稲土城 丹波市

小稗城と共に、稲土城も山垣城を本拠とした全国足立姓の祖:足立遠政が領した稲土に、これまた小稗城と同様に単郭の砦城で、山垣城から丹波富士<大蓑山>の北に続く尾根筋の小鞍部:稲坂峠を越えて下ったところが稲土の集落。
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稲土川を渡った西の山裾に大銀杏の木が目立つ。側に石鳥居が建ち、扁額に八幡神社の文字。稲土城も足立氏一族の城主:足立修理太夫政家は山垣城から分家して此処稲土に居を構えた。小丘陵の尾根続きを堀切っただけの単郭の城?。登城口が判らず取付きとした谷向かいの八幡神社の方がズッと山城らしい風貌!!:小谷を囲んだ出曲輪だったのかも?
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稲土川を挟んだ東山裾には江戸時代中期の庄屋屋敷があって、青垣町の文化財(昭和48年(1973)7月26日)指定を受けている町家にあっては数少ない長屋門が残されていますので、銚子ヶ水とともに訪れてみてください。長屋門も所有は足立xx氏邸  足立姓の多い地区の中でも本拠:山垣に次いで多い地区なのかも?

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この記事へのコメント

ちか
2009年04月06日 16:19
アレが城なら屋敷あとは何?
お城が有った記録は有りません

さらに山ノ上なら怪しげな所有りますが
2009年04月06日 20:22
ちかさん はじめまして
豪壮で優美な近世の一国一城も、中世の土の城(御覧の様な)小さな城砦は数多く存在しています。これ等の城砦が歴史の一端に名さえなく記録は勿論・伝承もなく忘れ去られている例は数限りなく、此の城の様に市教育委員会等により城名や所在が判っていても、歴史や遺構の詳細が報告される例は少ない野かも!!。私が昨年訪れた東中城は遺跡分布地図に名は有っても違う場所に、また鴨内城は遺跡分布記禄にも無い城で仮称で呼んでいますが、今年も同様に遺跡分布図にも記録にも無い城として、柏原町には明智方の黒井城向城(陣城)や福知山市堺の尾根に中世山城を見つけました。
また城は居館とセットを考えられますが、割愛します。画像の長屋門は城主等の居館ではなく、江戸時代の庄屋クラスの建造物。
また里に近い山の山上には愛宕・秋葉・権現・稲荷社等が祀られる削平地は多いでしょう。これ等の祠が城跡の特に主郭部である事も多いようですよ。尾根の最高山頂部が城跡とは限らず途中の尾根上に築かれる例もあります。

ちか
2009年04月22日 14:29
お返事ありがとうございます

麓のお屋敷は今はうちの栗畑で残ってます

ただ城跡って誰も言いません

隣のソウジとの境のタワに怪しげな直径20メートルくらいの平坦地が有ります

ヒヨの谷、相撲場って言ってます
2009年04月22日 20:11
ちかさん・・・・どうも
地図を見ていて稲土城(砦)は山垣城と遠阪城のほぼ中ほどに位置しています。但馬へ抜けるのに粟ヶ峰を越えるには遠くリスクを負い過ぎると思っていたのですが、二つの城の出曲輪ならその任も判る様な気がします。なを稲土から山垣へ越える山道が大箕山との低い鞍部を越えず・わざわざ高い北のピーク側を捲いていますね!!。低い大箕山側鞍部付近には広い平坦地があり、厳しい租税に対し、自らを護る”隠し田”ではなかったかと・・?
惣持のあいだのタワの平坦地!!は、稲土城(砦)と小稗城を結ぶ尾根とも繋がっており、連絡の砦が在ったとも考えられます。
相撲場 とのことなら稲荷社等の神社跡・その奉納相撲が行われていたとも考えられますね?
小稗・惣持・稲土ともに須恵器・陶磁器等が出土している遺跡地。歴史に知られ・遺構の残る城跡も、麓の人には認識されていない例は多いんですよ。

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