大内城 福知山市

先月・福知山市内からの帰りに、久しぶりに長田野(おさだのを越え、多保市(とおのいち)へとR9号を六人部(むとべ)経由で通った際、オープンしたばかりの大型スーパ?の寄った。
今日は其処にも一度寄って見たいと言う細君の要望で、丹波市側から市島市の友政(とんまさ)城を右に見て、下竹田を抜けて六人部の土師(はぜ)川を渡ればR9号(山陰道)と合流する。丹波市と福知山し境の石原に大野唯四郎の史跡めぐりは先に紹介しています。福知山市側に入って直ぐにある田野城も昨年10月に紹介しました。
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その際:松茸山でもあり観音堂建設中との事で寄れなかった大内城へ、暑い最中に立ち寄りですので、木陰とはいえ長く待たせるわけにもいかず気にはなるが、一部分(西側の中世城館)だけを簡単に見て引き揚げたが、此処はむしろ:その奥(東方)の居館部が歴史的にはメインの「平家物語」の世界です。平清盛とは異母兄弟平頼盛の居館であったとされ、平安時代末期~鎌倉時代の貴重な福知山市でも代表的城館遺跡です。とはいっても・・・なんの案内標識や現地案内板も有りませんし・・・・・地元の人にも城館跡の立派な土塁・空掘にも、城遺構としての認識は希薄で「行ってみても何もないよ・・(^_-)-☆ 中世の曲輪遺構としては見所あり?、観音堂建設以前に調査された主部は藪に隠れているのか:平安時代の居館跡だけの話なのかも? 今度は其の遺構を確認してみることに・・・します(^^ゞ  

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この記事へのコメント

べーさん
2008年07月15日 19:12
お久しぶりです。
大内城は、残念なことに高速の建設で
破壊されてるんですよね。
発掘調査では、かなり大規模な城館と、中世墓が見つかったのですが・・・
中世の城館の資料としてよく引用されています。
市内の発掘で同じような性格の居館として
10数年まえに、上ヶ市遺跡というのが発掘されています。
2008年07月15日 23:30
べーさん いつもコメント有難うございます。南北朝期を含めても中世以前の城館遺構が残ること自体 稀有な例ですね。
消えた遺構が道路東側稜上ピークに残っていそうな多保市城も同様でしょうか?。いずれも一度は覗いてみたいと思っています。
中世:六人部荘の領主として堀氏の名が出てきますが、守護代内藤氏との関係は? 黒井城赤井氏との対応等 歴史背景は想像だけで良く見えてきません。
堀越城(市内堀越・生野)へも市史を頼りに行きましたが、此処は市教委の地図の位置が違いますね。以前に指摘いただいた今安城(未だ再訪していません)同様 関連遺構なのかも知れませんね。和久川の河川や夜久野へ抜ける間道監視の為 山の地形より位置的には、やはり今安集落の西側が適所ですね。
上ヶ市遺跡も由良川沿い 私市古墳に代表される流域の富裕な荘園官吏・領主の同時期の居館跡なんですね。埋蔵文化財は開発・工事等で発見され調査後は報告書だけを残して壊滅・・・・手のうち用の無い現実は 寂しいかぎりですね

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