垣屋城 篠山

城郭資料やWEb上の城砦所在のリストに載せてある垣屋城は一帯の丘陵南東端の高坂川が宮田川に合流し、此れ等を濠とする小山上に一枝城が示されている様ですが、丘陵西に突出すもう一本の尾根上にも城遺構が遺り、地元のバス停のある絵図案内には西ケ谷・垣屋城
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二つの城址の間には、小さな枝尾根(・・から派生する孫尾根?)があり、中腹に秋葉社が祀られている。此の秋葉社の枝尾根両麓に屋敷跡らしい平坦地が数段残る。一枝城側には宝篋印塔や五輪塔の残欠が、西には建久元年(1190)平家(新田氏)の末孫:波々伯部孫四郎が一の谷より逃れる途中、岩清水八幡に詣で加護を受けたので、此処に創建したと伝える八幡神社が建ち、間の谷間に屋敷跡?、石積みを見る谷奥は廃寺:安養寺跡と云われ、背後を鞍部につめると、垣屋西ケ谷城の北:尾根側末端部の堀切に着く(道などありません・・・が!!)。
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堀切から南端へ尾根を降った末端丘陵端には西ケ谷古墳(一号墳)があり、北上する県道は栗柄峠で、丹波市春日町へ、直進すると鼓峠を越え本郷・草山へと福知山市三和町方面に抜ける街道筋監視の見張所に使用されたのかも・・? 栗柄と鼓峠にむかう付近は短い区間に二つの谷中分水界が有り、また二つの峠は・丹波黒井城攻めの際に、明智光秀が八上城:波多野氏に背かれ九死一生の思いで京都側へ敗走した道でもありました。
  
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