番守寺山城

篠山からR176号(明智光秀が八上城・黒井城攻めに築いた境い目の陣城金山城)の鐘ヶ坂へ向う車道から県道77号線に入って大山城(中世の丹波では珍しい平城)側から川代峡谷(渓谷)を抜け丹波竜の発掘現場を西へと流れ出る篠山川は、R175号線の山南町井原で加古川に合流します。北方の青垣・氷上町から南下してきた佐治川(現:加古川)も此処で合流し、以前は此の二つの川を併せて・此処が加古川の起点でした。
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旧佐治川沿いに北へ向うと日本一低い分水界「水分れ」が有り、黒井川・竹田川となり土師川に合流して由良川となる氷上回廊と呼ばれ太古より通行に利用された要衝の地。延喜式山陰道も当初は此処を通っていたようです。
西に岩尾城(丹波市内唯一・中世と近世の縄張り・石積城郭遺構を遺す城)を望み、旧佐治川を見下ろし、真南に篠山川・佐治川合流地点(加古川起点)を望み直近の東下をR175号線が通る。
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篠山城の他にも・丹波市の此の地に近世の城が築かれただけでも、要衝だけでなく戦略的にも重要拠点となっていたようですが、これ等を一望に監視出来る位置にあった番守寺山城については、築城時期や守将等、地方誌史等にも知られない、全てが不明の城砦です。下草藪や倒木の覆われ遺構確認も難しい状況ですが、堀切・竪堀・小さな段曲輪も在った。南面は土取りで大きく崩れていたが、昨年来より北面にも重機が入り、河川工事等の土取り作業が急ピッチで進み、既に壊滅状態。あと数ヶ月を待たずに、殆ど知られることも無かった中世城館遺構は、消滅し、その全ての歴史に終止符が打たれ、消滅する運命にある。せめて調査報告書等による資料だけでも残され、冬に逝った城砦遺構が此処に存在していた証が遺されていれば良し・・・と考えるべきなんでしょうね!!?。

この記事へのコメント

YORI
2010年01月19日 22:49
天々さん、お久しぶりです。
大変ご無沙汰しておりました。
遅まきながら本年も何卒宜しくお願い致します。

野坂の番守寺は、子供の頃からの遊び場でしたが、その頃はまさかここが城砦跡だとは知らなかったです。
そう言えば曲輪と思える箇所や堀切の面影のような地形が残っていたような気がします。

ここの城が歩んで来た歴史とはどんなものだったのか、興味が沸いてきますね。

2010年01月20日 20:28
YORIさん こちらこそ..
山城巡りは 冬枯れの今が旬なのに 中々出かけられません・・・YORIさんも今は静養中ですか? 相変わらずチンケな小城巡りで三田北神戸の昨年末は西浦城・先日は貫主山城へ行ってみました。資料によって所在が違い・そのうえ遺構は無いと云う・・築城時期も大きく異なる様ですが?西浦城と良く似た遺構を見ます。どちらも神戸市北区大沢町の城。  
番守寺山城も良く判らない城砦ですね!!。古くからの土取り場で重要な南面の遺構は消え、深い藪中の狭い尾根部の堀切・北側斜面の段曲輪や竪堀に、推察を誤る可能性がありますね。
これ等は全て壊滅。山が姿を変え城砦が在った事さえ推察出来なくなった時点で消滅。いずれにしても元に戻せない、誌史等に存在すら認められず・知られざるままに歴史を閉ざす遺跡です。
井原・日吉神社本殿の脇障子は中井家の初代:中井言次君音の彫刻ですが、知る人は少ないでしょうね。此の背山に井原城館が在る事も・・!! 

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