日置城 福知山
福知山市夜久野町の千原やR9号線・牧川沿いの諸城を昨年の同時期に訪ねたが、今回:神谷城から日置城を廻った。山を観れば山城が判ると豪語され・殆んど知られることもない無名?の山城をライフワークとして、夜久野周辺の城砦群を隈無く攻め終えられている城フアンの方でも、日置(へき)城は未訪の様です。
日置城南郭(主郭)切岸と南曲輪
山城としては何故これ程までに?里からは余りにも遠く・峻険な山上に在る日置城ですが、標高(329m)でも劣る無名の峰々は登山対象としても魅力が無いのか?、「山あそ」(島田)さんの数年前の登山レポートを見るだけです。日置城(後述)の位置は北方に基幹の要衝・山陰道を望み、南麓を千原峠に向かう山道は丹波市遠阪に至る間道。
主郭から副郭(北郭)へ続く段曲輪と堀切
天正7年(1579)明知光秀の”丹波黒井城攻め”援軍として駆けつけた羽柴秀長の大軍は、遠阪峠を越え侵攻してきた事になっていますが、若狭・方面から福知山市経由・夜久野から但馬朝来市側に回り込んで遠阪峠を越えるには・あまりに遠廻りの上・高く険しい峠越えです。由良川沿いに牧・山越えで山陰道上川口や下夜久野に出れば、牧川を渡り・千原から千原川沿いに日置城麓の末に至り、千原峠(注:千原峠は二本あるが朱銀の奥山433m東鞍部・時代は不明だが手掘りトンネル<”やまあそ”さんのHPに画像あり>が遺る)を越え遠阪峠の南入口(北近畿自動車道遠阪IC)付近に出る。
北郭(副郭)からの主尾根側上に二重堀切
黒井城主:赤井(荻野)直正の領地でもあった天田郡(福知山市)の諸城は落され領主等は帰順して・千原の諸城や日置城は、千原川沿いに進む羽柴秀長軍の氷上郡(丹波市)への先導役を果たしていたものか!!?。近年まで地区生活道として利用され、丹波市・現:福知山市の姻戚関係等の交流もあった千原峠なら、半日は行動時間が短縮できそうです。
副郭(北郭)から北枝尾根直下の段曲輪と土塁道(上り土塁)
日置城へ牧川沿い額田から末への峠越え谷筋を選んだが、崩壊した山道・両斜面の崩れた土砂・谷を埋める倒木と雑木・湿気た足下にはマムシの蜷を何匹か見かける。道が有ってもトテも越せそうにない激急登の斜面を鞍部に出ると快適な登山コースで、大規模城郭の日置城中心部までは約400m。露岩混じりの急登・高い切岸(5〜10)・枝尾根にも延びる曲輪群へも堀切・二重堀切・土塁・櫓台状のマウンド・上り土塁や竪掘(枝尾根先に一条)を見る。調査報告書等の資料を見る機会が無いので詳細を知らない。これ程の山城に築城時期・城主や築城目的等の城史不明は残念。 下記のウエブリマップの”周辺マップ”クリックで夜久野町の諸々の城と位置を確認してみてください
日置城南郭(主郭)切岸と南曲輪
山城としては何故これ程までに?里からは余りにも遠く・峻険な山上に在る日置城ですが、標高(329m)でも劣る無名の峰々は登山対象としても魅力が無いのか?、「山あそ」(島田)さんの数年前の登山レポートを見るだけです。日置城(後述)の位置は北方に基幹の要衝・山陰道を望み、南麓を千原峠に向かう山道は丹波市遠阪に至る間道。
主郭から副郭(北郭)へ続く段曲輪と堀切
天正7年(1579)明知光秀の”丹波黒井城攻め”援軍として駆けつけた羽柴秀長の大軍は、遠阪峠を越え侵攻してきた事になっていますが、若狭・方面から福知山市経由・夜久野から但馬朝来市側に回り込んで遠阪峠を越えるには・あまりに遠廻りの上・高く険しい峠越えです。由良川沿いに牧・山越えで山陰道上川口や下夜久野に出れば、牧川を渡り・千原から千原川沿いに日置城麓の末に至り、千原峠(注:千原峠は二本あるが朱銀の奥山433m東鞍部・時代は不明だが手掘りトンネル<”やまあそ”さんのHPに画像あり>が遺る)を越え遠阪峠の南入口(北近畿自動車道遠阪IC)付近に出る。
北郭(副郭)からの主尾根側上に二重堀切
黒井城主:赤井(荻野)直正の領地でもあった天田郡(福知山市)の諸城は落され領主等は帰順して・千原の諸城や日置城は、千原川沿いに進む羽柴秀長軍の氷上郡(丹波市)への先導役を果たしていたものか!!?。近年まで地区生活道として利用され、丹波市・現:福知山市の姻戚関係等の交流もあった千原峠なら、半日は行動時間が短縮できそうです。
副郭(北郭)から北枝尾根直下の段曲輪と土塁道(上り土塁)
日置城へ牧川沿い額田から末への峠越え谷筋を選んだが、崩壊した山道・両斜面の崩れた土砂・谷を埋める倒木と雑木・湿気た足下にはマムシの蜷を何匹か見かける。道が有ってもトテも越せそうにない激急登の斜面を鞍部に出ると快適な登山コースで、大規模城郭の日置城中心部までは約400m。露岩混じりの急登・高い切岸(5〜10)・枝尾根にも延びる曲輪群へも堀切・二重堀切・土塁・櫓台状のマウンド・上り土塁や竪掘(枝尾根先に一条)を見る。調査報告書等の資料を見る機会が無いので詳細を知らない。これ程の山城に築城時期・城主や築城目的等の城史不明は残念。 下記のウエブリマップの”周辺マップ”クリックで夜久野町の諸々の城と位置を確認してみてください




この記事へのコメント
山城遺構か 山仕事用の施設か 古ければ山岳寺院跡・・市の遺跡分布地図に山城跡を見つけて出掛けても 地図や山城名が間違っている事、間違った場所が記されている事や、コメントが古墳や遺跡分散地の説明になっているミスもありますが、頼りが此の資料だけの場合が多くて・・・
新発見の城遺構では 城郭知識の勉強不足が恨めしくなること頻りです。
今回の福知山市内に荒神山城〜切岸山城をUP予定ですが、遺跡地図にない空白地帯の中間部に大きな堀切・削平はあまいが(荒廃・崩壊によるものか?)広い平坦段が有りました。肝心の城域には近世の改修・造成による平坦地か、遺構と判断出来そうなものは山麓の墓地公園に見るだけ!!?
ブログや HP内での …!!? マークが自信の無さを表しているんです