成松城 丹波市

氷上郡(現:丹波市)氷上町成松は、丹波最北・但馬国境の宿場町・佐治を控えて、郡内商業の中心地として栄えてきたところでした。織田信長の弟:織田信包(のぶかね)を初代藩主として、慶長3年(1598)創設された柏原藩の陣屋も氷上町の犬岡山(明治山)が候補地になってもいました。以来:丹波の政治:経済の中心は柏原町でしたが、丹波市発足とともに、行政は再び氷上町に移っています。
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其の市役所から西南に約1.5km 県道109号線を走れば、赤井氏の祖・荻野為家が白山の麓に住んで赤井姓を称した新郷の後谷城(後屋城) 傍を通り、高山寺城のあった弘浪山の北東山麓を北東に抜け出たところで、葛野(かどの)川に架かる成松橋を渡ります。此の川沿い西側一帯に、栗栖野城・野村城と共に。丹波では珍しい平城の成松城(上ヶ成松城)がありました。
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「氷上郡誌」には蘆田氏から南北朝期に分家したとされる荻野氏ですが、相模国愛甲郡荻野に住んだ荻野氏が「承久の乱」に功により新補地領に葛野荘を賜って来住した尾張守定朝(荻野右衛門=朝忠?)がその祖と思われます。足利尊氏につき・又一時は尊氏に抗して高山寺城に籠ったり、丹波守護代ともなった朝忠ですが、其の行動とはうらはらに、人物像は丹波の霧につつまれた様に謎多い人物です。朝忠の居館が何処にあったか不明の様ですが、葛野荘の中心に在り、但馬への旧山陰道の要衝にあった此処・成松城ではなかったか?と思えます。天正7年(1579)5月・明智光秀軍の猛攻に、荻野(赤井)氏配下にあった成松城主:勝田勘八郎は、討死したといいます。
                    勝田勘八郎の墓が有るという?西念寺
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此の後は真北・約1.3kmの丸山城を探し訪ねますが、更に・更に疑問の城館跡です・・・・・・?

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