垣屋・一枝城 篠山市西紀町
宮田の篠山市西紀支所で県道97号(丹南三和線)を北上西谷城下を抜け宮田川沿いの盆地を遡り垣屋集落を目指す。西多紀アルプスの鋸山の峰々を背に:宮田川に延び出した丘陵尾根先端の小山に一枝城がありました。城郭資料一般の垣屋城は此の一枝城を指している様です。が、地元:垣屋の絵図案内では此処を一枝城、西に同様に流れ出た・八幡神社背後の尾根上に堀切だけ!!を遺す山城を西ケ谷垣屋城と示されています。
先ずは垣屋一枝城へ。10年ぶりの再訪ですが、殆どWebサイトに登場しない小城ですが、辻富士(飛曽山)を望む篠山市辻の淀山城を本拠城の波々伯部氏が足利氏に仕え、建武4年(1337)地頭職を得て、遠く離れた宮田荘にも一族を配して垣屋城を築いたとされます。応安年間(1368-75)には山名氏に、明徳の乱(1391)に山名氏が守護職を失い、代わって細川氏が再び守護職となり、応永年間 (1394-1428)頃には細川氏の傘下に組入れられるが、其の後衰退していく経緯の詳細は不明!!。
二段下の帯曲輪切岸下から最上段の主郭部を望む宮田荘内には・先に示した数少ない?丹波山名氏の内場山城・西谷城?・板井城が在り、その関連・動向に衰退の因が隠されているのでしょうか…!? 一枝城側の山麓に屋敷跡と思える数段の削平地が拡がり、城主波々伯部孫四郎一族の墓所とされる室町時代末期の宝篋印塔や五輪塔の残欠がある。ここから堀切・土塁・主郭を捲く帯曲輪・短いが竪堀跡も見られるが下草・矢竹・笹竹が覆う猛烈な山城に登る。
先ずは垣屋一枝城へ。10年ぶりの再訪ですが、殆どWebサイトに登場しない小城ですが、辻富士(飛曽山)を望む篠山市辻の淀山城を本拠城の波々伯部氏が足利氏に仕え、建武4年(1337)地頭職を得て、遠く離れた宮田荘にも一族を配して垣屋城を築いたとされます。応安年間(1368-75)には山名氏に、明徳の乱(1391)に山名氏が守護職を失い、代わって細川氏が再び守護職となり、応永年間 (1394-1428)頃には細川氏の傘下に組入れられるが、其の後衰退していく経緯の詳細は不明!!。
二段下の帯曲輪切岸下から最上段の主郭部を望む宮田荘内には・先に示した数少ない?丹波山名氏の内場山城・西谷城?・板井城が在り、その関連・動向に衰退の因が隠されているのでしょうか…!? 一枝城側の山麓に屋敷跡と思える数段の削平地が拡がり、城主波々伯部孫四郎一族の墓所とされる室町時代末期の宝篋印塔や五輪塔の残欠がある。ここから堀切・土塁・主郭を捲く帯曲輪・短いが竪堀跡も見られるが下草・矢竹・笹竹が覆う猛烈な山城に登る。


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