物部城(高屋城)   綾部市

綾部市街地から旧加佐郡大江町・舞鶴市へ向う府道9号線沿いに走ると物部町に入る。府道沿いには何の変哲も無い平凡な田畑や民家が点在する風景が拡がり続くだけですが、犀川を隔てた西方に丸みをもった低丘陵が見えてきます。府道を離れて集落内に入っていくと屈曲する狭い道路と両サイドに並ぶ民家が丘陵麓に向って並ぶ様子は、古い市場や街道筋の面影を見せるが、城下町の風情さえも感じられる。
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低丘陵全体を要塞化した物部城(高屋城)が此処に在り、<関東御家人で丹波国何鹿(いかるが)郡の地頭職を得て、信濃国諏訪郡上原郷(茅野市)より来住した、諏訪神社神官の家系の上原氏(物部氏)が、物部郷に流れる川に出身地諏訪にある犀川の名を付け、諏訪神社を勧進して・物部を本拠地とする在地豪族となり此の地に勢力を張ります。
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応仁の乱以後:戦国時代に入ると上原氏は細川氏の信任も厚く、上原(物部)豊後守賢家も細川政元の家臣となって威を振るっていたが、子の上原紀伊守元秀も文明14年(1482)内藤元貞に替って丹波守護代となり、上原家最盛期には足利義澄を第11代将軍に擁立する等の力が有りました。・・・が上原氏は管領細川氏の威をかりての傲慢な振る舞いが多く延徳2年(1490)には、位田城を拠点に大槻氏・荻野氏等の丹波国衆が籠もった反乱【位田の乱】が起こります。
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綾部市が福知山市と接する境界付近 私市・栗・鍛冶屋・物部等へと、何鹿郡と呼ばれていた地域の綾部側に残る幾つかの城館を廻ってみました。城史不詳・城の位置や縄張り、登城の取り付きさえよくは判らない城址が多いなか、在地土豪の城として比較的知られており、楽に行けると思える古城探索ですが、城跡は荒れ・雑木や竹藪の繁みには薮蚊や蜘蛛の糸に悩まされ、まだまだ苦汁を舐めさせられます。兵庫丹波の城とは違って、藪や雑木の中でも遺構は明確 曲輪の段差・切岸・深い空掘りや竪堀・大土塁 小さな城でも見応えある城が多くて 楽しみです。
丸山城や舞鶴市との境界に約8kmと迫る地点の、高槻城(テデカ城)まで足を運んでみたのですが、ホームページへのレポート記載は、資料が乏しくて、なかなか更新アップできません。
古文書に建武4年とされる来住時期や丹波守護代となった時期等にも「位田の乱」と照らし併せてみて、少しズレがあるようです。 信用度はともかく・丹波守護代となり、位田の乱の起因をつくった上原(物部)氏の物部城から始めましょうか・・・・・・・!!

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