"竜のうろこ"伝説 猪名川町

篠山市側から久しぶりに県道12号線を後川(しつかわ)に出て、「猪村」~大野山登山口の西軽井沢を南下して猪名川町へ抜け、杉生城を訪城の際・取付き地点として景福寺に向かった。
「後川越え」は八上城主波多野氏が嘗て三田北部を統治していた事もあり、明智光秀が八上城を包囲した篭城戦には、三田側から援護の兵糧米を運び込んだルートで、首塚や種々の悲話が三田・篠山両市に残されます。三田市には永澤寺があり、花の寺として有名ですが、足利幕府管領:細川頼之が後円融天皇の勅願を受けて建立された寺であり、崇敬される開山・開祖の道幻禅師により、摂津・丹波地域には曹洞宗に改宗の寺院も多いようです。
    景福寺から杉生城を目指す(正面丘陵)
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道幻寂霊禅師は「子育て幽霊や飴買い幽霊」伝説の中に、幾例か伝えられる土中出誕の僧として、また”三田の民話”の中に、禅師の説教を聞く竜女が「元の姿にかえりたい・・」と懇願、禅師の呪文に・竜の姿に戻り、苦しみから解放されたお礼にと残した竜のウロコを一枚残し、どんな旱魃にも雨が降る”雨乞い”伝承の”竜のうろこ”が伝えられます。この竜のウロコは永澤寺開山2年前の南北朝期:応安3年(1370)多田荘杉生(猪名川町)に憩止された際・領主平尾越中守(多田源氏・源満仲の後裔と云われる!!)の別邸を寺として創建され、平尾氏の法名から景福寺と呼ばれる。この寺に”竜のうろこ”8枚有ったと伝えられており、その内の一枚が三田:永澤寺の伝説となっているようです。
    定星寺は六瀬氏<平尾氏>の居館跡か? 右上の丘陵末端部が若城への登城ルート
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景福寺は天正の動乱の頃には姫路に移り、更に藩主のお国替えで岡山・鳥取へと移り、曹洞宗四景福寺と称され、鳥取には黒田孝高・長政に仕えた猛将:後藤又兵衛の墓がある。赤松氏の麾下にいた後藤又兵衛の父は神崎郡福崎の春日山城城主、播磨攻めに秀吉軍と戦った筈だが!?、播磨攻め~中国攻め~鳥取への又兵衛の足取りや景福寺の関連?は・・未だ調べてもいない。それより城史の情報が殆ど無い杉生城と南山裾に空堀遺構を遺す?定星寺居館について、取りあえずレポートを急がなくっちや‥

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