闘龍灘と舟座

丹波・但馬境界の粟鹿山(粟鹿峰)や京都府県境の烏帽子山、東播磨境の竜ヶ岳・篠ヶ峰の水を集めた佐治川(現:加古川)から東播磨を西脇・小野・三木・加古川から高砂市へと流れ出る加古川流域には、嘗て阪神・山陽方面と、但馬・丹後方面を物資と文化の交流ルートの舟運で栄えた一時期がありました。
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丹波市の中心:氷上町に在って今は加古川の堤防沿い、南に柏原川を隔てて国道・東に田圃や大型店舗が並ぶ県道からも外れた位置に本郷集落がある。物資輸送のトラックが行き違うにも狭い集落内の一角に石碑が建つ。
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本郷舟座跡の碑で、此処を始発・終着とした高瀬舟が東播磨を縫って播磨灘の高砂の浜へ物資と文化を運んだ加古川舟運が栄えた時期がありました。文禄(1591~)頃から明治・大正初期までの約300年、鉄道・車に変わるまでの間の川と舟運・時代との葛藤・苦闘は特に難関の闘龍灘通過に有り、そのための積み替え中継・更に開削事業へと 更に時代の波で取り残されていく悲哀を此処に立つと感じますね・・・・・。
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