井根山館 篠山

八上城下を走るデカンショ街道と呼ばれているR372号線は京都から丹波を抜け摂津・播磨を経て、西国街道と同様に山陽道へと繋がる基幹の京都街道です。その街道に面して旧城下(明智光秀の丹波八上城攻略で落城後、徳川の代に替わってからは城下は篠山城に移った)から北方の篠山川を渡って県道702号線に合流する直線道路は、篠山川を挟んで孤立した八上城に対峙して、明智方の向城が乱立!!していたところ。車道の中程には「八上戦国歴史街道」の石碑が建つ。
画像

篠山川を渡る橋の右手に勝山砦(ゴルフ場)、左側・道路拡張整備で崖状になった上には塚ノ山砦、勝山砦から東方へは般若寺城や宮山砦、西方には野間砦、北方には丹波には珍しい縄張りで知られる「大上西の山城」等の向城が、八上城に向って監視の眼を光らせます。そんな中 野間地区を東から囲む塚ノ山砦と、西側を囲い込む低丘陵(比高~20m程度)の南端には野間砦があるのですが、西北端で切れる丘陵部末端部に井根山館という中世?居館が県の遺跡分布図に載っていました。
画像

居館の城主や時代等・城史を語れる資料は無さそうで 城館名も字名をとって仮に?付けられているようですが、井根山そのものは野間砦の有るところ。東の般若寺城も 同じ山名で呼ばれており、井根は稲・・・一帯は古来より稲作が盛んな土地だったようで、周辺の城砦の建つ丘陵部には古墳が多く点在しています。
此のことや井根山館の遺構や規模・位置からは中世城館よりは 平安・鎌倉・室町前期頃に荘園領内の監視を兼ね、代官業務をしていた荘園領主の屋形跡だったのでしょうか? 防御設備は不十分の様ですが 幅広い土塁で三方を囲む 丘陵裾は北から西側を溝谷が廻り、崖状の急斜面 最高所は古墳のマウンドで五輪塔が祀られており、さらに急な南下部には長く緩やかな尾根を掘り切った横掘が延びています。遺跡分布図では此の古墳部を含め南側の空掘?等は館の遺跡範囲から外されているのですが・・・?野間砦・塚ノ山砦と呼応して・連絡様等、八上城付城として手が入り使用されていたのかも知れませんね???
画像

古文書の解析等研究もぜず!!、想像だけが先走る推察・想定は危険かもしれません・・・分布図の載せて有るので、調査報告資料は有るのでしょうが、目下のところ・なにもかも不明・不詳のままでの訪城レポートです。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック