高倉山城 播磨

兵庫県の西端中央付近・岡山県に境して、播磨・美作・備前の三国の接点は、鳥取・津山・赤穂を結ぶ要衝の地。因縁の播磨の赤松氏VS但馬の山名氏や、出雲の尼子氏VS中国の毛利氏が、更には織田信長の中国攻めの先陣として、秀吉軍が赤松氏の拠る上月城を攻略し、上月城に入った尼子氏を毛利氏が大軍で包囲、尼子氏救援に向った秀吉軍は、大軍を前に手が出せず、信長命により攻略中の三木城攻めに専念する為引き返す。
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見捨てられ無援の中で、孤軍奮戦も束の間、尼子家の再興を賭けての悲願は叶わぬままに尼子氏は滅亡・忠臣:山中鹿之介は捕らえられ、護送中に殺され、領主のいない?要衝の地は他国の部将達が夫々に前線基地としてその攻防に明け暮れた合戦の城・上月城を訪れ、続けて天正5年~6年にかけて、羽柴秀吉軍の向城・陣城となった仁位山城から高倉山城に向いました。
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ブログに最後となった高倉山城は、天正5年頃は福原城主:福原則尚(のりひさ)の娘婿福原主膳助就(すけなり)が守将として居城していたと云われます。上月城攻めで其の先鋒を務めた竹中(半兵衛)重治と黒田(官兵衛)孝高により、福原城・高倉山城は落とされ、其の後に秀吉の本隊が仁位山城・高倉山城に向かい、高倉山城に秀吉の陣を置き、翌天正6年にも尼子氏救援に向った秀吉の陣城です。



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