丹波の石工:森田藤四郎

丹波:春日町野村の石工・伊助が石戸山から出る良質の石を求めて柏原町大新屋に移って難波金兵衛を名乗り、名工の名は広く近在に知れ渡ります。その子:金助も2代目:難波金兵衛(旭義継)を名乗り15歳の頃には播州方面にまで名声は拡げます。
  綿貫重吉(?森田藤四郎)の狛犬:尻尾の一例 丹波市青垣町
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初代金兵衛に子がなく養子に迎えたのが後の丹波佐吉(村上源照信)ですが、2代目金助が生まれると丹波を離れワタリの石工となり各地を廻って修行、やがて孝明天皇(在位!!?1848-68)に献じられ石の尺八に 「これは日本一である」と賞賛されたのが、「日本一」の言葉の語源・・ともされ、天下の名工として名声を博します。
  綿貫重吉(?森田藤四郎)の狛犬:顔相の一例 丹波市青垣町
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佐吉は幾度か丹波大新屋に戻り2代目金兵衛との合作・狐像等も残るが、佐吉の弟子として綿貫重吉(山南町JR谷川駅近く?)がいます。ところが綿貫の作品とされる多くの作品(狛犬像)は、綿貫の弟子・とりわけ森田藤四郎(山南町谷川)の手になるものが多いとされます。綿貫重吉の技巧・繊細を超越した大胆な!!ユニークさやダイナミックさ・・・ユーモラスな表情は時に恐々とした凄さを感じるが、銘に綿貫の名は有っても綿貫自身の手になる作品を・よくは知らない。
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こんな狛犬が有っていいの?と思えるほどの独特の表現と造形に当初は驚き・当惑したものですが・・
当の綿貫の作品の多くは近隣の弟子:森田藤四郎によるものと現:森田石材店から伺った。其の藤四郎自信の銘になる狛犬が”船町のえべっさん”で知られる西脇市黒田庄町の蛭子(えびす)神社に有ると聞き出掛けてきた。”石工・谷川 森田藤四郎”昭和12年10月建之の狛犬(37歳の作品)は綿貫重吉銘で彫り続けた時の狛犬の強烈な毒気を全てぬぐい去って楚々とした感じ。同じ藤四郎の作品かと・・・?
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特徴的な尻尾は渦巻き・波打ち・荒れ狂う様な形は消えて丸味をもち、ダイナミックでユニークな表情も御所人形の様なふくよかで優しささえ湛える。綿貫の強烈な作風を離れ・藤四郎自身を取り戻した穏やか作風だが、此れが作品造型活動の岐路に有ったものか、反対に過去が吹っ切れた自身のカラーなのか?
私の里の産土神:一宮神社(山南町南中)綿貫(森田藤四郎?)の狛犬?
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多くの作品を知って年代的にも比較して観る必要があるのかも・・。
諸事に熱心な現:森田石材店社長により祖父:藤四郎の作品や綿貫重吉の作品を調査研究され、レポートをブログやホームページに載せていただければ・・と期待しています。
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藤四郎は山南町谷川(金屋)の産:本店とは近い金屋は足利尊氏の臣・久下弥三郎時重が武蔵国から入部して居を構えた処。此処には土豪:森田駿河守(丹後守か?)が居を構得ていたところで、むしろ此の事を知りたいところですが、家系の事は自身のルーツも追えないだけに聞き出せなかった。

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