篠山城の埋門

近世:天下普請といわれる城の石垣を仰ぐ時、目に付くのが刻印石ですね。種々刻まれた符合の多さが又、城の規模のバロメータとなっているように思えます。
其の城の築造に助役させられた!諸国大名が寄進した事が判るように刻印された石垣を探しながら、其の符合を書き写してウオッチングしてみるのも楽しいかも・・・。篠山城では・其の刻印石が最も多く見つかるのが埋門(うずめもん)周辺の石垣といわれます。
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杵・小槌・矢・△や□や丸にxx・扇・星・輪違え・卍・・・等々の符合刻印の中に、一際目立つ文字刻印「三左之内」がある。普請惣奉行を務めた姫路城主:池田(三左衛門)輝政のものとされます。多くの石は近場の真南条等の丁場から切出され運ばれたようですので、別城では:墨書で職名らしい文字が書かれていた例もあるように、各藩ごとに作業に当たった石工達の作業工程上の識別として付けられたものとも考えられ、天下普請の城でなくとも余り家紋が刻印されている例を見ることは無い様です!?。複雑な文様もあり、工期を急かされれば其の加工に時間を割くわけにもいかなかったのでしょうか?
 
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観光客の多くは時間的制約からか、石垣の東馬出、土塁囲みに南馬出、大書院の直ぐ東向いにある埋門を周回して天守台へ向かう人も少ないようですね。まして城遺構を意識して訪ねる人は更に少ないのでしょう!。城下の武家屋敷を訪ねる人さえ、殆ど気付かれる事も無く通ぎる北馬出、八上城の屋敷左門、埋門の場外石垣まで足を向ける人は皆無に近いかも?
現在は発掘・再建等工事中で行き辛くはなっていますが・・・(^_-)-☆
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種々刻印が普請に関る助役大名の誰の符合なのか、調べてみるのも面白そう。普請奉行の藤堂和泉守高虎や福島正則・有馬玄番頭・柏原藩の織田信包・氷上町に居館を持った(市辺か北由良か伝承も不確かで所在は未確認ですが当時は綾部藩)や同:山家の谷衛友等がいますので、探してみますか?

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