岡城・法道寺城

二つの城は主郭を高土塁で囲む但馬では他に類例の無い?ユニークな縄張りの城で、それだけに織豊系の城だと云われていますが?どうなんでしょうか。
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天正13年(1585)秀吉による国替えで赤松広秀が入った朝来郡竹田城 :・別所重棟の養父郡八木城:前野長康の出石城 等になら石垣の城で且つ織豊系の縄張りが見られるのでしょうが、織田信長による「天下布武」の号令の下、「但馬平定」の乗り出した羽柴秀吉軍により天正5年(1577)か同8年(1580)の但馬侵攻は、いずれも長期戦にはならず、向城が築かれた例は少ないようです。
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竹田や出石の城攻めには丹波口の和田山に若水(わかす)城が陣城として築かれたものと、発掘調査により確認されているようですが、二つの岡城も織豊系とされているようです。果たして・・・? 向城として使用されたかも知れませんが、織豊系として改修されているのか 其の縄張りの特徴が判らない・・・ので 今は?としておきます。
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居館と詰め城セットの岡城なんでしょうか。両城間は約1km離れていて、尾根伝いにはロスが多い、岡集落から山裾伝いに山城への間道が通じていたのでしょう・・・?
南北朝期に此の地を領した阿曽沼氏ですが、城主の交代・城の改修等以後の城史は不明な為、突然現用の遺構を見れば戦国時代・山名四天王の内紛での改修?か、「但馬侵攻」以後に秀吉方の部将に使用されたものとは思えますが、縄張りを織豊系とはクドイ様ですが決めかねています
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