は多紀連山県立自然公園に含まれる一角で美しい渓谷です。谷沿いに架けられた吊り橋は今・通行出来ず 林道沿いに進んで「山の神」祠から観滝歩道を下って 滝壺を遊歩道から覗き見られる白龍の滝 に行ってみます。 ...続きを見る |
2007/11/23 08:07 |
紅葉スポット「岩瀧寺」 丹波市氷上町
昨日UPした五台山の霧海を見物して、戻ってきた登山口にある岩瀧寺は近年:紅葉のスポットとして訪れる人が多くなってきました。 ...続きを見る |
2007/11/16 07:43 |
丹波の霧海 「五台山」
ここんとこ:天気が良い日には午前中(AM10:00頃まで)丹波の霧海の景観が楽しめます。静かに眠っている乳白色の霧の海が、朝の陽差しで眼を覚まし、気温の上昇とともに少しずつ静かに静かに、ほんの一部分だけが動き始めます。 五台山山頂展望台から ...続きを見る |
2007/11/15 07:09 |
天空の古城 但馬・丹波
秋 たけなわの此の時期 好天の昨日(11/3)は但馬の竹田城も 素晴らしい雲海に浮かび、留まり動かず・やがて静かに静かに流れ始める霧の切れ間から朝陽を受けて輝く石垣の姿、白い海の中に現れてくる眼下の眺望に、幽玄の世界を堪能された人も多かったでしょうね。山間を流れる円山川から湧き上がってくる川霧が、城山を霧の中に閉ざす。絶好の条件は遠くから眺めても、直説古城に登っても 間近に「天空の城」を実感出来た事でしょうね。 ...続きを見る |
2007/11/04 06:51 |
秋の色って・・有馬富士公園
兵庫県立都市公園「有馬富士公園」は、優美な姿の有馬富士・其の富士の姿を映す福島大池は鴨池としても冬の風物詩。池の水が流れ出る辺りの、流紋岩質の見事な一枚岩、其の下には滝壺をもった滝が・・・湖畔には最近移築されたらしい?茅葺民家と棚田が有馬富士を背に望まれる。 ...続きを見る |
2007/11/01 21:47 |
秋の色って・・・・「丹波の森公苑」 丹波市柏原町
真夏日が長く続きすぎたが 秋の空気・秋の空・ 爽やかさの中に 少し肌寒さを感じてくる だんだんと 陽の光りと暖かさが心嬉しくなる まだ早い 日溜まりの 懐かしさが 感じられます ♪逢えなくなって どれくらいたつのでしょう 〜 〜 あなた愛してくれた すべて包んでくれた・・・それは ひだまり でした♪ 「ひだまり」の歌 の歌詞が フッと 霞めて消えた まだ 時期早々 初冬の季語? でしたかね・・・!! ...続きを見る |
2007/10/30 07:25 |
池部城 福知山市
福知山城と猪崎城以外にも、福知山市には多くの中世城館が市内各所に点在しています。しかも遺構の残存状態が、兵庫丹波の城館とは比較にならないほどに良好に残されているようです。 ...続きを見る |
2007/10/21 21:43 |
福知山市のランドマーク「烏ヶ岳〜鬼ヶ城」
随分と広範囲な行政区を抱えた新制福知山市ですが、旧福知山市としてのランドマーク・市街地から眺める烏ヶ岳〜鬼ヶ城の二つの峰の山容は印象的です。此の山への登山口としては三段池公園から名刹:醍醐寺をへて向うコースが、一般的に知られているようです。 ...続きを見る |
2007/10/08 21:55 |
金屋岩脈(流紋岩質凝灰岩) 丹波市山南町
昨日UPした金屋十三塚からも歩度近い所。金屋川に沿った林道の奥には観応2年)弟の直義と勢力争いに負けた足利尊氏父子が、再起を図って丹波へ逃れ石龕寺に籠もった際、尊氏の嫡男:義詮(よしあきら)に関する伝承の不動明王尊があり、その側には兵庫県レッドデータブックの地質の部に記されている、生野層群下部の流紋デイサイト質ガラス質溶結凝灰岩中の2次噴気孔、閃緑ひん岩・・・・?(^_-)-☆ (金屋の流紋岩質凝灰岩)が見られます・ ...続きを見る |
2007/08/30 08:21 |
金屋の十三塚 丹波市山南町
毎回アクセス数が2桁にもとどかない、面白く無いレポートが続き申し訳有りません・・。(^^ゞ 丹波市のモミジ三山の一つ石龕寺への旧表参道(小川地区村森〜岩屋)の道筋に25基、裏参道となる久下地区金屋からの寺坂コースに5基の県指定町石が残ります。 ...続きを見る |
2007/08/29 21:54 |
玄武公園 【福知山市夜久野】
案内板が無ければ周濠も夏草で覆われた墳丘が枡塚古墳であることも気付かない。そんな9号線沿い”ドライブイン夜久野”の北側に小公園が有る。背後に田倉山から南面の夜久野ヶ原や鉄鈷山・居母山・龍ヶ城を望む展望台の様な築山ですが、 田倉山(宝山)一帯が夜久野ヶ原の旧火山台地で在った事。 応仁の乱の戦火の余波により、但馬守護:山名氏と管領:細川氏・守護代の内藤氏が戦った夜久野合戦の激戦地となったところです。細川方の大将:内藤氏の塚を探して寄った千原に京都府内唯一残る火山遺跡の「夜久野玄武溶岩公園」がありま... ...続きを見る |
2007/07/31 19:20 |
和久川沿いの城館群 V 【福知山市】
半田城と今安城 ロードマップに半田は記されているが、1/86000縮図では とても位置を測定できる程の精度は無い。Webの1/2500地図を見ても此方には半田は無い。 ところが今安地区の北にある半独立丘陵の頂部に点標名:半田の文字が記されている。縄張り図でも有れば地図上の地形を読みながら登城口を探せるのですが。 ...続きを見る |
2007/07/03 22:26 |
丹波の古墳:七ッ塚古墳群
七ッ塚古墳群・・・・古墳名に心当たりは無くても 360度展望絶佳の高見城山 南北朝期の嘉暦2年(1327)仁木頼章の築いた山城。其処まで登らなくても「丹波悠遊の森」までは出掛けられた方も・ご存知の方もいらっしゃいますよね・・・!! ...続きを見る |
2007/05/30 21:34 |
東鴨野城 (丹波市柏原町)
丹波悠々の森から展望絶佳の高見城山へ登山ルートを利用される人は多いでしょう。また丹波守護:仁木頼章の佐野城・明智光秀の丹波攻め天正期には赤井氏の高見城として知られますが主郭の山頂付近を除いては、尾根続きに出曲輪や支城があった事を知る人は少ないようです。 ...続きを見る |
2007/05/28 17:03 |
夏栗山(夏栗山砦)
篠山盆地を見下ろし、大野山・松尾山〜白髪岳・西光寺山・黒頭峰へ摂丹の山々の眺望を楽しめる低山ですが、佐仲峠を基点に佐仲三山(夏栗山・黒頭峰・三尾山)を廻るコースがお薦めの一山です。 ...続きを見る |
2007/05/22 09:43 |
マムシグサ U
先日の |
2007/05/21 08:13 |
ナンジャモンジャの木 U
先のブログに書いた「ナンジャモンジャの木」 多くの方にブログを見て戴いておりますが 人気に比して あんな写真では食傷気味でしょうから ほぼ満開になった |
2007/05/20 08:31 |
丹波篠山:諏訪山古墳
川代ダムから川代渓谷を抜け、丹波竜の郷を通って加古川へ流れ出る口に少将山と呼ばれる低丘陵が有り、川を挟んで南側にも同じ様な丘陵が川沿いに延びています。 ...続きを見る |
2007/05/18 09:34 |
丹後:与謝野町の有吉城
ちりめん街道と 懐かしいSLが並ぶ 嘗ての加悦町は国指定史跡の古墳を有する まほろばの町・古代の丘公園は先に紹介したところです。 ...続きを見る |
2007/05/15 11:28 |
福知山市の石原城とヌクモ城
福知山市外地と綾部市外地の ほぼ中間地点にJR山陰線の石原駅が有ります。此処に非常に遺構が良好に残る居館がありました。 ...続きを見る |
2007/05/14 21:35 |
マムシグサ
名前からして どうにも好きになれない植物ですね。先日:北播磨の高場山に登った際、訪れる人も稀有な谷の奥深い地点にある池畔の堰提に、これから鎌首をもたげて・大きな口を開けて獲物を待つ、其の準備中のマムシグサを見つけた。 ...続きを見る |
2007/05/04 22:44 |
ゴールデン・ウイーク限定の風景
ゴールデン・ウイーク真っ只中・連休を満喫されていますか? 其れとも・もうグロッキー気味ですか? 播磨富士で知られる笠形山の山麓に、ゴールデンウイークを迎えて恒例の風景が見られます。 ...続きを見る |
2007/04/30 18:08 |
桜とタムシバの丹波吉野
昨日は4・6(しろ)の日だったので |
2007/04/07 13:54 |
義経伝説と笛吹山城
県道140号線:篠山鳳鳴高校の北方に、緩やかに丸いピークを重ねて盛り上がっていく低丘陵があります。其の峰の最高ピーク・古森山は笛吹山の名で知られます。 寿永3年(1184)三草山合戦の奇略に圧勝し、そのままヒヨドリ越え・須磨浦へと駆け抜けたた源義経ですが、三草山に向かう途中:篠山街道(京街道)で暫し休んだ時、松に掛けていた義経愛用の笛が風を受けてか不意に鳴り出し、其れに合わせて裏山から太鼓の音が響いてきたと言う。寺の山号が笛吹山で字古森山は太鼓山だったのか・・・・・? 其の笛吹山山頂... ...続きを見る |
2007/03/25 09:56 |
恩鳥峠【おさん茂兵衛と小南山城】
近松戯曲「おさん茂兵衛」が道行きで越えた鳳越えが、恩鳥(おんどり)峠と云われ緩い坂を下って約400m程の西北丘陵裾には、おさんと茂兵衛が捕らえられた「おさんの森」があります。恩鳥峠は柏原病院前から北へ下って挙田(あぐた)・鴨野から氷上町の稲畑・佐野へ抜ける小さな峠で、此れでやっと場所がお分かりになった方もいらっしゃるでしょうね(^^ゞ わざわざ此の峠を越さなくとも、柏原川沿いに小丘陵を北に廻り込んでも、其れほど距離に違いは有りません。其の小丘陵が小南山で柏原町内からも目立つ山塊です。此... ...続きを見る |
2007/03/23 20:56 |
「狸穴の水」と弘法清水の伝説
一杯の水を所望する、ボロの僧衣をまとった旅の僧に対して、水を与える婆さんや「日照り続きで、与える水なぞ無い・・」と断る婆さんに、 錫杖を大地に突き立てると 其処からは滾々と清水が湧き出し枯れることもなく・・・とか 水さえ枯れてしまった谷川の事等・全国に弘法大師の「弘法清水」や「水無し川」の伝説が残っていますネ。 ...続きを見る |
2007/03/22 22:46 |
こんな高所に「遠見所」が・・・!!【八ヶ尾山】
多紀アルプスの西嶽〜御嶽〜小金ヶ嶽から東に延びる稜線を歩く登山者も、篠見四十八滝へ下って山行を終える人が大部分でしょうか? 此処から更に東へ延びる尾根筋も露岩が多く展望の良いピークは続きます。一旦はR173で分断されますが雨石〜櫃ヶ嶽へと京都府県境尾根の山旅も良い物です。 丹波修験の 行の道だった栗栗から八ヶ尾山への尾根筋のうち 小金ヶ嶽から東へ歩を進める登山者は殆どいなくなる。其の東部を 勝手に東多紀アルプスと呼んでいますが・・・山名がわかるのは峠山と八ヶ尾山だけかな・・? 東端の 八ヶ尾山... ...続きを見る |
2007/03/17 18:53 |
石棚付き石室を持つ岩井山3号墳
先日は此の岩井山古墳群の手前にある地蔵山古墳を紹介しましたが、この時寄れなかった 岩井山古墳 を見てきました 「篠山五十三次」石標と案内板の立つ場所からは、ほんの150m程先の山裾に有って 直ぐ其処からは 10基の古墳群が丘陵の尾根に添うように南に向けて開口した石室が集中しています。 京都の「宿女」さんにとっては少し遠い丹波ですが 御誂え向きの古墳時代末期(6〜7世紀)の古墳集中地帯にあって、中でも岩井山古墳の3号墳は奥壁に石棚を造り付けた特殊構造です。全国的には珍しくない... ...続きを見る |
2007/03/16 17:06 |
篠山市:地蔵山古墳
篠山市西紀に所用で出かけ 時間の合間に岩井山古墳に行ってみようと雲部車塚(前方後円墳)前を通り、直ぐ先:松ヶ鼻で左折 北条古墳(方型墳)に寄って 岩井山古墳への入口:小立集落に着くと、車道からも古墳の石室が見えるので、目的の岩井山古墳を中止して、今日は此の古墳群を見て廻った。 |
2007/03/10 15:49 |
荒木山城
先日のログで竹田街道:丹波竹田界隈を紹介しましたが、旧国道筋と新国道バイパスの間には新道具(東)城が在ります。新道具にはもう一つ(?)城があったようです? 其の新道具城下を抜け 新国道筋を抜けて 市の貝集落から目指す荒木山は権現山と呼ばれ 福知山との境界にある山ですが 南北朝期から続く古城です。戦国:中世の山城遺構が残る山城を訪ねてみました。 画像は福知山市との境界に位置する荒木山城 ...続きを見る |
2007/02/27 09:47 |
223(ふ・じ・さん)の日・・!
2月23日は 富士山の日でした・・・・! また丹波のタヌキさんとは ネタが重なってしまいましたね・・・・(^^ゞ 兵庫丹波では大箕山 春日小富士山 三尾山 八上山 飛曾山 白髪山 京都丹波側では府県境に烏帽子山 和知富士 弥仙山 砥石山・・等々がありますね 全国のふるさと富士(関西版はこちら) 画像は青垣町の大箕山(丹波富士) ところで 加西市と小野市で一般的に?播磨富士と呼ばれる山ですが、 小野アルプスの小野富士(惣山) 長富士(長山) の他周辺では飯森山(八千... ...続きを見る |
2007/02/23 19:40 |
竹田街道から荒木の権現山【荒木山城】へ
画像は 荒木山城:主郭北側の堀切 ...続きを見る |
2007/02/19 19:25 |
スプリング・エフェメラル
丹波市の北端 青垣町では月初めにセツブンソウ祭りがあったようですが、同じ青垣の大名草(おなざ)でも 続いてユキワリイチゲが白い花をほころばせ始めています。 花の命は短くて・・・・・・スプリング・エフエメラル な花達を愛で 急斜面の尾根に出ると神社 さらに稜線を辿ると 長い緩やかな尾根筋は 展望こそ恵まれないが自然林の林の奥に 粟ヶ峰の山影が見える。以前:粟ヶ峰からこの尾根を下ってきたので 今度は逆コースで向かったが 午後を待たずに振り出した冷たい雨に 早々に退散 3時間ほどで行けそうで... ...続きを見る |
2007/02/18 21:27 |
三角点
三角点って・・・・! 見たこと有りますか? 四角なのに三角とは・・・?と不思議に思ったことは 三角点って・・・・山の頂上に有るわけでもなく 誰れでも見られる場所にあるわけでもなく 時には設置場所が変えられている場合も?? ...続きを見る |
2007/02/07 20:00 |
節分前夜の雪 未だ消えず・・・
丹波市市島町の八日市から鴨内峠に向かう余田谷に 確認したいことが有って余田氏の城砦を再訪・再々訪しました。余田城の北方から大原神社に向かう徳尾地区から 登路はないが徳尾砦があり、城址から尾根伝いに点名:袴谷を廻ってきました。 ...続きを見る |
2007/02/06 19:27 |
高見城山のジャンダルム=馬背山
萱刈坂から高見ヶ城山への北尾根は行者山で西北からの厳しい岩尾根と合流して、更に激急斜面の登り降りを経て高見城山に至ります。高見城山からも目立つ二つの岩峰を呼ぶのか、第一岩峰のある岩の姿を呼ぶものか?知らないが、「沼貫(ぬぬぎ)村誌」に云う馬背山(馬瀬山)には山岳寺院があったようです。延喜年間の古寺跡を経て、南北朝期に高見山に城が築かれ、此の寺跡付近にも城砦が築かれたようです。 どうやら佐野城と呼ばれた当初の大手道は、この険しい尾根に通じていたのでしょう? 佐野からの大手門と、鴨野からを搦め手とし... ...続きを見る |
2007/02/04 21:34 |
高見城出城の石垣 U
丹波の赤鬼と恐れられた赤井直正の丹波黒井城は主城を中心に派生する尾根上に城砦が築かれ全山要塞と化していたように、氷上町・柏原町境界の高見城からの枝尾根にも、多くの城砦が有ったと思われます。昨日BLOGに載せた三ノ丸の急斜面下にある出丸?の他、更に降り危険な程のザレ場の鞍部から登り直した峰(行者山?)山頂にも広い曲輪を主郭に何段かの曲輪が並びますが、大岩壁上のピーク北側にも 画像の様な石積みの堡塁?が有りました。北側の展望岩壁と大きな露岩を繋いだ2m幅のブリッジ状 ...続きを見る |
2007/02/01 19:36 |
高見城出城の石垣
兵庫丹波・高見城は南北朝期に始まる、丹波守護:仁木頼章の城ですが、「丹波悠々の杜」〜石戸山への展望良好の登山コースとしての方が良く知られていますね。 天正期:赤井忠家を最期の城主として明智軍により落城するまで続いた城ですが、山城の狭い曲輪には凝った縄張りも無く、竪堀や僅かに残る崩れかけた石垣も、殆ど気に掛ける人は少ない様です・・・(^^ゞ ...続きを見る |
2007/01/31 17:07 |
若き城将の城と空中に?消えた城を廻る
篠山口駅から歩いて廻れる歴史と自然のハイキング道「大沢ロマンの森」があります。R176号を挟んだ間近の丘陵に、同心円状に曲輪を重ねる禄庄城(支城)、初田酒井党の主城で若き城将:酒井勘四郎が護る大沢城、そして味間へ抜けるバイパス道路拡張工事で削られた尾根先に在った佐幾山城(砦!)は城域南部の一部?を残して空中に消えてしまいましたが、三つの城がありました。登山+キャッスリングとしては、大沢城から松尾山〜白髪岳(ふるさと兵庫の50山)がお奨めですね。松尾山も山城ですよ・・・・・(*^_^*) ... ...続きを見る |
2007/01/24 19:55 |
穂壷城
丹波市側にも中世の山城は沢山ありますが、黒井城以外に石垣を多用した城はありません。和田岩尾城は織豊系の近世の城です。「土の城」では堀切・竪堀・空堀・土塁や高い切岸で防御性を強めているのですが、土塁や空堀・竪堀遺構を顕著に残している城は少ないですね。丹波一の?ショッピング・ゾーン直ぐ近く、比高も50m程の山に遺構の保存状態も良く、これら設備を整えた山城(川の囲まれ水城とも!!)のひとつが穂壷城で、買い物ついでに高谷橋を渡って立ち寄りました。 ...続きを見る |
2007/01/21 23:01 |
川阪砦
谷中分水界:鼓峠を越えると、もう京都丹波の雰囲気を感じる旧西紀町本郷から、更に多紀アルプス主稜線北山裾を川阪に向かい、小金ヶ岳付近から派生する尾根中間のピークにある川阪砦を訪ねてみました。 画像の中央ピークの山頂が川阪砦です ・・・・とはいえ城山への道は無く?遠望する山の姿とは大違い。比高300m以上で山頂付近の傾斜は危険なほどにキツイ。訪れる人とて無さそうな奇麗な山頂です。削平は粗いが思った以上に広く、曲輪遺構は比較的良好ですが、築城主や其の契機は不明のようです。「丹波志」からは本郷の草山... ...続きを見る |
2007/01/20 22:54 |
郷土の史跡 青垣編
丹波でも柏原藩や篠山藩武家屋敷の長屋門は、観光でも良く知られていますが、大箕山をふるさと富士と仰ぐ丹波市青垣町の民家にも長屋門を構える庄屋・豪商の屋敷が残っています。当家にとっては維持・管理は大変でしょうが 風致・景観地区とは縁遠い地区の建造物ではあっても 貴重な民俗・歴史遺産として 末永く保存に務めて欲しいものです。 当地では養蚕農家朝倉家の様に 維持保存が難しい場合は 歴史民俗資料館等 ○○センターや 市施設内への移築展示保存 利活用も必要ですね ...続きを見る |
2007/01/15 20:32 |
丹波霧と展望の篠ヶ峰ルート
篠ヶ峰は丹波第三の高峰ですが、此処だけを目的の登山者は少ないでしょうね。しかし篠ヶ峰に通じる幾つかの尾根はシャクナゲ・ヒカゲツツジの花見や、展望に優れた尾根コースがあります。山南町・氷上町の町界尾根を辿る古天神〜高釣瓶〜点名:新郷〜赤井〜坂尻川へのコースをUPしました。 画像は点名大谷(応地・坂尻集落の背山)からの眺望 ...続きを見る |
2007/01/11 23:03 |
丹波霧
今日も丹波の里はジッと深い霧のなかで 暖かい陽の光がとどくのを待つていました。 薄くなった霧が完全に空けるは昼近くなってから ...続きを見る |
2007/01/10 22:09 |
校歌の山
山と川・湖や海 自然に囲まれた風景の中に聳え・浮かび・中には霞んで見えない遠くの山を想いながら 学校の校庭から・また学窓から ふるさとの山を謳った校歌は多いですね。添付写真は有馬富士(三田市)固有の山・特定はされないが、ふるさとを囲む山々に親しみ・崇敬・比喩した歌詞に触れ 其の山や山々に対する皆さんの想いも色々あるでしょう。 山を父に 母を川に喩えたり 山や川を師と仰ぐ独特の詩の内容も賛美歌ですね。 ...続きを見る |
2007/01/09 21:53 |
干支の山と ふるさと富士
全国には十二支の名のある山が結構たくさん見つかりますね。今年の干支黒井城(猪ノ口山)を紹介していますが、別名や古名:通称が判わかれば、もっと多くピックアップ出切るのですが。 また初夢に縁起の良いものとして、真っ先に挙げられる「富士」は日本一 富士が無事に通じるとされています。久しく夢を見たこともないが年の性で健忘症が入っているのか・・・(^_-)-☆ 富士もまた全国津々浦々に大小織り交ぜて、中には人工の富士山まで現れていますが「おらが富士」として、親近感をもって呼称されていますね。都道府県別... ...続きを見る |
2007/01/08 09:24 |
登山とキャッスリング 2
城山へ登るときは出来るだけ横断・縦断・縦走して広範囲に見て回るようにしています。自然の要害を利用しての山城ですが、土の城では顕著な遺構も残らず、確認が難しい城址も多い。城域周辺の弱点を補強する防備施設の遺構確認の上にも必定。 【添付画像は本日(H19.1.7)の黒井城西ノ丸の土橋付き堀切】 其のため谷筋や主尾根・枝尾根を縦走して、大手道・搦め手道を考えてみるのも重要かと。本城に通じる尾根筋に残存する城砦跡に辿りつくのが、全山要塞とされる八上城や黒井城です。高見城山から北に延びる尾根先が更に田... ...続きを見る |
2007/01/07 20:11 |
登山とキャッスリング
チェスの用語にも「キャッスリング(入城)」がありますね。野山を散策するハイキングとともに、最近は中世山城を主目的にして散策するキャッスリングに興味をもって歩いています。ふるさと丹波の山と山城に、歴史や民話・伝承を訪ねるのも楽しみ方のひとつ・・・・・! ...続きを見る |
2007/01/06 21:31 |
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