吹出城 篠山市

篠山城の南東約2.5km・東吹地区に東城山(289m)がある。八上城主;波多野氏被官の一人:井関秀次とその子:三之丞(天正期の明智光秀による丹波攻めに落城した最後の城主)が居城する吹城(東吹城・瓢箪丸)が在りました。城の南裾を372号線(デカンショ街道・京街道)が走り、西山裾は篠山市街地への分岐点・交通量の多い繁華な通りに面していながら、竪堀群・土塁・空堀・堀切と高く急峻な切岸をもつ主郭側切岸よ、奇跡に近い状態で遺構が遺る。
      吹出城主郭西面の帯曲輪の切岸
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此の吹城から北へ延びる尾根筋は、末端付近で比高20m程の低丘陵となって、地区道を割って・北正面に篠山川を望む河川段丘となって終える。地区道を挟んで<旧多紀郡遺跡分布図と県埋蔵文化財の行政地区マップには、其々に一城館遺跡として載せてある>茶屋敷と吹出城がありました。二城館ともに居館であると同時に、八上城攻略に際してのものか・陣城・向城として使用されたのではと考えられる縄張りに、改修されている様にも思えます。
       主郭南端の土塁から東帯曲輪へ延びる仕切土塁
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吹出城が吹城の出城・出曲輪の意味で、茶屋敷は之も居館であったところから名付けられたものとは思えますが?、其々・主郭下段の二方向にある帯曲輪・腰曲輪から望む位置からは、吹城を攻める陣城として、落城後は八上城包囲網の一つとして、摂津・播磨方面からの東玄関口の監視・警備、篠山川を挟んでの北方は氷上郡(丹波市)側から、佐仲峠や鼓峠を越えて西紀方面からの侵攻に備えた監視位置として、改修されたものと思えます。
       赤池を挟み左に茶屋敷・右の丘陵に吹出城
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二つの城館の間を、東吹から吹上へ抜ける地区道が通るが、溜池の「赤池」は今の時期(冬季)名前の示す通りオオアカウキクサ(国と県の絶滅危惧類に指定されている)が、水面を覆い尽くして繁殖し赤池となっています。とはいってもアップに耐える容姿で無い事は丹波市で実証済みなので割愛!!‥

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この記事へのコメント

イッシー
2011年04月24日 19:56
天ヶさんこんばんは!毎日ブログを見て勉強させて頂いてる猪名川のイッシーです!この吹出城跡は今年の2月に行きました。本当に見つけやすい城跡でした!丹波市や篠山市の山城跡は本当に大好きです。自分が一番好きな城跡は丹波最大の山城要塞の八上城跡です!黒井城跡も見応えがあり雲海に巡りあえて最高でした!池田市八幡城跡には来月に訪問調査したいと思っています。これからもよろしくお願いします。
2011年04月24日 22:45
イッシーさん 何時もご訪問・またコメントありがとうございます
吹出城は県の遺跡地図にも載せてありますが、池と吹出城とは道を隔てた向いの比高10m程の小さな丘にも・規模が少し小さな城館が在りますが、寄られましたか?。同遺跡地図には空白ですが、曲輪や切岸は明確に残り、何より篠山川の対岸:飛びの山城と呼応し、篠山(京都)街道を望み・西紀方面や八百里城等東北から玄関口を監視するにも、本拠・吹城(瓢箪丸)の居館とするにも尾根端に位置する適地です。吹出城も居館だったのかも知れませんがは現状:西の広い帯曲輪や南の尾根続きを堀切らず、浅い空堀虎口状からは網掛城同様に吹城包囲の付城だったかも、更に東の高い段曲輪(帯)からは八上城の付城として、篠山盆地西口の監視・押さえともなっていたと思えます。

八幡城の探索 より良き成果が有りますこと
お祈りいたします。城名が八幡大菩薩を祀った事に起因するなら多田源氏・池田市等が崇敬した八幡神社が在ったところ・其の神護寺であった寺をも調査要なのかも知れませんね。

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