黒井城攻め「陣城」巡りついでの二間塚古墳

長期籠城戦となった別所氏の三木城や波多野氏の八上城程ではないにしても、荻野・赤井氏の丹波黒井城を攻める明智光秀軍の向城・陣城も幾つかは知られます。黒井川を挟んで南に正対する茶臼山城・竹田川と合流する東北には伝説の小富士山城。此の二つの陣城を結ぶ中央東側に野上野(のこの)城を訪ね桂谷寺裏城・野上野城・小多利城館・小富士山城への包囲網を確認して多利から日ヶ奥渓谷 (丹波比叡:妙見山への登山口)への車道に出てきた。目前に舞鶴若狭自動車道が走り、岩峰の小多利城下トンネルを抜けていく。その先には春日小富士(小富士山城)の姿。
     竹田川の東・妙高山を背に城ヶ腰・柚津・野上野・桂谷寺裏の各城砦群が潜む
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嘗ての黒井城の城砦群も、天正3年の黒井攻め以降・城を取り囲む包囲網の線上に位置する城砦を向城・陣城として、そのまま利用したり改修されたかと思え、軍記によると十二・三ヶ所を数えます?。
二回目の黒井攻め(天正5・6年)で、多くの城は落とされ領主達は浪人となり諸国に逃れたか?、帰農したか?、光秀方に降りたか。野上野城主が赤井氏方に討たれたのも光秀方に付いていた光秀軍留守中の事なのだろうか?。小富士山城後方には、畝状竪堀を残す長谷山城(北村城)・織豊系縄張りを遺す岩倉城が在り戸平峠封鎖の陣城だったのかも。
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尾根一つ違えると、思わぬ隣の城との連絡ルートや距離の近いのに、地図を見ていても感じなかった驚きです。スタ-ト地点に戻る途中に出会うのが二間塚古墳。此の時期・雑草の覆われた低い墳丘は緑の土手・・・!!
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丹波市では少ない前方後円墳で、小ぶりながら県指定史跡です。盗掘に遭い・石室が発見されたとも伝えられる・・・程度の遺構状態。何か貴重な出土品でもあったのでしょうか?

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