西河原城

日本一低い中央分水界として知られる丹波市氷上町の水分れ公園を起点に、扇状に嶺を連ねる向山連山は、マイカー登山では起点から起点に戻ってこれる理想的に縦走出来き、展望が効き・なによりも春のヒカゲツツジの群生に、阪神間の登山者には人気の山の様です。
     今朝の雪の山城(石生西河原城)に立つ:主郭?の分水界展望所と土塁の残欠
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此の縦走尾根コース上に在る四ノ山砦(仮称)を先に紹介しましたが、以前より城の存在が知られていながら殆ど照会される事も無かったため、当初:石生城(仮称)としてレポートしていが、県の文化財分布地図に・石生西河原城の名称で載せてあるのを見てホームページ内のリンク等関連箇所の城名を修正した。
      分水界展望所:北尾根から氷上盆地(ガンジョウジ城・穂壷城等)の眺望
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本日【2010年2月6日】:四ノ山砦をT氏・M氏に案内する予定でしたが、明け方から降り出した積雪<ここ一ヶ月程は積もる程の雪はなかったが>の為、登山ではなく遺構調査が目的なので早朝には残念・・・雪の里山を歩く機会は余りないので、此の西河原城を覗いてみようと出掛けた。扇の要から扇状地の中央部へと延喜式内社:いそべ神社前からの林道を進む。
       尾根続きを二重堀切で遮断する
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皇室領だった石負(いそう)荘<現在の石生>は承久の乱(1221)で幕府に没収されたが、後に返され室町時代初期まで皇室領だったらしいが、 応永31年(1424)知行していた中御門中納言宗宣も死去により返却されたが其の後は不明。在地国人によって横領されたとみられます。元亀2年(1571)の古文書に・柏原八幡宮護摩堂への寄進状があり赤井氏の先祖ともされる芦田(赤井)源太兵衛直家が武運長久、子孫繁栄を願って自分の領地・石負荘塚本の田を寄進する】とあり、芦田氏が領有しており、 芦田氏一族の山城であったとも推測できます。

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