八百比丘尼伝説

海中の蓬莱国(竜宮)から土産に貰ってかえった 「人魚の肉」を食べた娘は、幾歳になっても若々しさと美貌気品が漂っていたという。不老不死の身体になった娘は120歳の時:剃髪して(比丘尼姿 )となって諸国巡遊の旅に出掛け、此処に50年・彼方に100年と止住して神祠仏閣を建立修造し、道路を開き橋を架け、時には五穀豊穣・樹木繁茂の技術を教え、人々に神仏への信仰と、正しい人倫道徳を説き導きましたので、 いたる所で敬慕尊崇を受けられた。第102代:後花園天皇の宝徳元年(1449)7月・京都清水の定水庵で、姫は諸国巡遊の旅を止め:故郷若狭国に帰られ、後瀬山中の神明神社の傍に庵を建て暮すが、八百歳になった頃、空印寺境内の大岩窟に静かに入定された。福徳長寿を願い、諸病平癒諸願成就を祈り加護を念ずる人々の信仰が今なを息づいているともされます。
現地:八百比丘尼入定の地 小浜市案内板 を参照)
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全国各地に同類の内容で伝承されますが、いずれも若狭小浜の空印寺境内にある洞窟に入定して最期を迎えている様です。単なる伝説も全国的に似た話があると、時代背景や人為的・民族的な種々切口で分析してみたくなります。知らず犯した罪・人肉?を食した等のタブーを冒した罪・・人々の心に秘める雑多な罪・数多くの煩悩・穢れを取り除きたい・・・等々。
全国に熊野信仰を広めた熊野比丘尼・歌比丘尼同様に、八百比丘尼もまた女性出家信者の宗教宣伝活動として発生したものか?。宣伝シンボル・マークが"白ツバキ"か!!??。諸国を勧進して廻わり同様の伝承が残ったのではと思えてきます。
場所は空印寺の地図を参照 記事は ホームページ「丹波霧の里」こ小浜城を始めとして市内の歴史散歩にアップ予定です。(寺社・古い町並み・比丘伝説に基づくマーメイド像)等は、見残しの後瀬山城・湯岡城・丸山城訪城を機会に・・・・UP出来ればよいのですが

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