浄福寺砦 丹波市

日本一低い谷中分水界「水分れ」からは西に平野が拡がり氷上盆地を加古川に流れ出る。北へも黒井盆地に向かう黒井川が竹田川となり由良川へと流れ出る。氷上盆地と黒井盆地を分け霧山から南へ延び出す尾根先に城山(ガンジョウジ城・向山城、西波多野氏の居館とも云われる)があり石生・横田地区集落内に落ちる。
   石生平野中間部を走るR176バイパス道から(水分れ公園~西の穂壷城まで約2.2km遮るもの無い平野部)
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此の丘陵尾根と、水分れ公園側・向山連山の丘陵に挟まれた約700m程の谷間が、黒井盆地西南部の玄関口。氷上郡・天田郡(福知山市)や何鹿郡(綾部市)の三郡を領した赤井(荻野)直正の本拠:黒井城の咽喉元に迫る攻守共に最重要地点。明智光秀の”丹波攻め”第一次黒井城攻めの天正3年(1575)、柏原八幡神社の本陣に光秀・石負(石生)砦に妻木範賢、竹田や栗柄峠方面からは波多野秀治・二階堂秀香(秀治の義弟)らにより総攻撃が開始されたが、秀治の寝返りに明智方は惨敗・光秀が鼓峠を越えての敗走は真相はともかく「赤井の呼び込み軍法」で良く知られるところです。
    南郭部の細長い曲輪は左右は、段差は1~2m程だが切岸は明瞭・・
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柏原・石生方面からの侵攻を意識した黒井側城砦や、明智軍の向城が殆ど見当たらないのは疑問?。氷上郡埋蔵文化財分布調査書(氷上郡教委)の町別に氷上町だけが、先に文化財資料等が発刊されており、此の調査書発行がないのも残念。西河原城だけが最近?のWeb分布地図に記載はある他は一帯が城遺構の空白地帯。
黒井城攻め(天正3年第一次)の際:妻木範賢の石負(石生)砦も特定されていないと思いますが?、柏原本陣に近く街道筋の山際沿いで黒井盆地の狭い西南入口に迫る要衝に近い浄福寺砦<仮称>は比高20m足らずで、尾根上に数段の平坦地形が有るだけで、山城遺構の土塁・堀切・竪堀等を見ないので、明智方の将兵駐屯地・最前線の向城だったとおもうのですが・・?。

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