報恩寺  丹波

全国足立姓の遠祖:足立(久保田)の孫で遠光の子・足立遠政が武蔵国足立郡より、丹波(氷上郡佐治郷)の地頭職を任命されて関東から佐治庄小倉に入部し、後に山垣の萬歳山に山垣城を築いて移り、此処を本拠として周辺に多くの支城や砦を築きます。
  大箕山(丹波富士)東山麓に建つ現:報恩寺
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此の足立氏の本拠:山垣城を正面に・尾根続きの北西に山容は柔和だが一気に伸び上がる急な尾根先にドーム状の万歳山を望む高台に万歳山報恩寺が建つ。遠政が山垣に移って来た時:祖父の遠元・父の遠光の追善供養の為・山頂に建立して足立一族の菩提寺とした報恩寺が有ったが天正7年「丹波攻め」明智軍応援部隊:羽柴秀長が大軍で遠阪峠を越え侵攻。その日の内に芦田氏の遠阪城山室城栗栖野城や足立氏の山垣城は落とされ・寺は焼失した。福知山市長安寺の閑翁教和尚により文禄3年(1594)報恩寺は現在地に再建された。
   現:報恩寺から望む万歳山(左のドーム状)と尾根続き右に山垣城址・正面奥は烏帽子山への福知山市境界尾根
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旧寺跡の万歳山山頂は広い平坦地(20X30m程)と一段下に頂部平坦地周囲を囲む3-5m程の帯曲輪が有り、北尾根側に腰曲輪・・・更に小さな平坦地形があり、寺の城郭化は不詳ながら城砦遺構でもあった可能性を感じ、万歳山城が在ったらしい郷史等の記載資料を見た様な記憶が・・!!?。以前に大箕山(丹波富士)から報恩寺へ降った際には寺経営の幼稚園(保育所?)が寺域下段に隣接して有ったが、入口門柱・扉を残して更地になっていた。過疎化によるものか、行政による集約化で統廃合されたものかは知らないが・・子供の姿を見ない集落内は生気も無く寂しいものですね・・・
  

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