若狭・高浜城 

舞鶴市に境する福井県最西端の大飯郡高浜町。若狭湾に突出す東側の大島半島には大飯原子力発電所 ・西の内海半島は其の先端に高離250mを越える大断崖が続く音海断崖が有る。此方にも関電の高浜発電所・PR館が有る原発の町ですが、二つの半島に挟まれて美しく澄んだ高浜湾のほぼ中央部・JR小浜線の若狭高浜駅の北 ・海岸線に突出す小さな半島全域を包み込んで城山公園が有る。
            高浜城本丸と櫓台
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公園内の三角点と展望台の有る岬側には明鏡洞が有り観光スポットとしてよく知られますが、城山荘側背後の城山には遊歩道が整備され山上に灯台が有り、北に降ると岩肌を濯う岸壁・岩山・岩礁の海岸は海釣り公園。山頂部一体には若狭守護武田氏の重臣だったが、応仁の乱以後:守護武田氏との確執から、高浜に入っていた逸見氏は幾度か守護:武田氏に対し叛乱を起こし、都度に落城しています!!。本拠の砕導(さいち)山城に籠るが攻略され、永禄8年(1565)再起を約して新たに築いて本拠城としたのが高浜城で、若狭に初めて築かれた平山城(海城?か水城か?)伝えられます。
    濱見神社(祠)の建つ主郭西の切岸と斜上する虎口?部や、此の先にも石積み石材が散存する  
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永録10年守護竹田義統が死去し元明が継ぐが朝倉氏に拉致され一乗谷に軟禁されると昌経は、上洛を果たした織田信長に付き、後も織田家臣団の若狭衆筆頭として仕え、 各地を転戦していたが、天正9年(1581)逸見昌経の死後:継子無く断絶したとされ、違領は高浜城に入った丹羽氏の重臣:溝口秀勝と武田元明に分配されている。以後も目まぐるしく城主は交代する。在城期間は僅かながら山内一豊がよく知られるところです。水軍逸見氏の海城・水城の雰囲気はあるのですが、現状の城遺構の大方は・逸見氏以降の織豊系の城か?。縄張の特性に織豊系は感じられないが、小さな石材が散在する石積みも逸見氏以後の城主による補修・補強と思える!!??。

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