至山城 丹波市

岩屋山(506m)に在った石龕寺城(岩屋城)は、南北朝期:建武3年と観応2年、都を追われた足利高(尊)氏が二度共に丹波の此処に石龕寺に逃れてきます。丹波攻めの天正7年:最後の城主は広沢綱忠で、援軍として播磨から侵攻の丹羽長秀・細川藤孝等の連合軍に攻められ、久下氏の玉巻城と共に落城。
  イタリ山山頂・三角点 主郭!?
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石龕寺から長い谷間の岩屋集落内を経て、岩屋谷川が旧佐治川と篠山川が合流する地点に流れ出る。河口迄約300m程の地点には足利高氏が追っての探索を逃れ隠れた二重川伝説の足利橋がある。
岩屋城の前に玉巻城(久下城)が落とされ、鍋倉城が余波で落城?(開城・退城したものか)しているので、旧佐治川・篠山川が加古川となる三つの大河の合流地点・イタリが端(はな)を避け、播丹国境の白山〜妙見山の谷筋から鍋倉城の麓:山田川に抜け、旧山陰道(県道77号)に出て篠山川の浅瀬?を突っ切って玉巻城に迫ったものか?。
西尾根からの山道が上り土塁虎口状?と主郭切岸に見える??(施設造成によるものか)
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佐治川(現:加古川)は山陰・但馬道の丹波では最後の宿:佐治から丹波市行政中央の氷上町を抜けイタリが端に、多紀郡(現篠山市)を東西に縦断して大山下から川代渓谷(峡谷)を抜け丹波市南端を縫ってイタリが端で加古川に合流する旧山陰道、丹波・播磨が境する要衝で在り、三つの大河が合流する要害の地でもあるイタリが端から延び上がり西へと続く播丹国境の低丘陵尾根上には、播磨側・丹波側いずれか?の国境警備・砦跡と思われる平坦地形(曲輪)が何ヶ所か点在しているようです。
  山頂から南への枝尾根筋に4〜5段の平坦地(曲輪)を見る!!?
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是等の再東端「イタリ山」の山頂部にも幾段かの曲輪跡が確認できる至山城ですが、城史等の詳細は一切不明。此の城塞も北麓を旧佐治川を天然の濠として南面の西脇市側枝尾根上に曲輪を並べ、R175号線を見下ろし監視出来る位置に在るが、丹波側の城なら文字通り背水の陣、播磨側の城塞で播磨・丹波の街道や丹波側の城砦監視(岩尾・白山・高山寺・岩屋・高見・玉巻・鍋倉・・・等の諸城が望まれる)の砦群だったのかも・・?、明確な堀切も土塁も、曲輪の切岸も無い縄張りに、築城時期も不明です。

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この記事へのコメント

イッシー
2011年12月01日 22:30
天々さんこんばんは!猪名川のイッシーです!北摂能勢町の吉野にあった山城跡東郷民部古城の場所が推定できました!また岩屋丸城跡、紀伊守館、能勢古館、小戸古館などの場所も推定できました!またブログに掲載します!資料の地図などで場所を推定しましたが本当にそこにあるかはまだ探訪していないので不明です!

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