後川砦 篠山市後川上
いつもコメントを戴く猪名川のイッシーさんからのお誘いで丹波篠山市側から県道12号線(川西篠山線)を古阪峠に向かう。古阪峠を城東トンネルで抜ける丘陵上に後川砦がある。後川中の丘陵上に城遺構あり…で!!其の探訪が目的でしたが、
人為的な石礎檀はあるが祠跡か?、城砦遺構は見逃したか?見当たらなかった。此の東側尾根へも一旦下り林道からの急斜面を突き尾根先に出て、そのまま丘陵尾根伝に後川砦を目指した。いずれの尾根筋も眺望は殆んど望めないが登山なら快適なルートです。以前は古阪峠(城東トンネル)から、今回は尾根筋を同じ暑い7月に再訪となった。単郭の小規模な砦規模の城郭ですが石積遺構が残ります。西方・北方へ延びる尾根筋以外は激急斜面、曲輪内は削平状態も悪く、低段差で区切られている筈の曲輪境も崩れ・荒れ邦題だが此の状態が5年前と立木の数や状態・落ち葉の堆積状態まで寸分?変わっていない。小さな砦だが城位置(展望が効かないので少し下がった磐頭)からは、西方:三田永沢寺から東方の籠坊温泉・大阪府能勢町へ、南正面は猪名川・川西・宝塚へ通じる間道・要衝が交差する十字路が監視出来る絶好の立地条件にはあるが城史一切不詳です。
人為的な石礎檀はあるが祠跡か?、城砦遺構は見逃したか?見当たらなかった。此の東側尾根へも一旦下り林道からの急斜面を突き尾根先に出て、そのまま丘陵尾根伝に後川砦を目指した。いずれの尾根筋も眺望は殆んど望めないが登山なら快適なルートです。以前は古阪峠(城東トンネル)から、今回は尾根筋を同じ暑い7月に再訪となった。単郭の小規模な砦規模の城郭ですが石積遺構が残ります。西方・北方へ延びる尾根筋以外は激急斜面、曲輪内は削平状態も悪く、低段差で区切られている筈の曲輪境も崩れ・荒れ邦題だが此の状態が5年前と立木の数や状態・落ち葉の堆積状態まで寸分?変わっていない。小さな砦だが城位置(展望が効かないので少し下がった磐頭)からは、西方:三田永沢寺から東方の籠坊温泉・大阪府能勢町へ、南正面は猪名川・川西・宝塚へ通じる間道・要衝が交差する十字路が監視出来る絶好の立地条件にはあるが城史一切不詳です。



この記事へのコメント
山を見れば山城が判るという山城賛歌さん?等の御知恵を拝借されては如何でしょう
私には其の様な特技や感が備わっていれば・・と悔やまれます!!
倉垣の地誌等 郷土史誌を研究されれば 歴史背景とともに其の位置が解ってくるのかも知れませんが・・?
源頼基岩尾丸城の記事の出典を教えていただけないでしょうか。塩田豪一著の多田雪霜談考には見つけることができました。
問い合わせの件 城館名だけの蒐集ですが、城郭事典(新人物往来社)を主体に、各郷土史誌等・図書館蔵書や古書店の拾い読み…等から伝承域を出ない城館情報までワープロで整理していたものに、MIXI<14-5年前?>以前からの城ネットサイトが収集・リスト化していた近畿ブロック分を転記保存していたもので、ふるさと富士・干支の山・全国校歌故郷の山リスト同様に個人資料として2000年以降HP上へのUPまでを意識せず、後日再調査等の為の出自まで記録していません。リスト内容は後日・城名の変更・追加・城主築城等城史・住所等も別資料により追記や修正しています。ご存知の通り城名は旧称・通称や時代により名称が異なることも…。
お尋ねの岩尾丸城は小戸古館・紀伊守古館・能勢古館…等所在は能勢町倉垣ですが能勢氏の丸山城・地黄城(地黄陣屋)とは近接。「軍記もの」の記述内容の真意はどこまで信じられるかはともかく、時代背景と其の城の立ち位置等を読み取れれえば面白い発見が出来るのかも!!?。
岩尾丸城は源頼基に居城らしい?が、清和(多田)源氏が能勢を席巻する能勢氏・塩川氏に分れたのは数世代後のことなので、地黄城や丸山城の古名なのかも?…。
今日ブログにUPした綾部城・綾部藩陣屋についても所在が三ヶ所にわたるのですが、二ヶ所には遺構が残らず、殆どの城郭サイトでも綾部城に標識が立つ保育所域だけに城・陣屋名を充てて紹介されているようです…?。
お役に立てず申し訳ありません。中世以前の城館なのか、後の能勢氏等により改修等により使用されてきたものか?、お尋ねの岩尾丸城等・倉垣に在る筈?の4城館は所在確認も出来ずいまだ未訪です。