神呪寺と鷲林寺のソランジン!!

久しぶりに懐かしく西宮市内からの帰路に甲山森林公園を抜け、神呪寺・北山貯水池の間を通って県道82号線に出る。此の交差点を直進すれば鷲林寺。神呪寺と鷲林寺には共通する伝承等が多い。共に真言宗の寺で神呪寺は淳和天皇の妃:真井御前が弘法大師により剃髪をうけられ如意尼と改名され、寺を建てる場所を探して此の地に辿り着かれたが、鷲林寺付近の悪神ソラジンが住み「仏を祀る人々は、良い人間になり自分の言うことを聞かなくなるだろう・・・」と大鷲と化したソラジンが建立を邪魔しますが、寺を焼くことが出来ず退散し、また何時現れるか知れず弘法大師に訪ね「悪い神でも憎んではならない。憎めばまたきっと悪いことをするだろう。ソラジンを祀ってやれば、おとなしくなるであろう」と教えられ、如意尼は神として祀ります。神呪寺の開創は天長8年(831)。
  鷲林寺:水汲みに訪れた以前にはなかった多宝塔

   震災後には隆盛時の伽藍の一つ?多宝塔が再建復興されていた
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鷲林寺は天長10年(833)淳和天皇の勅願で弘法大師<空海>の開基を伝え、観音霊場を開こうと旅していた大師が夢枕に此の地を教示されたが、またしても大鷲と化したソラジンが現れますが、大師は木の枝を切り・湧き出る清水に浸して加持をし、大鷲を桜の霊木に封じ込めました。その霊木で本尊の十一面観音像並びに、伽藍守護神として鷲不動明王を刻み、大鷲に化けたソランジンは「ソラン荒神」として祀られ寺号を 「鷲林寺」と名付けられました。
    鷲林寺:何故か?武田信玄の墓・・?
    石造七重塔は鎌倉期!! 宝筺印塔は近世のものが多い!? 
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阪神間の西国観音霊場は勝尾寺(箕面市)と中山寺(宝塚市)しか無いのですが、如意尼は承和2年(835年)33歳で亡くなっており、此の伝承から新西国観音霊場の第21番に神呪寺が決められたものか・・?。鷲林寺には何故か武田信玄公の墓とされる石造七重塔が有りますが、作造の様式や技法からは鎌倉時代末期頃のものと推察され、墓の伝承と時代が合わないが、市内最古の石造遺品です。甲斐武田氏・若狭武田氏との関わり等は不明ですが、ことさら信玄の名が出てくる此の地に興味は湧く。鷲林寺山麓の集落に武田・上杉・・・等の甲斐姓が多いとも云う。鷲林寺略縁起には信玄が出家し 得度を行なった際の頭髪を埋めたとの寺伝ですが、戦国の動乱期に武田家家臣等が此の地に逃がれ周辺に集落を構え、鷲林寺境内にあった七重石塔を「信玄公墓」として崇拝したとも云われます。
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神呪寺と鷲林寺は永正6年(1519)阿波の細川澄元が越水城を攻めた時、寺を城郭化・神呪寺城・鷲林寺城として陣を張った所。その後も越水城の支城として機能した様で、天正6年(1578)荒木村重が信長に離叛した際は伊丹城の支城として見張り・狼煙の城となっています。私的には震災以前・鷲林寺途中にある聖トラピスト修道院で日曜日だけだったか、修道士の手作りクッキーが売られ人気だったが、つい寄ることもないまま帰郷したが庶民感覚からは少し高価だったかも?。慰霊祭等機会のある度には市内福祉関係作業所のクッキーを買いに行きつけだったCoopに見つけて買って帰る事にしている・・。此の店舗も再建復興・・。
         鷲林寺 ↓

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