「元祖忠臣蔵」の舞台  河合屋敷

R175号の西方:滝野の闘龍灘から播磨中央公園・青野が原の自衛隊演習場を過ぎると低丘陵の一角に、模擬の展望櫓台が目立つ金鑵山城を望みながら、県道23号線「粟生西」交差点を左折。
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直ぐにJR加古川線踏切りを越えると前方に粟生町交差点信号が見える。此処で加古川を渡れば小野市街中心部も近い。河合屋敷は此の加古川水運の船座を支配した河合家の隆盛を伝える薬医門(高麗門?との説明も有るようですが?)が残る。土塁を残す方形館跡の河合屋敷は嘉吉の乱に、没落した赤松家再興のため・吉野の南朝方に討入りして神爾を奪い返した赤松浪人達の決起・準備・報告の為上洛する際、此の屋敷の竹を切って旗竿を作ったことから、河合屋敷の竹が「目出度い武運のしるし」として、天正6年(1578)秀吉が三木城の別所長治を攻めた際にも、赤松再興の慶事話を聞いた秀吉は「目出度い武運にあやかりたい・・」と屋敷の竹を旗竿にし三木城落城後、この屋敷の竹を旗竿とした御蔭と、河合屋敷の竹藪の租税を免除したという。
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この話は広く伝えられ、姫路城主池田輝政や本田忠政等の播磨所縁の武将の出陣には、旗竿に用いる竹を、昭和になってからも出兵兵士は武運を祈って、遠くからも・わざわざ此処まで竹を切りに来たと云われます。
【小野市史 郷土の城ものがたり:兵庫県学校厚生会 を参照】

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