石野屋敷と山城屋敷

JR篠山駅を降りた西方正面に丸く低いドーム状の山の頂には禄庄城があり、その奥・北に延びる尾根先が突然断崖となって切れる突端部には佐幾山城という小さな砦がありました。この砦・実は いまは断崖の少し先、空中に消えたあたりに僅かな平坦地を持った物見台 
           同心円状に4~5段の曲輪を廻す禄庄城
画像

此の二つの城砦から南に尾根続き 大沢城の付城・出城的存在で 天正期:明智光秀の八上城攻めの頃は酒井党の一族 初田酒井氏の勘四郎が大沢城主でした。勘四郎は秀吉軍に降りて山崎の合戦に18歳で討死したようですので、 此の頃は未だ14歳頃 城主を後見補佐する二人の家老 石野氏 と杉本氏の屋敷跡が大沢城と禄庄城への大手口に在ったようです。
画像

「丹波志」の記載だけでは不詳の居館でしたが、  周辺の地形も土地の開発・整備等で 大きく変わってきて 現状からは これも古く小さな地形図からは位置も判断しずらいが 多紀郡埋蔵文化財調査委員会(郷土史研究家)による分布調査報告書を頼りに 探索してみました。
画像

上記参照の資料のみによる探索なので、的確に紹介している場所や写真が、其の居館であるのかどうかは コメントに記載されていた遺構の確認も出来ず 荒廃か土地の拡張改変等で消滅したものか?確信が持てない不安はありますが・・。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック