長谷山城 Ⅱ

丹波市内の山城オフには嘗て丹波三郡【氷上郡<丹波市>・天田郡<福知山市>・何鹿郡<綾部市>】を領した赤井直政の本拠:黒井城のお膝元・春日町からスタートした。但馬山名氏が丹波の領内に侵攻した際には、反対に反撃し但馬竹田城をも落とし、山名氏は織田信長に助けを求めた。此の黒井城攻略の主将が明智光秀。
     長谷山城:主郭の櫓台土檀
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若狭方面・播磨方面からの援軍を併せての二回目(天正6年)の攻撃では圧倒的大軍による戦闘に黒井支城群は次々と落城。黒井城を包囲する付城群は此の時築かれり・落とした城を改修したものでしょう。本陣の茶臼山城・惣山・付城に利用されたと思われる東中城・・・既に闘将:赤井直政が病死していた事が分かっていれば決着が一年以上も延びることはなかったかも・・。直正の死を伏せて黒井城守将となっていたのが智将:弟の三尾城主:幸家。
  南斜面に落ちる(5-6条から成る)畝状竪堀群
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さて春日町を後にして市島町に向かった先は、喜多の集落から北西に位置する低山で船越氏の居城を伝えるが詳細は不明の城。城の南麓を通る県道59号は戸平峠を越えて京都側三和町に入る国境に近く、天正6年には黒井城の支城だった戸平峠の日ヶ内城や岩倉城・長谷山城は明智光春・藤田伝吾行政の軍により落城したと云う。岩倉城は織豊系縄張特徴が見られ付城として改修されていますが、岩倉城とも近く・同じ街道筋にあって、黒井城への東南口を守備する長谷山城も付城群の一つとなったかは、其の城史自体が不詳ですが縄張り特性からは丹波市内・国人領主の城には無い畝状竪堀や曲輪の三方を囲む土塁・・・等が見られます。
    主郭背後の高く深い大堀切
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以前のブログ→  http://40437108.at.webry.info/200812/article_18.html
長谷山城(船越城・北村城)ホームページ  ↓
  http://tanbakiri.web.fc2.com/TANBA-higauchi-siro-docu.htm#hase

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