桑原城  三田市

クワバラ クワバラ・・・と唱える雷除けの共通語が 此処:三田市桑原の欣勝寺にも”寺宝:大蛇の頭”と共に伝説・伝承が残されています。欣勝寺の東・感神社背後から北方へ比高40m程の低丘陵が続く。遠目にも高低さを感じない台形の山容の中に桑原城(大浪山城)が在りました。
  中郭東側の仕切り土塁<中程が突出して横矢掛けを可能にしている!!>と空堀(主郭側から)
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南北朝期:摂津中嶋郡・有馬郡を領していた赤松則村(円心)の子:氏範は、一族・兄弟が北朝方にあったが、ひとり南朝方に与(くみ)して戦い、三田城を基城として、その子に大浪山城(桑原城)・蒲公英城(道場城)・福島岡山城(東野上城)・船坂城を築いて三田城の警護を固めています。
中郭東側の空堀・仕切り土塁の南端に短かく急な竪土塁が付くが、此処も石積みを見る
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永徳3年(1383)山名 ・細川の軍勢に追われた氏範は播磨清水寺に一族共に自刃して滅亡します。桑原城には室町末期:桑原左衛門が居城したが、摂津を平定した有岡城(伊丹城)荒木村重が、三田に侵攻して有馬郡を平定していきます。
  中郭西側の空堀・仕切り土塁にも石積み(主に中央部が凸状に突出す部分)を見る
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三田赤松氏の諸城を落とした荒木氏が、有馬赤松氏の蒲公英城を監視する為に・また本拠:三田城攻めの付け城として改修したのか、更に荒木氏が信長に背いて三木城別所氏に付いた際、信長軍が三田荒木氏の城を包囲した付け城に、神戸市と三田市境の蒲公英城や立石城や宅原城を改修して使用されたのかも?・・・立石城も再訪する必要がありそう・・



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