日吉神社の彫刻と井原城館

先日の石龕寺紅葉まつりの足利尊氏時代行列のスタート地点となる日吉神社の本殿・脇障子には丹波柏原の大工で彫刻師として丹波・播磨に多くの匠の作品を残す中井家の初代:中井言次君音の中国故事を題材とした彫刻が残されています。表題カテゴリが神社のために訪問者の少ない岩戸神社や笠形神社(神崎郡)にも中井家2・3代目の作品があります。江戸時代中期:初代:中井言次は若い頃の名か?、三代・権次正貞、四代・権次正次、五代・権次正胤が権次の名を継ぎ、六代喜一郎の代で宮津に移転して、中井家一統の柏原の時代を終えます。
中井家一統の作品の多くは市町村の指定文化財クラスなのに?、日吉神社の項に:今は無くなった?おおらかな夜の因習行事の記事はあるが、神社建築様式・彫刻、もちろん初代:中井言次の作品との記事は無く、文化財としての認識も薄いのかも・・・??
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この本殿背後の急斜面上に高さ6m程の岩盤があり、尊氏ゆかりの至山出合稲荷社(此処に遷移され)が建つ。低丘陵の尾根筋には石龕寺寺境を示す石標が埋まる。埋もれかけた堀切?から低い段差で三っ程の曲輪が最高所に連なる。7㎡程の円状の曲輪となり帯曲輪が廻り、西下にも堀切付近からのテラス状帯曲輪が延びる。
               南尾根(日吉神社側)出曲輪の竪堀?詰めの土塁の石塁?
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築城に関わる伝承や築城時期・城主等は一切不明の城館で「氷上郡埋蔵文化財分布調査報告書・山南町編(氷上郡教育委員会)」には岩屋小平古墳群として山頂部付近に二基の古墳が在った事が記されているだけです。
                北尾根の肩に広がる曲輪の一つ
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篠山川と佐治川(現:加古川)が左右から合流して南へ加古川となって流れ出る出合を望み播磨を監視し、足下の旧山陰道(延喜式)は此処から佐治川沿いの氷上回廊を、佐治や黒井へ向う。交通の要衝監視の重要地点。山頂部の他、三箇所に曲輪群を持つ。石龕寺城(岩屋城)ので曲輪・砦としての機能も考えられ、井原城館(仮称)としたが、現:下方に在る旧社寺跡の可能性も考えられるかも知れないので、専門家の調査・報告を待ちたいところです。

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