千原城 福知山

旧加佐郡大江町に千原(せんばら)城があり、旧天田郡夜久野町にも千原(ちはら)城が有る。旧加佐郡と福知山市を中に挟んで東に旧天田郡三和町・西には旧天田郡夜久野町があり、加佐郡と二つの天田郡??が近年共に福知山市に統合合併されたが、福知山市も元々は天田郡のなかの一町村。
    千原城:主郭を巡る土塁・正面の大土塁が、大堀切の切岸をさらに高くして防備する
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兵庫丹波市からの夜久野町千原は、遠いようですが・古来より青垣町遠阪からは千原峠を越え間道が通じており、峠には道標石仏が立つ。なによりも此処には手掘りのトンネルが存在し、双方からの山道も広くてよく利用されてきた生活道路。天正7年丹波黒井城攻めの明智光秀の援軍として若狭方面から侵攻した羽柴秀長軍は、但馬朝来市方面から遠阪峠を越えているようですが、むしろ大軍は・行程を大幅カット?でき、高低差も低く楽な!?下夜久野の千原から奥山川沿いの千原越えではなかったかと推察しています。
        千原城:二ノ丸・三ノ丸を幅広の空掘りが城域を二分する
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其の千原の公民館背後:低丘陵上には「丹波志」古城の項に記される千原城(愛古城)が在りました。しかし地方誌史には「城では無い・・だとすれば居館・・」とさえ云われる城跡ですが、大空掘・大堀切・主郭を廻る土塁線・高い切岸・虎口遺構さえ見せる残存状況からは、比定された城が他に有るのかとも思えてきます。福知山市遺跡分布地図に千原城と扇山城及び城跡として記載は無さそうですが、近場に城遺構を残す無名の城砦を含め、車道を隔てて残る三城を訪ねてみました。「丹波志」に千原城主は奥州(岩手県)衣川より中世末期:関ヶ原合戦前後と思われますが来住した衣川下総守の居城と云い、寛文5年(1665)12月に卒したという。来住の経緯や・それ以前に存在していた城砦遺構が改修されたか等の詳細は不明です・・・。

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