貫主山城 神戸

三田市郊外と神戸市北区境の大規模スーパー+アウトレット・ストアへ新春の買い物に出掛けたついで・昨年末にも立寄った西浦城近くの近世居館跡(詳細一切不明・名称も北区No120近世居館)の所在を再度探して出かけてみた。藩政時代の陣屋・代官所跡とも思われますが、遺構や立地所在の詳細を知らない。
          主郭の西尾根側に続く4~5段の曲輪
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近世の居館跡と、中世の西浦城(伝承も残る室町時代末期の城)の他にも、県遺跡分布地図をチエックしていくと、近くには貫主山城が在った。ただ摘要・備考欄は空白のままですが、「郷土の城ものがたり(兵庫県学校厚生会)」の巻末には、此の位置より北西に境する大沢町簾に神主山城が載せてあって南北朝期!の築城とあるが、遺跡分布図の空白地帯で、此処に遺構は無いという?。
                主郭東の堀切と空掘
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貫主山城への取付き点に選んだ天満神社に由緒案内板があり「昔・此の村に住んでいた祇園左近太夫が、無数の梅ノ木が生え・一斉に開花するという霊夢を見て、其の場所を社地として京都北野天満宮の御分霊を祀ったと言う」
・・・貫主(神主)山城の名といい・祇園姓といい此処が祇園社(京都八坂神社)の社領で?、荘園管理の下司職にあったものが祇園姓を名乗って平安期~南北朝期頃に居たものか?。
出自は不明ながら有馬甚五郎の居城ともあり、其の後:中世期に赤松有馬氏の有馬甚五郎なる人物が現れてきたものか?。遺構なしどころか・西浦城に残る低いが直立する切岸・曲輪は広くなく細長いが、尾根を挟んで大きな空堀状?が二つ。浅いが堀切もあり尾根東端は出曲輪と思える神社跡、貯水池になっているが屋敷跡らしい段曲輪・・・播磨守護:赤松氏の本拠地と京・丹波・摂津を結ぶ街道筋「赤松峠」も近い 

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