長安寺館(長安寺城)と池尻神社

丹波篠山市にあった荘園「大山荘」は平安時代初期の承和12年(845)公卿:藤原良房から京都東寺が買い受け東寺領となった荘園でした。鎌倉時代・承久の変(承久3年1221)後に戦功により、元仁元年(1224)武蔵国(埼玉・中沢郷(児玉郡児玉町・美里町附近!!?)より、地頭職を得て大山荘に入部してきた中澤小二(次)郎左衛門尉基政が、何処を本拠地として屋敷を構えていたかは不明ですが、大阪・摂津三田から鐘ヶ阪を越えて柏原・氷上へ向うR176号沿いの大坂街道と、大山荘からは宮田荘(西紀町)・篠山市街地を東へ向う京街道の二街道が交差する現:長安寺交差点付近の要衝の地で、深い一印谷川を天然の濠として、池尻谷の入口付近を本拠地として長安寺館を構えたものと推察されています。
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其の後:中澤氏は大山城を築いて本拠地を移します。”大山荘ゆかりの地「殿垣内」”の案内板が立つのは池尻神社前で、中澤氏が来住して最初に此処を本拠としたと推察されています。平安時代より続く東寺領大山荘の管理代官屋敷は何処に在ったものか? 支配権は弱まっていても室町中期頃までは東寺と中澤氏が支配していた地です。大山荘の中程にある波賀尾山(392m)が民族移動の際の目標とされる標山(しめやま)だったとされ、其の山麓で大山地区の中心地?・大山新付近に在ったのではと思えますが・・?。
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池尻神社はヤマタノオロチ伝説を人形狂言に仕立てた演題「神変応護桜」をあきの例祭に奉納されますが、地元での例祭・イベントの為、まだ実演を見ていません。古い人形浄瑠璃の祖形が見られるようですので、一度波意見し、その際に画像や記事の追加更新し、紹介したいものです・・・・(^^ゞ
池尻神社の丘陵部に池尻神社古墳(前方後円墳)がある事も・・・今回知ったが、藪・下草でわからない?
「此処です・此れです・・」と指呼されてもズブ・シロなので 古墳とは気付かないかも・・・・!!
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