田辺城の心種園

西舞鶴駅の北約500m程の位置には、石垣の上に擬似復元されている白亜の長壁と城門・隅櫓を整えた田辺城があり、何れもが内部は資料館になっています。
この田辺城に僅か500余りの将兵や城下の僧等が立て籠もり、石田三成方15000の西軍の攻撃に耐えた田辺籠城は有名で、資料館の資料も粗 此れに集約されるほど・・・・!!?
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戦いにもならず数時間程で決着がつき投降か全員討死か?・・・・と思われますが、この合戦には後陽成天皇の「幽斉は古今集の奥義を秘事口伝して継承するもので、帝の師範であり、歌道の国師である。幽斎の戦死により歌道が廃絶することは許されない・・・」との勅命を伝える使者として、三条実条 ・中院通勝・鳥丸光広を遣わして城主の開城を促し、西軍を退かせます。城主は田辺城を隠居城としていた細川藤孝(剃髪して幽斎玄旨を号した)。
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足利将軍側近として室町幕府を支えた幽斎は「古今和歌集」の唯一の秘事口伝者で、城内に於いて後陽成天皇の弟:八条宮智仁親王に古今伝授の奥義を伝えた所として築山に心種園碑が立つ。其の歌 「いにしへも 今もかはらぬ世の中に こころの種を残す言の葉」【幽斎が古今伝授証明書と一緒に智仁親王に贈った歌】
関ヶ原合戦は此の二日後におきて東軍の勝利となったが、西軍15000の兵を丹後に止め置いた細川藤孝(幽斎)も、関ヶ原に東軍参加の忠興(嫡子 丹後七姫伝説の一:がラシャ婦人の夫君)と同等の別働隊として活躍したことになりますね。

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