城ヶ谷砦 神戸

神戸市西区櫨谷町福谷は県道65号線と県道52号線が交差する”中村”と呼ばれていた西国街道の要衝の地に在る。交差点を挟んで南北約1km内には、赤松氏一族・衣笠氏の本拠城:端谷城の城塞群として、福谷城と城ヶ谷砦(大神城)が築かれていました。
    城ヶ谷砦?(構居)主郭の東端切岸と空堀(内側も高い土塁が東~南側の二方を囲う)    
画像

いずれも築城時期や城主・城史は不明ですが、衣笠氏の端谷城と共に盛衰し、天正年間:織田信長の”天下布武”の号令のもと羽柴秀吉の「播磨攻め」には、秀吉に帰順するなか、淡河城(淡河氏)・福中城(間嶋氏)等と共に端谷城最後の城主:衣笠範景は、三木城別所長治に与し、秀吉勢によって天正8年落城の道を辿ったのでしょう。福谷城は福谷(中村)を正面眼下に収める要衝監視には適地の高地に有って、片堀切(竪堀)や枡形の土塁虎口状遺構さえ遺していますが、遺跡地図に城名は記されていない?。
  城ヶ谷砦?主郭内側は東面の高い土塁(5~6m程!!)から南面を西へ低くなりながらも土塁で延びる
画像

一方城ヶ谷砦は幅広く長い平坦な丘陵上の東方に切岸高く空堀(大堀切)で東西に郭を分け,西郭は空堀側の東端に大土塁(約5m程)、東端から南面を西端へは高さを落としながらも土塁線を延ばす単郭は、曲輪端南北を山麓の池に急斜面の落ちる自然の切岸・・砦と云うには大規模。比高約20m足らずで居住性も高く居館(構居)か?。空堀の東には更に広く長い(60m以上・城域と思えず途中で引き返したが途中に手堀の井戸跡?もある)平坦地形が続き、大部隊の兵の駐屯地を確保した陣城の様?。最初に取付き目標とした「水道局福谷中配水所」裏手の西端部は:旧道とは一変した県道65号線のバイパス工事の影響を大きく受け改削され、曲輪と思える20x30m程の平坦地は、荒廃した資材置き場跡の様。城跡発掘調査の報告書を知らないが、城史が解明出来そうな発見には期待したいものです。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック