美宇和王と大日堂

三田市の「小野の里」を抜けて「乙原の里」に乙原城・増田館・乙原砦を訪ねました。

三田市街地からは有馬富士を左に見て、西国札所の番外:花山院の麓を過ぎると過ぎ「小野の里」に入り、此処を抜けると「乙原の里」に入るのですが、目立たないお堂が一宇有るだけの大日堂に、通りすがりに・わざわざ立寄る人は少ないでしょう。此処に「苅姫と其の子:美宇和王」の悲しいお話が、三田の民話に残されています。・・・・王子の名に注目された方には・・・・さらに興味深い伝承の中身がひつようですね・・・・!!?。
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大化の改新により立役者となった中大兄皇子 (626-671 後668年:第38代天智天皇に即位された)と中臣鎌足 (614-669 臨終の際・天智天皇自らが、大化の改新の功に対し、藤原の姓を下賜され藤原氏の始祖となる藤原鎌足)が登場するお話です。
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中大兄皇子の子を宿した苅姫は産後まもなく他界し、其の子:美宇和王も翌年には亡くなります。後年:花山法皇が其の話しを聞いて、菩提を弔ったのが大日堂です。西国三十三ヶ所観音霊場番外:東光山花山院御詠歌「有馬富士 ふもとの霧は 海に似て 波かと聞けば 小野の松風 」は 此処:小野の里 美宇和神社(美宇和王の墓石)傍に植えられた老松を詠まれたものと云われます。


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この記事へのコメント

のりちゃん
2008年11月10日 06:09
中大兄皇子の落としだねが三田におられたとは、まったく初耳です。
中大兄皇子、天智天皇って大人物なのに、各地にその足跡があまり残ってないような気がしていました。とても興味深いです。

ところで、大賣神社の見学会はどのような内容でしたか?ブログにアップされるのを待ってますm(__)m
2008年11月10日 08:33
のりちゃん どうも
むかしの三田は有馬温泉湯治中に訪れるひとも多く帝の御幸に中大兄皇子が随行した事は考えられますね。大化の改新の魁に・藤白坂で消された有間(有馬)皇子と その母・光明皇后が産後の翌年に亡くなったこと等、話が符合してきませんか?  http://www.ne.jp/asahi/tanba/kirinosato/WAKAYAMAkainan-oonosiro-docu.htm
 郷土史家中野卓郎氏の案内での大賣神社
時間無く御嶽修験との関連話が主でしたが移動中に質問した結果は・・
元伊勢・伊勢神宮との関連は否定
笠鷺神社と女郎との関連性も否定
村上氏供養碑の近くにある石船地蔵(村上氏出身地石川県石船町)との関わりも否定されましたが・・・何れも関心は示されているようで、いつかまた同じ質問を・・してみょうかな
 
のりちゃん
2008年11月11日 07:10
なるほど、温泉への御幸の途中というのは十分ありそうですね。また、光明子と藤代神社の関係は知らなかったです。藤白坂は、玉津嶋に行くにも白浜に行くにも通過点だったんですね。

大賣神社についてもありがとうございます。
素人考えは玉砕ですね(笑)

また、御嶽修験との関連話も、記事にアップしてくださいm(__)m

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